婚約破棄劇場 ソフィー篇

野原 冬子

舞踏会

 冬の夜の晴れ渡った空に、ぽっかりと白銀色の満月が浮かんでいる。


 大きくうねったアルライン川に抱かれるように立つ、優美な王宮の建物群。冴え渡る月の明かりに染まる白亜の要塞の壮大な眺めは、アルタニア王国でも有数の名勝と名高い。


 空から目線を下げてみると、王宮内廷を囲む城壁の外、外苑東寄りの区画に四角い二階建の外宮があって、1階部分にずらりと並んだアーチ型の大窓から煌々とした窓灯りが溢れ、美しく整えられた庭園を照らし出している。



 この外苑外宮は、許可さえとれば誰でも利用可能な集会施設。今夜、庭にさしている光魔石が作る白乳色の灯りは、中でも一等広い『白夜』と名付けられた大広間が光源だった。窓の内を覗けば、シャンデリアの煌びやかな光下に集う、色とりどりに着飾った若者たちの明るい表情やきらきらした熱気に、広間の内は一段と輝いてみえる。


 白夜の間で開催されているのは、広大な王宮外苑内にある3つの学舎に在籍する学生たちの交流イベントで、王家が後援する冬の舞踏会だ。

 国内の平民にも広く門戸を開く最高学府で4年制かつ完全入試制の魔術学院と、軍務に特化した3年制の士官学校、そして貴族の子息女のみに在籍資格のある社交界の登竜門的役割を担う3年制の貴族学園。この3校すべてが15歳になる年に入学する王立の教育機関だった。



 特に今回は、入学以来一度も参加していなかった第二王子アーサー・アルタニッシュが、先日行われた魔術学院の卒業検定試験を首席でパスし、満を持して最初で最後の参加を表明したとあって、例年以上の賑わいを見せていた。







 アーサー王子と同級の次席で学院卒業検定に通ったソフィー・ロアンは、ひっそりと遅れて会場入りし、目立たないように群青色のドレスと同系色のテラス窓の分厚いネイビーのカーテンの前に立っていた。

 書面でエスコートを打診したーーーまさに打診で色気もっけもない業務連絡のようなものだったーーー、婚約者のセドリックが簡潔に「大切な用事あり」と断ってきたためだ。


 お年頃の男女が主体となる冬の舞踏会では、決まった相手がいる場合は2人で参加し、売約済みをアピールするのが慣わしだったから、婚約者がいるにもかかわらず1人になってしまったソフィーは、極力目立たない方向で舞踏会をやり過ごすつもりでいた。



 そもそも、ソフィーは舞踏会に参加する気なんてなかった。学院の裏庭に作った薬草園の手入れと成長の記録をまとめ翌日の対応を考える時間の方が、交流会よりもソフィーにははるかに重要なのだ。残された短い期間で、後輩への引き継ぎも済ませなくてはならない。


 のだか、『魔術学院卒業検定上位成績者は、必ず、絶対に、断固としてっ 逃亡など企てることなく、君たちにとって最後の交流イベントとなる舞踏会に参加せよ(じゃないと校長である私の首が飛ぶ。担任教官も責任を問われるだろう。君たちは、はっきり言おう君たち3人はだ、貴重な教師のクビを飛ばし後輩を路頭に迷わせてもいいのか!?)』という、迫真に迫る脅迫文を受け取って、仕方なく『白夜の間』の片隅に立っている。

 ソフィーは、そんなこんなで、自分の髪の色は夜を溶かし込んだような黒だから、窓の外の宵闇とカーテンのネイビーにかなり同化できているのでは、と目論みつつ、手の中に収まる大きさの『学院薬草園栽培記録』のメモ帳に目を落とし、後輩への引き継ぎ方法を検討していたのだけれど。



「・・・おい、そのドレス生地、まさか、アラクネー蜘蛛か?」

驚きを滲ませる青年の声に思考を遮られて、ソフィーは顔を上げなければならなくなった。


 目の前に、三席で卒業を決めたマーク・クラフトがシャンパングラスを両手に持って立っていた。スラリとした身体を引き立たせる光沢を抑えた黒の上下、インナーは襟と袖にシンプルな紺色と金の蔦の刺繍のあるシャツに銀のベストを小気味よく着こなしている。入学以来研鑽を共にしてきた栗色頭の悪友が、蜂蜜色の瞳を軽く目を見張るようにしてソフィーの群青色のドレスを凝視していた。


 溌剌としていて爽快、面倒見のいい兄貴肌の好青年マークは顔もすこぶるよろしい。身分は平民だが、王都でも有名な魔道具店『金の梟』の跡取り息子で、魔術の才能に恵まれ将来も有望。王子アーサーを含めて魔術学院の人気を三分している、この舞踏会の注目株のひとりだ。


 あまり目立ちたくないソフィーだったから、できれば、存在自体が眩しい友人のマークには近づいてきてほしくなかったのだけれど。嫌がると余計に面白がって絡んでくるヤツだということは、この4年で十二分に学習した。見つかったのなら諦めるほかない。



「ああ、これね。亡くなった母の形見のドレスなんだ。初めて袖を通したんだけど、軽くて丈夫、光沢はシルク級とか、さすが魔蜘蛛の糸織物だよね」


ソフィーは首をすくめて、空いている右手でドレスを摘んで見せた。


 女性としてのふくらみには乏しいけれども、スラリとしなやかな身体には落ち着いた佇まいがある。とっても端正な顔立ちをしているのに、表情も態度もそっけないせいで、目立たず、地味な印象に仕上がっている。


 そんなソフィーにも、実は静かにこっそり秘密裏に、彼女を見守る秘密結社まがいのファンクラブが存在していた。魔術学院人気者三高峰の頂を担うひとりなのだ。

 麗しく煌めく第二王子アーサーと溌剌爽快好青年マークが、隙あらばと絡みにいく。それを、そっけない態度でいなすそのクールさ、猫のような懐かなさ、よく見ればハッとするほど整っている中性的な顔立ち。

 アーサーとマークにだけ、ごくごく稀に見せる、デレにほんのり染まったテレ顔。そんなソフィーを歓喜を押し殺してこっそり称賛する、侮れない数の勢力が実在することに彼女は気づいていない。




「本物か。すごいな。俺にも触らせて?」


と、シャンパングラスを差し出してくるから、ソフィーは少し間合いを詰めてグラスを受け取り、どうぞと目で促した。



 この二人のやりとりに、会場内で息を呑む気配が立ち上がったけれども、一瞬で会場の明るい賑わいに溶けて塗れて消えてゆく。ソフィーを見守る勢力はもしかしたら相当な手だれの集団として成長を遂げているのかも知れない。



「・・・うわぁ、軽っ・・・ この薄さで、この光沢っ 手に吸い付くような潤いっ 手触りっ すごいなアラクネー・・・・」


「糸を手に入れたいなら、案内できるよ?」

「欲しい! いつにする?」

「うーん、一緒に行くなら、結婚式の後かな。アラクネーの生息地はロアンの森の比較的浅いところだから、披露宴の後数日滞在してもらえればなんとかなる」


勢いよく食いついてきたから、今後の予定を頭の中で確認しながら答えると、マークはドレスから手を離し、呆れ果てたように眉間を指で揉み始めた。


「・・・・おいおいおい、いくらお前でも、新婚早々討伐とかありえないだろ」

その大仰な仕草に、


「そうかな? セドも当然一緒に来るだろうから問題ないのでは?」

とソフィーが首を竦めたとき。









「まぁ、ソフィーお姉様! なんて地味で目立たないドレスなの。なかなか見つけられなくて大変だったのよ?」


少し鼻にかかったような甘い声音にたっぷりの蔑みを含ませ詰じてくる人影があって、ソフィーが視線を向け、マークが振り返った。


 瞳と同色の春の空を思わせる色のドレスが華奢な体によく似合っている。ソフィーを見て嬉しそうににっこりと笑った甘くて淡い金髪の可憐な美少女は、エミリア。父の再婚相手が連れてきた義妹だ。

 そして、彼女の細い腰を抱くようにしてエスコートしている葡萄茶色の近衛騎士の制服姿、金混じりの鳶色の髪に夏空の色の瞳の美丈夫は、セドリック・コストナー。ソフィーの6年来の婚約者だった。


 「セド? どうしてここに?」とソフィーは瞬く。



「君は、真面目なだけが取り柄の、地味で色気のない人だと思っていたけど。見目のいい平民のクラスメイトと相引きとは、侮れないね。恐れ入ったよ」


セドリックが肩を竦めてソフィーとマークを見比べ皮肉な笑みを作ると、エミリアは彼の腕の中で体をよじって逞しい胸板に手を添え、優しく諌めるような表情で彼を見上げた。


「セド様ったら、土いじりが趣味の泥臭いお姉様と相引きなんて、そんなわけないじゃない。優秀なマークさんに失礼よ?」


 的外れな庇われ方をしたマークは苦い顔になったが、今はとにかく沈黙を守ることにした。

無事卒業し上級魔術師の資格と身分を得た後ならば、子爵家出身の近衛騎士セドリックとも対等に渡り合えた。が、しかし自分はまだ成人前の平民の学生でしかない。ソフィーを助けるどころか、かえって立場を悪くしてしまいかねないからだ。


 そんなマークに感謝しつつも、ソフィーはこれみよがしに密着する義妹と、卒業後すぐに結婚する予定の婚約者を前にして心の底から湧き出るため息を止められない。もうすぐ義理の兄妹となるのに、人目も憚らずピッタリとくっついて、何をしてるのだろうこの二人は。


「勘違いです。マークが興味を持っているのは私ではなく、ドレスの生地ですから。・・・距離感がおかしいのはそちらですよ、セド。公衆の面前で、私と結婚すれば義妹になるエミリアさんとそんなに身を寄せ合っていては、」

「ソフィー、君との婚約は破棄することになった」


両家の醜聞になりかねない、と諌めようとしたソフィーに、セドリックが上から被せるように冷たく言い放った。


「・・・・え?」

剣で突き刺すような物言いに、ソフィーが目を瞬かせる。




 身体を鍛えている現役近衛騎士の重たい声音は、よく通った。


 ざわりと一瞬だけ会場の空気がゆらめいて、すぐにすんと静かになったのは、会場全体が全神経を研ぎ澄まし耳をダンボに拡張して息を詰めたせいだ。




 ちょっとおかしな会場の雰囲気などお構いなしに、セドリックは鼻でソフィーをせせら笑い、話を続ける。


「大人になれば少しはマシになるかと待ってみたが、君は子供の頃からちっとも変わらないな。相変わらず、女らしさのカケラもないじゃないか。俺のために綺麗になる努力なんて一切しようとしない。それどころか、分不相応な魔術学院に必死にしがみついて。はっ 君が学院に入学してから今日までの4年は、見苦しいのを通り越して滑稽だったよ。めでたいね、なりふり構わなかった甲斐あって、なんとか卒業も決まったそうじゃないか。こちらも、めでたいことに、君との婚約を破棄して、エミリアと結婚することが決まったよ」


「うふふふ。お姉様、なんだかごめんなさい? お父様も、セド様には私の方がお似合いだって、喜んで結婚を認めてくれたのよ。お姉様が進めていた結婚準備は、私が引き継ぐことになったから。わからないことがあったらお手伝い、お願いね」


エミリアは、唖然としているソフィーに見せつけるように、セドリックの腰に腕を回し、厚い胸板に頬を寄せて愛らしく微笑んだ。




 そんな二人を、ソフィーはただただ呆然と眺めている。




  さまざまな心の声をダダ漏れにしたざわめきが、会場の空気を揺らし、広がってゆく。


「うぁ、可愛い顔して押し付けるきまんまんだね、あの子」

「あれ学園3年生のロアン嬢だよね? できちゃった婚するって噂の?」

「はっ あの程度の騎士掃いて捨てるほどおりますわ。さっさと捨てておしまいになってっ」

「ああソフィー様、衝撃を受けたお姿も、黒猫が目をまん丸にして固まる風情・・・か、かわいい」

「ふふ、男臭い騎士風情と結婚なんて許せなかったのです。やったっ。お二人にチャンス到来だわ」

「沈黙は金っ 静かに怒れるマーク様、素敵っ」

「マーク、チャンスだ。お前がソフィー様をさらってしまえっ」

「ああああ、足りないわっ 足りないぃ 殿下がっ 殿下が足りないっ」






 そんなこんなと会場内に溢れるつぶやきを、ソフィーはどこか遠くに聞いていた。







 ソフィーのロアン家とセドリックのコストナー家の所領は隣接しており、代々良好な関係を築いてきた。

 ロアンは建国以来の由緒ある伯爵家で、コストナーはロアンの家来筋の騎士の家だった。何代か前の当主が王国騎士団で立派な功績を上げて子爵位に叙爵されたのだ。そして、初代コストナー子爵は、願ってロアン家に隣接する所領を賜ったのだという。

 ロアンの始祖は、建国王を支えた魔女だったという伝説がある。それが理由なのか、ロアンの系統は女系で当主には女性が立つ傾向にあった。代々続くロアンの女当主を、配下の騎士として守り支えていたのがコストナーなのだ。


 3歳上のセドリックを兄と慕って懐くソフィーを見て、先代当主だった祖母スカーレットは2人の婚約を決めた。その経緯と祖母の歴代のコストナー当主に報いる好機だという思いを、ソフィーは聞かされていた。



 だから、立派な当主にならねばと、頑張ったのだ。


難関魔術学院の入学試験を主席で突破し、在学中も近衛騎士団に出仕する婚約者に恥じない成績を残すべく、学業と魔術の鍛錬、研究にも邁進してきた。


 祖母はよく言っていた。黒髪に、ロアンの森の深淵を映したような深い緑色の目を持つソフィーは始祖の魔女ゾーイと同じ色を持つ先祖返りなのだと。自然に対しての感度が高く、感情で揺れる魔力の波が大きいため、心身を鍛えて魔力を制御する訓練を幼い頃から科せられてきた。そんな諸刃のソフィーには、コストナーの騎士セドリックの支えは、大きな力になるだろうと。





だから、頑張ったのに。



優しくキラキラしいアーサーや、爽快好青年なマークに対してそっけない態度を貫いてきたのも、夫となるセドリックを立ててのことだった。




・・・デキチャッタコンってどんな意味だったかな?









ああ、まずい。

この心の静けさは、


引き波だ。

引き切った波は、大波を呼ぶ。





 このまま、精神を眠らせてしまおうか?

そうすれば、誰も傷つけず、自分も傷つかずにいられるだろうか?






 ソフィーが、真っ白になった頭の片隅でそう考えたとき、



「ソフィー?」

彼女をそっと現実に引き寄せる、優しく凪いだ声がした。


「ダメだよ?」

背中が大きな温もりに包まれて、とくんと心臓がはねる。


引き切って、今にも自分を頭から丸呑みにしようとしていた感情の大波が、

ザザザーんと足元で砕けて・・・・







「きゃーーーーっ」とか、「ひやぁーーーーっ」、「真打登場!!!」とか、あるいは「ぐふっ」、「我が学院生活に一片の悔いなし!」やら「尊いっ尊いがすぎますわーーーっ」、さらには「マーク様、負けないで!」とか「ぬおおおお、マークっ、お前の骨は俺が拾ってやるからな」とか。


 舞踏会の会場に、あらゆる種類の黄色い悲鳴や、図太いうめきが爆誕した。


それはソフィーが呑まれそうになった大波に代わる、感情の嵐だったのかもしれない。






「・・・・殿下、何をしているんです?」

「え? ソフィーを捕まえたところだね」



気がつくと、ソフィーは、背中から第二王子アーサーに抱きすくめられいた。

「は? 捕獲?」


「この会場に来る前、兄上の執務室でね、セドリック・コストナー子爵令息がエミリア・ロアン伯爵令嬢に婿入りする婚姻誓約書に王家の認可印が押されたところを確認したんだ。だから、もういいかなぁーーって」


試みに、アーサーの腕を逃れようとジタバタしたけれども、びくともしなかった。


「逃がさないよ? ソフィー、僕の気持ちに気づいてたよね?」

「!!!!!」


背後から抱きしめられて、さらに首と肩の間に頭を沈められ、麗しく煌めくさらさらの金色の髪に頬をくすぐられて。


一瞬でソフィーが真っ赤に茹で上がった。



会場全体が、巻き込まれて絶句した。






 そして、

「魔術学院フォーメーションZ、展開しますっ!!!」

誰かが叫んで、


「はいいいいっ!」

「YESっ」

「合点っ」

「御意っ」

誰かが答えた。


 会場の三分の一を占める魔術学院の生徒が、ザザザざーっと波を打って動き出す。

第二王子の登場に、くっついたまま刮目フリーズをかましていた、エリミアとセドリックを呑み込むように巻き込んで。

流れるように、流すように、ぐるぐる2人を回転させながら出口に誘い、ポイっと放り出して、バタンと扉を閉じた。



 もしかしたら、

誰かが結界魔術を展開したのかも知れない。









フッと手の中の水晶玉から『白夜の間』の映像が掻き消えた。

「あら残念」

溢れる呟き。

黒いローブ姿の、一人の魔女が翡翠色の瞳を瞬いた。


そんな仕草が、ソフィーによく似ていた。

彼女は緋色の魔女。


王宮外苑の東寄り、『白夜の間』のある建物の屋上の縁に腰を下ろしていた。



「まぁ、なんとかなったわね。王族はいけすかないけれど、あの王子は悪くないわ」

背後から抱きしめられて真っ赤になっていた孫娘の様子を思い出し、ふふっと笑んで立ち上がる。


 緋色の長い髪と、魔物の蜘蛛アラクネーの糸で織り上げた紺色の魔女のドレスの裾が風にはためく。


 どこからともなく取り出したのは、柄の長い箒。

アッシュの木にブルームを使った、スカーレットお手製の空も飛べる魔法の箒だ。



緋色の魔女はひらりと箒に跨って、

音もなく夜の空に浮かび上がった。




白亜の王宮を見下ろす、白銀のまんまる満月に、

魔女の黒い影が重なった。







めでたしめでたし。

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婚約破棄劇場 ソフィー篇 野原 冬子 @touko_nohara

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