第11話 綺麗な部分なんてどこにもない

 ひどいわ、と倒れ込んだまま打ちひしがれた様子で頬に手をあてたサンドラ。

 微妙に傷を外した位置をおさえているせいで、赤い線となった傷はよく見える。


 ざわざわと周囲がざめく中、ナディアは無言でサンドラに歩み寄った。

 その目の前で片膝をつき、頬に手をかざす。


 《癒やしの力よ》


 手のひらから魔力が流れるように意識を集中して囁くと、青白い光が溢れて、サンドラの傷を跡形もなく消し去った。


「……?」


 何が行われたのか、即座に把握できたのはナディアとサンドラのみ。

 人々はひそひそと不思議そうに囁き合うことはあったが、大きな声で発言する者はおらず、絶妙な空気となる。

 その沈黙を破って、ナディアはサンドラに微笑みかけた。


「こう見えて、私、『癒やし』に関しては候補者中二番手です。戦場では臓腑がはみ出したひとの治療も何人もしていますし、このくらいの傷を癒やすなんて、わけないです。姉さま、他に痛いところはないですか?」

「……無いわ」

「良かった。派手に転んでいましたけど、どうぞ私の手につかまってください。歩けないくらい腰痛があるなら、そちらにも癒やしの魔法を使いますからご遠慮なくおっしゃってくださいね」


 サンドラは無言のままナディアの手を取り、体を起こした。衣服についた砂埃をぽん、ぽんと手で叩いて払う。

 笑顔のナディア、無表情のサンドラ。

 重苦しい空気に耐えかねたように、ひとりの男性が声を上げる。


「サンドラ様……? お怪我は? 今のは……」


 ぎろり、と視線を向けたサンドラ。

 頬を引きつらせたまま何かを言いかけたが、寸前になって、不自然なまでに満面の笑みを浮かべて答えた。


「怪我は無いわ。なんでもないの。今のはなんでもないの。なんでもないったら、なんでもないわ」

「ですが」

「なんでもない!!」


 サンドラが息継ぎするタイミングで、ナディアは態度を決めかねている周囲の人々へとにこやかに笑いかけながら言った。


「今のは、デモンストレーションです。サンドラ姉さまは、普段『恵み』の領域で皆様のお力になっているかと思います。私はその点では全然及ばないんですが、『癒やし』に関しては多少腕に覚えがあります。せっかくですから、どなたか身体的な不安を抱えている方がいましたら、お声がけください。魔法でどうにかできる範囲のことであれば、お力になりますので」


 どよめき。

 ナディアは、最初に先程声をかけてきた老婆に颯爽と歩み寄り、「足、どうなさいました?」と話しかけた。具合を確認してから、魔法を施していく。

 それを見ていた人々の間から、ぱらぱらと遠慮がちに声が上がった。それはすぐに絶え間ないものとなる。次から次へと「こっちも診てくれ」が殺到し、ナディアは「わかりました」と返事をして騒ぎの渦中へと身を投じた。

 その様子を、サンドラは無表情に見ていた。


 口を挟まずに遠巻きに見ていたアンゼルマは、さらに遠くに立っていた護衛のギルベルトに、さりげなく手で指示を出す。

 サンドラの連れていた神殿兵を、牽制するように、と。

 もちろん、万が一にも、ナディアが傷つけられないようにするために。



 * * *



「サンドラは戦闘向きの能力がほとんど無いからね。適所適材の観点から見て、戦場では前線に出すことがない。ナディアの癒やし手としての能力を正確に把握していなかったんだろうね」


 その夜。

 日中の反省会のため、ナディアはアンゼルマの私室を訪れた。

 ソファに並んで腰掛け、アンゼルマは愉快そうに口の端を吊り上げて笑う。


「さて、サンドラは周りが自分の支持者ばかりだったから、多少強引でも同情をひけると思った……のかか? 嫉妬もあったのかもな。今まで自分が可愛がって信頼築いてきたはずの相手が、ナディアに興味を示して面白くなかった、と。カッとなって理性的な判断ができずに、その場で仕掛けてしまった」

「そんな思慮の浅いことってありますか? サンドラ姉さまは聖女候補者じゃないですか」


 思わず非難がましい口調で言ったナディアに対し、その顔をのぞきこんだアンゼルマは「こら」と声を低めて言った。


「よく言うよ。だいたいナディアは理想が高いんだ。『聖女候補であれば、人間的にも優れ欠陥などあるはずもない。ひとつひとつの言動に深淵なる意味があるに違いない』と思い込んでいるだろう」

「はい」


 余計なことを言わぬように言葉を飲み込み、首肯する。アンゼルマはすうっと目を細めて、ナディアを軽く睨みつけた。


「そんなわけあるか。みんな人間だよ。不完全で、いまだ道の途上。嫉妬するし、迷うし、間違える。お前と同じ。だからこそ、ナディアにもまだ、私たちに勝つ可能性が残されている」

「アンゼルマ姉さま……」


(危機を助けてくれて、相談にものってくれる。私を導くように……。一つの座を争う敵同士なのに。聖女に一番近いのは、アンゼルマ姉さまを置いて他にいないように思えるのですが)


 言葉を詰まらせたナディアを見つめたまま、アンゼルマはふっと笑みをもらした。冗談めかした口調で告げる。


「私の偉大さで、ナディアを圧倒してしまったらしい」

「はい。もう、ほんと、その通りです。姉さまが聖女になってくれたら」


 途端、肩をぶつけられる。

 顔を向ければ、目が合った。アンゼルマの輝きの強い黒瞳に、炎が走った。


「そこまでだ。お前また勝手に勝負を放棄しようとしたな。それは私の望みじゃない。ナディアに対して私が願うのはひとつ。聖女候補者として、真っ正面から戦うことだ。今までみたいに、謙虚なふりをして身を引くのは許さない。それで守れるのは自分の安全だけ。そんなぬるい根性の人間と戦って勝っても、意味がない。お前は今よりも血を流し、骨を折れ。傷だらけになってでもこの戦いから逃げるな」


 白皙の美貌に苛烈さが宿る。息を止めて見守っていたナディアは、かすれた声ではい、と返事をした。

 すぐに、アンゼルマは何事もなかったように相好を崩す。そして、深刻になりかけた空気を払拭するような明るい声で言った。


「素直でよろしい。さてそこでナディア、次は私から課題を出しても良いか?」



 * * *

 


 アンゼルマの部屋を辞し、出てきたばかりのドアを振り返る。

 閉ざされた戸板に手をついて、ナディアはがっくりとうなだれた。

 心の奥底からの、大きな溜息。


(昼間の……、神殿外のひとに、聖女候補者同士が足を引っ張り合っているように見られたくなくて、自分なりにフォローしたつもりだったのに。結果的に、これまでサンドラ姉さまがカバーしきれていなかった「癒やし」の領域で出し抜くような形になってしまった……)


 気持ちの上ではやりすぎたオーバーキル感が強い。


 サンドラは、自分自身が「癒やし」の領域では大きく力を発揮することがなかったので、いつしか支持者から期待されることもなくなり、そこに需要があることを正確に把握していなかったに違いない。

 そして、ナディアの力を侮っていた。

 サンドラが衆人環視の前で「ナディアが、顔に切り傷をつけた」と訴えたのを、当のナディアが癒やしの魔力で有耶無耶にした流れ。さらには、「癒やしの魔力があるのであれば」と押し寄せたいくつもの悩み相談を次々と受け、その願いを叶えてしまった件。すべて、サンドラの想定外だったように見えた。


(悪意を機転で乗り切り、自分の実力を示して評判を上げ、サンドラ姉さまの支持者を取り込んだ……。おそらく「聖女候補者」としては最良の動きをした。すべてはサンドラ姉さまの「侮り」が発端であり、私が後ろめたく思うようなことではない。むしろ出遅れていた分を取り返すためには、私は今後も同じようなことがあれば、今日のように乗り切るべきなんだ。わかってる)


 ナディアは、目の前で閉じたままのドアを、じっと見つめた。

 アンゼルマと話したことで、いくぶん気持ちは落ち着いていた。だが、うまくやりすぎた自分の手際に妙な割り切れなさを感じている。

 後味が悪い。


(やられたから、遠慮なくやり返した。落ち度は私の能力を見誤っていたサンドラ姉さまにある。だけど、聖女になるために、本当にこんなことを続けていくの……? 隙を見せたら「義理姉妹」で容赦なく潰し合うような)


 ――お前は今よりも血を流し、骨を折れ。傷だらけになってでもこの戦いから逃げるな


 ゆっくりと、目を瞑った。

 アンゼルマの前ではできる限り平静を装っていたが、向けられた言葉を思えば、心は見透かされていたとしか思えない。

 傷つけられたときよりも、傷を負わせる方がより心が痛む。覚悟を要する。


 自分が攻撃された場合は、気持ちが折り合えば「許す」ことができる。

 反対に、自分が攻撃をした場合は、相手は謝っても「許してくれない」かもしれない。当然だ。そもそも謝って許してもらおうなどと考えるなら、はじめから攻撃などしなければ良い。

 傷つけるならば、そこにはもはや自分の気持ひとつでは如何ようにもできない断絶の覚悟を必要とする。

 その断絶の先にあるのは、おそらく「絶対に許さない」という相手からの憎しみ。そして、「あれほど自分を憎んでいる人間を生かしておけば、いつか殺されるかもしれない。その前に」という、歯止めを失った殺意。互いに。


「戦わない方法は本当に無いのでしょうか。このままだと、私は姉さまたちと本気で殺し合うことになる。……いずれあなたとも」


 ドアの向こうには聞こえないように、ごく小さな声で呟く。

 すでにセレーネからは敵意を向けられ、サンドラの憎しみを買った。この上、アンゼルマとの衝突も避けられないとすれば。

 心も体も血を流し、骨を折り、激しく苦しむのは想像に難くない。


(選ばれるのは一人だけ。候補者たちはその座をめぐって争っている。力が劣っている私は、「もっとも優れた人間の座」だと信じ、それは自分では無いと身を引いていた。今、争いの真っ只中に飛び込んでみればわかる。これはただの人間の戦い。綺麗な部分なんてどこにもない。相手の落ち度があれば容赦なく引きずり下ろす。他人を落とすことで、結果的に自分を良く見せる。そういう戦い……、本当に?)


 その場を離れるため、ナディアはようやく廊下を歩き出した。

 心の中が暗いせいか、視界もくすんでいる。自分は何かを見誤っているという気持ちが消えない。

 それでも、話し合いの最後にアンゼルマから出された課題を思い浮かべ、気持ちを切り替えようと決める。


 ――課題ですか?


 なんだろう、と聞き返したナディアに、アンゼルマはにっこりと笑って爽やかに言ってのけたのだ。


 ――たまには義理姉妹四人でお茶会でもしてみないか? なかなか全員で顔を合わせる機会も無いからな。お互いのことを知る、楽しい会話ができると期待している。セッティングに関しては私に任せるように。


 ……課題になるお茶会、とは? と悩みながらナディアは歩き続け、ついには曲がり角を曲がらず壁に頭を打ち付けて、しゃがみこんだ。

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聖女目指して修行中ですが、踏んだり蹴ったりには定評があります! 有沢真尋 @mahiroA

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