第14話 女神の権能
吹き荒れる嵐と天を穿つ暗黒の柱を見上げて、首都城塞ベルスの国民は恐慌に陥りつつあった。かつて世界を滅ぼしかけた魔獣王の存在は、人々の心に今も根強く残っており、滅びた大陸からの移民も多かったのである。
――また魔獣の侵攻が始まったのか?
不安と危機感を募らせながら、事態を見守る人々。かつて世界を救った勇者タクヤも今は亡く、彼の仲間達もいない。もはやトング王や王騎士だけが最後の希望だ。
……その群衆達に紛れて、東の空の異変を、じっと見つめる男がいた。
今時珍しい旅人風のローブを着て、フードを目深に被った男である。そんな外見なので顔はよく見えないが、空を見上げるこの時ばかりは、僅かにその表情を窺うことも出来ただろう。しかし幸運なことに、誰もが東の空を見上げているので、彼の顔を覗き見る者はひとりもいなかった。
――なんだあれは。
他の者達が怯えるような状況で、フードの男は、別の感想を抱いていた。
驚きと、呆れである。
やがて暗黒の柱が、まるでベルスに振り下ろされるように倒れそうになりながらも消えた後、人々の恐慌はピークとなった。このベルシナウ大陸で一番安全な首都城塞を出て避難しようとする者たちもいたほどである。……この流れに乗って、自分もここから移動すべきかとフードの男が考えていた、その時であった。
人々のどよめき。
城塞都市ベルスの最外縁に位置する下級地区と、ひとつ上の中級地区を隔てている立派な城壁。その城壁の、大きな門が開いていく。
歓声があがった。
そこから現れたのは、ベルスが誇る戦士軍団の中でも、移動力に優れた戦馬を駆る戦士達である。本来なら騎士と呼んで差し障りない存在なのだが、彼らを騎士と呼ぶ者はいない。この世界における騎士とは、戦闘と乗馬が可能な貴族を意味するからであり、戦士は貴族ではないからである。
ただし、それ以外にも騎士と呼ばれる存在はいる。
その例外が、戦士軍団の先頭にいた。戦士のひとりが声をあげる。
「王騎士ルカ様と、戦士軍団である! 道を開けよ!」
先頭で馬を進めている、黒い竜鱗の装備を全身で纏った人物に、人々は熱狂した。
「姫様、姫様だ!」
「キャー! ルカ様ー!」
「ルカ様どこ!? ちょっと、どきなさいよ!?」
「ご武運を!!」
「ベルシナウに栄えあれ!」
「ルカ様が出たならもう安心だ」
「しかし、貴族の騎士達は何をやっているんだ」
「まずは現状の把握からなんじゃないか?」
――あれが王騎士か。
あの先頭の黒い鎧の人物は、どうもルカという名の、なんと姫であるらしい。国民から相当の人気や信頼を得ているようだと考えるフードの男。さっきまでの恐慌が嘘のように、一転して安堵と冷静さが人々に広がっていく。彼女に続く戦士達も、どこか誇らしげでさえあった。
――さて。どうしたものか。
王騎士が率いる戦士軍団が、民の声援を受けながらベルスから出撃する。おそらく目的は偵察あたりだろう。場合によっては王騎士とやらが戦うのかもしれん。急がねばならない。フードの男はそう考えた。
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「―――――」
そんなベルスの様子を、冷や汗まじりに、遥か上空から見下ろす視線があった。
といっても高度がありすぎて、人々の細かな様子や会話まではわからない。しかし物理的な被害の確認には成功したので問題ないと判断したようだった。高度を下げすぎて、こちらに気づかれたら面倒というのもある。
「ほっ……」
最初こそ恐る恐るという感じだったが、見たところ都市のどこかを破壊したような形跡はなく、ライネは安堵の息を吐いた。覗き込んでいた旅立ちの小窓の魔法を消して、女神らしい穏やかな微笑を浮かべて振り返る。
「ふふふ。どうやら被害はないようですよ」
「そ、そうか。だったらいいんだが――」
男は肩の力を抜いて、心底安心した様子。さすがにこんなことで死者でも出た日には、後悔してもしきれない話であった。
「……旅人よ。安心なさい。なんだか忘れてそうなので一応言っておきますが、私は旅立ちと変転を司る女神なのですよ? 転生しないお試しで異世界に赴くのもまた、ひとつの旅であると定義すれば、きっと私の権能が、汝の旅を安全かつ面白おかしいものへと導くことでしょう。まあ、いささかの不幸な事故こそありましたが、最終的にはいい旅夢気分な結末になること間違いなしです――!」
いつもの女神のポーズに後光を受けながら、笑顔で断言するライネ。
その発言を聞いて、男は無言で周囲を見渡した。
……穏やかで平和な草原の風景は、穏やかで平和だった草原へと、劇的なビフォーアフターを遂げていた。突然の荒れ狂う嵐。落雷による延焼。重力異常。多大な迷惑を被った草原は、混沌とした焼け野原という有り様になっており、これこそまさに、なんということでしょう、という感じである。
実際、男やライネ達のいた場所は嵐の中心だったので大した被害はなかったようだが、離れた場所では、まだ火が燻っていたりする。草原にいた小動物やスライムなんかは、みんな大変なことになってしまったのではないだろうか。
「これはひどい」
それが男の素直な感想だった。
うっ。と何かで刺されたように身体を震わせて、笑顔のまま目を逸らす女神。頬を流れる汗。
「こいつ、ついに異世界まで焼き出したぞ」
「正直こんな悪戯は妖精も真似できないよねー」
男とスオの発言に、グサグサ左右から刺されたように身体を震わせて、顔を背ける女神。だらだらと流れる汗。
「というか絶対、ここに来る前のバカでかい蛇も事故か何かだろ……やべえな女神。人知を超えた存在のドジは、人知を超えたものになるってことなのか?」
「あー。確かに神様達って、なんにしてもスケールがやばいところあるよー。でも、ボクも長い間いろんな女神を見てきたけど、さすがにこれはちょっとねー」
(>_<;)ソウゲンガ...
男とスオの発言とスライムの様子に、全方位から撃たれたように身体を震わせて、ついに身体ごと背ける女神。滝のように流れる汗。そろそろ女神としての信用度だか発言力だか威信点だかが尽きそうな気配であった。
(……ま、まずい。とてもまずいわ……)
このままではギフト勝負が決着する前に、神としての威厳が消え去りそうな感じではあった。
「ところで、権能ってなんだ女神」
「……権能とは、その神が司っているものに関する権威や能力のことです。例えば、雷と農耕の神なら、雷や農耕に関連する知識や技能や能力や性質がありますし、雷や農耕に関しては他の神より立場や発言力が強いわけです。これらの権能があるから、人々に加護を与えたり魔法を起こせる……というのが神々の基本なのです」
ここぞとばかりに解説役になって、発言力の向上を図るライネ。
しかしそれを聞いて男は、かつてない深刻な顔になった。
――旅立ちと変転の女神。
その本質は火葬の女神らしいが、旅立ちと変転を司るということは、旅をして何かが変わる、または、何かが変わりながら旅をする……そんな意味合いの性質も持っているのではないのだろうか?
もしかするとそれは、この草原のように―――
(……い、いや、今はよそう。俺の勝手な推測で、俺を不安にさせたくない……)
男はこの件について考えることをやめる。現実逃避であった。
閑話休題。
「しかし、今のはまずかったんじゃないのか? あんな派手なことをして、たとえばその異世界の人間に俺やお前の存在がバレたりしても、問題はないのか?」
「…………」
まあ、普通はとても怒られるのだが。今のところは現地の神々にもバレてないし、まだ大丈夫よねと考えているライネである。というかこのあたりの政治的な処理は、すべてイフラ先輩に丸投げする予定なのであった。
しかし、言われてみると心配になってくるのが女神心。
神はともかく、人間のほうは派手に騒いでいる可能性がある。そういえばさっき、都市を見下ろしたときに、なんだか妙に人間達が騒いでいたような―――
「……そ、そうですね。ギフトの素晴らしさを汝にわからせる前に、念のため場所を移したほうがいいかもしれません。実は、あまり堂々と目立ってはいけないというか現地の神にうっかり見つかると、厳しく怒られる可能性はあるのです……」
「怒られるんかい」
こいつ結構リスキーなことをやってるんだなー。という気持ちと、まさかバレたら俺も何か罰を受けたりとかはないだろうな、と少し焦る男。
「大丈夫です。安心なさい旅人よ。私は旅立ちと変転を司る女神。ゆえに旅に関してはそれなりの権能があります。神々は互いにその在り方を尊重するもの。よって私の権能をもって旅をしていると主張すれば、そうそう強引なことは出来ないでしょう。それに……偉い神は言いました」
きりりとした女神顔のライネ。
「―――バレなければ大丈夫、と!」
「それ絶対に邪神か何かの発言だからな」
ふふふ。と女神の微笑で受け止めて聞かなかったことにするライネ。
「じゃあ、どこか良さそうな場所を探しますか」
そう言いながらライネは指を鳴らして、旅立ちの小窓の魔法を使用。どうでもいいが指を鳴らす必要は特にない。ただの格好つけである。
しかし。何も起こらなかった。
「あれ?」
もう一度、きちんと意識して魔法を使用する。
しかし。何も起こらなかった。
「……………?」
なんとなく嫌な予感を感じながら、今度は旅立ちの扉の魔法を使用。
しかし。何も起こらなかった。
「どうしたんだ?」
何か様子がおかしいことに気づいた男。
だが、ライネはそれどころではない。旅立ちと変転の女神なのに、旅関係の魔法が使えない。これが意味するところは、つまり―――
「す、ステータスっ」
ライネはステータスの魔法を詠唱。空中に浮かび上がるライネのステータス。
まじまじとマジックポイント、すなわち魔力の現在値を確認。
MPが、一桁になっていた。
「――――――――」
いやいや。いやいやいやいや。落ち着け。落ち着くのよ私。そう、これは何かの間違い。きっとそう。だって旅立ちの扉の魔法なんて、そんな何度も使わなければ激しく魔力を消費するものではないのだし、仮にも人々から信仰されている女神のMPが尽きるなんてことは、そうそうありえないはず――
ふと、今日使った魔法や魔力を思い出すライネ。
旅立ちの扉の魔法:4回
旅立ちの小窓の魔法:たくさん
火球の魔法:2回(ただし消費量は11回分)
業火で焼き払う魔法:2回
水を生成する魔法:1回(加護なので1回きり)
世界断絶剣への魔力供給:1回(少しだけ)
「――――ごふっ」
結構 派手に 使っていた
しかも旅立ちの扉の魔法という、実は異世界と異世界を渡る結構な大魔法を4回も使っているのが酷い。
(……あ、あああ……ああああああ……)
ライネは石のように硬直して、真っ白になる。
――魔法とは人知を超えたものであり、よって魔法は神の力である。人間は信仰する神に詠唱して請願することで、神様に魔法を起こしてもらっているのだ。この際、人間と神の間では、信仰のパワーとでもいうべきもののやりとりが発生する。これを神々や人々は一般的に、魔力と呼んでいる。
神は人間から信仰(魔力)を受け取って、その見返りに魔法を使っていると考えておおむね間違いないのだが、この時、魔法の発動に必要な魔力よりも、少しだけ多めの魔力を受け取ることで、神は魔力すなわち信仰を得ることができる。
つまりはマージンなのだが、こうして少しずつ信仰心を集めることで、神はだんだんと存在感を増して、使える魔法も強力になっていく。その強力な魔法を信者も使えるようになれば、その結果でさらに信仰心を集められて……というのが、神の基本的な魔法運用スタイルである。
では。
神が自らのために魔法や魔力を使うとどうなるのか?
もちろん、自らの権能に従って、人間に罰を与えるために神が自ら魔法を行使するようなことはありえる。しかし、それは人間に自らの存在感を示したり、畏れを抱かせるためであり、それらもまた信仰と同義なのである。基本は黒字なのだ。
では、今回のライネのようなケースの場合では?
赤字である。魔力はひたすら減るばかりで、増えることがない。
そして、神は自らの力で、魔力を回復させることができない。
なぜなら、ここでいう魔力とは信仰なので、自分で自分を信仰するなどということはできないからである。
もちろん女神ライネを信仰する信者もどこかの世界にはいる。そうした信者の敬虔な祈りでライネの魔力が回復したりもするのだが……どうやら、この異世界フォルトはライネの拠点世界からだいぶ距離があるらしく、ライネの魔力が回復する気配はないようであった。
つまり、どういうことかというと。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「お、おい。なんかあったのか?」
ライネは笑顔を浮かべて男を見る。どこか決定的に心がこもっていない、自称女神っぽい胡散臭さがどうしても消えない、見た目は小綺麗で整ったライネの笑みなら、男は何度も見てきたのだが、その笑みは、初めて見るものだった。
それは、どうしようもなく引きつった笑みだった。
瞳は死んだ魚のように濁っている。
ぷるぷると震えながら、ライネは口を開く。
「MPが尽きて、おうちに帰れなくなっちゃった」
旅立ちと変転の女神。
―――旅立つ前には、もう戻れない。
突発転生小説:地雷転生 戯言屋 @zaregotoya
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