第13話 王の決断
ベルシナウ大陸。
その周囲を大海で囲まれた大陸の、ほぼ中央に位置する都市が、ベルシナウ王国の首都城塞ベルスである。
ベルスは四層からなる城壁に囲まれた難攻不落の都市であり、そして間違いなく、この世界で最も栄えた都市であった。
そのベルスの中央区。王城。
玉座の間。
トング王は、
玉座の間で行われる政務、たとえば謁見や報告も陳情も、そして王からの指示も、すべてがこのヴェールを挟んだ状態で行われていた。会議すらヴェールがある部屋で行われて、王が先に入らないといけないルールまである。
これは別に、その姿さえも謎として正体をひた隠しにする大魔王の政務スタイルとかそういうわけではない。彼は別に邪悪ではないし、どちらかといえば人類の守護者であった。
単純に、無用な争いを避けるための苦渋の措置である。
(……とはいえ、バカバカしいかといえば、まあ、そうだろうな)
トング王にも、自覚はあった。
政務の際は、王付きの侍従から『陳情の要件で、どこどこのなになに様からお話があるそうです』などと説明されるのだが、まず相手の顔が見えない。相手の表情が読めないというのは、こういう仕事においては不利なのではないだろうか?
この国の大事な政務なんですよ?
常々そう思いつつも仕事をしているトング王だが、しかし孫娘が言うには、あちらもあちらで王の表情が見えないので、かなりドキドキしているらしい。
(……その程度なら良いではないか。こちらは外出すら難しいのだぞ……)
もちろん王宮の最奥には、王族に連なる者と、彼らを世話する侍従達、そして高位の神官しか入れないプライベート空間などもあるのだが、ここ数十年、そこ以外では人目を気にせず自由に出歩いたことがない王様であった。
うっかり遠い目になるトング王。
玉座に座りながら、室内の装飾に描かれた黒い竜の意匠を見つめる。ぼんやりと、遠い昔を思い出していた。あの頃は良かったなあ……とは、とても言えない。だが、あの頃には彼や彼らがいた。自分は未熟な王子で、そして―――
『お前はやがて、竜が如何なる存在かを知るだろう』
(……………)
苦々しい気持ちで装飾の中の竜の瞳を見つめるトング王。
ああ、まったくもって、その通りだったさ。かといって、今更止めるわけにもいかんのだよ。立ち止まらず歩み続けることだけが、俺が出来る残りの人生の全てになるだろう。そのことに後悔はない。しかし、なんだろうなあ。
玉座にいる王の姿は、ヴェールで覆い隠されている。
バカバカしいとは思うが必要ではある。だが……それが自分の跡もずっと続いて、やがては王も含めて誰もそのことに違和感も覚えなくなる未来を想像して、トング王はなんともいえぬ徒労感に似た何かを覚えるのだった。
「……お待たせしました。次は、神官長からの報告と奏上です」
目元を布で覆った侍従からの声で、トング王は我に返る。
「偉大にして至高なるトング王よ。このたびは我が国の内政における動向の報告と、神殿の完成式典について―――」
(……偉大にして至高か。俺も随分と偉くなったものだな。まあ、この世に俺以外の王がいないのだから、そういうものかもしれんが)
神官長の話を聞きながら、ついそんなことを考えるトング王。
いや、いかんな。感傷的になってはいけない。そんなことでは判断を誤る。政務に集中せねば。
トング王が気持ちを切り替えた、その時であった。
「おい、謁見中だぞ!?」
「緊急の報告です!」
「構わん。続けよ」
突然飛び込んできた声に、トング王は冷静そのものの声で答えた。場が一瞬だけ静まり返る。呼吸を整える音。
「保護区の草原で、嵐が巻き起こっております!」
「馬鹿な。そのような気候の変化はありえん」
これは神官長の声。
「それと、嵐の中心部に、天まで伸びる黒い光が!」
トング王はすぐさまヴェールを抜けて、こちらを見て驚愕する部下や衛兵、神官長などを押しのけながら、窓のある場所に足早に向かう。後ろから続く足音。自分のレベルを把握される恐れはあったが、仕方がない。あとで侍従に魔法を使った者がいないか確認して、いたら処刑するしかないと割り切った。
首都城塞ベルスから東の、保護区の草原。
目を細めるトング王。確かに異常が発生している。
荒れ狂ったように渦巻く暗雲。嵐と雷光。
そして中心に、真っ黒な光の奔流のような天に伸びる柱のような線が、うっすらと見え隠れしていた。雷鳴が遅れて届き、大気を震わせる。
(―――魔王竜の《
あの絶望的な光景を思い出すトング王。
よく似ている。だが、なぜ真上に向けて放っている?
「おお、なんと――」
「神官長。あれをなんと見る?」
同じく異様な光景を見て息を呑む神官長に、トング王は尋ねた。急な問いかけに狼狽えながらも、考える神官長。慎重に答える。
「……竜では、ありません」
「こちらまで届くか?」
「目視による計算ですが――届きます」
天まで伸びる暗黒が、みるみる縮んでいったのは、その直後である。
それとほぼ同じタイミングで……こちらに向かって倒れてきた。
あっ……という複数の絶望的な声を背後に聞きながら、トング王も呆然と、その黒い奔流が倒れてくるのを見つめる。避難は無理だ。今からでは遅すぎる。
断罪の刃の如く振り下ろされる暗黒の光―――
それは、こちらに届かなかった。
頭上に振り下ろされるギリギリで、ピタリと空中で止まった。そのまま、するすると草原のどこかに向かって縮んでいく。
そうして、とりあえず事態は終わったようであった。
「―――――」
「―――――」
「―――――」
誰も彼もが絶句して、動きを止めていた。
なぜか死なずに済んだという弛緩と困惑は、すぐに、相手はやろうと思えばやれたが、あえてそうしなかったのでは? という戦慄と恐怖に移り変わっていく。恐らくあの光景を見ていたベルシナウ王国の全ての者が、そう感じたことだろう。
真っ先に動いたのはトング王であった。
「神官長。最後のあれは、こちらまで届いていたか?」
「……微妙なところですな。縮み始めていたので、こちらに向ける頃には、そもそも距離が届いていなかったようにも思います」
計算能力においては、王より神官長のほうが遥かに高い。
その彼でもはっきりとしないのであれば、誰にも分からないだろう。
トング王は頷くと、苦々しい顔。
(……威嚇としか思えんが……)
しかし、軽率にそんな発言は出来なかった。この国では上の階級の人間の予断ほど恐ろしいものはない。それに分析も戦いも、本来ならば王の仕事ではなかった。決断こそが王の本分だろうと、トング王は考え直す。
「神官長。何が起きていたか、そして何が起こるかを計算せよ」
「はっ」
「全ての貴族に、事態が明らかになるまで
「はっ」
「将軍に緊急命令、細心の注意をもって草原の偵察を」
「私が行きます!」
その元気な声に、トング王は、少しばかり頭の痛い顔になった。
彼の視線の先にいるのは、暗黒の騎士。
王騎士にのみ使用が許される、伝説の黒き
ここで王騎士を出す。
悪い選択ではない。ないのだが。
「遊びではないのだぞ」
「もちろんです! しかし、ここで出撃せずして、何が国家を守護せし王騎士でしょうか! 何が平和と安寧を守る王騎士でしょうか!」
威勢の良い返事なのだが、その声音には興奮と血気が見え隠れしている。いやまあ、頭部の全てを覆う兜を被っているので、声が通りにくいから大声を出しているだけかもしれないが。そうでない可能性は五分五分という感じだろう。
(……親父から見た昔の俺も、こんな感じだったのかもしれんな……)
一瞬だけ感傷的になりそうな自分を律するトング王。
重々しく口を開く。
「ルカよ。あれはなんだと思う」
「分かりません!!」
堂々と言った孫娘に、くっ! と口元を歪めるトング王。
ああ、その通り。俺も同じ意見だ。見事だ、孫娘よ。
可能性がありそうなのは人間と敵対する魔獣達なのだが、あのようなことができる魔獣などいないはずである。竜はもういないはずで、敵国の可能はゼロだった。
……なんのことはない。
この世界には、もうベルシナウ大陸しか存在しておらず。
人間が統治する国家も、もはやベルシナウ王国しか存在していないのだ。
だからこそ、何が起きているのか分からない。
正体不明の事態が起きている。それがトング王の決断であった。
「では、もはや何も言うまい。将軍と連携し、心して臨め。何が相手であっても良いように構えて動け。我々の知らぬ神か、伝説の転生者が再び現れたぐらいは想定しておくように」
「了解しました!」
ルカの表情は兜で見えない。だからその表情の必死さに、結局トング王も気づくことはできなかった。
「王騎士ルカ、出撃します!」
この世界で二番目に強い人間であるルカは、正体不明の事態に、それでも強く願っていたのである。どうか竜であれ。と。
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