五節 マヌエルの胡椒瓶

 幻想的げんそうてきだった巨大きょだいな綿雪わたゆきえていた、(雪虫ユキムシ氷獣ひょうじゅうした)【ネーヴェインセット】。討伐とうばつ完了かんりょうしたけれど、あまりにも、残骸ざんがいからあぶらがまとわりついて、身体からだおもかった。まるで、わたし自身じしんろう人形にんぎょうになったかのようだ。

 マリーシルバーの清拭せいしきのおかげで、このあと普通ふつうにおものたのしめる。

 また、どこからかち出して来た着換きがえもありがたかった。

更衣室こういしつしていただき、ありがとうございました」

「おれいなんていただけません」

「いいえ。けもの相手あいてをするものに、世間せけんきびしいものです。

 貴方あなたのおかげで、我々われわれあいすべき子のだしなみがととのえられたのです。

 感謝かんしゃもうし上げます」

 グラティ喫茶館きっさかんの更衣室を出て、店主てんしゅにお礼をげる。

「そちらのおじょうさんは大丈夫ですか?」

「おちなさい、クレメンス」

「は、はい……」

 なにも出来ずにくやしそうにうすくまっていたクレメンスはわたしに名前なまえばれたことで、安心あんしんもどしたようだった。よごれていないスカートをひるがえしながらって来る。


 グラティ喫茶館の裏手うらてにはしょう温室おんしつがあり、そこへわたしたち兄妹きょうだいたちがとおされる。

「ぜひ、べていってください」

「でも」

注文ちゅうもんをキャンセルされたら、このドリアは廃棄はいきになるんだ。無駄むだにしないでくれ」と厨房ちゅうぼう料理人りょうりにん熱々あつあつのドリアをはこんで来る。

「グラティ喫茶館店主のマヌエルでございます。

 どうぞ、うつわ最後さいご一口ひとくちまでお楽しみくださいませ」

 四人全員ぜんいんバラバラ。

 わたしのまえには、とてもきれいな黄色きいろのオムレツドリアがかれた。スフレじょうふくらんだオムレツ。その下には、トロトロのチーズ、チキンのクリーム。さらに、ケチャップライス。四そう構造こうぞうになっている。

 ディーノおにいさまは、キノコがふんだんに入った「野営やえいのドリア」。

 クレメンスは、みずみずしいなつ野菜やさいたっぷりで、口に入れた瞬間しゅんかん、「あふあふ」と口を火傷やけどしかかって、悶絶もんぜつしていた。

 ピオがこの中で、一番の大盛おおもりドリアで、からかおりが立っているトリ半身はんみがドンとのせられたドリア。

 真夏まなつだというのに、氷獣がし寄せたシルフィット通りは真冬まふゆみのさむさまで一気にえこんでいた。おかげで、あつぎるドリアが美味おいしく食べられている。


 それにしても、喫茶館がさわがしい。

 大人たちが店主に向かって、さけんでいる。そう、ただ叫んでいるだけで、直接ちょくせつ的な暴力ぼうりょくるわれていないようだ。冷静れいせい応対おうたいする店主の声色こえいろわらないまま、はなしすすんでいないようだ。

わるいが、あの少女しょうじょから事情じじょうきたい!

 通してくれ!」

「あいにく、ここは喫茶館でございます。んで食べてやすらぐ場所ばしょ

 貴方あなたがた憲兵けんぺいは、楽しい食事の雰囲気ふんいきをぶちこわすのが仕事しごとなのでございますか?」

「だが、いそぐんだ!

 火炎瓶かえんびん目撃もくげき証言しょうげんもある!」

「貴方方もそうです。ヒツジだか、カラスだかりませんが。

 食事をする気が無いのなら、さっさと出て行ってください。

 火炎瓶なんてちこまれたら、また氷獣が来るでしょう」

「何だと、クソじじい!!!!」

 くろずくめの青年せいねんたちと、しろずくめの青年たちが館内かんないで立ち上がり、憲兵をきこんだ暴動ぼうどうこしだした。




こまるんだよ」




 勝負しょうぶ一瞬いっしゅんだった。

 裏からこっそりのぞていたわたしは、いつのにか、店主を見失みうしなった。

 かれがどこにえたのだろうとキョロキョロしていたら。

 あばれ出した全員が一瞬で口の中に胡椒コショウらったのか、かえって、そのくずちていた。

 各々おのおの十人ずつだから、三十人程度ていどが一階のホールにひしめき合っていたのに。こう範囲はんい攻撃こうげきするなら。ただたん胡椒コショウびん一瓶ひとびんぶんまき散らせばかったはず。

 けれども、グラティ館のおきゃく従業員じゅうぎょういんだれも、もちろん、店主も、クシャミ一つしていない。

 店主のには、からっぽの胡椒瓶があるだけ。


 その

 問題もんだいを起こしたビアンコとレイブン派、そして暴動にくわわった憲兵をのきなみ、シルフィット通りの自警じけいだんわたしてしまった。

 おそるべし、グラティ喫茶館店主マヌエル。

 彼ののこなしのすべてを見逃みのがさなかったのはマリーシルバーくらいだろう。

 彼女かのじょの、あやしげなふくわらいからわかってしまう。

 グラティ喫茶館店主と、シルフィット自警団の、練度れんどたかさが。

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針黙示録【異世界ファンタジー×SFスチームパンク】 雨 白紫(あめ しろむらさき) @ame-shiromurasaki

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