第25話 ストーカーと大神

 S市から戻った翌朝、咲耶が新聞を取るためにポストを開けると白い封筒が入っていた。ストーカーからの手紙だ。


 部屋に戻り、封を切る。


〖さすが、私のお姫さまだ。麒麟をしもべに従え、大神を倒してしまうとは……。ああ、早く君を抱きたい!〗


「ゲッ、気持ち悪い」


 実際、吐き気を覚えた。驚きや恐怖の感情はなかった。ストーカーが誰か知りたい。そして報復したい。強い感情が身体の中心を熱くした。


 文面から、はたと気づいた。


「ということは……」


 少しストーカーの姿が見えてきたと思う。麒麟と大神のことを知っているなら、ストーカーは魔母衣村出身で、かつ、ここまで手紙を持ってくることのできる人物だ。


 ピン、と閃くものがある。天具が比呂彦の葬儀を伝えに来た日、「……山上さん以外にも葬儀のことを伝えなければならない村出身の人がいる」と話したことだ。ストーカーは、その人物に違いない。あとはその人が誰か、天具に尋ねればいいだけだが、彼と連絡が取れるだろうか?……脳裏に――オー……、と神を呼ぶ声が蘇る。石上家の庭に集まった群衆の中に天具の顔もあった。彼を信じてよいのだろうか?


 ――ピンポーン――


 廊下でインターフォンの音がした。


 朝から、誰だろう?……パタパタとスリッパを鳴らして音のする場所まで走った。それは階段の下り口のフリースペースにあった。モニターに映っているのは眉目秀麗で髭面の天具だった。


 以心伝心、望みが届いたのだと思った。


「大石さん。ひとりですか?」


 念のために訊いた。大神や怖いお婆さんたちが一緒ではたまらない。


「もちろん。昨日は行き違いになったようです。迎えに来たのですよ」


 迎えに?……彼がそうする理由を考えた。彼の言葉遣いが丁寧になっているのにも違和感を覚えた。が、悩むより訊いたほうが早いと思った。


「私も訊きたいことがあったのです。今、開けます」


 そう告げて階段を駆け下り、玄関ドアを開けた。


「おはようございます。東京は、朝から暑いですね」


 彼が汗を拭きながら入ってくる。言葉の丁寧さに猜疑心さいぎしんが働く。本物の天具だろうか?……見た目も全身から発する雰囲気も、天具そのものだけれど……。


「魔母衣村とは違いますよ」


 彼をリビングに迎え入れ、冷たい麦茶を出した。


「ありがたい。いただきます」


 グラスに向かって両手を合わせた彼は、おもむろにそれを握って一息で飲み干した。


「で、訊きたいこととはなんですか?」


「その前に、大石さん、何かおかしいです」


「俺、……私が、ですか?」


「ほら、それです。以前は俺って言っていたのに、言葉が丁寧になってよそよそしいです」


「そりゃー……」


 一瞬、砕くだけた様子を見せたが、ハッとしたように態度を改めて神妙な顔で手を合わせた。


「……神様の前ですから」


「神様?」


 咲耶は思わず背後を振り返った。そこに麒麟が座っているのかと思ったが違った。


「山上咲耶さま、あなたの守護神は麒麟に変わった。それは大神さまになったということです。私の家から突然、大神さまが消えたので、村の者たちはとても失望していました」


「大神……、私が?」


「わからないかもしれないけれど、事実です」


「止めてください。ばかげているわ。村にはれっきとした大神さまがいるじゃない!」


 咲耶の感情が爆発した。つい先日、彼女らに殺されかけ……、いや、おそらく殺されたのだ。それを今更、大神だと祭り上げられるなんて、納得がいかない。


「……前の大神さまは、……落盤事故の現場で死んでいたのですよ」


 彼の話は、懺悔ざんげのように聞こえた。


「あの人が死んだ?」


「はい。俺、……私が遺体を確認しました」


「神様も岩石には敵かなわなかったということね」


「いや。大神さまは頭を食いちぎられて死んでいたのです」


「エッ……」


「おそらく麒麟の、いや、新たな大神さま、あなたの仕業です」


「どうして私が……」


 受け入れがたい指摘に言葉を失った。天具の話は、おそらく真実なのだろうけれど、あの大神が麒麟に食い殺されたとしたなら、それは因果応報、彼女らが雅や月子を殺したからだ。私のせいではないし、同情するつもりもない。


 最大の問題は、自分自身が大神という怪しげな立場に置かれたことだった。


 咲耶が黙っていると天具が口を開いた。


「大神さまがいないと、葬儀ができない。今、村には11の遺体がそのまま置かれている。放っておけば異界のモノを抑える力も弱るでしょう。村の者たちは、大神さまが村に戻ってこられることを期待しているのです」


「止めて!」


 思わず声を発した。葬儀だの異界のモノだの、押し付けられるのはまっぴらだ。


「参ったな……」


 天具がポリポリと耳の裏を搔かいた。


 長い静寂が続いた。先にそれを破ったのは天具だった。


「ご両親は、いつ戻るのかな?」


「両親……」


 咲耶は殴られたような衝撃を覚えた。


「お父さんは魔母衣村出身です。いつかはそこに戻りたいと考えられているのではないでしょうか?」


「父が……」


 そうだろうか?……咲耶にはわからなかった。


「……石上さん」


「はい。何でしょう? 大神さま」


「私と話したいなら、大神さまと呼ぶのは止めてください。それから、……敬語も」


「ん……」


 天具が表情を曇らせた。


「それから、前に石上さんが来た日、この街で葬儀の連絡に行った家を教えてください」


「どうして……、いや、なぜだ?」


 彼の口調が以前のものに戻った。


「その人が、ストーカーかもしれないのです」


「ストーカー?」


 咲耶は、その日に届いたストーカーの手紙を天具に見せた。


「……なるほど。内容からすると、このストーカーは魔母衣村出身者というわけだ」


「はい。かれこれ1年前から、こんな手紙が届いています」


「ふむ……」天具は鼻を鳴らし、に落ちたように話し始めた。「……この近くに住んでいる村出身者は2人。ひとりは津上家の3男坊で隆斗りゅうとという大学生。彼とは連絡が取れていて、葬儀の日には村に戻っていた。もうひとりは……」


 彼はそこで口をつぐんだ。

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