第26話 目には目を、耳には耳を

「もうひとりは?」


 咲耶は、連絡が取れない魔母衣村出身者が誰か、天狗に訊いた。


「……連絡が取れなくなっているのは巧家出身の田尻幸利という教師だ。大神、いや咲耶さん。あなたの学校の先生だ。失踪扱いになっているそうだが、何か知らないかな? その先生のこと」


「エッ、……私、……は何も知りません」


 咄嗟とっさに嘘をついた。が、上手く言えなかった。


「彼が学校で咲耶さんを見初め、身を隠して様子を窺っているとか……」


 天具が壁や天井に目をやった。


 咲耶は庭に目を向けた。そこにある池に……。


「まさか、そんなはずはありません」


 彼は死んだのだ。そんなことができるはずがない。きっぱり否定すると、天具がイヤイヤと首を振り、意外なことを言った。


「村の者なら、見たい場所を覗き、聞きたい音を聞くことができる」


「この家に現れる眼や耳が……?」


 まさか、という思いだった。


「9分9厘、魔母衣村の者たちのものだ」


「そうやってストーキングを……。そうしたら私のストーカーは100人ぐらい、いるのね」


 今度は咲耶が天井に目をやった。村に行った時、初対面だというのに自分のことを知っていた住人達の顔が脳裏をよぎった。霊的なものと信じていた眼や耳が、彼らの仕業しわざだと知って少しだけ腹がたった。


 田尻先生も同じことをしていたのだろう。だから大人のオモチャを持っていたことを知っていたのだ。彼に対する怒りはなかった。彼は、もう報いを受けている。むしろ彼がそれを知っていた理由がわかって、のどのつかえが取れた思いだ。


 アッ、と気づいたのは、祖父のもがりの夜、「……咲耶は艶邪虜えんじゃるに冒されたのだ」と法山が言った理由だ。艶邪虜は人間を性欲の魔物に変える妖。彼も私が大人のオモチャで遊ぶ様子を見たのに違いない。……突然、カッと顔が熱くなった。


「魔母衣村に個人情報保護などという価値観は存在しないからな。村は運命共同体。己も他者も同じ自然の一部にすぎない、という思想の下にある」


 天具が、彼らしい理屈を言った。


 咲耶は深呼吸して法山の記憶から離れた。


「全体と一部は区別できないということですね。それなら、大石さんが私の部屋を覗いたように、私もストーカーの部屋を覗けるのですよね?」


「どこでも覗けるというわけではない。魔母衣村の者が印を残した場所だけだ」


、ですか?」


「俺たちは、また訪ねたい場所、関心のある場所に印を残す。そうすれば、再訪するのに道に迷うことはないし、何かがあった時、そこを覗いたり、そこでの声を聞いたりすることができる。その印を共有することも可能だ」


「防犯カメラや盗聴器を仕掛けるようなものですね」


「まあ、そうだ」


 彼が苦笑した。


「私の部屋の印は、誰が着けたのかわかりますか?」


「ああ、それなら比呂彦さんだ」


「父が……。どうしてそんなことを?」


「そこまでは、わからない。いずれにしても、その印、比呂彦さんは誰かに教えたのだろう。可能性が高いのは奥さん、母親、あるいは大神といったところだな。それがいつしか多くの者に知られることになった」


「ストーカー行為をはじめたのは父だということですね」


 咲耶は、胸の内にモヤモヤするものを感じた。お父さん、どうして印をつけたのだろう? 


「比呂彦さんは旅をすることが多いのだろう?……遠くからでも可愛い娘を見るために、印をつけたのではないかな」


 天具が、まるで咲耶の気持ちを読んだようなことを言った。


「印、消すことはできないのですか?」


「もちろんできる。印をつけた本人なら、簡単なことだ」


 印を父親に消してもらうのは無理なことだった。


「本人じゃなかったら?」


「消すことはできない。が、別のもので上書きして、効果をなくすことはできる。そのためには印がついた場所を知る必要がある。……もっと簡単なことは、印がつけられた物そのものを破壊することだ」


「なんだかわかりませんけど、とりあえず津上家の隆斗という人の部屋が見たいのですけど。できますか?」


 天具が天井を見上げて少し考える仕草をした。


「ふむ……。できるが、それには条件がある」


「条件?」


「咲耶さんが村に戻って葬儀を行うことだ。魔母衣村の秘術を使う以上、その程度の貢献をするのは当然、……ではないかな?」


 彼が熱い視線を咲耶に向けている。


「わかりました」


 葬儀だけならいいと思った。それが〝人道的〟というものだ。


「よし、契約成立。麒麟の神像を用意してくれ」


 天具はそう言うと、自分の玄武の神像を取りだしてテーブルに置いた。


 咲耶は自分の部屋に戻って麒麟の神像を用意した。それを天具の神像の隣に置くと、彼が珍しいものを見るように観察してから姿勢を正した。


「かけまくもかしこきトオメミスラギノカミよ、ガイアの日本、東京に住まう津上隆斗の家につけし印の写しを、ここにいます大神に与えたまえ……」


 彼はそう声にすると長い間、頭を垂れた。やがて顔をあげた彼が、印が共有されたと告げ、隆斗の部屋を覗くやり方を教えてくれた。


「かけまくもかしこきトオメミスラギノカミよ。津上隆斗の住まいの印を覗かせたまえ。トオミミキキスメラギノカミよ。津上隆斗の住まいの印を聞かせたまえ……」


 念じて眼を閉じる。すると脳内に初めて見る光景が広がった。天井の隅から見下ろしている画角だ。小さな台所と6畳の和室がつながったアパートの一室だった。学習机とこたつを兼ねたテーブルが壁際にあって、床には雑誌や衣類が散らかっていた。そこに布団が延べてあって、津上隆斗が横たわっている。スースーと小さな寝息が聞こえた。


 彼はコンビニのバイトでもしていそうな普通の青年で、まだ眠りこけていた。彼が咲耶の家のポストに封筒を入れたのは寝る前のことだったのだろう。


 大の字になって眠る彼の姿をよく見ようとすると視界が動いた。ちょうど部屋の中央辺りに眼が移動したようだ。


 おや、と思った。注意をひいたのは、中ほどで欠けている彼の左手の薬指だった。何か、ひどい事故にでも遭遇したのだろう。少しだけ同情した。その同情を消し去ったのは、開けっ放しの押し入れが視界に入った時だった。


 押し入れの中、壁の一面に咲耶の様々な写真が貼ってあった。自分で撮ったものをプリンターで印刷したものらしい。中には学校の更衣室で撮られたものらしい下着姿や水着姿のものまである。


「ひどい!」


 怒りが爆発すると、ぷつんと景色が消えた。


「正真正銘のストーカーのようだったな」


 隣で天具が言った。彼も同じ景色を見ていたのだろう。


「サイテーな男です」


「で、どうするつもりだい?」


「ストーカーには天罰を。ダメですか?」


「もちろん、かまわない。犯罪を実行する以上、報復を受ける覚悟があってしかるべきだ。村では、罪びとは四神の生贄になる。大神に対する罪なら麒麟の贄にして当然。……だが、TPOはわきまえることだ」


 天具が天具らしい理屈を言った。


「TPO?」


「TIME、PLACE、OCCASION。時間、場所、状況ということだよ。天罰を与えるにしても、村には村の、日本国には日本国のルールがある。人を呪わば穴二つ。ここで人を殺すのなら、咲耶さんにもそれなりの代償が要る。法治国家だからな」


 天具は、咲耶が隆斗を殺そうと考えていると知っているような言い方をした。


「ここでのストーカー行為は、日本の法律で裁けということですね」


「ものわかりがいいな」


 彼が満足げにうなずいた。それが咲耶のかんに障った。


「雅と月子が贄にされたのは、村のルールだから仕方がないということですか? とても文明人の常識じゃないわ」


「彼女らの行方はまだわからない。贄になったのかどうかさえ……」天具が眉をひそめた。「……そもそも、常識じゃないことをしたのは咲耶さん、君なんだよ。君が無防備に彼女らを連れてきたのが悪かった。村長は君が贄を連れてきたと喜び、歓迎さえしていた」


 天具は言葉を切り、苛立ちを押さえるように深い息をした。


「まあ、俺が早合点したのも悪かった。……咲耶さんだって、こっち世界では毎年、多くの失踪者がいることを知っているだろう?……こっちの世界に住んでいる村の者たちは、生きるのに嫌気がさした人間を村に連れていく。黄泉の穴で命を終えることは、一種の幸福だからな」


「そんな話、私は知らないもの。どうして行く前に教えてくれなかったの? 知っていたら、友だちを連れていくことはなかった……」


「村の者にとっては常識だからな。咲耶さんも知っていると思ったよ。悪かった」


 彼が頭を下げた。


「そんな常識……」


「友人の親族の葬式に旅行気分でついてくるのは非常識だろう? ということは、あの2人はこの世界の常識から脱出しようとしていたのだ」


 天具が言いくるめようとしている。そんな気がした。


「だから死にたいと考えるなんて、飛躍しすぎです」


 天具を責めても何も変わらない。これから何をすべきかが大切だ、と考えた。だって、私はサイコパスだから……。


「……黄泉の穴で死ぬことに、どんな意味があるというのですか?」


「よく訊いてくれた……」


 天具の表情が教師のそれのように変わった。


「村は、この世とあの世をつないでいる。そこで重要なのが大神さまの役割だ。……知恵を持った人間は、生まれたことの意味、生きることの意味を求める。生まれたこと、生きることに意味があるなら、死ぬことにも意味がある。それが命を正しく使うということだ。今、生きていることの有益性。死ぬことの有益性……。その自覚こそ、自己肯定感というやつだ。人の死は未来につながっている。黄泉の穴で死を迎えるということは、世界を守るという意味において、未来により強くかかわること。その価値がわかるから、村の出身者の多くは、人々が黄泉の穴に行くのに手を貸してやる。……もっとも、君の友人が裁きの家で亡くなったのだとしたら、異例なことだ。おそらく前の大神が死んだためだろう。本来は〝祝福の家〟で逝くべきだった」


「祝福の家?」


「黄泉の穴にはそうした空間がある。裁きの部屋とは反対側の大空間だ。そこで人の魂は四神とひとつになる」


「祝福の部屋で死んだ者の魂は神に捧げられ、裁きの部屋で死んだ者の魂は異界のモノに捧げられ、真ん中の墓に納められた魂は、魔母衣村にとどまって、異界の物が人間界に侵入するのを防いでいるということですか?」


「さすが大神さまだ。のみ込みが早い」


 天具が満足そうにうなずいた。


 ストーカーにどうした裁きを与えるのか、決めるのを保留した。もし彼が村で同じことをしたら、死を与えることさえできるのだから。そうした理由もあって、天具と共に魔母衣村に行くことにした。村に着いたら雅たちの居所も探るつもりだ。


 その日、初めて咲耶のスマホが鳴ったのは、S市に向かう新幹線の中でのことだった。列車は、暗い谷間を走っていた。ディスプレーに表示された電話番号は03ではじまる固定電話のものだ。


「すみません」


 咲耶は天具に断って席を立った。着信音が切れたら席に戻るつもりだったが、それは人のいないデッキに着くまでしぶとく鳴り続けていた。

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