5章 消えた豪邸

第27話 生活安全部少年課

 課長に代わって経費の支払依頼書を作成し終えた雪城泰子ゆきしろやすこは、ひと息つこうと席を立った。時計を見ると午後3時になるところで、おやつにちょうどいいと思った。昼休みに買っておいたエクレアが給湯室の冷蔵庫に入れてある。


「ユキシロー」


 背後から課長の声。


「はーい。なんでしょう?」


 ああ、おやつタイムなのに。またつまらない仕事だろう。……生活安全部少年課に籍を置きながら、仕事の半分は課長の小間使いだ。辟易へきえきした思いを隠して彼の前に立った。


「本庁から特命だ」


 課長が指をクイクイっと曲げて耳を貸せというしぐさをした。


「特命ですか?」


 彼の整髪料の匂いをかぐのは抵抗があったが、やむなく顔を寄せた。


「政治案件だ」


「少年課に政治案件なんて……」


「岩井という議員の娘のことだ。珍しいことじゃない」


 課長が詳細を説明した。議員の高校生の娘が友人と旅行に行っており、帰宅予定の今日になるまで連絡が取れない。その娘を捜してほしいという依頼だった。


「お言葉ですが……」泰子はそう言って課長と距離を取った。


「わかっている。政治家の娘だからといって特別扱いするなというのだろう。しかし、これは命令だ。従えないというのなら……」


 彼は逆らう部下に対してと脅かすのが常だった。そこは東京都とはいえ無人島だから、実現しない冗談だとわかっている。が、言われる立場からすれば心穏やかではない。沖ノ鳥島でなくても、東京都には諸島部や山間の僻地に駐在所がある。沖ノ鳥島と示唆されたら、どうしても僻地の景色が目に浮かぶ。


「わかりました。沖ノ鳥島に駐在所を作るよりましです。やらせていただきます。それにしても、今日、帰る予定なのに捜索だなんて、早すぎませんか?」


 尋ねると、課長も同意を示すように苦笑した。


「昨日、警察から、娘が帰っていないかと、問い合わせがあったそうだ。一緒に旅行に行った友達がはぐれたといって、どこかの署を訪ねたらしい。それで心配になったのだろう」


「どこかって、どこの署です?」


「それが、聞いたことのない地名で覚えていないということだった。まあ、女子高生3人の旅だ。喧嘩でもしてバラバラになったのだろう。今夜あたり、ひょっこり帰るだろうが、念のためだ」


 課長はそう言って、一緒に旅行に行った友人グループ3人の名前と自宅の電話番号を書いたメモを差し出した。


 席に戻ると同僚の三条友昭さんじょうともあきがささやくように訊いた。


「何があった?」


「政治案件、本庁からの特命だって」


「献金事件のもみ消しか?」


「連絡が取れない女子高生を捜せ、だって……」


「女子高生か、代ろうか?」


 彼がニヤニヤ笑った。


「できることならそうしてほしいわ。三条さんから課長に進言してくれる?」


「いや、止めておこう。政治家の娘じゃ、なにかと面倒そうだ」


「でしょ……。どうして私が……」


 ため息がこぼれた。


「雪城の精神年齢が高校生に近いからだろう」


 彼は声を殺して笑い、自分の仕事に戻った。


 泰子は、とりあえず捜索をしているというアリバイ作りのために、メモにある友人の家に電話を掛けた。


 天乃雅の母親は家にいて、娘はまだ帰っていないと応じた。やはり娘との連絡は取れないということだが、議員ほど心配してはいなかった。彼女は、岩井月子の母親からも連絡が取れないと電話があったと話した。


「ウチの娘はぼんやりしているから」


 雅の母親は受話器の向こうで笑った。娘同様、母親もぼんやりしていると思った。


 どこに旅行に行ったのかと尋ねると、山上咲耶の親戚の家だというだけで、他に情報はなかった。泰子は、雅の携帯番号を聞いて電話を切った。


 雅が帰宅していないということは、警察署を訪ねたのは山上咲耶という高校生のほうに違いない。彼女が訪ねたのは、どこの警察署だろう?……メモに目を落として、その名前に既視感のようなものを覚えた。


「この名前……」


 半月前の殺人事件を思い出した。隣人が女子高生だというので事情聴取の応援に駆り出されたのだ。


「現場の隣の家の高校生だわ」


 半月前、短時間だが2度ほど会った。イメージはぼんやりしているが、制服姿の目鼻立ちのはっきりした美人だという記憶がある。縁のようなものを感じて受話器を取った。


 呼び出し音が延々と流れる。誰かが出ることもなければ、留守番電話に切り替わることもなかった。彼女の家を訪ねた時、出てきた彼女が着ていた制服は、お嬢様学校で有名な聖清純学園のものだった。そんな学校に通わせている家庭にもかかわらず、留守番電話に替わらないのが不思議だった。携帯電話を使うことが多いからだろうか?


「携帯電話か……」考えてみれば、現代人は携帯電話で繫がっているようなものだ。名前がわかっところで人となりは何もわからないけれど、携帯番号がわかれば、通信履歴から人間関係や社会的地位、移動履歴から行動範囲や立ち寄り先などがわかり、その人のプライバシーや人格の想像がつく。


 雅の携帯番号にかけてみた。電源が切られているのか、電波の届かないところにいるのか、母親が話した通り、お決まりの音声メッセージが流れるだけだった。


「さて、どうしたものかしら……」


 咲耶の携帯番号はわからない。学校に問い合わせると話が大きくなりそうだ。下手をしたら議員の心証を害するだろう。それは困る。議員からクレームが入ったら、課長からの風当たりが強くなる。一介の公務員としては、上司だけにはにらまれたくない。


 それに、学校側が生徒の携帯番号を把握しているとは限らない。連絡網でSNSのメッセージ機能を利用している学校は多いが、その場合でも登録しているのはメールアドレスだけの可能性が高い。個人情報の取り扱いがうるさいからだ。


 個人情報にうるさいのは警察内も同じだった。一般市民の電話番号を調べるには面倒な手続きがいる。とはいえ、今は咲耶が懸案を解決する唯一の鍵だった。面倒な申請書類を書いて携帯電話事業社から彼女の携帯番号を入手した。


 ――トゥルルルル・トゥルルルル……――


 長い呼び出し音は、相手の躊躇いの大きさを示しているようだった。


『はい……』


 受話器から聞こえたのは警戒するような小さな声だった。


「山上咲耶さんの携帯でしょうか? 私……」自分の氏名と身分を告げ、半月前に2度ほど会ったことがあると伝えた。それから岩井月子の両親から捜索願が出ているので連絡している、と話した。


『私も探しているのです。警察には届けたのですが……』


 電話の声は戸惑っていた。それはそうだろう、と泰子は同情した。


「どこの警察署に届けたのですか?」


『S市の警察です。山田恵司さんという刑事さんが、対応してくれました』


 真面目な口調と具体的な内容を耳にし、彼女は嘘をついていないだろうと感じた。後は、山田という刑事に問い合わせれば詳しいことがわかりそうだ。


「そうでしたか……。今、山上さんはどちらに?」


『新幹線でY県の親戚の所に向かっているところです。葬式があるものですから』


 Y県で葬式があるのでは、会って話を聞くのは無理だろう。それにしても山上、山田と、山ばかり関わるものだ、と変なところに意識が行った。そうして電話を切った途端、ふと彼女が通う学校の名前を別の場所でも聞いたのを思い出した。


「ねえ、聖清純学園って学校で、何か事件がなかった?」


 隣で書類をまとめている友昭に訊いた。


「聖清純学園?……、管轄外じゃないか……。特に事件があった記憶はないが……。あっ、教師の方だな」


 彼が、ポンと手を打った。


「教師?」


「確か捜索願が……」


 彼がパソコンを操作した。


「……これだ。田尻幸利という教師が失踪している。自宅が管轄内だ。時期が期末試験直後だというので学校内のトラブルじゃないかと、地域課から問い合わせを受けた。不良高校ならともかく、お嬢様学校で試験にまつわる報復はないだろうってことになったな」


「期末試験直後というと7月の初めごろかしら?」


「そうだよ」


「あの殺人事件があった頃ね」


「殺人事件?」


「私が応援に駆り出された時よ」


「へー……」


 友昭が首をかしげた。同僚の行動などに関心がないのだ。


 泰子は田尻という教師のデータをプリントアウトしてもらい、それをにらんで考え込んだ。教師の失踪、友人の失踪、隣家での殺人事件……。山上咲耶の周囲には、事件が多すぎると感じた。


 泰子はS警察所の山田恵司に電話を入れ、岩井月子の保護者から捜索願が出ていることを話した。そうして彼から聞かされたのは、咲耶と同行して彼女の親戚が住むという魔母衣村を探したが、そこには行きつけなかったという話だった。彼が言うには、Y県はもちろん、隣接するA県やI県にも魔母衣という名の村も地名もないそうだ。


「地図にない村ですか……。山上咲耶は噓を言っているのでしょうか?」


『彼女の指示どおりに歩いたのですが、その間、彼女が嘘をついているようには思えませんでしたね。彼女自身、村への道がなくなっていて困惑している様子でした』


 泰子は、咲耶が何らかの事件に巻き込まれているのではないか、と想像しながら受話器を置いた。


「やっぱり面倒臭い話になっていそうだな」


 隣で友昭が笑った。


「彼女たち、地図にない村に泊ったらしいわ。そこで3人はバラバラになった。山上咲耶はS警察署にたどり着き、岩井月子と天乃雅はいまだ行方不明……」


「まるでミステリー小説だな」


「他人事だと思って、気楽なものね」


「お陰様で……」


「どうしたらいいと思う」


「時間が解決するさ。とにかく、今日、帰ってくる予定なんだろう? 明日まで様子を見ろよ」


「それもそうね。議員だからって、警察を便利屋がわりに使われたらたまらないわ」


 友昭の言葉に励まされ、泰子は気持ちよく帰宅した。


「雪城!」


 翌日、出勤した泰子は課長に呼びつけられた。


 朝から、何なのよ!……胸の内で不快感を爆発させた。顔から感情を消し去って課長の席にとんだ。


「岩井議員の娘さんを捜し出したのか?」


「いいえ、昨日は連絡がつきませんでした。同行した友人のひとりとは連絡がついて、旅行先はY県S市だとわかりましたが、それ以外の手掛かりは皆無です」


「バカモン! 連絡がつかないなら、どうして徹夜で捜さない?」


「そうまでしてする仕事ですか?」


 押さえていた感情が噴き出した。顔が熱くなった。


「深夜、抗議の電話があった。まだ、娘さんは戻っていないらしい」


「だからって……。彼女らが行ったのはY県です。どうやって捜せというんです?」


「刑事は足で稼ぐものだ」


「私は少年係です」


「口答えするな!」


「なら、Y県まで捜しに行きます。出張扱いでいいですね?」


「ダメだ。経費は出せん」


 課長は腕を組んで口をへの字にした。


 席に戻った泰子は恵司に連絡を入れた。月子が戻らなかったことを報告し、改めて協力を依頼した。ついでに、月子が議員の娘だということも話した。


『東京の警察の方は大変ですね』


 受話器の向こうで苦笑するのがわかった。


「そちらは違うのですか?」


『人口も議員の数も少ないですから……。いいでしょう。消えた村を捜しに行ってみますよ』


「消えた村?」


『地図にない村ですよ。女子高校生たちが宿泊したという』


 泰子は、昨日話したことを思い出し、恵司に礼を言って電話を切った。それからすぐに咲耶の携帯に電話を入れた。ところが、昨日つながったそれが、月子や雅の携帯同様つながらない。そうして初めて、事の深刻さに気付いた。


 再び恵司に電話をかけた。


「山上咲耶という女子高生、そっちに行っているはずなのです。Y県で葬式に出ると話していましたから。できたら、その後、友達と連絡がとれたか聞いてもらえませんか? 携帯がつながらないので」


 彼女も失踪したのではないか? そうした予感は告げなかった。


『なるほど。それなら市内の葬儀会社をあたってみますよ。念のためにY市内の葬儀も調べてもらいます』


「S市とY市となると……、大丈夫ですか?」


『なあに、イノシシを追いかけるよりはましです』


 恵司がそう言って電話を切った。


 泰子は月子と雅の家に電話を入れた。月子の母親が怒り狂っているだろうということは想像に難くない。実際にそうだった。ヒステリックに怒鳴り散らされて辟易した。雅の母親は相変わらずぼんやりしていた。『どこを歩いているのかしらね』と呆れた口調で応じた。


 夕方、恵司から連絡があった。S市とY市の葬儀会社では魔母衣村関係者の葬儀はないということだった。


『どこの葬儀会社でも、魔母衣村など聞いたこともないというので捜査は楽でした。防犯カメラに映った山上咲耶さんの写真を置いてきましたから、目撃されたら連絡があるでしょう』


 彼が苦笑交じりに話して電話を切った。


「誰も知らない村か……」


 警察官の泰子にとって失踪者の存在は日常だったが、村ひとつが消えた経験は初めてだった。彼女はインターネットで魔母衣村や地図にない村を改めて調べた。地図にない村というワードでは、廃村になった村や小説の題材が数件ヒットしたが、魔母衣村に該当するものはなかった。


「やっぱり魔母衣村なんてないのかぁ」


 天井を仰いだ。疲労や失望といった感情がないわけではなかった。それ以上に、興味や好奇心が勝っていた。そうしてしまってから咲耶の顔を思い浮かべた。昨日、宿泊先を聞いておくべきだった。あの美少女の行方を見失ったのは自分の失態だ、と小さな後悔を覚えた。とはいえ、昨日の電話一本で自分に何ができただろう?


「なんだ。朝は課長に雷を落とされたのに、嬉しそうだな」


 隣で友昭が笑った。


「そんなことないですよ。手掛りを失ったんですから」


 ふくれっ面を作って見せると、また彼が笑った。

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