第24話 捜索

 新神の手を逃れて一夜を自宅で過ごした咲耶は、友人を探すべく再び家を出た。早朝とはいえ、気温は魔母衣村の最高気温ほどあって、少し動いただけでじっとり汗をかいた。


 コンビニに立ち寄り、預金からお金を引き出す。預金には父親が経営する会社から毎月定額が振り込まれていて、生活に困ることはなかった。


 最寄駅で切符を買い、東京駅で東北新幹線に乗り換える。車内の光景を見ただけで、雅や月子と一緒に乗った時のことを思い出した。雅が天具にあれこれ問いかけ、からかった様子を思い出すと笑みが浮いた。そんな彼女が今はいない。悲しい? 辛い? 自分に問いかけた。そうしなければならないほど、負の感情が欠けていた。


 S駅で降りるとタクシーに乗った。周囲に田畑の広がるのどかな県道沿いに警察署までがあった。3階建の古い建物だ。時間にして10分に満たない距離だった。


 1階の相談カウンターで、友人が魔母衣村で失踪したことを告げた。制服姿の中年の警察官が首をかしげながら、地区町村名の並んだ資料をめくった。


「やっぱり市内にそんな集落はありませんよ」


 彼は言った。村がない事実を伝えるというより、拒絶しているように聞こえた。


「そんなはずは……」咲耶は彼の胸に着いた室井と書かれたネームプレートを確認してから地図を出してもらった。


「駅からこの道を……」


 新幹線の駅から天具の車が走った道をなぞった。


「その道で間違いありませんか?」


 室井の問いかけに、そうだと強く応じた。


「その先は山しかありませんよ。もしかしたら、山を越えてA県に入ったのではないかな」


 彼が言うとおり、咲耶が指した辺りはA県との県境だった。彼は思ったより親切で、A県の市町村名も調べてくれた。咲耶もインターネットで魔母衣村を検索した。


「A県にもないなぁ。I県かな?」


 その山中からI県までは、直線で10キロほどだった。警察官は地図を見ながら、「でもなぁ、A県であれI県であれ、まともな道はつながっていないな」と困惑していた。


「ネットでも、……日本中、どこにもありません。どうしてだろう……」


「魔母衣村というのは地元の人が使う通称で、正式の地名は違うのだろうな。時々あるのだよ。とはいって、この道の先には、人家はほとんどないはずだ」


 彼が同情してくれているのはわかった。それから彼は、公務員らしいものに態度を変えた。正式に捜索願を出すにしても、失踪したのが高校生なら、保護者である両親が申請すべきだ、と事務的に話した。面倒な話に巻き込まれたくないといった様子だった。


「でも私、困ります……」


 悲しくなどなく、涙もこぼれなかったが、泣き真似をした。


「よお、山田やまだ。忙しいか?」


 彼は通りがかったワイシャツとスラックス、足元は長靴姿の青年を呼び止めた。


「暇ですよ。イノシシの捜索が終わりましたから」


 彼が咲耶の様子に眉根を寄せた。


「こちらの娘さんの友達が、天狗森の先で行方がわからなくなったらしい。具体的な場所も状況もわからなくて困っていたところだ。正式に受付しようがないから、現場を見てきてくれないか」


 彼は面倒な仕事を若い刑事に押し付けた。


「はぁ、いいっすよ」


 刑事は咲耶に目を向けて顔をほころばせ、少し待つように告げてどこかへ行った。


「彼は山田刑事。名前も恵司けいじだ。覚えやすいだろう。刑事課のホープだ。ああ見えて真面目だから信用してくれていい」


 彼は恵司をそう紹介して満足げだった。


 恵司は、すぐに戻ってきた。長靴を履きかえていた。


「行こうか」


 そう促して彼が駐車場に向かう。


「東京から遊びに来ていたの?」


「いいえ。祖父の葬式で……」


 咲耶は恵司の後を追いながら、葬式で村に来ていたことや、雅と月子が夜中に忽然こつぜんと消えたこと、落盤事故があって村の人は捜索する余裕がないようだ、といったことを説明した。年齢が近いこともあって、とても話しやすかった。


 ひとつだけ嘘を言った。2人を捜していた自分が道に迷い、村の場所がわからなくなったのだと……。麒麟や黄泉の穴などのことも隠した。話したところで信じてもらえないだろう。


 彼の車は厳つい形をした緑色の4輪駆動車だった。


「迷子になってここまで来られたのなら、魔母衣村というのは、遠くないということだよな」


 恵司は首を傾げながら運転席に腰を下ろした。咲耶は助手席に座った。無線機がないので、私用車だとわかった。


「とりあえず天狗の森に向かうよ」


 咲耶は天狗の森がどこかわからない。


「できたら、一度駅に戻ってから行ってもらえますか? 道の雰囲気は覚えていますから」


「了解」


 彼はアクセルを踏んだ。10分後には駅前に着いた。


「ここが駅。……君が地図で示した道はあっちだ」


 彼が指した景色は、咲耶の記憶と少し違っていた。


「着いたのは夜だったので……。でも間違いないと思います」


 咲耶の言葉に従い、恵司がハンドルを切った。アスファルトの道路がまっすぐ延びた景色に、咲耶は少しだけ自信を得ることができた。


 北に向かって車を走らせながら、恵司が魔母衣村のことをあれこれ訊いた。咲耶が魔母衣村までの道のりや、住人の話をすればするほど、彼の疑問が膨らんでいるように見えた。


 咲耶は彼の質問に答えながら、景色に目を凝らしていた。家屋や大木、道路標識、信号機……、見覚えのある物を見つけては気持ちを強くし、記憶にない建物を見ると心が揺れた。


 話題がなくなると、彼はイノシシの話をした。昔Y県にはイノシシがいなかったらしい。それが数十年前から出没するようになった。それもこれも、地球の温暖化の影響だろう、とか……。


 ほどなく舗装が途切れ、でこぼこのひどい山道に入った。


 そうそう、こんな道だった。……咲耶の自信が確信に変わっていく。


「この道で間違いないのかい? ずいぶん走ったけど……。歩いて来られる距離じゃないよ」


 恵司が、道に迷って村の場所がわからなくなったという咲耶の話を疑っていた。


「でも、この道です」


 やがて道は狭まり、その先にはわだちさえなかった。道端に車が3台停まった空き地がある。車種や車の色の記憶はないが、そこが、天具が車を停めた場所だと咲耶は確信した。


「その空き地に停めてください」


「了解。ここで間違いないね?」


 恵司のそれは、質問ではなく再確認といった口調だった。


「はい。三日前、ここに車を置いて徒歩で村に入ったんです」


「なるほど」


 彼の声に、信頼の色を感じた。


 2人は車を降りて山道に入った。


「どのくらい歩くんだい?」


「30分ぐらいだったと思います」


 けもの道のような細い道を、咲耶は山頂に向かって歩いた。目指すは道祖神だ。


 2人は汗を拭きながら山道を急いだ。ほどなく山頂に向かっていると思われた山道が向きを変えた。谷に向かってだらだらと下っていた。


「間違いありません。この先に道祖神があるはずです」


 そしてほどなく、木陰に古い石碑があった。


「なるほど。山上さんの言うとおりだ」


 恵司は道祖神の前に屈んで手を合わせた。咲耶の眼には、彼の背中が天具のそれと重なった。


「こんなところに集落があるなんて気づかなかったよ。まあ地元のことなら何でも知っている室井さんが知らないのだから、僕なんかが知らないのも当然だけどね」


 立ち上がった彼が額の汗を手の甲で拭いて空を見上げた。咲耶も見上げた。清々しい真っ青な空だ。飲み物を持ってくれば良かった、と少しだけ後悔した。


「あと、ほんの少しです」


 咲耶はそう教えて歩き始めた。ほどなくカラカラという風力発電の風車の音が聞こえるはずだ。


 しかし、歩いても、歩いても、聞こえるのはこずえのざわめきと谷川を流れる水の音だけだった。そして、細道は途絶えた。


「道がない……」


 咲耶は呆然と立ち尽くした。


「間違ったのかな?」


 恵司はそう言ったが、間違うはずがなかった。道祖神からは、ずっと一本道だった。


「そんなはずはないか……」


 彼の疑うような視線が咲耶に向いていた。


 咲耶は言葉を失っていた。魔母衣村での出来事はおかしなことばかりだったが、その村にさえたどり着けないなんて、どうしてか理解できない。


「道に迷ったのかもしれない。ゆっくり道祖神まで戻ってみよう。分かれ道を見落としたのかもしれない」


 今度は恵司が先頭になって歩いた。脇道がないか、きょろきょろしているのが後ろを歩く咲耶にも後頭部の動きでわかった。


 あるはずがない! 自分だって、その程度の注意はしていた。


 実際、脇道は見つからないまま道祖神に戻った。


 どうして魔母衣村に入れないの?……道祖神に手を合わせてみても、返事はなかった。


「狐につままれたようだね」


 彼が優しく言った。村にはたどり着けなかったけれど、咲耶のことは信じてくれたようだった。


「今日のところは一旦戻ろう。今日中に東京に帰るんだろう?」


 彼はスマホの地図を出して現在地に目印を設定した。咲耶も同じことをした。いずれ、もう一度訪ねてこなければならないだろう。


 2人は山を下り、警察署に戻った。


「念のために確認してみるよ」


 恵司は雅と月子の家に電話をかけ、2人がどうしているかを確認した。


「どちらの家も母親が出たよ。娘さんは旅行中で帰宅は明日だということだった。もしかしたら山上さんみたいに村を出て家に向かっているかもしれない。こっちは僕が調べてみるから、君は電話やSNSで呼びかけるといい。捜索願を出すにしても、それは天乃さんと岩井さんの両親がすることだ。山上さんが申請しても警察は受理しないよ」


 彼の説明に、咲耶はうなずいた。自分にはできることがないような気がして滅入った。


 家に着いたのは夜になってからだった。母に道祖神まで行った話をすると彼女は驚き、咲耶が無事だったことを大袈裟おおげさに喜んだ。


「警察で話をするだけだと思ったのに、村に戻ろうとしたなんて、思い切ったのね」


「黄泉の穴に行ってみたかったのよ。そこに2人がいるような気がするの」


「咲耶はすべきことを全てした。これでお友達が見つからないとしても、警察の責任ですよ。安心なさい」


 その夜も母娘は2人だけの夕食をとった。しかし、テーブルの食器は二組だが、料理が盛られているのは咲耶のものだけだった。

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