第32話 集団葬

 部屋に朝日が射すとすぐ、咲耶は目覚めた。普段ならそれぐらいのことで目覚めない。それが目覚めたのは、やはり大神として初めての仕事に臨む緊張感からなのだろう。妙に重たい頭を懸命に働かせてリビングに降りた。


「あっ」と低い声を上げ、そこにいた睦夫が立った。


「大神さま、ごめんなさい」


 キッチンにいた富貴が駆けてきて土下座した。2人が顔を合わせるのは、以来だ。


「私、とんでもないことをしてしまって……」


 彼女の声が震えていた。報復を恐れているのだろう。


「俺からも謝る。富貴を許してやってくれ」


 睦夫も富貴の隣に土下座した。


 2人の大人の頭を見おろすと、何もかもバカバカしく思えた。その時だ。パタパタと鈴子の走る音がした。幼子に両親の土下座を見せるのもどうかと思った。


「悪いと思っているのなら、美味しい朝ごはんをご馳走してください」


 そう告げてソファーに座ると、富貴は目尻の涙を拭きながらキッチンに入った。睦夫はまだ不安げな表情をしていた。


「おねえちゃん」


 鈴子がやって来て隣にぴったりと座った。


「スズちゃん、おはよう。……天具さんは?」


 睦夫に訊いた。その時彼は、スズと咲耶の顔を見比べるようにして緊張を解いた。


「兄貴は、葬儀の準備に行った。富貴のこと、ありがとう。俺も行く」


 睦夫はそう言って家を出た。咲耶が富貴を許すのか不安で今まで待機していたのだろう。


 富貴が料理や箸などをダイニングテーブルに並べる様子を見ていると、雅と月子のことを尋ねたい衝動に駆られる。彼女たちも自分と同じように殺されたのだろうけれど、何か言い残したことはないのだろうか? 苦しんだのだろうか? 彼女らの遺体はどこにあるのだろうか?……訊きたいことはたくさんあるけれど、それを口にするのは怖かった。聞いたら最後、彼女が犯した罪の責任を問いたくなるだろう。それを聞いたら、鈴子はどう思うだろう?


 誤解の有無はともかく、魔母衣村では、富貴らがした行為が正義だということもわかる。彼女が謝ったのも、咲耶や雅、月子を殺したことではなく、咲耶の守護神が麒麟であり、咲耶が大神の正統な後継者だと知らなかったことに対してなのだ。もし、咲耶が生き返って大神にならなかったら、彼女は今頃、平然としていられたに違いない。


「どうぞ、召し上がれ」


 食卓を整えた富貴が言った。


 咲耶は鈴子と並んで席に着いた。


「美味しい……」


 味噌汁に箸をつけて言った。本当は、あれこれ考えるのが忙しくて味を感じなかったのだけれど……。


 ちょうど食事が済んだところに天具が迎えに来た。


「睦夫に聞いた。和解できたそうだな」


 彼はホッとした表情をしていた。


「釈然としないけど。……それじゃ、霧を出すわね」


 準備を済ませて麒麟の力を借りようとすると天具が制した。


「止めておけ。明るい時は外で仕事をしている住人が多い。彼らに迷惑がかかる」


「なるほど、そうね」


 笑って見せたけれど、すごく残念だった。せっかく便利な力を手に入れられたのに……。


 2人は歩いて大神の住まいへ足を運び、最後の準備に取り掛かった。咲耶は祝詞をみなおし、誤りがないことを確認した。それから祭壇に向かって葬儀が無事に済むことを祈った。祭壇の神像が、咲耶をじっと見守っているような気がした。


「名前を決めたか?」


 咲耶の衣装を用意した天具が訊いた。


「サク、にします」


さくというと、一日ついたち、いや、新月か……。それはいい」


「いえ、咲耶のサクです。雅と月子が私をそう呼んでいたので」


「友達思いなのはいい。が、文字は〝朔〟にするといい。村の者が心酔するだろう」


 咲耶は彼の意見を受け入れることにした。


 白喪服は比古造の葬式で着たものと同じだったが、帯は少し太めだった。一番違うのは白足袋を履いたことだ。


「胸元に入れるには、大きすぎませんか?」


 咲耶は球をのみこんで大きくなった神像を手にした。


「そうだな……」


 天具が少し考えた後、棚に並んでいた三方さんぽうという胴のついた盆を出した。


「これに載せろ。俺が運ぶ。いかにも儀式めいて、ありがたく見えるだろう」


 彼がニヤリと片側だけ口角を上げる。


「助かります」


 咲耶はそこに神像を置いて、帯に守り刀を差した。


「では、行こうか」


 肩に麻の実を入れた皮袋を下げ、三方を有難そうに持った天具が先を歩く。咲耶は葬儀が行われる場所さえ知らなかった。


 天具が導いたのは村の学校だった。校庭に白い幕が四角く張ってある。その中に遺体が安置されているのに違いなかった。幕の前には薪が井桁いげたに積んである。それを観覧するようにレジャーシートや椅子が並んでいて、既に数人の村人が座っていた。


 校舎の窓にもたくさんの子供の顔が並んでいた。咲耶の姿を見つけると、小さな子供たちは「大神さまだ!」と声を上げて飛び出してくる。


 中学生や高校生ぐらいの子供たちは、どこか冷ややかな視線を咲耶に投げた。大人に近づいた彼らは、大人の、あるいは文明の毒気に侵されているのだ。小学生のように純粋でもなければ、大人のように神にすがることも世間に妥協することもない。それはふたりの友人を失う前の自分の姿に似ている、と咲耶は感じた。


 涼しい校舎内で待機していた大人たちが続々と出てくる。太鼓を運び出してくる者たちがいて、その内のひとりは睦夫だった。


 咲耶は、白幕の前にいる法山のもとに向かった。天具が運んでいた神像に目を向けた法山が、ギョッとしたように目を見開いた。神像の大きさに驚いたのに違いなかった。彼はそのことには触れず、咲耶に向かってうやうやしく頭を下げた。


「大神さま、よろしくお願いします」


「こちらこそ」


 咲耶は姿勢を正して校庭に並ぶ村人に向いた。被葬者が多いだけに、比古造の時とは桁外れの人数が並んでいて、咲耶は怖気づいた。逃げ出したい、と思った。


「大神さま」


 天具の声がした。彼は注連縄しめなわの近くに片膝ついて三方を捧げ持っていた。麒麟像は咲耶に向いている。それに目をやると、心なしか勇気が湧いた。


 ――ドン、ドン、ドドン……、ドン、ドン、ドドン――


 薪に火がつけられ、太鼓が鳴った。それをたたくのは睦夫だ。天具が火の中に大量の麻の実を投げ入れた。


 太鼓の音に背中を押されたような気がした。懐から祝詞を書いたものを取り出す。


「皆さま、これより大神琉山、大神潤女、山上多賀史、鳳トヨ……」と11名の名前を読み上げ、魂の引き戻しの儀式を行う、と宣言した。


 ――ドン、ドン、ドドン……、ドン、ドン、ドドン――


 太鼓が鳴り、白幕が外されて注連縄だけが残った。本来なら、その内側に11の遺体と11名の喪主が座っているところだが、咲耶が目にしたのは10の首と9人の喪主だった。首を食いちぎられたという潤女のそれはなく、あるのは身体を模した人形のみ。葬儀を司る立場の大神家に喪主はいない。


 9人の喪主の中にヒムカやトミの姿があった。見知った顔に、咲耶の胸の中がチクチクした。


 ――ドン、ドン、ドドン……、ドン、ドン、ドドン――


 咲耶は大きく息を吸った。


 神像に頭を下げ、「オー……」と全身全霊をふるわせて神を呼ぶ。


「かけまくもかしこきアメツチのモトツカミ、アメノミナカヌシノカミ……」


 昨夜、作り上げた祝詞を真剣に詠んだ。11人の魂が幸せであってくれと心を込めた。私を恨むな、と心の内だけで願った。


「……大和の地の者たちに、磨母衣の地の者たちに、夜となく昼となくお守り、幸をお授けくださいますよう、大地と宇宙に拝ませて頂きまする……」


 その時、村人の最後部に立っていた中学生の中から笑い声して、咲耶の精神集中が乱れた。……子は親の鏡、笑った子供の家庭では、親も信仰心が薄いのだろう。余計なことを考えてしまう。


 葬儀が屋外で行われている解放感からか、子供たちは自由だった。「やめろよー」中学生同士がふざけあい、大きな声を発した。


 プツン、と咲耶の中で何かが切れる音がした。信仰心が薄いのは構わない。が、他人の祈りを妨げてはいけない。その程度のことは、の咲耶にもわかる。


 振り返り、彼らをキッと睨む。それでも中学生はじゃれあうようにふざけていて、咲耶の視線にも気づかなかった。


 ――ドン、ドン、ドドン……、ドン、ドドン、ドン――


 中学生に対する警告のつもりか、睦夫が慌てて太鼓を打った。調子が乱れている。


 咲耶は大幣を頭上に掲げた。頭の中に浮かんだのは、この村の守り神である四神だった。神々はあの中学生を許すのだろうか?


 村人の視線が大幣に集中している。それまでなかった葬儀のやり方に驚いていた。一部の者は咲耶の視線に気づいて子供らを振り返った。


 それは突然のことだった。空に雲がわく。雷鳴が鳴り、稲妻が走った。東の空から降りてくるのは、空飛ぶ電車のような青龍だった。同時に白虎が、風のような勢いで森を飛び越えてきて火を噴いた。校舎が生き物のように盛り上がり、巨大な玄武に姿を変えた。南で雲が渦を巻く。それを引いてくるのは時空を支配する朱雀だった。


 四神が現れるなど、咲耶は予想もしていなかった。ただ、心のどこかで望んでいたような気がした。


 村人は恐れおののき自分の家の守り神に向かって手を合わせた。さっきまでふざけていた中学生は阿呆のように口をあけたまま立ちつくし、あるいは腰を抜かして小便をもらした。


 霧は深くなり、咲耶の視界から中学生が消えた。村人は次々と霧に呑みこまれていく。ほどなく最前列の法山の顔さえかすんだ。

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