第31話 成長
「その大幣を持って……」
天具が祭壇の端にあった真新しい大幣を指した。
「オオヌサというのね。はじめて聞いたわ」
咲耶はそれを取ってみた。思ったより重い。大神が使っている様子を見たことがあるのでそれを真似て振ってみる。
「鳳ヤチヨ、……前の大神の潤女が作ったものだ」
「鳳というと……」
「村長の家の、……女系だから法山さんと血のつながりはないが、あの家の遠い親族だ」
「そうですか……」
大幣を手にした咲耶は、祖父の葬儀の場で太鼓をたたいていた新神を思い出した。その声は後に、裁きの家で聞いた。その時、彼女が大神だった。
「私を……」殺した張本人……、そう言いそうになったがこらえた。天具は、その事を知らない可能性が高い。とはいえ、自分がこの村に来なければ、2人の大神は死なずに済んだのかもしれない。そう考えると複雑な気持ちになった。
麒麟さま、どうして私を選んだのですか? 前の大神さまは、どうして死ななければならなかったのですか?……大幣を額の前にいただいて、素直な気持ちを言った。
――誤ルナ。我ガ選ンダノデハナイ。オ主ノ父ト母ガ呼ンダノダ――
頭の中で声がした。
「お父さんとお母さんが……」
思わず声になった。
「どうした?」
天具が不思議そうな顔で咲耶を見ていた。
「麒麟の声がしました。私の両親が、麒麟を呼んだのだと……」
咲耶は神像に視線を向けて驚いた。麒麟の神像が大きな口を開け、隣にあった黄金の球を吞みこもうとしていた。
「なんと……」天具が眼をむいた。
黄金の麒麟が、見る間に球を呑み込んでいく。……そうして球を吞みこんだ神像が波打ったように見えた。それが落ち着くと、神像はひとまわり大きくなっていた。
「合体した……」
「鉱物が生きているとは、恐ろしいことだな」
「恐ろしくはありません。ただ……」咲耶は言葉を探した。「……成長したのだと思います」
「ふむ……。それが先人の肉と魂を食らうことかもしれないな」
彼は大きくなった神像を見つめていた。
「食らうだなんて……」
比古造の心臓の肉片の硬さを思い出した。それはとても鉱物的だったと思う。
「さて、時間がたっぷりあるわけではない。準備にかかろう」
天具が書棚をあさって二つ折りにされた半紙を見つけ出した。それには現代文で祝詞が書かれていた。
「前の大神が暗記するために書いていたものだ。参考になるだろう。咲耶さんは暗記することはない。書いたものを広げて、堂々と
彼は、自分は道具の準備をすると言って土間に降り、
咲耶は、文机にあった死者の名前に目を通した。比古造の葬儀で亡くなった山上多賀史、大神琉山、裁きの家で亡くなった大神潤女……、「アッ……」声が漏れたのは、村長の妻の鳳トヨの名前があったからだ。あれこれと言葉を交わした上にだまし討ちにされた憎い相手だが、亡くなったと知ると運命の悪戯を見せられたような感慨を覚えた。そして、トミが無事だったことにホッとした。
法山の偉ぶった顔が頭に浮かんだ。妻が死んだというのに、今日会った彼は悲しそうでも辛そうでもなかった。
「村長さんの奥さんも亡くなっていたのですね?」
土間で作業をしている天具に声をかけた。
「ああ、即死だった」
「村長さん、あまり悲しそうではありませんでしたが……」
「村長だから仕方がない。
「そうでしたね」
咲耶は、自分が間違っていたと思った。この村では、死者の魂はあの世にはいかず、村を守るために留まり続けるのだから。
トヨの後に並んだ名前は咲耶の知らないものばかりだった。潤女が書き残した祝詞を横に置いて、自分なりの祝詞を考えることにした。
「かけまくもかしこきアメツチノモトツカミ、アメノミナカヌシノカミ、タカミムスビノカミ……、か」
記されている神さまがどんな神さまなのかわからない。
「石上さん、アメツチノモトツカミやアメノミナカヌシノカミ、タカミムスビノカミって、どんな神さまですか?」
「村の伝承では、アメノミナカヌシノカミ、タカミムスビノカミ、カミムスビノカミの3神が世界を創ったということになっている。一番、偉い神様たちだ。アメツチノモトツカミは天と土で世界、元津神はそれを創った3神の総称だろう」
「ふーん」
「ふーん、じゃない。名前はどうする?」
「何の名前ですか?」
「大神になった者は、自分に新しい名前をつけるものだ。現世の者と神とは別人格だからな。……神が、人格は可笑しいか……」
彼がフッと笑みをこぼす。
「大神は、麒麟神や天照大神といった神そのものではないのですよね?」
「まあ、それはそうだな。神と人の間にいるような存在だろう」
「今のままではだめですか? さっき、村長さんも大神咲耶さんと呼びましたし」
「あれは村長の策略だ。大神に咲耶さんの名前を続けることで、大神と呼ばれることの抵抗感を取り除こうとしたのだ」
「そんなこと、あるのですか?」
咲耶は半信半疑、首をひねった。
「村長はそれなりに立派な政治家だからな。口先で人の心を手玉に取るのが上手い。……神様なのだ。それらしい偉そうな名前にしてしまえ」
彼が冗談めかして言った。
咲耶はそれに答えず、葬儀時に死者を慰めるものと黄泉の穴で先祖と神々を称えるもの、ふたつの祝詞を考えることに集中した。
古い柱時計の針が午前零時を回った。
咲耶は鉛筆を置いた。期末試験の勉強より頭を使ったのは間違いない。脳が熱を持っているような気がした。
フーと長い息を吐く。胸の空気を吐ききると、初めて喜びを感じた。
「できたぁ」
声を上げ、背伸びした。
「どれ、見せてくれ」
手持無沙汰にしていた天具が祝詞に目を通す。
「どう? それでいい?」
「ああ、上手いことできたじゃないか」
天具がそう言うので咲耶はホッとした。
「慣れないことで疲れただろう。帰って休むか……」
彼が土間に下り、竈の火を落とした。
外は曇っているのか、夜空には星も月もなかった。これから数十分も歩いて帰るのかと思うと気持ちが沈んだ。自動車は偉大だ、と思う。
「せめて自転車があったらなぁ」
「霧を出してみたらどうだ?」
天具が言った。
何を訳の分からないことを言うのだろう?……咲耶は首をかしげた。
「麒麟の力を借りれば、俺の家まで移動することなど造作もないぞ。霧の中で時間も空間も歪むのだ。そうしてイメージできる場所ならどこへでも、素早く移動することができる。咲耶さんは既に何度か経験しているはずだ」
「村に入る時にいつも霧が濃いのは、そのためですか?」
「うむ……。ただしあれは、麒麟の力ではなく、道祖神にこめられた朱雀の力だ」
「朱雀の……、それでトヨさんと一緒に歩いた時、すぐに黄泉の滝に出られたのですね」
「まあ、そういうことだ。俺の家から東京に帰った時、咲耶さんは無意識のうちに帰りたいと麒麟に願ったのだろう。そうして村から消えてしまった」
「そういうことだったのね」
腑に落ちるものがあった。ひと回り大きくなった麒麟の神像を両手に捧げ、「かけまくもアメツチのモトツカミ、アメノミナカヌシノカミ、タカミムスビノカミ、麒麟神よ、石上家の庭先へ導きたまえ」と祈ってみた。
祝詞の文言は思いついたままのでまかせだった。ところが村は濃い霧に包まれた。以前、大神や鳳トヨが作りだした霧と同じだった。
奇跡だ!……思わず唸った。同時に、少し自信がついた。自分の祝詞でも十分に役に立つ!
「行くか」
天具の声に押されて足を進めた。霧の中は闇夜より明るい。2分ほど歩くと霧が晴れた。天具の家が目の前にあった。
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