第22話 再生

 咲耶の意識が動き出す。瞼を持ち上げると、目にぼんやりと映ったのはクロス張りの天井だった。みっつ、よっつ、好奇心にあふれた眼があった。それらは咲耶と視線が合うと慌てて消えた。一瞬、東京の自宅に帰ったのだと思った。


 次第に視界が明瞭になる。落ち着いて観察すれば、金の装飾が施された天井の照明器具は宿泊している石上家の部屋のものだった。


「目が覚めたか……」


 枕元に座っているのは天具だった。


「ドゥ……、ヅ……」


 どうしてここに?……そう訊こうとしたのだが、声帯が壊れたようで声にならなかった。


「声が出ないのか?」


 彼の問いに頷いて返した。身体を起こそうとしても背筋が棒のようで動けない。


「安心しろ。ここは石上の、俺の家だ」


 なぜ、彼は安心しろ、なんていうのだろう? 安心しろと言われても、自分を殺そうとした者たちの中に富貴もいたのだ。……左右に目をやり、彼女がいないことを確認した。手触りで衣類を身に着けていることと、薄い布団が掛けられていることもわかって安心した。天具に裸を見られたくない。


 雅と月子はどうなったのだろう? 殺された自分がこうしているのだから、彼女らも生き返っているかもしれない。いや、自分たちが殺されたというのも夢かもしれない。……淡い期待だった。夢だと思うには、雅と月子を捜した記憶も彼女らの無残な遺体を見た記憶も、自分の身体に杭が突き刺された痛みもリアルすぎた。


「天乃さんと岩井さんのことなら……。残念だが、まだ見つかっていない。まさか、村を出ているとは思えないのだが……。黄泉の穴で崩落事故があって、今は2人を捜索する人手がないのだ」


 その話で、裁きの家で起きたことを天狗は知らないのだと思った。残念なのは、自分が雅と月子の死を確信しながら、そのことを悲しく感じていないことだった。……魔物に魂を食われ、サイコパス度が増したのかもしれない。そう理屈をつけて、自分の非情さを許すことにした。


「女たちが黄泉の穴で崩落事故があったというので、男たち総出で救助に行った。本来、女たちしか入れない場所だ。21人ほどいたのだが、逃げ延びたのは12人だけだ。9人が落石で死んだ。咲耶さんもそこにいた。どうしてあんなところにいたんだ?」


 どうして? そんなこと魔母衣村の女性たちから聞けばわかるだろうに。……考えると顔が歪んだ。


「また麒麟が出たらしい。そうだな?」


 咲耶は首をかしげた。


「君は見ていないのか?」


 咲耶はうなずいた。今度は天具が首をかしげた。


「集団ヒステリーでもあったのかな? 崩落事故の原因を麒麟に求めて同じ幻覚を見たのかもしれない」


 咲耶は混乱した。殺されたはずの自分が生きていて、9人もの村の女性がどうして死んだのか……。


 ――グー……、腹が鳴った。……恥ずかしい。天具が言うには、自分はサイコパスなのに、恥ずかしいといった感情があるのが不思議だった。


「朝から何も食べていないのだろう。何か、持ってこよう」


 天具は笑うことも冷やかすこともなかった。深い同情を示して部屋を出て言った。


 今、何時なのだろう? スマホはどこだろう?……手や足首だけは普通に動かせたが、身体を起こそうとすると、やはり背中がひどく痛んだ。結局、身体を起こすのはあきらめて天井に目をやった。今頃、若い大神が天井の向こう側で笑っているような気がして気持ちが萎えた。


 ほどなく天具が卵粥たまごがゆを運んできた。


「富貴がここに来るのを嫌がってなぁ」


 彼の手が咲耶の背中に差し込まれて上半身を起こす。ギン、と刺すような痛みが背中を走った。


「傷はなかったと思うが、痛むのか?」


 腹の中を杭が貫通したから、と胸の内で答えた。


 咲耶の目の動きで、天具は咲耶の痛みを理解したようだ。折りたたんだ布団を背もたれにしてくれ、なんとか上体を支えることができた。


「自分で食べられるか?」


 天具が訊いた。


 腕だけはなんとか動かせそうだった。うなずくと、椀とスプーンを持たされた。あの金の飾りがついた美しいスプーンだ。


 口に入れた粥が杭で開いた穴から漏れてしまうのではないか、と真剣に案じた。しかし、空腹の前にそんな不安は無意味だった。少しずつ舐めるようにして食べる。柔らかな粥がのどを下っていくと、声帯までが潤いを取り戻し、声が出そうな気がした。


「食べながらでいい。怒らずに聞いてくれ……」天具が慎重に口を利いた。「……他の女たちも咲耶さんを敬遠しているようだ。黄泉の穴で咲耶さんを見つけた時、意識はなく裸だった。ところが女たちときたら、服を着せるのにも近づくのを拒んだ。どうしてだ?」


 裸を天具や他の救出に当たった男性たちにまで見られたと知り、恥ずかしさで顔が熱くなった。


「ア……タ……ス……」


 私と言うつもりだったが上手く声が出ず、ゼイゼイとのどが鳴った。


「無理をするな。具合がよくなったら、ゆっくり聞かせてもらう」


 天具は制して、咲耶が粥を食べ終えるのを待った。あまりにも食べるのが遅いものだから、彼は窓際に立って外を見ていた。時折、振り返って食事のはかどり具合を確認した。


 咲耶が粥を半分ほど食べた時、天具が机の上の守り刀を手に取った。


「まさか……」


 彼が唸るような声を上げた。咲耶は痛みをこらえて、彼の方に視線を向けた。彼の目が、鞘から抜いた刀身に釘付けになっていた。


「ナニ……カ……?」


 天具が、刀身を咲耶に示す。窓から射す日がそれに反射した。


「これは何だ?」


 昨日、葬儀の前に見た時も、その前、家から持ち出す際に見た時も、刀身に彫られてあったのは青龍に違いなかった。が、それが麒麟に変わっていた。


「キ……リン……、カナ?」


 どうして、そんなことになっているのかわからない。それは神像も同じだ。咲耶は首をかしげた。


「これは大神さまのもの? いや、柄の彫り物は、大神家のものとは違う。以前と同じだな。……刀身を取り換えたのかい?」


 不信の視線が投げられた。


 咲耶は首を左右に振った。思い当たるのは神像だ。比古造の葬儀の後、それが麒麟の形に代わっていた。おそらく神像と刀身の彫り物は、同時に青龍から麒麟に変わったのだろう。しかし、それを天具には話さないことにした。彼が、敵か味方かわからない。


「……だよな。咲耶さんに、そんなことができるはずがない。睦夫か……」


 天具は守り刀を鞘に納めて机に置くと、再び窓辺に立って背中を向けた。さっさと食べ終えてくれと言っているようだった。


 咲耶はできる限り急いで粥を食べた。


「もう一杯食べるかい?」


 彼は訊いたが、その表情にはこの場を去りたいという濃い色が浮かんでいた。もう少し食べても良いかな……、そう思ったが「いいえ……」と答えた。唇からこぼれた言葉は、思ったより滑らかだった。


 彼は、ひとつうなずくと出ていった。足音が遠ざかり、階段をバタバタと下りていく。かすかに「睦夫!」と呼ぶ声がした。守り刀の話をするのだろう。


 咲耶は足を持ち上げてみた。背骨は痛んだが、動かすことができた。ベッドから足を下ろし、机の上の守り刀に目をやる。


「ナルホロ……」唇を動かしてみる。


 神像と刀身の彫り物が青龍から麒麟に変わったということは、自分の守り神が麒麟になったということだろう。四神も麒麟も似たような存在だろうから、自分の守り神が変わったところで構わない。異界のモノや麒麟が現れる村だから、神像や彫り物の形が勝手に変わることもあるかもしれない。……強引に自分を納得させた。


 それよりも、と思う。雅と月子のことだ。彼女たちはどうなったのだろう? あのまま2人が死んだのなら、そのことを、どういう風に彼女らの両親に説明したらいいだろう?……考えると頭が痛んだ。


 あー、やっぱり私、サイコパスだ。……悲しみを覚えない自分に言って、ベッドに横たわる。背中に痛みが走ったが、身体を起こした時より、それは小さかった。


 ――オー……――


「エッ……」


 外から聞こえる音に、反射的に身体を起こした。


 誰かが神を降ろそうとしている。……眉をひそめた。


 逃げなければ危ない!

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