第21話 契約

「きっと、あそこにいますよ」


 咲耶を導くトミの声が暗いドームに反響する。


 懐中電灯の明かりが大きく動くと「ヒャ……」と声がして、咲耶が座り込むのが見えた。彼女も恐怖を覚えるのだと知って、潤女は安堵した。


「まさか……」


「お友達でしょう」


 トミが言った。


「ミヤビ! ツキ!」


 咲耶が立ち上がり、妖にのまれている雅の遺体に駆け寄る。声は動転しているようだが、その足取りは、潤女の目には落ち着いたものに見えた。


 咲耶が死者を見慣れているのは知っている。とはいえ、あのむごたらしいさまを見ても動けるとは、なんという強さだろう。おまけに遺体には、艶邪虜や炎邪虜が大量にまとわりついている。異界のモノが恐ろしくないのか? それとも、見えていないのか?……潤女は咲耶の行動を不思議に思った。


「どうして、どうして、どうして!」


 彼女の声は怒りとも悲しみとも判別のつかないものだが、潤女には演技としか見えなかった。


「雅と月子が何か悪いことをしたのですか!」


「お友達は、咲耶さん、……あなたのために死んだのよ」


「私のため?」


「あなたが邪悪な存在だから……」


「咲耶さん。あなたが大神琉山を殺した」


 トミの話は、潤女の胸もえぐった。それに応えるように、ゆっくりと進んだ。


 周囲に隠れていた者たちも守り刀を抜くと、咲耶を包囲するように動き出した。


「私が?……あれは麒麟が……。それなら裁かれるのは私のはず。雅や月子は関係ない」


 言葉を荒げる咲耶は、トヨとトミにばかり注意が向いているようだった。


「咲耶さん、あなたもお友達も、神の怒りを鎮めるための贄となるのです」


「ニエ……、それってどういうことですか?」


「生贄じゃよ。命を捧げるのじゃ」


 津上家の老婆が前に出て言った。


「エッ……」


「孫をこの手で送ることになろうとは……」


 ヒムカはとても切なそうだったが、潤女は共感できなかった。同じ血をひいているとはいえ、一昨日、初めて顔を合わせたばかりではないか……。それに比べたら、婆とは長い付き合いのはずだ。


「今から、四神がお前さんを裁くのじゃ」


 津上家の老婆が宣言する。


 トミが懐中電灯の明かりを消すと、老婆たちが手にしている神像が光を放った。


 ――ジャリ、ジャリ……大神は彼女らと共に咲耶に向かう。


「媛蛇虜よ。この者の手足を、舌を縛れ」


 トヨが命じた。彼女の守護神、白虎は戦いの神、そして命を焼きつくす神だ。その神が呼び出した媛蛇虜は咲耶を金縛りにした。


 ヒムカが前に出て咲耶の帯を解く。


 咲耶の瞳は拒絶していたが、その肉体は暴れることはもちろん、声を発することさえできなかった。


 私の取り越し苦労だったか?……潤女は、無抵抗な咲耶を前に、ホッと息をついた。彼女の力は思ったほどではない。とはいえ、彼女を許すわけにはいかなかった。


「柱を持て、火を焚け」


 老女たちに命じた。


 たくみ家の者が杭を引いてくる。金子かねこ家と石乃いしの家、野上のがみ家の者たちが薪を運び、火をつけた。パチパチと火が爆ぜ、裁きの家が赤く染まった。


 潤女は火に麻の実を投じた。甘い匂いに気持ちが上がる。


 老婆たちが8人、咲耶の背後を押して四つん這いにさせた。その哀れな姿に、ヒヒヒヒヒ……、と喉を鳴らす者がいた。


 杭の先端を突き刺しやすいように、2人が咲耶の左右から、その臀部を開いた。その内のひとりが石上家の富貴だ。


「オー……」


 潤女は神を降ろす。村の女性たちも「オー」と呼んだ。


「かけまくもかしこきタカムスビノカミ、スクナビコナノカミ、クズノカミよ。我らが贄を納めたまえ……」


 祝詞をあげる。12家の家長たちも同じように祈願した。洞窟内に低い声がブツブツと広がる。


 ひとりの老婆が咲耶の髪を後ろに引っ張り、その顔を正面に向けた。媛蛇虜に縛られた咲耶は抵抗する素振そぶりさえない。


 案じるまでもなかったな。……潤女は再び考えた。勝った、とも思った。右手に大幣を握り、左手で懐から麒麟の神像を取りだした。


「良かろう。納めませい」


 手にしていた神像を高く掲げる。


 できることなら麒麟に戻ってきて欲しい。そのために、咲耶の命を捧げよう。……強く念じた。


「エィ……」


 老婆の声がする。彼女らは全身を使って杭に力をこめた。


 ――グェ――


 それは声でもうめきでもなく、杭の先端が喉を突き破った音のようだった。引き裂かれた肛門から飛び散った血が富貴の顔を汚している。それでも彼女が力を緩めたようには見えなかった。麻の実の魔力で、村の女性たちはトランス状態にあった。


 内臓を裂くずぶずぶという音がし、やがて口から柱の先端が顔を出す。その光景は咲耶が異界のモノに生まれ変わろうとしているようだ。


 なんの、特別な女などであるものか!……潤女は、眼をカッと見開き、舌の代わりに柱を突き出した咲耶の死に顔を見て思った。それは昨夜、贄に捧げた雅と月子と何も変わるところがない。


 妖が方々から現れ、咲耶の魂を食らおうとした。潤女は、そうさせてしまいたい衝動にかられたが自制した。咲耶は曲がりなりにも山上家の血を引く者だ。彼女の魂は魔母衣村にとどめ、世界を守る盾の一部とすべきなのだ。


「神々よ、この世に迷える異界のものを滅せよ!」


 潤女は大幣を高く掲げて四神を呼んだ。それが異界のモノを食い尽くした後、地面に散らばった骨片をジャリジャリと踏んで新しい穴の場所へ移動した。


「柱をここへ」


 物体と化した咲耶の身体を8人で運び、杭をおこしてその穴に立てた。口からあふれた血液が白い肌に赤い線を引き、肛門から流れた体液が柱を濡らす。


 なんて無様な格好だ。……潤女は胸の内で笑った。


「山上咲耶の魂よ、末永く魔母衣村の山上家に留まり、その血を守りたまへ……。オー……」


 祝詞をあげて咲耶の魂を固定する。それは世界を守り、長い時をかけて小さくなっていくだろう。


「哀れよ、のう?」


 周囲の目を気遣い、口ではそう言って咲耶の白い肌をなでた。垂れた血が指に触れる。


「チッ……」


 指を舐めた。妙に塩辛い血だった。


「儀式は滞りなく済んだ。四神も満足されておるだろう」


 潤女自身が一番満足し、ほっとしていた。後は婆の葬儀を済ませて……。そんなことを考えながら裁きの家を後にしようとした。その時だ。


 足元が青く光った。


 まさか!……山上比古造の葬儀の時の経験が潤女の身体をすくませる。


「大神さま!」


 老婆に中年女性……、みな同じ思いなのだろう。恐怖に顔を歪め、麒麟を守護神とする潤女に助けを求めた。


 潤女自身も困惑していた。もはや麒麟は大神家の守り神ではない。今度それが現れるときは、自分の命さえ危ういだろう。


 どうする? どうすればいい?……四神よ。反射的に祈った。もはや頼れるのはそれしかなかった。いかに麒麟が強大であっても、4体の神獣が一斉に対抗すれば抑えられるのではないか……。


「かけまくもかしこきスクナビコナノカミよ、クズノカミよ、シシンノカミたちよ……」


 潤女が祈り終えるより早く1本の青い光の柱が立ち上り、思わず見とれた。それは上空に向いた咲耶の口から噴出しているようだった。


 間髪なく、空間の四隅からも同じものが生じた。


 四神よ、我を助けろ!……潤女は念じた。しかし……。


 ――グワン……、空気が鳴り5本の光が絡み合って洞窟を揺らした。上空からバラバラと落ちてくる黒い物がある。コウモリの死骸だった。


「助けて!」


 出口に向かって走る者がいれば、その場に座り込む者もいた。


 ねじれた光が作った形は前と同じで、頭は龍、胴体は亀、4本の足は虎で尻尾は蛇、背中に紅色の翼がある。


「これが麒麟神……」


 葬儀の時には人波に押されてよく見ることができなかったが、今は地面に根が生えたように動けない。


 徐々に形状が定まる麒麟から目が離せなかった。そして、感動さえ覚えていた。


「桁が違う……」


 文献で見たものと異なり、四神を合体したような特徴を持ったその体躯は四神の倍ほどもあり、その神気は10倍もあった。そのパワーに圧倒され、四神を呼び出すことをあきらめた。


「麒麟よ、なぜ、現れた?」


 契約が切れた麒麟が、なぜ、2度までも現れたのか?……それがわからず問いかけた。


 麒麟の返事はなかった。実態を持った麒麟の身体が洞窟の壁にぶつかるたびに、岩石がドカドカと落ちてくる。ある物は贄と杭を砕き、ある物は目の前の老婆の頭を砕いた。もはや、そこに留まるのは物理的に危険だった。


「麒麟よ、静まれ。そして我と新たな契約を結ぼう。我の魂はもちろん、毎年100の贄をそなたに捧げよう」


 藁にもすがるような思いで声をかけた。


 麒麟は顔を潤女に向けた。


 想いが届いたのか?……一瞬、期待が膨らむ。


 麒麟が地面におりる。ドーン、と地響きがしてバラバラと小石が降った。


 ――オモイカネトノ契約ハ切レタ。明心トノ契約ハ始マッタバカリ。今後1万年、我ハ彼ノ者ノ後継者ト共ニアル――


 その声は虎の咆哮に似ていた。潤女だけが、その意味を解した。


 メイシン?……潤女は考えなければならなかった。そして、その名前が咲耶の母親のものだと気づいたとき、自分がしたことの愚かさに気づいた。


 ヘビの顔をした麒麟の尾が回転し、洞窟をガリガリと削っていく。


「逃げろ!」


 潤女が声を上げるのと、麒麟の尻尾がカッと赤い口を開けるのが同時だった。

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