第17話 裁きの家

 重苦しい黄泉の洞窟、咲耶は先頭のトヨを追って進んでいた。背後には懐中電灯で足元を照らすトミがいる。


 分岐点を左にそれてから足元の状態が変化していた。コケやシダといった植物が減って、岩や小石が増えた。そうしてたどり着いたドームのような大空間。


 ――ジャリ……、足元から鳴る音はそれまでと違っていた。コウモリを照らしていた光が足元を照らす。それは岩や石ではなく、灰色の大小の骨片だ。


 あの空間と同じだ。……比古造の葬儀で入った髑髏だらけの墓場を思い出した。


 ――ジャリ……、懐中電灯の明かりが揺れてひとつの影を浮き上がらせた。直径10センチほどの杭に貫かれた骸骨だった。地面に突きたてられた杭に骸骨がかみついているように見えたが、杭は肋骨の内側を背骨に沿っており、今は消え失せた肉や内臓を、口から肛門にかけて貫通していたのが明らかだった。ずいぶん古いものなのだろう。腕は肩から先がなくなっており、右足も膝から下が欠けていた。


 地面を覆う骨片は、彼らのように死んでいった者たちの骨なのだろうか?……喉が吐きだすべき息で詰まった。


「あれはお友達じゃないわよ」


 トヨの声が地下の巨大ドームに反響する。意地悪な臭いがした。


 トミが光を横に動かす。ひとつ、ふたつ、みっつ……、同じように串刺しにされた骸骨がならんでいた。徐々に新しいものになるらしく、干からびた皮膚がまるで衣装のようにまとわりついたものもある。更に新しいものには髪が残っていた。


 ――ジャリ……、3人は奥に進んだ。


「あの柱にあるのが、ひと月前のものだと思うけど……」


 彼女は、杭を柱と呼んだ。神を数える単位と同じだ。


 灯りが動く。それが照らしたのは黒い塊だった。途端、塊が膨らみ破裂した。パッと飛び散った黒い破片は1頭、1頭がコウモリだった。それが飛び去ったあとに残されたのは赤黒い遺体。骸骨と化したものと異なり、肉感的な存在だった。まだ〝命〟の香りがする。


 コウモリが去った遺体は薄らと赤く輝いていた。あの赤い霧状の妖がまとわりついているのだ。


 咲耶は、夢の中で杭を突きさされた場面を思い出した。彼もそうされ、コウモリに肉をついばまれていたのだろう。そんな彼は、見た目こそ生きていた当時の姿を失っているものの、筋肉も股間の突起もそのままで、つい最近まで生きていたのが明らかだった。不思議なことに、両腕だけが黒く細い枯れ枝のようにゴツゴツしていた。


「他家の神像を盗もうとした男だよ」


 トヨの声で、天具に聞かされた話を思い出した。守護神でない他家の神像に触れて腕が肩まで焼けたという話だ。同時に、この村には犯罪などないと法山が話したことも思い出した。


 犯罪はあるのだ。そして裁かれた。……咲耶はもう一度、串刺しにされた赤黒い遺体に目をやった。そうできるように、トミがそれを長く照らしていたようだった。


「誰がこんなことを……」


「決まっているだろう。神様だよ」


 トミが言った。


 この村は特別だ。物理的にも、法的にも隔離されている。そう話した天具の硬い表情を思い出した。この村の人たちは、警察でも裁判でもなく、神様、いや、自分たちの力で犯罪者を裁いているのに違いない。


 遺体から赤い霧状の物がふわりと拡散した。それまで見てきたものとは違った大きなものだ。それが真直ぐ向かってくる。


「魔物が……」


 咲耶はトヨの背後に隠れた。いや、トヨとトミが咲耶の前に出ていた。


「妖よ。ずいぶん沢山いるね」


「あれの魂は食い尽くされたのかもしれないね」


 2人はそんな言葉を交わしながら守り刀を振り、妖をあっという間に打ち払った。


「雅と月子は?」


 友人も同じような目にあっているのかもしれない。そうさせてはいけない。……咲耶はトヨに迫った。


「ここは裁きの家。……彼らは罪を犯した者たちだよ。咲耶さんの友達は、どうなのだろうねぇ」


 不気味な口調だった。


「きっと、あそこにいますよ」


 ――ジャリ、ジャリ……、不快な音を立ててトヨとトミが進んでいく。咲耶は彼女らを追った。


 懐中電灯の明かりが大きく動き、離れた場所を照らした。そこに浮かんだのは若い女性だった。真っ白な肌に二つの乳輪、下腹部にわずかな陰毛があって、その下から杭が生えているように見えた。杭が光っているように見えるのは、体内から流れ出すもので濡れているからだ。両脚はだらりと伸びていて、地面まで届いていなかった。やはり赤い霧状のモノに薄らと全身が覆われている。


「ヒャ……」


 眼にしたものの衝撃で咲耶の腰が砕けた。後ろに転がりそうになったのを、両手で支えた。いや、背後にいた誰かに支えられたのだけれど、それが誰か確認する余裕はなかった。眼も思考も光が照らす遺体に釘づけになっていた。


 白い遺体は雅のものとも月子のものともわからなかった。そうあって欲しくないという願望が目を狂わせたのかもしれない。なによりも、口から突き出た杭の先端で、顔の上半分が後ろに押しのけられていて見えなかった。


「まさか……」


 座り込んだまま明かりの先を見つめていた。……遺体は雅だろうか、月子だろうか? それともまったく別の誰かだろうか?


 光が動き、もうひとつの裸体を浮き上がらせた。それは少し小柄だった。乳房の下に副乳らしいものがあった。……雅だ!


「お友達でしょう」


 トミの声は確信に満ちていた。


 最初に見たのが月子で、今、光に浮かび上がっているのが雅だ。体格からもそう判断できた。


 誰が、どうしてこんなひどいことを!……今までに経験したことのない怒りと悲しみと疑問が三つ巴になって胃袋をかき乱して爆発した。荒れ狂う獣のように……。彼女らの魂が、今まさに、妖に襲われている。


「ミヤビ! ツキ!」


 身体が勝手に動いていた。転がっている骨に足をとられ2度転んだ。膝をすりむいたが痛みは感じなかった。


 雅の胸元に抱き着いたとき、肌の冷たさと裂けた口元から流れ落ちた生乾きの血液の臭いに絶望、彼女の死を実感した。


 改めて、だらりと下がった右手の指にバラの花飾りがついた指輪を認めた。顔は見えないが、雅に間違いない。……自分に言い聞かせるのがやっとで、もはや月子のもとに走る気力はなかった。月子に触れたところで何も変わらないだろう。その時感じたのは、悲しみや怒り、絶望などではなく、諦めだった。


 雅にまとわりついていた異界の妖が静かに忍び寄り、咲耶を覆った。魂が削られゾワゾワした不快感を覚えたが、それに立ち向かう意欲はなかった。


「どうして、どうして、どうして!」


 それは死んだ二人に対する同情や悲しみではない。彼女らが殺された理由を知りたい、ただその欲求だ。胃袋を食い破った獣が、脳の中で遠心分離器のように回転していた。


「雅と月子が何か悪いことをしたのですか!」


 トヨとトミに顔を向けると目がくらんだ。彼女らは守り刀を光らせて、妖を打ち払いながらじりじりと近づいていた。


「お友達は……、咲耶さん。あなたのために死んだのよ」


 天と地がひっくり返ったような気がした。頭の中で駆け巡っていた獣がピタッと止り、黄金色の眼をトヨに向けた。沸騰していた血と感情が一気に冷めた。


「私のため?」


「あなたが邪悪な存在だから……」


 トミの手にした明かりが、遺体から咲耶の顏に移動した。強い光に眼が痛む。手で、光を遮った。


「咲耶さん。あなたが大神琉山を殺した」


「私が?……あれは麒麟が……」


 麒麟を見たのは幻覚で、自分が体当たりしたのかもしれない。……推理が再び頭をもたげた。それに気を取られ、背後に近づくヒタヒタという足音に気づかなかった。


「……それなら裁かれるのは私のはず。雅や月子は関係ない」


「咲耶さん、あなたもお友達も、神の怒りを鎮めるための贄となるのです」


 トヨは胸元で両手を上に向けていた。そこで朱雀の神像が輝いている。


「ニエ?……それってどういうことですか?」


「生贄じゃよ。命を捧げるのじゃ」


 左隣で低い声がした。


「エッ……」


 そこにあるのは比古造の葬儀で見た老婆の顔だった。彼女はトヨと同じポーズをとっていて、手に白虎の神像を載せている。


「孫をこの手で送ることになろうとは……」


 右側にヒムカがいた。やはり、その手に青竜の神像を載せている。隣にいるアヤメは、青白い光を放つ守り刀を宙にかざしてヒムカを守っていた。彼女の隣に、玄武の神像を携える老婆がいた。他にも数人の老婆や中年女性が咲耶を取り巻いている。ほとんどの者が神像を手にし、他の者は守り刀を手にしていた。


「今から四神がお前さんを裁くのじゃ」


 白虎の神像を手にした老婆が宣言する。


 トミの懐中電灯の明かりが消された。


 一瞬、裁きの家は暗闇に沈んだ。直後、老婆たちが手にした神像が光を放った。その光の輪の中に、老婆たちの顔が妖しく浮かんでいた。


 闇の中を赤い霧が漂う。それらが、神像が放つ光の輪の中に入ることはなかった。守り刀が鞘に納められた。

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