第16話 黄泉ノ穴、再び

 朱雀の神像を前に脳裏に流れたのは、友人が串刺しにされる様子だった。咲耶はそれが妄想に過ぎないと否定したが、鈴子はシクシクと泣いていた。


「お姉ちゃん、死んじゃった……」


「エッ……」


 彼女も同じ場面を見たというのだろうか?


「串刺しの刑に処されたのですね」


 トミの言葉に、咲耶は頭がくらくらした。鈴子ばかりか、トミもその様子を見たというのか?


 不思議に思いながらも信じるつもりはなかった。串刺しなんてむごいことを誰がするというのだろう。かつてルーマニアのヴラド3世がそれをして〝串刺し公〟と呼ばれたが、それは500年も昔のことだ。


 串刺しは何かの象徴に違いない。……咲耶は脳裏を過った友人の映像をどこまでも否定した。


「2人は無事ですよね?」


 希望を信じたかった。


「いいえ……」トヨがゆっくり首を振った。「……彼女らの命は贄として神に捧げられたのです」


「まさか、本当に死んでいるわけではないのですよね?」


 そんなことがあってたまるか!……胸の中で叫んだ。


「咲耶さん。あなたは自分が見たものを信じられないの?」


「え?……私は見ていません。頭の中に光景が浮かんだだけです」


「咲耶さんは見たのよ。自分の目で」


 トミが〝目〟というところを強く言った。


 咲耶は、黄泉の穴で髑髏の落ち込んだ黒い穴の中に現れた眼球を思い出した。そして、自分の部屋の天井に現れる数えきれない眼の数々を……。その中のひとつが、自分の眼だとでもいうのだろうか?


「とにかく、黄泉の穴に行ってみましょう。そうすれば、何もかもはっきりするわ。トミ、準備なさい」


「お母様、大神さまの葬儀の手伝いはしなくても良いのですか?」


「それは男たちに任せましょう。鈴子ちゃんはお家に帰ってね」


 トヨが言うと、鈴子はコクンとうなずいて帰った。


「咲耶さんも着替えて。あそこに入るには、白衣でなければいけないのよ」


 トミが咲耶の前に白喪服と変わらない白衣を置いた。


「あそこ……」


 白衣を前に身体が動かなかった。麒麟に襲われた恐怖もあるが、それ以上に、黄泉の穴で友人の無残な姿を確認するのが恐ろしかった。


「さあ、早く。手遅れになるわ」


「まだ死んでいないのですか?」


「今なら、彼女たちの魂を呼び戻せるかもしれない」


 そう教えられて希望を覚えると身体が動いた。急いで白衣に着替えはじめる。そうして気づいた。


「あ、私、守り刀も神像も持ってきていません」


「大丈夫です。私たちが着いています」


 トヨの言葉はとても頼もしかった。


 白衣のトヨは神像を拝み、それを懐にいれた。トミは安っぽいビニール製の鞄を抱えていた。2人とも、帯に守り刀を差している。


「外に出たら、私がいいと言うまで声を出してはいけませんよ」


 トヨが咲耶の目を見て言った。質問も拒絶も許さないという強い意志が見えた。咲耶は理由がわからないままうなずき、土間に下りて与えられた藁草履をはいた。


 トミが引き戸を開ける。外は深い霧に沈んでいた。


 白い闇、そんな言葉が咲耶の脳裏に浮かぶ。ここに来た時には太陽が昇っていたのに……。狐につままれた気分で敷居をまたいだ。


 トヨ、咲耶、トミの順番で深い霧の中に入った。前を歩く者の背中を見るのがやっとで、その先は見えない。こんな霧の中を鈴子は迷わずに帰れただろうか?……不安が膨らんだ。


 足元さえ見るのがやっとだというのに、トヨは確信を持った者の足取りで進んでいた。その背中に、鈴子が道に迷うかもしれないという不安は消えた。もし、鈴子に危険が及ぶようなら、トヨが彼女をひとりで返すことはなかっただろう。


 真夏だというのに、霧は氷のように冷たく重かった。道は村内のそれではなく、深い森の中の獣道のようだ。落ち葉は深く降り積もり、ときおり木の葉が頰をなでた。

そうして白い闇を歩いたのはわずかな時間だった。


 突然、霧が晴れた。目の前に水の糸が5本、まさしく黄泉の滝が現れた。


「もう口を利いてもいいわよ」


 トヨが言った。


「ここは黄泉の滝ですよね。どうしてこんなに早く着けたのですか? 昨日歩いた距離の半分もない……」


 咲耶は黄泉の滝とトヨの顔を交互に見た。


「朱雀神の力を借りたのよ」


 トヨはこともなげに言うと、流れに足を入れてジャブジャブと音をたてて滝壺に向かっていく。


「朱雀神が、距離と時間を縮めてくれたのです。さあ、行きましょう」


 トミが追い越して流れに足をつけた。咲耶は慌てて彼女らを追った。


 滝をくぐり抜けた3人はずぶぬれになって岸に上がった。髪から、指先から、白衣から、したたり落ちる水滴は体温を奪った。滝の裏には直射日光も焚火もない。トヨが白衣の裾を持ち上げてギュッと絞った。


 咲耶がブルッと震えると、トミが同情した。


「火をたくのは、公的な行事の時だけなのよ。今日は、私的なことだから、我慢してね」


「はい。私なら大丈夫です……」


 自分のことより雅と月子を助けなければ……。そう考えながら黒い口を開けた洞窟を見つめた。昨日は気にも留めなかった注連縄が、この世にいる自分を拒んでいるように見えた。


「行きましょう」


 トヨが洞窟内に踏み入った。


 コケやシダの青臭い匂いがする。昨日のように円筒埴輪が並んでいたが、灯りは入っていない。大丈夫かしら? 不安を覚えた時、暗闇にサッと青い光がさして一瞬、咲耶の目がくらんだ。トミが手にした懐中電灯の明かりだった。


 足元は濡れていて、歩くとピトピト鳴る藁草履の音が洞窟に反響した。それは頼りなく、心細くさせた。


 咲耶とトヨの足元を、懐中電灯の明かりが後方から照らし続けていた。時折、昆虫や爬虫類、あるいは両生類らしき不気味な生き物が光を過る。葬儀の際は大勢の人間が入り込んだために隠れていたのだろう。彼らを踏まないように、咲耶は足を運んだ。


 あの赤い霧状の物が度々あらわれて3人を襲った。その都度、トヨとトミが守り刀を抜いた。刀身に刻まれた朱雀が自ら赤い光を放っているように見えた。とても美しい。


 3人は円筒埴輪に沿って歩いていたが、3番目の分岐点でトヨが足を止めた。彼女はトミの顔に目をやり、小さくうなずくと左の穴に入った。その行動に躊躇いはなかった。


 何度も足を運んだ場所なのだろう。だからこそ、僅かなイメージを見ただけで、雅たちがそこにいると理解したのに違いない。咲耶は、そんなことを考えながらトヨの背中を追った。


 その後も分岐が二つあったが、どこでもトヨが迷うことはなかった。


 ピトピト鳴る音が消える。広大な空間に出たのだと咲耶は察した。頭上で嵐のようなざわめきがあって、空気がうなり小石が降る。


「妖?」


 咲耶は見上げた。トミが向けた明かりの中を黒い塊が右へ、左へ、飛び交っている。


「コウモリよ」


「ああ、あれが……」


 コウモリを見るのは初めてだった。あまりにも遠く、暗く、固体の識別は出来なかったが、洞窟にコウモリというのは定番だ。恐怖も不快感もなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る