第14話 失踪
「サク、考えすぎは、お肌に悪いよ」
雅の朗らかな声が、咲耶の思考を妨げた。考えていたのだ。天具たちに教えられたことを。……この村は結界の効果によって航空写真に写らず、テレビや携帯電話の電波が遮断されているということを。そんなこと信じ難いことだ。しかし、麒麟を見た。それだって信じ難いことだ。麒麟を信じて、結界を信じないという方はないに違いない。
「うん……」
応じながら、再び考えた。
しかし、見たと思っている麒麟が幻覚ならどうだろう?……そう考えるのは、あの甘い匂いが幻覚作用を持っているからだ。黄泉の穴で麻の実を大量に燃やし、オーと神を呼ぶことで集団催眠に陥ったのではないか? そうしてみんなが麒麟を見たようなつもりになっているのではないか?
いや、2人も人が死んだじゃない。あれは現実よ。……腹を切り裂かれた多賀史の遺体を思い出す。……でも、大きな刃物があれば、あれは人間でもできる。大神の婆の場合はどうだろう? 目玉が飛び出すほどの破壊力。そして、一緒に襲われたのに、私は無事で彼女だけが死んだ。
私が殺したとしたら、どうだろう? 幻覚を見て狂った私が彼女に体当たりしたのだとしたら……。
「サク、サク、顔が真っ青だよ」
雅の声で重苦しい思考から解放された。
「ごめん。色々あって……」
「疲れたわよね。サク、休んだ方がいいわ。私も休むから」
咲耶は、月子に促されて立った。
「ゆっくり休むといい」
天具たちに見送られ、雅と月子に支えられるようにして2階の部屋に入った。
その夜、咲耶は、洞窟の中を父親の比呂彦と歩いている夢を見た。2人は意気揚々と暗黒の地底に向かっていた。
「洞窟の魔物を倒したら、明心と結婚できるんだ」
「頑張りましょう、お父さん」
そう声をかける自分に自信が持てなかった。頭の隅で、何かが違うという自覚がある。
たどり着いた洞窟の深部では、沢山の骸骨がうろうろしていた。
「たたき潰して粉にするのだ」
父はそう言うとハンマーを手にして骸骨に襲い掛かり、骨を砕きはじめる。骸骨たちは逃げることも反抗することもなくされるがままで、砕かれ、潰されて粉になった。咲耶も父と同じように骸骨を捕まえて砕いた。あっという間に、人骨で作った粉が見上げるほどの山になった。
「ヨッシ、あとは
比呂彦は骨粉で床に曼荼羅を描き始める。それがチベット仏教で描かれる曼荼羅だと父は教えてくれたが、闇の中に骨だけで描かれた曼荼羅は、チベット仏教の極彩色豊かなそれとはずいぶん違っていた。
「できたぞ、見ろ」
曼荼羅を描き終え、額に汗を浮かべた比呂彦が漆黒の天井を指した。
見上げると、そこに北斗七星が浮かび上がり、やがてその他の星々が生まれた。燦然と輝くのは北斗七星が指す北極星だ。
「この世もあの世もない。これで世界が統一される」
咲耶には父が何を言っているのかわからなかった。あらためて曼荼羅に眼をやると、中央に並ぶ4体の如来が四神に変わっていて、青と白、赤と漆黒に輝いた。
「来た……」
声をあげた父は空を見上げていた。確かにそれは北極星からやって来たように見えた。胡麻粒のようなものだったそれが、瞬く間に巨大化して、あの麒麟になった。
――望ミヲ言エ――
麒麟が言う。その顔は大神琉山のものだった。
「妻を生き返らせてほしい」
――贄ハソナタカ?――
「娘です」
父が言うと、それまで植物のように意志を持たなかった骸骨たちが咲耶を取り囲み、手足を握った。
彼らが自分を生贄にするのだとわかって驚いた。いや、驚いたのは父親の裏切りに対してだったかもしれない。
「お父さん、止めて」
咲耶は抵抗を試みたがどうにもならなかった。彼らを振り払うことも逃げ出すこともできない。
「お父さん!」
呼ぶと、振り返った父親の顔は髑髏に変わっていた。
骸骨たちは仰向けに寝かせた咲耶の衣服をはぎ取り、両足を強引に開かせた。
あぁ、恥ずかしい。……咲耶は漠然と思った。
骸骨たちは何処からともなく物干し竿のような長い木の杭を持ち出してきて、それを咲耶の肛門に突き刺した。強烈な痛みを感じたが、それは一瞬だった。
骸骨たちは、咲耶の両足を持ち上げて前後左右に動かし、木杭を大腸、胃袋、食道と、体内を器用に通した。そうした様子を、咲耶は宙から俯瞰的に見ていた。他人事のように……。
身体を貫通した杭の先端が口から現れる。まるで口から男性器が生えたようだ、と思った。
骸骨たちは、杭に突き刺した咲耶を担いで骨の粉の小山の頂上に上った。そしてそこに、さらすように杭を立てると、カタカタと
私、死んだ?……ぼんやり考えた咲耶は自分の中に戻っていた。杭が身体を貫いているために、顔は空を向いていて見えるのは星ばかり……。そこに麒麟がやって来て覗き込むように近づいた。
――オ前ニ全テヲヤロウ――
そう言った麒麟の顔は、母のものだった。
「お母さん!」
杭で貫かれた喉……、裂けた口……。声にならない声で叫ぶと眼を覚ました。
その瞬間、天井に目玉があったような気がするのだけれど確信は持てなかった。
まだ深夜のようで、窓に明かりはない。
意識がはっきりすると、柱や天井板、床板といった建物を構成する樹木の中を、白アリが食いやぶっているようなゾワゾワした気配を感じた。
――タタタタタ……、音を忍ばせて走る足音。――ギギギー……、どこかのドアが開く音。――トン……、とそれが閉まる音。それらが遠くから聞こえた。
誰かがトイレにでも行ったのだろう。そう考えて枕元のスマホを手にすると、〝6:66〟と表示していた。
ふーん、6時66分か……。頭の中で声にしてから、ありえない時刻だと気づいた。
ベッドを飛び出してカーテンを開けた。外は深い霧におおわれていて何も見えなかった。いや、正確には黒い人影が歩いているのが見えた。それは
天具が、霧が出た時には外に出るな、と言ったのを思い出した。その時には見知らぬ土地で道に迷うことを案じているのだろうと考えたのだけど、原因は宙を逆さまに歩く者たちにあるのだとわかった。
幽霊? ゾンビ?……どちらも当てはまらない。怖い!……カーテンを閉めて毛布をかぶった。眼を閉じると、聞こえるのは梢を揺らす風の音だけになり、ゾワゾワする気配が消えた。
助かった。……なぜかわからないけれど、そう感じて眼を開けた。室内に朝日が射していた。スマホの時刻表示は〝7:43〟……。正真正銘、日常の朝だ。串刺しにされたのはもちろん、麒麟に多賀史が殺されたことも、霧の中を逆さまに歩く人影も、全てが夢の中の出来事だと思った。
「また寝坊しちゃった」
エヘッ、と恥を誤魔化してリビングに入った。
「大丈夫よ、お友達もみんなまだだから」
富貴が優しく笑った。睦夫の姿はなく、仕事に行ったと教えられた。
「それじゃ、雅たちを呼んできます」
「私も行く」
鈴子が駆けてきて腕に摑まった。
「それじゃ、一緒に行きましょう」
2人で階段を駆け上がる。最初にノックしたのは月子の部屋だった。
「ツキ、おはよう」
声をかけても反応がなく、中はシンとしている。仕方がないので雅の部屋のドアをノックした。やはり返事がない。
「みやび、いないの? 寝てるの? 開けるわよ」
月子の部屋のドアは開けられなかったが、雅のは気安く開けられた。
ベッドは、もぬけの殻だった。毛布が乱れているので、一度はベッドに入ったのだろう。昨日着ていた上着とスカートが、椅子に無造作に乗っていた。
「おねえちゃん、いないね」
鈴子が首を傾げている。
「月子の部屋かしら?」
もう一度、月子の部屋のドアをノックした。やはり返事はなく、中はシンとしている。
「開けるわよ」
恐る恐る黄金のドアノブに手をかけた。
月子のベッドも、もぬけの殻……。やはりシャツとスカートが椅子にあった。きちんとたたまれているけれど……。洋服があるということは、彼女はパジャマのままに違いない。
「2人でどこに行ったのかしら?」
「オシッコかな?」
まさか2人で、と思うのだけれど、鈴子が言うのでトイレに足を運んだ。洗面所にも……。しかし、2人の姿はなかった。
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