第13話 結界

 葬儀の行列が新たな遺体をかついで集落に帰ったときには、とっぷりと日が暮れていた。家々の小さなLED電球の明かりと星明りを頼りに、人々は自宅に向かう。ほとんどの者は口を利かなかった。


 山上家には、新たに多賀史の遺体が寝かされた。


「立て続けに葬式なんて……、なんだろうねぇ」


 ヒムカは落胆していたが、比古造の遺体を前にしていたときほど辛そうではなかった。


 天具がやってくる。彼は咲耶の白喪服の切り裂かれた部分に視線を走らせたが、すぐに視線を逸らした。


「これから準備もあるだろう。行くぞ」


 それは多賀史の肉体を切り刻むことなのだろうけれど、そんなことはおくびにも出さず、咲耶は天具とともに山上家を辞した。


 黄泉の穴で起きた事件は、あっという間に村中に広まっていた。石上家に戻った咲耶は、葬儀に参加しなかった雅や月子、富貴、睦夫から質問攻めにあった。天具までも麒麟の姿形や多賀史と琉山が殺された時の様子を知りたがった。


 彼らの気持ちはよく理解できるけれど、咲耶はとても疲れていて口を開くのも億劫だった。


「先に着替えさせてくれるかしら?」


 彼女たちの質問を遮った。


「それもそうだ。湯を浴びてくるといい」


 睦夫が理解を示してくれたのが嬉しかった。


 着替えを取りに部屋に入って驚いた。懐から神像を取り出してみると、青龍の姿のはずのそれが、あの麒麟の形をしていた。胴体は亀で背中には翼、足は虎で尻尾は蛇だ。


「なんてこと……」


 何が何だかわからない。混乱の中で大神の持ち物とすり替わったのだろうか?……改めて思い出そうと頭をひねる。……這いつくばっていた大神を助け起こした。その時、彼女の懐に手を入れただろうか?……それはない。……次は、麒麟が大神に向かって来て弾き飛ばされた。その時は自分もひどい傷を負って……。


 切り裂かれた白喪服に目をやる。避けた部分の周辺が薄らと血で汚れている。それから腹部に手を置いた。


「傷は……」


 腹部に傷はない。


「どうして……?」


 わからない。傷がなくなったのも、神像が麒麟に変わった理由も……。少なくともあの時、神像がすり替わるような状況にはなかった。


 もうひとつ疑問がわいた。


 自分の守り神以外の神像を手にすることはできないはずではなかったのか? 手にしただけで肩まで火傷を負ったというではないか?……天具の話を思い出した。


 どうして手にとっても平気なのだろう? もしや、天具にかつがれた?……天具の話は嘘だったのに違いない、と結論付けた。他に合理的な答えは見つからない。


 神像をタオルに包み、リュックに入れた。


 風呂で汚れを流した後、夕食の席に着いた。天ぷら蕎麦だった。


「蕎麦は俺が打った」


 睦夫は得意げに言った後、「で……」と、どういう経過で麒麟が現れたのか訊いた。


「大神さまが祝詞を上げて……。私たちはオーって言っていただけなのです」


 咲耶は、そうしている間に地面が青く発光して5本の青い光の柱が現れたことや、それが四神を合体したような麒麟の形になったことを説明した。


「ギリシャ神話のキマイラみたいね。あっちは、顔は角を持ったライオンで、胴体はヤギ、……尻尾がヘビなのは同じか」


「出た。歴史好きの月子」


 咲耶が作った深刻な空気を、雅が中和した。


「前に白虎が現れたのは35年前だったな」


 睦夫が言うと「そうね」と富貴が応じた。


 咲耶は彼らの言葉を素直に聞いた。むしろ、自分が経験したのと同じような出来事が、昔もあったことに安堵した。


「四神が出たことはあるのですね?」


 月子が訊いた。


「ああ、そう言い伝えられている。しかし、俺が知る限り麒麟が出たのは初めてだな」


「あれは本当に麒麟なのでしょうか?」


 咲耶は釈然としないものを感じていた。確かに見たものと神像は同じ形をしているが、それは咲耶が知っている麒麟の姿と全く異なっているからだ。


「どういうことだ?」


「麒麟だと言ったのは亡くなった伯父さんだけなんです。ビールのラベルの麒麟とはずいぶん違っていたと思うのですけど……。月子が言ったように、キマイラの方が似ているかもしれません」


「ビールのラベルの絵だのキマイラだの、どれが本当かなんて誰もわからないだろう? 本物を見たことがないのだからな。麒麟が、自分は麒麟だと言ったこともない」


「あれが麒麟神ではなく、黄泉からくる魔物だという可能性はありませんか? 2人も殺したのですよ」


「ふむ……」


 睦夫が黙る。代わって富貴が口を開いた。


「古代、多くの神は人間にとって恐るべき存在でした。神の怒りをかわないために、あるいは怒りをおさめてもらうために、ユダヤではヤギを、マヤやインカでは人間を生贄にささげた。この村の神も、ヤマトの神も同じです。何もなければそれでよし。そうでなければ祟ることがある。祟る神は、異界の物と同じだと思いませんか?」


「伯父さんと大神さんは祟られた、ということですか?」


「いえ……。私が言いたいのは、神と異界の物を区別するのは、それを受け入れる人間の側だということです」


「考えようによっては神、考えようによっては悪魔……。そういうことですか?」


「魔物そのものを神として祀っているということですね?」


 咲耶と月子が問うと、天具が割って入った。


「神か異界の物かなど、議論しても始まらない。今日、見たものをそのまま信じるしかないだろう」


 そう言われると、咲耶には言葉がない。


「……で、みんなが逃げた後、残ったのは大神の婆と咲耶さんだけだったのだな?」


「ハイ、大神さんが倒れていたので、助け起こしたら襲われたのです」


「大変だったね。怖かったでしょ」


 雅と月子が同情を示した。が、睦夫は違った。


「麒麟に襲われて大神の婆は死んだ。それなのに、どうして山上さんは無傷なのだ?」


「エッ……」


 睦夫の疑問は、咲耶自身が感じた疑問と同じだった。


「襲われた時は、お腹に強い衝撃を受けたのですが……。喪服も裂けてしまいました。でも、周りを見たら大神さんが亡くなっていて、その時には痛みも麒麟もどこかへ消えてしまっていたのです」


「不思議な話だな」


 睦夫も天具も首をかしげた。


「ミラクルね」


 雅が笑って場の空気を和ませた。


「あのう……」月子が遠慮がちに言った。「事件のこと、警察には届けたのですか?」


 睦夫と天具、富貴が顔を見合わせて表情を曇らせた。


「この村は特別なのだ」


 天具が答えた。


「電話がないから?」


「電話がないからといって、通報しなくてもいいということはないですよね?」


 雅と月子が質問を重ねた。


「麒麟が人を殺したといったところで警察が信じるはずがない」


「特別……、そう言ったでしょ」


 天具を支持する富貴の口調は挑むようだった。鈴子が怖がって部屋を出て行った。


「正直に言おう。この村は、日本国ではないのだよ」


 渋い表情で睦夫が言った。


 咲耶は驚いた。驚きすぎて、笑ってしまいそうだった。


「どういうことですか? 私たちは車で村の入り口まで来たはずです」


 天具に向くと、「そうだ」と彼が応じた。


「古代、大和朝廷が日本を統一した時、我々の先祖は神と共にこの村に隠れた。2千年以上前の話だ。それ以来、奈良、平安、鎌倉、室町……、もちろん平成、令和の時代に至るまで、日本国政府の統治下に入ったことはない」


「ウッソー……」


 咲耶たちは同じように感じ、同じように反応した。


「この村は物理的にも、法的にも隔離されている」


「ヴァチカンみたいに?」


 月子が訊く。


「それ以上だよ。村は結界で守られていて、航空写真にも写らない」


「徹底するために車が出入りするような道も、電気や電話のケーブルも繋がってはいない。テレビや携帯の電波中継アンテナもない」


 天具と睦夫が交互に説明した。


「でも、みんな学校に行ったり、サク、あ、咲耶のお父さんみたいに、村を出て働いたりする人もいるのでしょ?」


 再び月子が訊いた。


「魔母衣村と日本国とは持ちつ持たれつ、対等な関係にある。我々は黄泉から日本国を守り、その対価として日本国は、村の人間が向こうで自由に活動する権利を保障している」


「ヒェー、アニメみたい」


 雅がのけぞり、椅子から転げ落ちそうになって慌てた。


「日本に駐留するアメリカ軍みたいなものですね」


 月子の解釈を天具が「そんなものだ」と支持した。


「それも危うくなったわね。もし麒麟のコントロールに失敗して村の外に出るようなことになったら……」


 富貴が難しい顔をする。


「そんなことはさせないさ」


 天具の顔には強い決意が現れていた。


「なにか手があるの?」


「オモイカネがいる」


「あの変人に頼むのか?」


 睦夫と富貴が目を丸くした。


「それは最後の手段だ。今は自分たちで出来ることをやろう」


「黄泉の穴の墓を直すことだな」


「村長が、贄が要ると言っていた」


「ふむ……」


 天具と睦夫が黙った。富貴は鈴子を捜しに部屋を出て行った。

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