第7話 殯(もがり)の夜

 ――カラカラカラ……、遠くで何かが回る金属音がする。


 突然、咲耶の前の霧が晴れた。山間に開けた土地に数件の農家があって、玄関先や窓にオレンジ色の灯りをたたえていた。カラカラ鳴るのは、家々の庭先や屋根にある小さな風車だった。扇風機のようなプロペラタイプではなく、筒形のクロスフロータイプのものだ。


「ここなの?」


 雅の問いに、「うむ」と天具がうなずいた。


 ――カラカラカラ……、その音に眼をやらずにいられない。


「風車だ。この村は風車と水車で電気を作っている」


 天具が教えた。


 電話もテレビもないと聞いていたので電気もないと思い込んでいたのだけれど、それがあることに咲耶はホッとした。もしかしたら、と考えてスマホを出してみたが、天具の言った通り圏外だった。


 咲耶の祖父の家は、村はずれから10分ほど歩いたところにあった。軒先に喪中を示す提灯が下がっている。中で光っているのは、ろうそく型のLED電球のようだ。スマホの電波も届かない世界にLED電球あるのを不思議に思ったが、それを尋ねる余裕はなかった。屋内から霊気にも似た妖しい気配が流れ出していたからだ。


 いる!……と、思った。咲耶の部屋に現れる目や耳のような存在だ。


 天具は、まるで自分の家に入るように無遠慮に引き戸を開けた。屋内は文字通り通夜で、ひっそりと静まっていた。三和土たたきに靴が並んでいるので人はいるに違いない。


「こんばんは、天具です」


 凍り付いた空間に彼の声がとどろく。


「今日は通夜ですか?」


 月子が訊くと、「もがりだ」と天具が答えた。


 トトトと鈍い音がして、中年女性が現れた。真っ白な単衣ひとえを着ていた。


「石上さん、ありがとうございます。咲耶さんとお友達も、父のために、ありがとうございます。山上比呂彦の姉のアヤメです」


 彼女は板の間に座って頭を下げた。


 初対面なのに、アヤメさんはどうして私がわかったのだろう? 友人が一緒だと、どうして知っていたのだろう?……脳裏を疑問が過る。


「さあ、さあ、どうぞお上がり下さい……」


 アヤメはそう言うと先に立って4人を招き入れた。


 廊下の左手は木製の雨戸で締め切られ、右手に10畳の和室が3間続いていた。室内を照らすのもLED電球だ。手前の二間には座卓が並んでいて、酒や料理がのっていた。白喪服姿の男性が4人、壁を背にして1列に座っている。一番奥の部屋は、白い布で隠されていた。


「まずは、死者にご挨拶を」


 そう告げたアヤメが奥に向かう。咲耶は、男性たちに会釈をして彼女の後を追った。


 アヤメが白い布をめくりあげる。甘く芳しい匂いがした。


 遺体は部屋の中央に横たわっていた。甘い香りは枕元の香炉から立ち上るもので、それが死臭を隠していた。


「どうぞ、お参りください」


 咲耶たちが白い布で囲われた空間に入ると、背後で布が閉じた。アヤメは入ってこなかった。白い布の上部に注連縄があって、和室をぐるりと囲んでいた。外部から邪気が入るのを妨げているのか、あるいは死者の魂を内部に封じ込めようとしているのか……。そのどちらかだろう。


「さあ……」


 天具に促され、咲耶が先頭になって進んだ。塩や水、米や果物が供えられている遺体の枕元に座って初めて、向かい側に白喪服姿の老婆がいるのに気づいた。祖父、山上比古造の妻のヒムカだ。彼女は夫の死に戸惑っているのか、あるいはそれを受け入れようとしているのか、ぼんやりしている。咲耶たち4人が遺体の前に座っても、彼女は気づかないようだった。


 比古造の顔は皺くちゃで、父親と似ているような気がしなかった。布団に覆われた身体がやけに薄いのは、顔同様、水分を失って皺だらけだからかもしれない。ミイラのような痩せ細った身体を想像してから、それを振り払った。先祖をミイラのように思うのは不謹慎だ。


 手を合わせた咲耶は、初めまして、成仏してください、と目を閉じて祈った。そうしていると気持ちが良くなって身体がふわふわと浮くような心持がした。


「ワシは仏にはならんよ」


 老人の声がした。


「エッ……」


 思わず小さな声が漏れた。


 ヒムカに眼をやった。祖母は相変わらず細い眼を遺体に向けていた。その唇が動いたとはとても思えない。やはりおじいちゃんか……。彼の顔に眼をやる。彼の唇も結ばれていたが、その魂が自分に向いている気配を感じた。聞いたのは彼の声に違いない。そう確信した。


「美人になったなぁ」


 夢見心地の中で、再び声を聞いた。


「こっちへ来なさい」


 その声で夢から覚めた。後の声は背後、部屋を囲む布の向こう側からした。天具が立つので、死者とヒムカに頭を下げてから立った。何故か、足がふらついた。


 布をくぐり出たとき、「頭がふわふわする」と雅が言った。「私も」と月子が応じた。


 中央の部屋に並ぶ男性たちの正面に座ると、天具が男性たちを紹介した。村長の鳳法山おおとりほうざん、その息子の徳水とくすい、アヤメの夫の多賀史たがふみ、その息子で大学生の比古一ひこいちだと。


「初めまして。山上咲耶です」


 頭を下げると、彼らは大きくうなずいた。


「知っている。村長さんたちもな。だから紹介はいらない」


 多賀史がぶっきらぼうに応じた。その風貌はミイラのような祖父以上に比呂彦には似ていなかった。


「本来なら、両親が参列するところですが……」


 まだ、頭がふわふわして上手く話せない。暗記してきた挨拶を必死に述べた。


にえを連れてきたのだな。良きかな、良きかな……」


 法山は満足げだった。


 贄ってなんだろう?……咲耶は首をかしげた。雅はキョトンとし、月子はだるそうにしている。


「まったく、父親の葬儀にも来ないなんて、比呂彦には困ったものです」


 そう言ったのは、未成年の咲耶たちのために飲み物を運んできたアヤメだった。その時になって初めて、父と血がつながっているのは伯父ではなく、伯母の方かもしれないと思った。


「田舎なもので、気の利いたものはありませんが……、サクランボのジュースですよ」


 3人の女子高生の前にクリスタルのグラスが並んだ。桜色の半透明の液体の中で光が踊っている。


「ワァー、奇麗……」


 雅が声を上げた。


 ――コホン……、月子が小さな咳払いをして彼女のシャツを引いた。場をわきまえろというのだろう。やはり月子はしっかり者だ。


「ごめんなさい……」


 雅が消え入るような声で言った。


「いいのですよ。父は賑やかなのが好きでしたからね。今度は黄泉の国で楽しくやるでしょう。この男の人たちの方が陰気すぎるのですよ」


 アヤメが男性たちをこきおろし、雅に微笑を向けて慰めた。


「咲耶は17だったな?」


 唐突に多賀史が言った。


「はい」


「ウチには跡取りがいない」


「え?」


 咲耶は驚いた。目の前に比古一という立派な息子がいるのに、どういうことだろう?……思わず比古一に目をやる。彼は少女のように頰を染めていた。不思議だ。


「知らないのね。この村では娘が跡取りになるのよ」


 咲耶の隣に座ったアヤメが言った。


「女系家族、ということですか?」


 訊いたのは瞳を光らせた月子だった。


「そうなのよ。それで私が山上家を継いで比呂彦が家を出たの」


 なるほど……、疑問がひとつ解けて大きくうなずいた。


「こんな時に話すのはどうかと思うのだけれど、なかなか会う機会がないから……」


 アヤメが座りなおした。


「咲耶ちゃん、私の子供になって欲しいの」


「エッ?」


 彼女が何を言っているのか分からなかった。


「比古一と結婚して、養子になって欲しいのよ。そうしたら、あなたが次の家長。この家の主よ」


 彼女に手を握られた。ねっとりと汗ばんだ手だった。


「伯母さま、私、まだ高校生です。比古一さんだって……」


 咲耶は戸惑い、いや、むしろ抵抗した。電話もインターネットも使えない田舎の家に魅力を感じなかった。それを口にしなかったのは、莫大な遺産のことが頭にあったからだ。あの純金の神像は、莫大な遺産がある証拠に違いない。


「もちろん、高校を卒業するまでは待ってやる」


 多賀史が言った。


「村の者が何も知らんと思っておるのか? 学園では迷惑をかけているのだろう。教師の手を煩わせるようなことをしでかしおって。……村に戻れ。ここがお前さんの生きる場所だ」


 法山の話に咲耶は打ちのめされた。彼は、秘密を知っている、と脅かしているのだ。どうやって知ったのかはわからない。が、咲耶の家族の秘密を知っているのは間違いないだろう。


「どういうこと?」


 雅が訊いた。咲耶は応えられなかった。


 法山が口を開く。


「この世には、あの世に通じる門がいくつかある。咲耶は艶邪虜えんじゃるに冒されたのだ」


「エンジェル?」


「エ、ン、ジ、ャ、ルだ。怪異門かいいもんを通ってあの世からくるあやかしだ。とてもか弱い魔物と言える。咲耶さんは比呂彦の娘とはいえ、まだまだ未熟。明日、比古造の魂を引き継ぎにえを捧げれば、そういうこともなくなるだろうが……」


 彼の強い視線が咲耶と友人の間を移動した。


 目玉の妖怪を見慣れた咲耶にも、艶邪虜とか怪異門とかいったものには馴染みがない。まして何も知らない雅と月子は目を白黒させていた。


 静寂があった。外から流れ込む風車の回る音が、やけに大きく聞こえた。


 長い沈黙を破ったのは天具だった。緊張した空気に耐えられなかったのかもしれないし、あるいは咲耶たちをその場から解放してやろうとしたのかもしれない。


「咲耶さんは疲れているでしょう。その話は葬儀が終わってからにしませんか? 汗も流したいでしょうし」


 先ほどまでの威厳はどこに消えたのか、太鼓持ちのような口調だった。


「そうね。そうしましょう」


 アヤメが同意し、咲耶たちは天具と共に席を立った。葬儀のために客間が使えないので、天具の家に泊まらせてもらうことになっている、と彼女が説明した。


「困らせてしまったな。悪かった」


 山上家を出た後、懐中電灯をつけた天具が言った。


「サクの結婚話なんて驚いちゃった」


 暗闇の中でも雅は陽気だ。


「いえ……。艶邪虜とか怪異門とか、どういうことでしょうか?」


 咲耶は天具に訊いた。


「私も気になりました。オカルトじみていますよね」


 月子が同調する。淡々とした口調だが、胸を踊らせているのがわかった。


「ふむ……。歩きながら話すことではない。家に着いたら話そう」


 彼はそう言うと、唇を結んだ。

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