第6話 旅

 咲耶は天具を待たせ、自分の部屋に入って雅と月子にメッセージを送った。


【夏旅行は、地図にない隠れ里に行くのはどう? 父さんの産まれた村なの……】


 祖父の葬儀で行くということも隠さなかった。


〖行く!〗


 間髪を入れず、雅の返信があった。月子の返事は少し遅かった。


〖私も行きます。明日の午後、出発でいいのね?〗


【ウン、ウチの葬式だから費用は全部、ウチで持ちます】


〖やったー!〗


〖悪いわぁ。でも、ありがとう〗


【どういたしまして】


〖2泊? 3泊?〗


〖4泊? 5泊?〗


 月子と雅のメッセージを見て少し考えた。葬式で最低1日は潰れるだろう。田舎だから、もしかしたら2日……。それ以上、長くいなければならないけれど、何もない場所だというから、すぐに飽きてしまうに違いない。


【4泊で、どう?】


〖OK〗


【詳細は天具さんと打ち合わせてから、改めて連絡するね】


〖天狗?〗


【案内人の名前です。石上天具さん。変な格好のオジサンだよ】


〖なんか、会うのが楽しみ!〗


〖了解デス〗


 メッセージをやり取りする間、室内がざわついていた。あの眼や耳たちが青龍の神像に反応しているようだった。


 リビングに戻ると、天具は窓際に立って庭を見ていた。


「3人になるけど、いいでしょうか?」


 声をかけると彼が振り向いた。


「ああ、多い分にはかまわないよ。村長は喜ぶだろう。ただ村に入ったら行動に気を付けるよう、友だちには話しておいてくれよ。古い因習の残った村だから」


「はい。これは……」神像を持ち上げて見せる。「……友達が触っても大丈夫なのでしょうか?」


「人によるな。四神、知っているだろう?」


「いいえ」


 ついさっき、その神像が青龍だと聞いた。天具の守護神は玄武だとも聞いたが、理解しているわけではなかった。


「青龍、白虎、朱雀、玄武……。4つの神が東西南北に対応している。そして、青龍は水を司り、白虎は火を司る。朱雀は時空を、玄武は大地と物質を司る。水は命の始まりで、火は終わり。それは村でしか語られないことだ。山上家は青龍、俺の石上家は玄武が守り神だ。そうした神と縁がある者なら、別の神には迂闊に触らない方がいい。4分の3の確率で痛い目に合う」


「それは、どうやったらわかるのでしょう?」


「すべて伝承だよ。婚姻で他家に嫁げば守護神も変わる。アレルギー検査のようなチェック方法はない。とりあえず、それっぽい物には近づかないことだな。そう、友だちにも注意しておいてくれ」


「わかりました」


 そう答えたが、半信半疑だった。


「ついでだから話しておこう」


 天具は再びソファーに掛けた。


「この世には、四神以外にも神がいる」


「八百万神ですね」


 父親に聞いた話を覚えていたので得意げに応じた。


「それとは少し違うが……、似ているともいえるか……。天照大神あまてらすおおみかみを知っているかな?」


「はい。伊勢神宮の」


「その兄妹に月読つくよみ素戔嗚すさのおという神がいる」


「あ、それなら聞いたことがあります」


「ふむ。天照は太陽、月読は月、素戔嗚は大地と海、つまり地球ということになっている。日本人は、その三つの神のどれかの血筋にあたる。山上家と石上家はどちらも太陽……。その龍に乗っているのは太陽神だ」


 彼が神像を指した。


「龍に月読や素戔嗚が乗っている像もあるということですか?」


「なかなかのみ込みがいいね。四神と太陽、月、地球の組み合わせができるから12の神像がある」


「それじゃ、青龍の神像でも私が触れられないものがあるということですか?」


「いや、それは問題ない。ただ、違ったものがあるということは知っていてほしい」


「わかりました」


「一応、電話番号を交換しておこうか。東京駅で会えなかったら困る」


 彼はカンバス生地の鞄からスマホを出した。


「村内では、これは役に立たないけどね」


「日本に電波が届かない場所があるのですか?」


「電話どころか、村にはテレビやラジオの電波も届かない。外に出た時に買ってくる新聞が唯一のニュースだ」


「どれだけ田舎なんですかぁ」


 思わず笑った。


「まあしかし、住めば都というだろう? 他人と競う必要がない、のんびりした村さ」


 そう言って彼は立った。


「これからどちらに……」


 用事がないなら、もう少し話を聞きたかった。


「山上さん以外にも、葬儀のことを伝えなければならない村出身の人がいるのでね」


 彼はそう言って去った。


 その日の夕食時、テーブル上ではあの神像が輝いていた。咲耶が置いたのだ。


「純金だったのね。知らなかったわ」


 明心が目を細めた。


「お父さんが白塗りにして隠していたのね。どうしてかな?」


「私が売ってしまうと考えていたのかもしれないわね」


 明心が苦笑した。


「触っても平気?」


「平気よ。こんなもの」


 彼女は青龍の顔にキスをした。


「お母さん、止めてよ。石上さんが、それは神様だって言っていたわよ。罰が当たったらどうするの」


「神様が罰を当てるというのなら、私たち、とっくに当たっているわよ」


 彼女がリビングの向こう側に虚ろな目を向けた。その視線を咲耶は追った。リビングの窓から見える薄暮の中に、ともるガーデンライトがあった。田尻先生の頭が沈んだ池の近くにある照明だ。


「葬式かぁ。本当なら夫婦で行かなければならないところだけれど、今の私たちには無理ね。咲耶に任せる。頼むわね」


 明心が言った。


「私だって気が重いわよ。でも、雅たちが一緒に行ってくれるというから……」


 目いっぱい、恩着せがましく話した。正直、そこに行くのが楽しみだった。


「友達は有難いわね」


「お母さんは魔母衣村には行ったことがないの?」


「行ったわよ。結婚の挨拶とか、なんだかんだと……、3回ぐらいかしら」


「村、嫌いなの?」


「お母さんが生まれた村と似ているのよ」


「チベットの?」


「そうよ。住んでいる人はいい人ばかりだけれど、空気がねぇ。……乾期でもじとっと肌にまとわりついて骨の髄まで冒されるような感じ……。あれは湿気じゃないのね。生きられない人々の困惑や苦悩のようなものだと思う。わかる?」


「そうなんだ。よくわからないけど」


「まあ、一度ぐらい経験してみると良いわ」


「アッ、それから……」


 守り刀の場所は明心が知っていた。見た目は天具が持っていたものと瓜二つだが、刀身に彫られているのは、天具が言った通り青龍だった。


 その晩も沢山の眼や耳が、ベッドの咲耶に注目していた。咲耶は、明日は旅の空にあると思うから、しばらく感じることのできないざわざわした緊張を楽しんだ。


 翌日の午後1時30分、咲耶と雅、月子は東北新幹線の改札口で落ち合った。みな、天具のアドバイス通り、ハイキングにでも行くような動きやすい服装で、足元はスニーカーだ。早くに来ていた天具は、昨日と同じ奇抜な姿のままだった。


「大石さん、何歳?」「いつも下駄なの?」「その白衣は、何のものなの?」


 新幹線に乗ると、雅はいつもの陽気さで天具を質問攻めにした。彼は苦笑いを浮かべながら、33歳だとか、冬は靴下も履くし、長靴も履くとか、白衣は修験者が着るものだとか、渋々答えていた。


「サクのお父さんが隠れ里の出身だとは、驚いたわ」


 月子は咲耶に向かってそんな感想を述べた。


「私だって驚いたわよ」


「普通、両親の出身地なんて知っているものでしょ?」


「そうなの?」


「そうよ。正月やお盆には、おじいちゃんやおばあちゃんと会うのだって普通でしょ?」


「ウチはお母さんがチベットの山奥でしょ。だから祖父母に会わないことも当たり前のことだったのよ」


 そう話すと、月子は納得した。


 雅と月子は魔母衣村のことを知りたがったが、咲耶は何も知らなかったし、天具は「秘密の村だからな。誰にも教えられない」そう繰り返すだけで新しい情報は得られなかった。


 新幹線がS駅に着いたのは午後6時になろうという時だった。4人はそこで夕食を済ませ、そこからは駐車場に停めてあった天具のRV車で魔母衣村に向かった。


「ヒェー、もう真っ暗だ」


 後部座席の雅が声を上げた。助手席の咲耶はアスファルト道路を照らすヘッドライトがつくる光の輪を見ていた。暗いのは日没を過ぎたからだけではない。山に向かう道には、街灯も住宅の明かりも、すれ違う車の明かりもなかった。ほどなく舗装は途切れ、でこぼこのひどい山道に入った。


「ヒェー、舌を噛みそうだ」


 雅が声を上げ、月子が黙っていた方がいい、と注意した。


 1時間ほど走った時、車が減速した。それは道端にある空き地に入った。そこが村人たちの駐車場らしく、他にも数台の車が停まっていた。


「家が見当たらないけど?」


 咲耶たちは周囲を見回した。どこもかしこも深い闇だ。


「ここからは歩きだ」


 天具は鞄からランタン型の懐中電灯を出して明かりをつけた。けもの道のような細い道が山頂に向かって続いていた。


「ヒェー、疲れそう」


「確かに隠れ里だわ」


 雅が声を上げ、月子が感心した。


「離れるなよ」


 そう警告して天具が歩き出した。咲耶たちは足の速い彼の後に必死で続いた。離れたら足元が暗くなる。


 山頂に向かっていると思われた山道は、ほどなく向きを変えた。谷に向かって降りているようだった。遠くからせせらぎの音がする。


「止まれ」


 天具が言った。足元に古い石碑があって、彼が屈んだ。


「何ですか?」


 咲耶は訊いた。


「道祖神だ。村に入る挨拶をする」


 彼は両手を合わせてタカムスビノカミとかスクナビコナノカミ、クズノカミとか、ぶつぶつ言った。


「何これ?」


 咲耶の耳元で月子がささやいた。


「魔母衣村の人たちは信心深いのよ。教えたでしょ。自分の守護神と違う神像に触れたら腕に火傷を負ったという話」


 そうささやき返した。


「ああ、そうだったわね。みやび、気をつけなさいよ。祟られちゃうから」


 月子が隣の雅にささやいた。


「ヒェー、怖いよ」


 彼女の叫びが谷間にこだました。


 天具が祈る時間は1分ほどだったが、咲耶にはとても長い時間に思えた。


「行くぞ」


 村に近づくほど、彼の態度は威厳に満ち、口は重くなっていた。やがて見通しが悪くなった。それまで透き通っていた暗闇は白く濁り、懐中電灯の明かりが乱反射して先まで届かない。


「霧ね……」


「なんだか冷えてきた」


 月子と雅が言うとおりだった。真夏だというのに冷たい空気が谷底から静かに流れてきて霧を作っているようだ。背中の汗が引いた。

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