2章 魔母衣村(まほろむら)
第5話 使者
夏休みの初日、ポストに白い封筒が入っていた。【僕の咲耶、オモチャは使ってくれたかい?】それで、田尻先生はストーカーではなかったとわかった。オモチャのことが書いてあるので手紙は、母に見せられない。即座に破り捨てた。
朝食を簡単に済ませた後、リビングでぼんやりテレビを視ていた。朝のワイドショーで、少しだけ燐家の殺人事件の情報が流れた。逮捕された主人は、気づいたら包丁を握っていたが自分は刺していない、と主張しているらしい。その言葉をスタジオのコメンテーターたちが信じる様子はなかった。そんな事件だから、記者たちが玲奈の家の周囲を歩きまわったのは事件の三日後までで、いまだに気にしているのは周囲の住人だけだ。彼らは、事件の影響で高級住宅地の地価が下がることを気に掛けている。
田尻先生の失踪はニュースにさえならなかった。学園内でも噂されたのは数日で、終業式には彼の存在はすっかり忘れ去られていた。そうして咲耶たちは穏やかな、いや、暑苦しい夏休みを迎えた。
――ピンポーン――
インターフォンの呼び出し音が鳴る。モニターには、
「どちら様ですか?」
もしかしたら燐家の事件を捜査する刑事、あるいはストーカーかもしれない。想像すると全身に緊張が走った。
「
比古造という名前は知っていた。咲耶の祖父だ。だからといって、髭面の男性が無条件に信じられるわけではなかった。
「あのう……、父は留守なのですが……」
「お母さまは?」
「母も一緒です」
「はぁ、それは困りましたね。連絡は取れますか? 山上比古造さんが亡くなったもので……」
「おじいさんが……、本当ですか?」
「噓などつくものか。明後日が葬式なのだ。詳しい話をしたいので入れてもらえないかな?」
インターフォン越しの相手が子供だけだと侮ったのか、口調がぞんざいになった。
入れる?……咲耶は迷った。遠縁の者とはいえ初対面だ。いや、遠縁ということなど事実かどうかわからない。彼がストーカーという可能性だってまだ残っている。
躊躇していると彼が言った。
「何を疑っている。君は一人娘の咲耶さんだよね?」
その程度のことならストーカーだって知っているだろう。
「君はおじいさんに会ったことがない。それどころか、お父さんが生まれ育った村に行ったことがない。そうだよね?」
客の言うことは当たっていた。そこまで知っているならストーカーではないだろう。心が動いた。
「咲耶さん、聞いていますか?」
「あ、はい……」
「ご両親が無理なら、君が葬儀に参列すべきだ。莫大な遺産の件もある」
莫大な遺産!……頬を打たれたような気分だった。お金に苦労はしていない。だからこそ、彼が言う莫大な遺産というものがどれほどのものなのか、知りたかった。一方、葬儀に出るなんて荷が重いと思う。
「これは君だけじゃない。日本にとっても大切なことだ」
え?……新たな疑惑。おじいさんの葬儀が、日本とどんな関係があるの?
「とにかく、話を聞きなさい」
強い口調に咲耶は折れた。
「わかりました。今、鍵を開けます」
玄関に向かいながら、その日、雅や月子と待ち合わせをしていたことを思い出した。盆になる前に海か山に旅行をする計画なのだ。
旅行、どうしよう?……悩みながらドアを開けた。
「どうも」
会釈する天具の姿に驚いた。道着のような謎の白衣に古びたジーンズ、足元は下駄で、肩からカンバス生地の鞄という不可解な格好で、清潔そうではなかった。
咲耶が言葉を捜している間に、彼は下駄を脱ぐとスリッパに履き替えた。使い込んだものらしく、下駄には彼の足形がくっきりと残っている。
「いやー、中は涼しくていいね」
そう言いながら勝手にどんどん奥に向かった。
「ちょっと……」
慌てて、彼の後を追った。
天具は迷うことなくリビングのドアを開けるとソファーに腰を下ろした。
「悪いね。何か冷たいものを頂けるかな? もう、喉がカラカラで……」
無遠慮に言うと、室内にぐるりと視線を走らせる。
咲耶は天具の気配に意識を向けながら、キッチンに入って氷と麦茶をグラスに入れた。彼が座っている場所は、奇しくも、半月ほど前に教師が息絶えた場所だ。
彼は一気に麦茶を飲み干すとグラスを突き出した。もう一杯欲しいということなのだろう。それを受け取り、もう一度キッチンに足を運んだ。
「父が生まれ育った村というのは、どこなのですか?」
彼の前にグラスを置きながら訊いた。
「咲耶さんが、こんな美人さんになっているとは思わなかったよ」
彼は質問に答えず、再び一息で麦茶を飲み干した。今度はグラスをテーブルに置いた。
「
「マホロですか……、全然聞いたことがありません」
「そうか……。お父さんは村の秘密をしっかり守っているんだな。感心だ」
「秘密の村なんですか?」
思い浮かぶのは秘密結社の秘密基地だが、日本にそんな村があるはずない。天具が益々
「信じられないだろうけれど、行ってみればわかるよ。で、咲耶さんは覚えていない? 一度、俺と会ったことがあるんだよ。この家で」
「えっ、そうなのですか?……すみません」
古い記憶を真剣に探した。こんな変わった姿をしているのだから覚えていそうなのに、まったく記憶になかった。
「仕方がないか、もう15年も前だから」
「それなら、私は2歳です。それに、家もここではないと思います」
「あぁー、そうだったかな……」彼がアハハと笑った。「……にしても、2歳かぁ。そうだよね。よちよち歩きだった。覚えているはずがないよな」
彼がすっと立ち上がり、壁際のサイドボードに向かった。
「物騒だな……」
扉を開けると卵ほどのサイズの白い置物を覗き込んだ。
「
彼がつぶやくのが聞こえた。どういうことだろう?……咲耶は彼の背中を見守った。
「これ、出してくれるかな?」
「あ、はい……」
彼の求めに応じて龍に人が跨った置物を取り出した。何でできているのかわからないが、とても重い。それを天具に差し出すと、彼は首を横に振った。
「俺はそれに触れられない。それ、お湯につけてもらえるかな?」
「どういうことですか?」
祖父の葬儀のために来たと言いながら、そのことを話そうとせず、置物の話をするのが怪しさを増した。
「多分、本物だと思うけど、具墨、あ、塗料のことだけどね。それを落としてみないとよくわからない。本物なら、それを持っていけば、君が山上比古造さんの子孫だと、みんな納得してくれるはずだ」
「へぇー」
置物を四方から観察した。龍も人間も精巧に作られているが、それにどんな意味があるだろう。
「とにかく、熱い湯につけてみて」
言われた通り、それをステンレスのボウルに入れて熱い湯を注いだ。
「それは青龍神と日の神だ。山上家のシンボルだよ」
「シンボル?」
湯の中で揺らいで見える置物に目をやった。
「どれくらい、入れておくんですか?」
「3分ぐらいかな」
カップ麺かよ!
冷蔵庫から麦茶のボトルを取ってリビングに運んだ。彼の目の前で、それをグラスに注ぐ。
「ありがとう。ご両親との連絡は?」
「チベットの山奥で珍しいものを探しているので、しばらく連絡が取れないんです」
両親がチベットに行ったというのは嘘だ。そうでも言わなければ、連絡を取りたいと言われるだろう。
「そうかぁ。やっぱり咲耶さんが行くしかないな」
「ハァ……」
莫大な財産のためだ。やむを得ないだろう。……両親の代理として葬儀に臨もうと決心したものの、雅や月子と約束している旅行をすっぽかすのも悪いと思った。
「あのう、友達を連れて行ってもいいですか? ひとりじゃ心細いし……」
そこが本当に秘密の村なら、雅と月子は面白がってくれるだろう。
「うーん、連れて行くのは構わないけれど……、未成年だろう? 早すぎないかな」
彼は咲耶が友人を連れていくことに消極的に見えた。でも、高校生が友だちと旅をするなんて、普通のことではないか。……咲耶には天具の不安が古臭い価値観に思えた。
「友達に話してみます。出発は明日ですか、明後日?」
「葬式は明後日の午後からだよ。ここからだと4時間はかかる。余裕をもって、明日行くか、明後日の早朝に出発するか、どちらかだな。……そろそろ、あれを湯から出してみて」
「あっ、そうですね」
台所に駆け込み、ステンレスのボウルの湯を捨てた。白い置物は熱を持っていた。軽くこすっただけで表面の白い塗料が薄皮をむくようにはがれた。中から現れたのは金の輝きだった。
「これ……」
それが金製だということぐらいは、咲耶にも想像がついた。
「純金だよ。山上家の神像だ。その像は霊的な力を持っている。俺の守護神は玄武なので、それには触れられないんだ」
いつの間に移動したのか、天具が隣に立っていた。
「触れたらどうなるんですか?」
「罰が当たる」
彼は大げさな畏怖の表情を浮かべ、青龍の神像に向かって両手を合わせた。
「迷信ではありませんか?」
改めて金色に輝く像に眼をやった。
「以前、他家の神像を盗もうとした男がいた。……それを盗ってどうするつもりだったのか、今となってはわからないが、いずれにしてもその男は、それを手に取った。瞬間、握った手は肩までひどい火傷を負った。……世間から途絶し、信仰深かった村でも、いつの間にか信じない人間が増えていたのだな。だけど、その事件のおかげで、強固な四神崇拝が復活した。
真剣に語る天具に眼を向け、この人は真面目に迷信を信じているらしい、と思った。すると、……迷信などではないよ、という父の声が脳裏をよぎった。おとうさん?……問いかけると、……とにかく村に行ってみることだ、と父が続けた。
「ハイ……」思わず声が漏れた。
「ん?」
天具が怪しいものを見る眼で、咲耶を見ていた。
「あ、すみません。父の声がしたような気がして……」
恥ずかしさで顔が熱くなった。顔を見られないように、先になってリビングに向かった。
「いや、村には特殊な力を持つ者がいる。特に、神の意思を継ぐ者には……。咲耶さんもそうかもしれない。テレパシーのように、遠くのご両親とやり取りができても不思議ではない」
「そうなのですか……。石上さんも?」
ソファーに戻って尋ねると、彼は首を振った。
「そうした力が得られないかと、天狗のように修行してみたが無駄だった。それでこうして村長の伝言係のようなことをしている」
あまりに深く絶望したように言うので、咲耶は黙った。
「まあ、俺のことはいい。とにかく葬儀だ。行くだろう?」
「はい」
父の声を聞いたこともあり、自信を持って答えた。
「お父さんから守り刀を見せられたことはあるかい?」
「守り刀ですか?」
そういったものには、心当たりがなかった。
「こんなやつだよ」
天具は自分の鞄から長さ40センチほどの小刀を出した。
「ああ、そんな物なら、昔、見たことがあります。てっきりどこかの国のお土産だと思っていましたけど……」
彼が鞘を抜いた。銀色の刃に亀に似た玄武の彫り物があった。
「俺の守り神の玄武だ。お父さんの物には青龍が彫ってあるはずだ。もし、お父さんが持ち歩いているのでないなら、持参したほうがいい」
「それはどうして?」
「言葉の通り、身を守るためだよ」
「わかりました。探しておきます」
彼の言葉を信じたわけではなかったが、祖父の遺産を見るまで、彼の言うとおりにしようと思った。
「ひとりではたどり着けない場所だから、俺が案内する。明日、東京駅で合流しよう」
天具が満足そうな面持ちで言った。
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