第3話 家庭訪問

 帰宅した咲耶は、母親に田尻先生がやってくる時刻を報告した。


「おいしいものを用意しておかないとね」


 明心は教師が来る理由を問い質すこともなく、むしろ浮き浮きした様子でキッチン入った。彼の分まで夕食を用意するつもりのようだ。咲耶も着替えてから手伝った。ジャガイモをゆでてポテトサラダをつくる。メインディッシュはステーキだ。冷凍庫から肉塊を取り出して解凍する。それを母は、ねっとりとした眼差しで見つめていた。


 田尻先生は約束通りの時刻にやって来た。彼と共に蒸し暑い空気が屋内に流れ込んだ。


「先生、いらっしゃい」


 迎え入れながら、彼が持つ黒いビジネス鞄に視線を落とした。そこにあのオモチャが入っているはずだ。


「あ、ああ、どうも……。立派な家だね」


 彼は学校にいるときと違って少しおどおどしていた。家の大きさに驚いたわけではないだろう。聖清純学園の生徒には裕福な家庭の子供が多い。訪ねたことのある家には豪邸も珍しくないはずだ。


「どうかしましたか?」


 尋ねると、彼は何でもないと応じ、額の汗を拭きながら靴を脱いだ。


「室内は、ずいぶん涼しいのだね」


「エアコンはリビング・ダイニングにしか入れてないんですけど……。きっと家が古いからだと思います」


 そう話すと、眼や耳の形をしたあやかしの存在が脳裏をよぎった。先生はそれを感じているのかもしれない。


 シックなインテリアのリビング・ダイニングにはポタージュスープの香りが漂っていた。10人掛けの大きなダイニングテーブルに並ぶ食器は2人分だけ……。


「先生、ここに掛けてください」


 咲耶は食器がセットされている椅子を引いて彼を座らせた。それから冷蔵庫から冷たい水を出して彼の前に置いた。


「お母さんが急用で出かけてしまって、食事をして待っていてほしいということでした」


「えっ、そうなの?」


 彼が目を丸くした。


「今、お肉を焼きますからね」


 そう話すと彼が立ち上がった。


「ごちそうにはなれないよ。家庭訪問だからね」


「いいじゃないですか。どのみち、夕食を食べるんでしょ?」


 担任が困惑するのを楽しみながら、咲耶はスープを温め、肉を焼いた。背中に、ずっと視線を感じていた。妖のものではない。田尻先生の視線だ。


 最初は遠慮していた彼も、「肉が冷めると不味くなります」と強く勧めると、ナイフとフォークを握った。ひと口食べた後は、「美味い」「美味い」と言いながら大きな肉塊をぺろりと平らげた。


 食事をすませ、ソファーに移動する。


「おいしい料理だったよ。君は良いお嫁さんになれるね」


 田尻先生はすっかり教師の仮面を脱ぎ捨ててリラックスしていた。


「そうでしょ。先生……」


 彼の前にアイスティーを置く。


「それにしても、お母さん、遅いね」


 彼が壁掛け時計に目をやる。まもなく午後6時になるところだった。


「きっと遅くなると思います」


「どういうことだい?」


 彼が眉根を寄せた。


「そんなことより、この手紙は先生が書いたのですか? 今朝、まったく同じオモチャと一緒にポストに入っていました。あれのことは私と先生しか知らないはずなんです」


 咲耶は、ストーカーの手紙を彼の前に置いた。


「そんなことって……」


 彼は戸惑いながら手紙の文字に目を走らせた。


「こんな手紙、先生は知らないよ」


「1年前から、毎週、手紙が来るんです。先生、ストーカーじゃないですか? 私を監視しているんじゃないですか? だから、私があのオモチャを学校に持って行ったのを知っていたんじゃないですか?」


 咲耶は、田尻先生の隣に移動して詰問した。


 彼の顔に怒気が浮く。目がつり上がり、皮膚が赤らんだ。


「ストーカーだなんて、先生を侮辱するんじゃない!」


「あの日、どうして私だけ、私物検査をしたのですか?」


「君は、母親のいない日に先生を呼んだのだな? ステーキで買収するつもりだったのか?」


 怒りが沸点に達したのか、彼は咲耶の胸ぐらをつかみ、口から唾を飛ばしながら言った。


「汚い!」


 咲耶が顔をそむけると彼の力が強まり、ブラウスのボタンが飛んだ。真っ白な胸の割れ目があらわになると、彼は眼を血走らせて咲耶を押し倒した。


 それは、咲耶も予想外の行動だった。


「先生、止めて!」


「大人をバカにするな!」


 田尻先生が平手で咲耶の頰を打った。


 強い痛みを覚えた咲耶は反射的に拳をふるった。それは教師の頭にあたったが、それで彼がひるむことはなかった。


「教師をなんだと思っている。言うことが聞けないようなら、進学も無理だぞ」


 彼に悪魔が乗り移っているようだった。その顔を醜く歪めると、上半身を起こして咲耶の腹を拳で打った。


「俺は知っていたのだぞ。この家にお前がひとりだということなど」


「どうして?」


 咲耶はめまいを覚えた。


 それからは彼の思うままに凌辱りょうじょくされた。涙があふれた。


 悪魔には悪魔なりの理性があるものらしい。彼は咲耶の体外に精を放った。


「これからは俺の言うことに素直に従え。約束するなら、今日、だましたことも大人のオモチャを学校に持ってきたことも許してやろう」


 耳元で低い声がする。咲耶はうなずいた。


「ようし、いい子だ」


 田尻先生がソファーに座り直し、首筋を流れる汗を拭いた。テーブルにあったアイスティーに眼が止まる。氷はすっかり解けていたが、グラスを手に取ると一気に飲んだ。


 咲耶は身体を起こし、下着を直した。


 汚されたスカートをどうしよう。……それを目に躊躇していると彼に髪を鷲づかみにされた。


「母親は、いつ帰ってくる?」


 今更、言い逃れの効かない状況になって、逃げることを考えているらしい。


「もう、帰ってきました」


 隠れていた明心が田尻先生の背後に立っていた。


「な、何だと……」


 田尻先生が視線を泳がせて立ちあがった。しかし彼は身体のバランスを失って倒れ、明心を見ることはできなかった。


「く、苦しい……」


 田尻先生に出した紅茶の氷に毒を仕込んでおいた。それが溶けだして、彼は力を奪われたのだ。彼は首に巻きついた自分のネクタイを、自ら必死の形相で引っ張り、手足をばたつかせた。テーブルからグラスが落ちて、ラグの上を転がった。


 田尻先生が暴れたのは短い時間だった。眼をむき、酸素を求めて口を開けた彼は、股間をむき出しにしただらしない格好で息絶えた。


「お母さん、殺しちゃったの?」


「咲耶のためよ。あなたを犯すなんて、ひどい先生……」


 田尻先生を見つめる明心の瞳には、憎しみと憐みの炎が揺れていた。


「どうするの?」


「去年と同じよ。これで、1


 明心が妖しい笑みを浮かべた。


 咲耶は床に転がっていたグラスを拾い上げた。


「咲耶、グラスは慎重に、しっかり洗うのよ。トリカブトの毒は強いのだから。おかげで、どんな男性でも動きを封じられるけど」


 母は色々教えてくれるけれど、自分の手を使うことはなかった。


「わかっています」


 咲耶は半裸のままグラスを洗った。それから哀れな教師の遺体を浴室に運んだ。

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