秘密
舞夢宜人
時の流れの後で
大学時代にサークル仲間で起業したIT系のベンチャー企業の創立18周年パーティーの帰りに、一つ上の先輩で上司の志保さんを自宅まで送り届ける途中で、海岸沿いの公園に立ち寄るように誘われた。
「ここに来るのも、久しぶりね。」
「先輩と、社長と、俺の3人でビール片手に将来の夢を話しましたね。夢がかなって起業して18年。これも社長の努力の結晶ですよ。」
「あれからもう3年か。あの人は、会社も、私たち母娘も、残して交通事故で逝ってしまったけれど、ここまでやってこれたのは、あなたの支えがあったから……ありがとう……でも、もう疲れちゃったかな。」
港の灯台を見つめる彼女の髪を海風が撫でていった。19年前に先代の社長だった先輩に浮気されたと真夜中にやってきた時、先輩が亡くなった時、2ケ月前に不渡りを出しそうになった時にも、こんな思いつめた表情をしていたと思い出した。
「何があったのですか?志保さん。」
「ちょっと昔のことを思い出していたの。あなたは素敵になったわね。」
「初めて本気で好きになった女性に逆転のチャンスをもらいながら、振られて、未だに未練がある男のどこが素敵なんですか?」
「いじめないでよ。あの人が浮気したと思った時に頼れるのはあなたしかいなかったのは事実よ。そうじゃなかったら、私の初めてを捧げたりしなかった。でも、あの頃のあなたには、私を捕まえておけるだけの懐の深さはなかった。あの人の方が一歩だけ大人で情熱的だった……ただ、それだけの差なの。」
「先輩はいい人でしたからね。付き合いが長くなるほど男として負けたんだなと、思い知らされました。」
「会社の経営が危なくなるたびに、最初に立ち上げたときの仲間は一人また一人と去っていったけれど、あなたはずっと側にいて支えてくれた。」
「それはお互い様でしょう。俺だって会社の従業員ですよ。」
「あの人が亡くなる前までは、毎週のように娘の美保の面倒を見てくれたじゃない。あの娘が大学に進学できたのもあなたが家庭教師してくれたおかげでしょう。」
「美保ちゃんを見ていると、志保さんの幼かった頃を見ているようで、お願いされると断れなかっただけですよ。」
「この前だって、貯め込んでいた財産を使って会社を救ってくれた。」
「それは、あの夜の一夜の契りで無かったことにしただろう。」
「一夜の契りで全財産を巻き上げるなんて、私って、悪い女ね。でも、あれから、いろいろあって、そうもいっていられなくなったの。おかげで頭が痛いわ。」
「俺ができることなら、何でもしますから、頑張りましょう。」
「まあ、あなたにしか頼れない話も多いからね。ところで、美保は元気にしているかしら?」
「毎日、大学に元気に通っていますよ。」
「美保は、あなたに懐いていたものね。将来は、お兄ちゃんのお嫁さんになるなんて言っていたけれど、本気だったとはねえ。あらためて、あなたの口から釈明してくれないかな?」
「あれは、志保さんが、お金の件で俺の家に押しかけてきた日の数日後だったかな。」
---
あの日、会社から帰宅して遅い夕食の支度をしていたら、訪問客があった。
「お母さんと喧嘩しちゃったの。お願い。しばらく泊めて。」
美保は、両手を合わせて、上目遣いで、情けなさそうな顔で捨てられた子犬のような顔をしていた。19年前に彼女の母親が同じようなことを言って、同じような服装で、同じことをしていたのを思い出した。志保と美保は母娘というより双子の姉妹のようによく似ている。
「美保は、変なところまで志保に似ているな。つい先日はお前の母親が同じことして、頼まれごとをされて泊まっていったばかりだぞ。」
「やっぱり、お母さん、ここに来ていたんだ。」
美保は、情けない顔をしていたのを一転させて、ぷりぷりと怒り出していた。
「飯の準備の途中でな。美保も食べるか?」
「お母さんと喧嘩したので何も食べていないの。ありがとう。」
作りかけだったカルボナーラを先に美保に提供して、自分の分を追加で作り始めた。
「先に食べながらでいいが、何があった。」
「それは聞かないでくれると嬉しいかな。ここに来ていることは母さんにもメールしているから心配しないで。どうせ月曜日にお兄さんが出勤すれば母さんと会うでしょう?」
「それは、そうだがな。」
食事が終わって美保を先に風呂に入れると、携帯からメールの着信音がした。確認すると、志保から『ごめんなさい。信用しているから、しばらくお願い。』とのメッセージが入っていた。『了解』と短く返信しておいた。
美保が泊まりに来るのは数年ぶりだが、彼女の父親が生きていた頃にはよく遊びに来ていたので、うちには彼女のための予備の布団があった。床に布団を敷いて準備しておいてやった。風呂から出てきた彼女と交代で風呂に入ると、風呂から出てきたら彼女は先に布団に入っていた。
「明かりを消すぞ。」
「少しお話をしたい。大学時代のお母さんとお父さんお兄さんって、どんなだったの?」
「そういえば、美保もこの春で大学に進学か。俺たちと同じ大学に行くんだって?お祝いしないとね。」
「ありがとう。私のお願いを叶えてくれると嬉しいなあ。」
「俺にできることだったら、何でもいいぞ。」
「言質を取ったからね。」
「お手柔らかにね。志保さんは、美保にそっくりであの当時も美人だったぞ。」
「それはそうでしょうね。若さを保つ秘訣を教えてもらわないとね。」
「志保さんとはサークルの勧誘で出会ってね。それで一目惚れして友達になって現在まで付き合いが継続している。それなりに仲良くなれたと思ったのだけれど、5月の連休前だったかな。彼氏に浮気されたから慰めてって、ちょうど美保が今日おしかけてきたような感じで、志保さんがやってきてね。志保さんの初めての男になったのだけれど、代用品は代用品でしかなくてね。まあ、先輩の身の潔白が証明された途端に俺は負けて振られてしまったんだよ。志保さんのことを忘れられなくて巻き返そうとしていたら、志保さんが美保を妊娠していることが分かってね。そのまま志保さんたちは、学生結婚したんだよ。未練もあって二人を応援していたら、長い付き合いになったという感じかな。仕事が忙しいのもあって、志保さんに振られてから、どうも女性と縁がなくてね。寂し思いはしたけれど、美保が大きくなっていくところを見ることが楽しみだった。だから美保には幸せになって欲しいのだよ。」
「お母さんと再婚しようとは思わなかったの?」
「いろいろ柵もあるし、距離が近すぎてね。何かきっかけがないと難しいかな。」
「じゃあ、間に合ったんだ。」
「何が間に合ったんだ。」
「何でもない。私の話。明日、休みでしょう。私のお願いに付き合ってね。」
「分かったから、早く寝ろ。」
翌朝、手足に違和感がして、目が覚めた。紐か何かで手足が縛られて、大の字にベッドに拘束されており、目隠しがされているようで、家電のLEDで薄暗いはずの室内が何も見えなかった。
「おい、美保さん。何をしようとしているのかな。」
「あら、起きたんだ。お兄さん、私をお嫁さんにもらってくれるって約束したよね。だから、高校を卒業したから、私をお嫁さんにもらってもらって、お兄さんとの子供を産むの。」
「あれは美保が小学生の時の話だろう。本気だったのか。」
「何でもかなえてくれるといったでしょう。お兄さん、独身だし、彼女もいないし、私のことを大事にしてくれるし、何の問題があるの。本気じゃなかったら、こんなことをしていないわよ。」
「おい、やめろって。」
「だめ。私、初めてだからうまくできるかどうかわからないけれど、あなたは、私のものよ。旦那さま。」
若さと欲望のままに彼女に襲われて、俺の拘束が解かれたのは、その日の夜だった。美保はそのまま俺の家に住みついて、俺の家から大学に通うようになった。
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「まったく、学生時代に志保にされたことを、美保にもされるとは思わなかったよ。」
「昨日、美保がやっとサインをもらえたって、とても嬉しそうに婚姻届けを持ってきたの。妊娠検査薬の結果からすると妊娠しているから、届け出を出したら病院に行きたいってね。」
「妊娠の方は初耳です。」
「あなた、どうするつもりなの?」
「俺ですか?」
「まあ、あなたに責任をとってもらうしかないのだけれど、どう責任を取ってくれるのかと思ってね。」
「年齢の差は離れているけれど、血がつながっていない男女なら結婚してもおかしくなかろう。精一杯幸せにしますよ。」
志保は深々とため息を吐いた。
「美保は、戸籍上はあの人と私の娘だけれど、血縁上はあなたと私の娘なの。あの人には抱かれたことがないもの。」
「先輩と志保さんとの間に美保ができたから結婚して、俺が振られたのではなかったのですか?俺は、志保さんが先輩を選んだのならと応援してきたのですよ。」
「どうしてこんなことになったのでしょうね。あの人は、私とあなたとのことを許してはくれなかった。その一方で、あなたに私が寝取られたことに興奮していた。だから、美保を自分の娘として認知したうえで自分と結婚することを要求した。あの人の方が好きだった私には、それを飲むしかなかった。ひどい女ね。」
「先輩にはそんなところがあったのですね。知らなかった。」
「あの人の趣味が悪かっただけよ。美保もあなたも知らなかったからこうなっているのでしょうね。今となっては、DNA検査でもしなければわからないことだろうから、美保には黙っていてね。でも、あなたには知っておいて欲しい。」
「墓まで持っていきます。」
「本当は、昨日までは、今までのことを全部清算して、この場であなたにプロポーズするつもりだったの。私もあなたの子を妊娠しているからね。でも幸せそうな美保のことを見たら、どうしていいのかわからなくなってしまった。これでも母親だからね。」
「俺にできることは、何でもやらせてもらいます。俺の子供たちであることには変わりませんから。」
「私と美保に挟まれて大変でしょうけれど、頑張ってね。家賃がもったいないから、二人で時間を作って私の家に引っ越してきなさい。」
志保の家に引っ越してから、美保は俺のことを『お父さん』と呼び始めた。
「なぜ、お父さんなんだ。」
「私の実のお父さんで、私の子のお父さんで、私の弟か妹のお父さん。」
「知っていたのか?」
「お父さんは、いつ知ったの?」
「ここに引っ越す直前。」
「やっぱりね。ねえ、お父さん、亡くなったお父さんは私にとっては酷い人だよ。私が高校に入学した時に、お前は実の娘ではないと言って私を強姦しようとしたんだよ。そこを間一髪でお母さんに見つかってね。逃げるように家から出ていったら、そのまま交通事故で死んじゃった。私はお兄さんが好きだった。私はあなたの一番でいたかった。私はあなたと結婚したかった。だから全部なかったことにした。戸籍上問題ないのだから黙っていれば問題ないでしょう。あの男を夫に選んだお母さんには女として負けたくないの。悩むなら、私たち家族を幸せにするために悩んでね。私の旦那様。」
美保は、志保と性格まで似ていた。最後まで真実を知らなかったのは俺だけだったようである。
その後、美保と志保は、それぞれ女の子を無事出産した。
秘密 舞夢宜人 @MyTime1969
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