知ってるか!

龍玄

異世界を体験しないか?

 「主文…」

 主文、その言葉は最悪の闇に射す一筋の光だった。死刑判決では被告の動揺を考慮し、後回しにされることが慣習だったからだ。

 「主文、被告人に無期懲役に処す」


 無期懲役か…。仲間は死刑を言い渡された。俺は生きられる。聞けば無期懲役と言えど三十八年程で会心の情があると判断されれば仮釈放が認められる場合もあるらしい。俺は十九だから五十七か…。はぁ~。刑務所に送致された俺は高齢者の多さに目を奪われた。ひ弱な男たち。若い時にそれ相応の罪を犯した者たちの成れの果てだ。俺は若くして足を踏み入れたのでうまくいけば六十手前で出所できる。刑務所暮らしに慣れ始めた頃、俺は高齢者の介護に回された。極悪人も今は車いすか介助がなければ何もできない。そんな爺が話しかけてきた。仮尺はあるのかって。おれは聞いた話として、模範囚で要られれば六十手前かと、と答えた。その爺が渋沢栄一が言っていたことを教えてくれた。渋沢栄一が誰かは知らないが歳を取ってからの話らしい。四十・六十は洟たれ小僧、六十・七十は働き盛り、九十になって迎えがきたら百まで待てと追い返せ、と。

 ああ、あれがやりたい、これが食べたい、と思っても叶わない。思えば思う程、妄想が広がり今の境遇に絶望しかない。それも哀れと思わせる高齢者を見ると俺はまだましだと思えるようになった。娑婆では思ったこともない高齢者への労わり。当然だがやりたいことなど何一つ叶わない。生きて刑務所をでる。それが今、俺に出来る唯一の抵抗だった。模範囚になれば最短で出られるチャンスを手に入れられる、そう信じて日々を過ごすしかなかった。

 そんな中、世話をしていた爺さんが認知症のまま他界した。俺は初めて寂しさを感じた。同時に被害者の家族の悲しみを感じられたのかも知れない。俺はこの爺さんみたいにこんな所では絶対にくたばって堪るかとも思った。

 その後も何度か世話した爺さんを見送った。あの世ではなく娑婆に出た者もいた。にこやかに出て行く爺さんは嬉しさより不安の方が大きく見えた。年を取って娑婆に戻る。服役の時間が重なるのと同じく怖さも増していた。そんな時は出所後にやりたいことを考え、不安を払拭していた。

 判で押したような規則正しい日々。ただただ時間が過ぎていくのを受け入れるしかなかった。

 時は流れ、俺は念願だった仮釈放を手に入れた。四十年が経ち五十手前になっていた。出所日が決り、服役した日々が思い起こされた。触る者全てに噛みついて俺が哀れな爺を世話することで丸くなっていたのに気づいた。

 夢にまだ見た娑婆。テレビで世間の変わりようは知っていたが目の当たりにすると男も女も顔立ちやスタイルが別物のように変わっており、異国に来たような思いだった。物価も高く、キャッシュレスが進んでおり戸惑いは隠せなかった。タバコは倍以上に値段が高くなっていた。ビールの値段はタバコに比べれば驚きはなかった。

 老いも若きもスマホとやらに目をやっていた。米俵のようなコンピュータは板チョコのように薄く軽くなり、車が音もせず近づいてくる。静けさは脅威にも感じられた。

 刑務所から貰った報奨金は時給換算して五円にも満たなかった。普通に働けば一ヶ月で手に入る。それを俺は四十年も掛けて手に入れた。薄い封筒を見つめ、何てコスパの悪いことをしてしまったんだろう。なぜ、あの時に気づけなかったのだろう。自分が犯した罪の根底にあるのが無知であることを思い知らされた。

 街を歩くと香ばしい匂いに記憶が蘇った。出所祝いだと自分に言い聞かせラーメン屋に入った。ビールも頼んだ。ビールは記憶通りに旨かったがラーメンは違った。薄い味に慣れてしまった俺には濃過ぎて胃が受け付けなかった。後から頼んだ者が何人か出て行くのを見送ってやっとの思いで食べ終えた。

 出所してやりたいことの妄想と現実に戸惑いは隠せないでいた。何より女性と接したかった。風俗を覗くと昔よりは安く感じた。しかし、その内容は思っていたのとは違った。所持金を思えば、一瞬の快楽の為には使えなかった。以前の俺なら行き当たりばったりで挑んでいただろうが今は違っていた。

 身寄りのない俺は厚生施設を頼った。元受刑者や保護観察を受けた者など帰る家のない者の自立支援を行っている所だ。入所期間は六か月。その期間に仕事と済む場所を見つけなければならなかった。俺は無期懲役を喰らっていたので一生保護観察下に置かれ、月二回保護観察官との面接を義務付けられていた。人に言えない過去を持つ俺にとって娑婆で唯一、心置きなく話せる相手だった。履歴書に書くことがない。空白の期間は俺を追い込む起爆剤でしかなかった。空白だらけの履歴書。これが今の俺だった。

 一般の会社は無理だった。手を差し伸べてくれたのは元受刑者の職業支援をしてくれる団体からの仕事の斡旋だった。注意点は元受刑者であることがバレないようにすることだ。バレれば差別されたり弱みに付け込まれ重労働やイジメに会うからだと。それに耐えられず再犯する。その確率は二人にひとりだと聞かされた。黙々と真面目に働いた。その甲斐もあって安アパートに住みかを得られた。最小限の職場での会話。それでも楽しかった。しかし、長くは続かなかった。ネット社会が俺に襲い掛かって来た。俺と同じような事件が起き、その類似した事件が検索機能によって弾き出された。それを同僚が見てしまった。話には聞いたことがあった。被害者等通知制度も俺にとっては脅威だったがネットの世界の方が厄介だった。昔の事を今のように伝える。同僚たちは明らかに俺から距離を取った。近づいてくる者は興味本位だった。肩身が狭くなった俺は、職場を辞めざるを得なかった。

 当然だが犯罪者の集まりの刑務所とは娑婆は違う。蓄えが尽きアパートを出た。生活保護を受けようと役場に行くと現住所が必要だった。知っていれば…。後悔は、俺を窮地に追い込んだ。何とか日雇いの仕事を得られるが、仕事を選ばないが選ばれないのは俺だった。声を掛けられるのは反社の組織が絡んでいるような危ないものばかり。関わればまた刑務所戻りだ。俺は寒空に耐えた。異常気象とやらで寒さが厳しかった。刑務所が温かく感じられた。食べる物の心配は要らない、それだけでも自由という貧しさよりましに思えた。

 ある日、若い頃の俺のようなガキが面白半分でちょっかいを出して来た。逃げるしかなかった。因果応報。あの頃の俺は何も考えずあのガキらのように振舞っていた。何もかもが嫌になった。

 何の変哲もない生活をしている者に腹がっていた、なぜ、俺だけがこんな目に遭わないといけないんだ。怒りは正誤判断を狂わせる。空腹が俺を誘惑した。コンビニでパンと飲み物を上着の下に隠した。それが見つかり店員と揉み合いになり、取り押さえられた。取調のあと面接官と会った。俺は、こんな事ならあの時、死刑になっておけばよかったと言うと、それは虫が良しぎます。一生苦しんで一生償ってください、言われた。俺は再び刑務所に送致された。保護観察の実の上での犯罪。もう俺は娑婆には出てこれない。そう思いながら護送車の窓から見える微かな街の様子を目に焼き付けていた。


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知ってるか! 龍玄 @amuro117ryugen

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