3.過去の話

 観測所に戻ってロキからの言いつけを伝えきったチガヤは、再び泉へと向かおうとして、ジャンに引き留められていた。

「行かせて下さい、私なら大丈夫ですから」

「駄目だってばチガヤちゃんっ、まだ足がふらついてるじゃんかぁ!」

 森へと繋がる扉へと向かおうとするチガヤを、ジャンは後ろからしがみついて何とか抑える。

 しかしジャンは軍人ではなく、泉に流れ着くものを調べる為に派遣されている学者だ。観測所内では一番に非力な為、うまくチガヤを押さえ込むことができないでいた。

「あーっ! エリック達は信者たち運びで忙しいし! 俺はそこまで力ないし! ってか、チガヤちゃん力強くない?! 足ふらついてるのに凄いね?! だ、誰かぁぁっ!」

「何騒いでんのよアンタ」

「あっ、アルテぇっ! 良いところに!」

 ジャンがチガヤの腰にしがみつきながら後ろを振り返り、顔を輝かせた。そんなジャンに呆れ顔を見せながらアルテが駆け足で寄ってくる。

 アルテは私服の上から軍用コートを羽織っただけの姿だった。かなり急いで駆けつけてくれたのだろう、乱れた髪もそのままに、アルテは息を整えるとすぐに背筋を伸ばした。

「現状報告して。手短に」

「侵入者が森に入っている状態で火事が発生、ロキ所長が泉の御方を止めたことで収束してチガヤちゃんを保護、今はエリック達が気絶してる侵入者達を運び出してて、ロキ所長は御方のところにいる!」

「了解。チガヤちゃん、ちょっと話を聞かせて」

 腕をばたつかせているチガヤの肩を掴んで振り向かせ、アルテは視線を合わせる。チガヤの動きが止まったところで、彼女はあえてゆっくりとした口調で話しかけた。

「ロキ所長が泉に残っているのよね。怪我や火傷の様子はどうだったか覚えている?」

「え、えっと……」

 チガヤもアルテと視線を合わせ、少しだけ平静を取り戻したようだ。懸命に記憶を振り返り、口を開く。

「……大丈夫だったと思います。その、炎が消えたら景色が元に戻っていて、周りの人達も、燃えた痕が無くなってましたし……」

「そう。でもねチガヤちゃん、貴女は今あちこち傷だらけになっていることを自覚して」

 アルテに言われて、チガヤは自分の体を見下ろした。

 着ていたワンピースが土まみれになっており、手の甲や肘や膝が擦りむいて細かい傷があちこちにある。車の荷台に転がされたり、男の肩から地面に落ちたり、がむしゃらに動いた時についた傷なのだろう。

 それらに気付いた瞬間、傷口がひりひりと痛み出した。自分の状況をようやく理解しておろおろとしていると、アルテがふぅ、と息を吐く。

「わかった? 焦る気持ちはわからなくも無いけれど、少し休んだ方がいいわ」

「で、でも私、火神様の傍に行きたくて」

「泉に関することは、私たち、軍人の仕事よ。チガヤちゃんは関わらなくていいの」

「でも……その……」

 アルテに説得されるが、それでもチガヤは渋る。

 どうしても、行かなければという直感があったのだ。それが何故なのかはわからなかったが。

 と、チガヤの腰にしがみついたままだったジャンが声を上げた。

「じゃぁさ、俺がチガヤちゃんの手当をしながらやり方を教えるから、チガヤちゃんがロキ所長の応急処置をしてきてよ。火傷はないかもだけど、所長、かなり無茶な行き方をしてたから、道中で細かい切り傷作ってるかもだし」

「え、私が応急処置を、ですか?」

「泉の御方の前だと俺は動けなくなるし、ロキ所長もすぐにはこっちに戻って来れないだろうし。その点、チガヤちゃんは泉の御方の前でも動けるから、ロキ所長の様子を見てきてくれると俺たちとしても有り難いなぁ~って」

 そんな提案をするジャンに、呆れた声を上げたのはアルテだ。

「ジャン、アンタさ、侵入者たちの手当を命じられたりしてないの? あいつらのことは放っておいていいわけ?」

「あー、外傷はほぼ無いし、泡吹いてるから呼吸できてるかだけ確認したら、後は放置で大丈夫。精神面の治療は必要だけど、それは俺の専門じゃないから、どうぞ塀の向こうの檻の中でゆっくり養生してきてって感じ」

「こういう時は私たち以上にバッサリ斬り捨てるわよね、アンタ……」

 脱力するように息を吐いたアルテは、それなら、とチガヤに向き直った。

「なら、ついでにチガヤちゃんの髪も整えさせて。そんな髪の長さがぐちゃぐちゃの状態で神の前に行かせるなんて、させないんだから」


 ×××


 森の中はまだ少し空気が重かったが、先程までの息苦しさはなかった。

 ジャンから預かった救急箱を抱え、チガヤはできるだけ早足に泉へと向かう。少し休んだおかげで足もしっかりと動き、泉がある広場へはあっという間に辿り着いた。

 道中で意識の無い信者たちを運んでいるエリック達とすれ違ったのだが、どうやら彼らで最後だったようだ。泉の周りには誰もおらず、いつもの静けさが戻ってきている。

 広場入り口にある小屋――チガヤが泉に流れ着いて最初に目が覚めた場所――には人の気配が無いため、ならばとチガヤは泉の向こう側にあるもう一つの小屋へと目を向ける。あちらは青年の住処になっているはずだ。ロキはそちらの方にいるのだろう。

 駆け足で小屋前へと向かい、少し緊張しながら扉をノックし、そっと開ける。

 中は薄暗かった。が、窓際にあるベッドの淵に座っているロキを真っ先に見つけて、チガヤはホッと息を吐く。

 対するロキは、頭から手を離した状態できょとんとチガヤを見る。すぐには思考が追いつかなかったのか、暫くしてから「あぁ」と声を上げた。

「チガヤか……まぁ、そうか。こいつの前だと俺と君しか動けないしな。君が来るのが妥当か」

「はい、あの、ジャンさんに、手当の仕方を教えてもらいましたので、お二人の手当を」

 そう言いながら救急箱を見せると、ロキは納得して頷き、中に入るように促した。

 ベッドに近付けば、横たわっている青年の姿が見える。意識を失ったままでぐったりとして顔色が悪いが、呼吸は落ち着いているようだ。撃たれたはずの頭は元に戻り、血の痕すらない。

「あの、火神様は……」

「こいつは大丈夫だ。少し魘されているが、このまま寝かせてやった方がいい」

 そう言うロキの顔を見れば、孤児院で会話していた時と同じ表情をしている。あの、怒りと寂しさが混ぜ合わさったような目だ。

 チガヤは救急箱をベッド淵に置いて中身を取り出しつつ、おそるおそる、口を開いた。

「……あの……ロアン、というのは、火神様の名前なのですか……?」

 あの混乱の最中でも、ロキの叫びに近い声はチガヤにも聞こえていた。

 ロキが一瞬動作を停止し、息を詰める。聞いてはいけないことだったかと慌てるチガヤに、ロキは長く息を吐き出し、首を横に振った。

「……いや、チガヤには、話しておいた方がいいだろう……こいつとも関わりが深くなりそうだしな」



 ロキの話は、床の上で応急手当をしながら行われることになった。

 ジャンの予想通り、ロキも細かい掠り傷をつけていた。特に腕は、木の枝に盛大に引っかけただとかで服の下でも血が滲み出ている。救急箱に入っていた消毒液と傷薬を塗布し、チガヤが慣れない手つきで苦戦しながら包帯を巻いていると、考えがまとまったらしいロキが口を開いた。

「『ロアン』が神の名かと言うと……少し違う。正しくは、容れ物になっている体の方の名前だ」

「容れ物……?」

「君、水神に会っているだろう」

「ひぇっ」

 唐突に水神という単語がロキから発せられ、チガヤは肩を跳ねさせる。

 ロキは呆れた顔をした。包帯を巻くチガヤの手が止まっていることを指摘しつつ、ロキは続ける。

「水盆を部屋に持ち込んで何かをしているようだから、そういうことだろうとは思っていたが……まぁ、それなら話が早い。水神は魚の姿をしていただろう。神はそれぞれ適した姿をしているものなんだよ。後の後世で語り継がれる内に、少しずつ誇張されて伝わってしまっている例もあるが」

 確かにチガヤの故郷でも、水神は大きな蛇のような姿だと聞かされていた。実際は魚だったのだが。

 しかしそうなると、今ベッドの上で眠っている青年はどうなのか。

「邪神として堕ちる前の火神は、狼の姿をしていた」

 ロキはそう言い切った。

「世界が滅ぶ前に起きた戦争……あれは、火神を奉る国が独裁的な政策をし、他国に対抗し始めたのが切っ掛けだった。それが武力で物を言うようになり、より強力な兵器を作るようになり、最終的に、人同士の戦いに神々をも巻き込むようになった……その結果が、こいつなんだ」

 ロキはベッド上で眠っている青年へと目を向ける。

 青白い顔をしている青年は少し魘されているが、目を覚ます様子はない。

「当時、人と交流を持っていた神々の中で、人と一番距離が近かったのが火神だった。人好きな神だったんだろうな……それが裏目に出た。火神は捕らえられ、戦争を起こしたい者たちの手によって神の力を奪われ、兵器にされた」

 包帯を巻き終えたチガヤが、顔を上げる。

 ロキは更に続ける。

「その、兵器にする為に取られた方法が……兵器として扱いやすい容れ物の中に、火神から奪った力を無理矢理に入れる、という方法だった」

 容れ物。

 先程ロキは、『ロアン』は容れ物の名だと、言っていた。それはつまり。

「その容れ物が、人の姿を? ……もしかして容れ物って、人間のことなのですか? で、でしたら、『ロアン』というのは、容れ物にされた人の名前ってこと……?!」

 問いかけるチガヤの声が震える。

 ロキはただ頷く。眠っている青年から目を逸らし、息を吐く。

「当時にどんな技術が使われてこうなったのか、それはわからない。世界が一度滅んだ時にその技術も失われたはずだからな。ただ、俺たちが生きている今は、暴走した火神の力で再生された後の世界だ。歴史そのものまで再生されて、繰り返しになる可能性はある。だから俺たちは、こいつが兵器に立ち戻らないよう、観測し続ける必要があるということだ」

 そう言って、ロキは強引に話を終わらせようとした。

 しかしチガヤは、聞かずにはいられなかった。迷いながらも口を挟む。

「あのっ……なぜ、ロキさんはそのことを知っているのですか。世界が滅びる前のことは、おとぎ話以外は何も記録に残っていませんし、現存している遺跡からも何もわかっていないと言われているのに……それに、『ロアン』という名を、ロキさんはどこで知ったのですか?」

 声に出してみれば疑問は止まらず、質問ばかり投げかけてしまった。

 それに対し、ロキは押し黙る。

 言いたくないことがあるのか、顔を逸らし、深く息を吐く。

「それは……俺が――」


「そいつが『ローシュ』の生まれ変わりだからだよ」


 突然、違う声が割って入ってきた。

 次の瞬間、小屋の窓がバンッと音を立てて開かれる。と同時に突風が小屋の中を吹き荒れ、チガヤは「ひゃっ」と声を上げて身を屈め、ロキは腕で風から身を守りつつ後ろを振り向いた。

 バサリ、バサバサ、と音を立てながら小屋の中に侵入してきたのは、一羽の鳥だった。

 全身が真っ黒で瞳の位置がわからず、鋭い嘴を持っている。鳥は羽ばたきながら眠ったままの青年の傍に降り立つと、顔をロキとチガヤに向け、嘴を開いた。


「やれやれ、また変な暴走の仕方をしていると思って様子を見に来たら、なんだよこのザマは。せっかくボクが翼を貸してやってるんだから、しっかりしてくれよ。ローシュ」


 声は鳥から発せられているようだった。小さな子供のような、男性にも女性にも聞こえるような明るい声で、嘴をパカパカと動かしながら鳥が喋っている。

 顔を上げたチガヤが呆気にとられている傍らで、ロキが焦ったように声を荒上げた。

「黙れよバカ鳥。その名で呼ぶな」

「ボクは印象に残っている名前でしか呼ばないんだよ。悔しいなら、今の名前で功績を上げることだ。ね、ローシュ」

 焦るロキに向かってそう言い返した後、喋る鳥は嘴をチガヤへと向けた。

 嘴の先から尾羽の先まで真っ黒だが、内側から黒く輝いているように見え、ただの鳥には到底見えない。

 チガヤは我に返り、おそるおそる声を上げた。

「え、あの……もしかして、風神かぜかみ様、ですか……?」

「ご名答。ボクこそが四柱のうちの一柱、風を司っている神だ。お前がチガヤだね。水神から聞いてるよ。崖の上でも目が合っていたかな」

 黒い鳥――もとい風神は、子供のような声ながらも高圧的に応えた。

 常に上から見下されているような口調だ。横でロキが苛ついた顔で溜め息を吐く中、チガヤは困惑しながらも問いかける。

「ローシュ、って……おとぎ話に出て来る、『勇者ローシュ』のことですか? 邪神を討伐したという……」

「そうだよ。争いたい人間達の道具として利用されるだけされて、勇者だなんて呼ばれていた哀れな男のことだよ。そこにいる奴は、その勇者の生まれ変わりなの。そうだろ、ローシュ?」

 思わず勢いよく振り向いたチガヤは、ロキが眉間に皺を寄せて風神を睨み付けているのを見る。

 鋭い視線に込められているのは、怒りだ。しかし、それは風神の言葉を否定する為ではなく、彼の口から出たのは別の言葉だった。

「ローシュは死んだ。今の俺はロキだ。勇者なんかじゃない」

「ボクだってお前が勇者だなんて呼ばれて崇められているなんて、甚だ遺憾だよ。でも、生まれ変わりなのは事実だろ。現にお前には、ボクがローシュに与えた加護が残っているし、ボクの姿と声がわかる。それに、ローシュの頃の記憶だってある。だから再生前の世界のことを覚えているし、『ロアン』のことも――」


 と、ふいに風神の声が途切れた。

 風神の嘴を掴んで塞ぐ、手が伸びてきていた。


 意識を失っていたはずの青年が目を開き、風神の嘴を掴んでいた。


 ×××


 嘴を掴まれた風神が驚いて翼を広げ、足をばたつかせる。

 青年は嘴を掴んだまま起き上がると、開いたままの窓へと、風神を放り投げた。

 同時に、窓が独りでにバンッと閉まる。すぐに窓の外で羽ばたいて戻ってきた風神が何かを言うが、青年は耳を両手で塞ぐ。

「おい、こらっ、せっかくボクの浄化の力で邪気を吹き飛ばしてやったのに、礼のひとつもないのか?! お前ってば本当に、少しはボクのことを敬えってんだ! ふんだ、もう知らないからな、このバカっ!」

 窓の外からそんな風神の声が辛うじて聞こえてきていたが、耳を塞ぐ青年はまったく聞こえなかっただろう。風神は暫く騒いだ後、怒った様子でどこかへと飛んでいってしまった。

 チガヤは再び呆気に取られて、暫く固まってしまった。ロキも先程までの怒りを忘れたように硬直した後、はっと我に返る。

「……お、おい、お前……意識が戻ったのか」

 困惑しながらもロキが声をかければ、青年は耳から手を離してこちらを見た。

 青年の瞳が二人を映し、瞳の中にある炎が揺れて。


 次の瞬間、ロキとチガヤはぎょっとした。

 二人の姿を視認した青年の瞳から、ぽたぽたと涙が流れ始めたからだ。


 青年は何度か瞬きをした後、自身が涙を流していることに気が付いたようだ。ぽたぽたと落ちる雫を見下ろし、自身の頬に手を触れた後、目をゴシゴシと擦る。

 咄嗟に反応したのはチガヤだった。慌てて駆け寄ると青年の両手を取って握り、目を擦るのを止めさせる。

「だ、駄目ですよ火神様、瞼が腫れちゃいます……っ!」

 チガヤに手を掴まれ、青年は大人しく手を下ろしたが、涙は止まる様子はない。青年が瞬きをする度に大粒の涙が落ち、青年の服を濡らしていく。

 どうして涙が流れているのか、青年自身も困惑しているのだろう。取り乱すこともなく、ただ困ったように何度も瞬きをして涙で滲む視界をどうにかしようとしている。

 そんな青年の様子にチガヤがあわあわとしていると、後ろの方でロキが大きく息を吐き出す音が聞こえた。

「すまん、チガヤ、そのまま手を押さえておいてくれ。五分、いや三分で戻る」

「えっ、ろ、ロキさん?!」

 チガヤの返事を待たずにロキは小屋を飛び出す。

 かと思えば、本当にすぐ戻ってきた。

 ロキの腕には毛布とクッションが抱えられている。まずはクッションを青年に押し付けてそのまま青年をベッド上に押し倒し、更に上から乱暴に毛布を被せた。

 いきなり転がされて毛布を頭から被った青年は、もぞもぞと毛布から顔を出すと、濡れたままの目をロキへと向ける。

 ロキはそんな青年の頭をわしゃわしゃと撫でつけた。

「お前、疲れてんだよ。寝ろ。暫くここに居てやるから」

 撫でるロキの手に、青年は毛布の下で抵抗するように腕を動かしていたが、やがて力尽きたように動かなくなった。

 そっとロキが手を離してみれば、青年は押し付けられたクッションを抱き枕のようにしながら、目を瞑ってスウスウと寝息を立てている。


 それを確認して、ロキとチガヤはお互いに顔を見合わせ。

 そして、二人同時に、安堵の息を吐いた。


「えっと……聞いてもいいですか……?」

 眠る青年を前にすると、自然と声が小さくなる。チガヤは声を潜めながら、ロキを見上げた。

 ロキもチガヤが聞いてくることはわかっていたのか、黙って頷く。

「ロキさんが勇者の生まれ変わりだっていう、風神様の言葉は……」

「生まれ変わりかと言われると自分ではわからんが、神が言うなら、そうなんだろうな。事実、俺にはローシュの記憶がある。思い出したのは十二歳の時だったが」

 ロキが十二歳の頃というと、孤児院からエルドラン家へと引き取られた後の話だ。

 当時のロキはエルドラン家に引き取られた後も、孤児院にいた頃と同様に、感情が無い子供のままだったのだという。

「屋敷の中にずっと篭もってぼんやりする俺を、養父が気に掛けてくれてな。こいつに会えば何か変わるかもしれないと、二代目所長だった養父の権力を使ってこの場所に連れてきてくれたんだが……こいつの顔を見た瞬間に、ローシュの記憶を一気に思い出した。突然のことに混乱した俺は、気が付いたらこいつを殴り飛ばしていた」

「な、なぐ……っ?!」

「軍が保護している観測対象を、縁があるとはいえ部外者の子供が突然殴り飛ばしたんだ。本来なら厳罰モノだ。養父には迷惑をかけた。今も養父の墓前では頭が上がらない」

 はは、とロキは乾いた笑い声を上げる。

 が、すぐに青年に視線を落とす。青年に聞かれない小さな声で、呟くように言う。


「……ロアンは、ローシュの弟だったんだよ」


 その言葉にチガヤは、ああ、声が漏れた。

 度々見かけるロキの表情――怒りと寂しさが混ぜ合わさったような目は、ロキの中にあるローシュの記憶がそうさせていたのか。

「ローシュは最初、ただ弟を探したい為だけに戦っていた。敵国に攫われて行方がわからなくなっていた弟を、だ。だが、再会した弟はもはや人とは呼べない姿になっていて、物を壊すだけの存在に成り果てていた……あの時のローシュは、何もできなかった。折角見つけた弟を、見捨てることしか、できなかったんだ」

 そしてロキは、己の手を見下ろす。

「世界が滅んだ、あの日……完全に心を閉ざして抜け殻のようになっている弟に向かって、剣を振り下ろした事だけ、鮮明に覚えている。何もできないなら、せめて殺して楽にしてやろうと……ローシュができたのは、それだけだった」


 しかし、邪神は生き残った。

 己の暴走する再生の力によって、死ぬことすらできなかった。


 再び顔を上げたロキは、先程までの落ち込んだ様子から吹っ切った顔をしていた。

「だから今の俺は、こいつにできることを全部やると決めたんだ。その為に軍にも入り、観測所の所長に就任した。こいつを兵器にさせない。歴史まで繰り返させない。絶対に」

 誓いを言葉にするロキは、改めて決心したようだった。

 対するチガヤは、少しだけ困惑した顔をした。

 なにか、なぜか――

 が、チガヤは慌てて首を振り、考えを一旦中断する。そしてロキを見上げた。

「あ、えっと……でも、ロキさんも少し休まれた方がいいですよ。きっと皆さん、ロキさんが戻ってくるのを待っていると思います」

「む……それはそうだが……こいつに暫く傍にいてやると言ってしまったしな……」

「火神様の傍には、私がついています。駄目ですか?」

 尋ねるチガヤに、ロキは暫し考えた後、肩の力を抜いた。

 ロキとしても、自身の疲れは自覚していたようだ。チガヤが巻いた腕の包帯を見下ろし、んん、と声を上げる。

「じゃぁ、頼んでもいいか。観測所の様子を見てくるから、その間、こいつを見ていてやってくれ……ああ、それと、悪いがこいつのことを『ロアン』と呼ぶのは内緒にしてくれないか。こいつにロアンの意識が残っているのかわからないが、名を呼ぶことでこいつ自身を混乱させたくない。それに、観測所の皆にも、そこまで詳細には話したことがないんだ。君には風神の手前、話すことにしたが、風神のことを抜きにした場合どう説明すればいいのか未だ悩んでいてな」

「えぇっと……はい、わかりました」

 頷いてみせるチガヤに、ロキはようやく笑みを見せる。

 では頼んだ、と手を上げて小屋を出て行くロキに、チガヤは手を振り返して見送った後、ベッド上の青年を見下ろした。


 青年は魘されることなく、今は安心した様子で寝入っている。

 チガヤは床に座り込んで、ベッドの淵にもたれ掛かった。

「……私、ロキさんと風神様が言っていたこと……知っている気がする……」

 滅ぶ前の世界の話と。

 ローシュの話を。

 何故だか、聞いている内にぼんやりとした既視感を覚えたのだ。ロキには言えなかったが。

「…………私、どこで聞いたのだっけ……」

 ベッド淵にもたれ掛かりながら青年の寝顔を眺めていると、だんだんチガヤの瞼も重たくなってきた。

 張り詰めていた気が解け、疲労感が体に追いついてきたのか。チガヤはそのまま、うとうとと目を閉じた。


 ×××


 一方その頃、泉の中央にある岩に、黒い鳥が降り立った。

「まったく、世話のかかる奴だなぁ。自分に当てられた邪気も祓えないなんて」

 黒い鳥が言う。

 それに応えたのは、泉の中にいた白い魚だ。水面から顔を出し、小屋の方向を見る。

「仕方ないわよ。今のあの子に残っているのは、歪んでしまった再生の力だけだもの。一度完全に死んでから再生したらマシだったのだろうけれど、チガヤがいたから、躊躇っちゃったんでしょうね」

「ボクの浄化の力はあいつの尻ぬぐいの為にあるわけじゃないんだけどな! おまけにあいつ、ボクの扱いが酷いし!」

「寝てる子の枕元で騒いでちゃ誰だってそんな扱いをするわよぉ。そんなことより……」

 白い魚――水神は、空を見上げる。

 黒い鳥――風神も、空を見上げる。

「また、歴史が加速しちゃったわ」

「あぁ。このままだと、この世界は再び崩壊するね」

「世界が滅ぶか、わたしたち諸共に、あの子が壊れるか」

「今のボクらにできるのは見守ることだけ」

 そして二柱は、同時に小屋へと視線を向けた。

「でも、両方を救う為の鍵がようやく揃った。後はあいつらの頑張りに期待するしかないね」


 ×××


 目が覚めると、目の前に少女の寝顔があり、まだ夢を見ているのかと錯覚した。


 腫れている感覚がする瞼を何度か閉じたり開いたりし、自分がしっかり覚醒していることを確認した後、そろりと体を起こす。見覚えの無い毛布とクッションに少し戸惑い、記憶を振り返り、ようやく納得する。

 と同時に、胸を抑えた。古傷で痛む胸が、早駆けする鼓動で余計に痛い。

 視線を向ければ、少女はベッド淵にもたれ掛かり、腕を枕にしてうたた寝しているようだった。起こすべきなのだろうか、と躊躇っている間に、少女が「んー……」と声を上げる。

「……ふぇ……?」

 少女が頭を起こし、寝ぼけ眼でこちらを見上げる。

 そしてすぐに、今がどういう状況なのかと思い出したらしい。がばりと身を起こし、顔を真っ赤にする。

「わっ、ご、ごめんなさい、寝ちゃってましたっ」

 腕を枕にしていたせいで頬に痕がついてしまっているし、腰元まであったはずの髪が背の中頃程の長さになった影響で、寝癖があちこちに跳ねている。あわあわと手で髪を抑えたりと忙しい少女を眺めていると、今度は小屋の扉が急に開かれた。

 入ってきたのは、いつもの彼だ。

「ああ、起きてたか……チガヤ? どうした?」

「なっ、なな、なんでもないです! 大丈夫です!」

「そうか? ……そういえばチガヤ、髪を切られたというのは本当か? 運ばれてきた信者にチガヤの髪を掴んだままの奴がいて、アルテがそいつをしばき倒してやると息巻いていたんだが」

「えぇっ?! これは自分で切ったんです! 掴まれたのは本当ですけど、誤解ですし、さすがに可哀想なので止めてあげてください!」

 彼と少女がそんなやり取りをする。

 普段は自分が立てる音しかないこの小屋の中が、二人のおかげで賑やかだ。ベッドの上で呆然と二人を眺めながら、少しだけ、安心する。この二人がいるということは、まだ世界は、ちゃんと動いている。

 と、彼がこちらに顔を向ける。

「お前にも関係ある話だから、ここで言うんだが……今回、俺の屋敷が特定されてチガヤが攫われてしまったことにより、チガヤの保護場所を変えようと思っている」

「あ、そうだ、プリシアさん達は大丈夫でしたか? アルテさんがついていてくれてたそうですが……」

「屋敷の中は大丈夫だ。奴らも君にしか用がなかったらしいからな。ただ、場所が割れてしまった以上、再発する可能性はある」

「え? 再発って、あの人たちは捕まるんですよね?」

 少女が首を傾げる。

 彼は頷きながらも、厳しい表情をした。

「軍の所有地に武力行使で侵入したからな。当然、拘束する……が、奴らはほんの一部だ。狂信者集団『赤の使徒』は全国的に散らばっているし、元を絶たなければいくらでも湧いてくる。それについては今後対応していくが、とりあえず、当面の間はチガヤを安全に保護できる場所に移動させよう、というのが俺たちの結論だ」


 そういうと、彼は少女へ視線を向け。

 そして何故か、自分にも目を向けた。

 嫌な予感がする。と、彼を見返す。


「そういうことで、チガヤ。ここに住まないか」

「…………ふぇ?」

 すぐには言葉を飲み込めなかった少女が、少し間をあけてから声を上げる。

「正確に言うと、あっちの小屋の方だな。こいつの寝床は見ての通り何もないし人が住めるような物件ではないが、向こうの小屋は先代が作ったもので、家具を運び込めば一応住めるようには作られている。君の安全確保と同時に、こいつの保護観察も続けないといけないし、どうせなら一カ所にまとまって居てくれた方が俺たちとしては有り難い」

「え、いや、あの……えぇ……?」


 自分が呆れながら眺めていれば、少女はおろおろと自分と彼を交互に見る。

 そして、非常に困った顔で、口を開いた。


「……ど……どうしましょう……」


  第二章 死にたがり 完

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死にたがり邪神と嫁入りした生贄少女 第二章 死にたがり 光闇 游 @kouyami_50

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ