2.怒り

「――チガヤがいなくなった?」

 受話器越しにロキが怪訝な声を上げた。

 観測所に戻ってきて早々にかかってきた電話の相手は、休暇を取っているはずのアルテである。彼女はエルドラン邸にいるようだった。

「所長の自宅に勝手にお邪魔してすみません。休暇中に町で不審な集団を見かけて、追跡していたのですが」

「行動力は褒めてやるが、先に連絡を入れろと」

「それについては申し訳ないです。私の見間違いかもしれないと思って報告が遅くなってしまいました。でも、どうやら見間違いではなかったようです」

 受話器の向こうから聞こえるアルテの声は切羽詰まった様子である。

 ロキは息を吐き出して背筋を伸ばした後、聞こう、と一言告げた。


「先日の調査で遭遇した狂信者団体が、町に入り込んでいるようです」

「『赤の使徒』か」

「はい。あの時は仮面を被っていたので顔で判断できたわけではないですが、赤い物を必ず身につけて仲間を見分けているらしい言動と、隠れて武器を運搬しているのを見かけました。私たちが川に飛び込んで泉に流れ着いた後、放置してしまっていた軍用車をフィルが回収しに行きましたよね。その時に、行き先を尾行されていたのだとしたら」

「ああ、可能性はあるな」

「もし本当に奴らならチガヤちゃんが危ないと思い、こちらに駆けつけた次第です。ですが、門前に裁縫箱と子供服が入った荷物が落ちているのを発見。門が開けられた形跡はないことから、おそらく私が駆けつけるより先に、やつらに屋敷の前で誘拐されたのではないかと」

 裁縫箱と子供服は、チガヤが抱えていた荷物だ。

 やはり家まで送り届けるべきだったか、と一瞬後悔したが、すぐにロキは思考を切り替える。

「わかった。アルテはそこで待機。家の者の護衛をしてくれ。目的がチガヤなら家は関係ないとは思うが、屋敷の場所が知られてしまっている以上、安心はできない。プリシアを頼む」

「了解しました。所長もお気を付けて」

 通話が切れる。

 顔を上げて事務室内を見渡せば、部下たちがこちらに注目している。電話内容から大体のことは全員が把握したようだ。ロキは頷き、声を張り上げる。

「チガヤが行方不明になった。おそらく『赤の使徒』による誘拐だと思われる。エリック、壁の上から周辺の確認を頼む。ユークリッドとフィルは銃を持って観測所の入り口付近に待機してくれ。ジャンは持てるだけの重要資料を持ってシェルターへ運び込め」

 ロキの言葉に三人は頷いたが、一人納得しない様子なのはジャンだった。

「所長、チガヤちゃんの捜索はどうするんすか?! 早くチガヤちゃんを見つけて保護しないと……」

 が、そんなジャンの頭を小突いて止めたのはユークリッドとフィルである。二人は素早く装備を整えながら口々にジャンに言う。

「バカ、相手が本当に『赤の使徒』なら、目的地はここだろうが」

「あの子は狂信者から生贄認定されてたって報告書にもあっただろう? その狂信者たちが信仰しているのはどこのどいつだ?」

「あ、そうか、『赤の使徒』は泉の御方を悪い方面で信仰してるんだっけ……えぇ?! じゃぁそいつら、チガヤちゃんを泉の御方の供物にするべく、こっちに向かってきてるってことっすか?!」

 ようやく理解が追いついたジャンが声を上げた瞬間、ドーン、という大きな鈍い音と共に事務室内が揺れた。

 外から何かがぶつかったような揺れ方だった。ロキが顔を顰める。

「考えている暇はなさそうだな。各自持ち場に着け。ただし無理はするな、状況によっては奴らを森まで通す」

「えぇっ、森まで通す?! いいんすか、そんなことしちゃって?!」

 ジャンが驚いて再び声を上げる。

 ロキは至極冷静に、手にした防火コートを羽織った。

「あいつの周りで極力血を流したくない。負傷者が出るぐらいなら門を開く……とにかく、チガヤの奪還が最優先だ。奴らに隙を見て、チガヤを取り戻すぞ」


 ×××


 その頃チガヤは、ぼんやりする己の意識と戦っていた。

 手足が痺れて力が入らない。突然後ろから押さえつけられた際に、薬品の臭いがする布を鼻に押し当てられたのだが、それが原因だろうか。急激に意識が無くなり、気が付いたらどこかに転がされていて、ガタガタと体が揺らされていた。

 この振動には覚えがある。車の中だ。どうやら車の荷台に転がされているらしい。一体どこに運ばれているのか。

 瞼を持ち上げるのも一苦労で、自分の体がどうなっているのかもわからない。なんとかしなければ、と指先に力を込めるも、辛うじて人差し指が動かせるだけで、この場を逃げ出すことなんて出来そうに無い。

 そうしている間に、唐突に振動がなくなった。

 車が停車したのか。バタンバタンと車の扉が開け閉めされる音と、人が近付いてくる気配を感じて、チガヤは慌てて気を失っているフリをする。

「――まだ目が覚めていないようだな」

「覚めてもらっちゃ困る。大人でも丸一日寝るような薬を使ったんだ。ここで逃げられるのは勘弁だぜ」

 その時、突如として爆発音が聞こえた。

 と、再び近くで爆音が鳴り響く。目だけを動かして音が鳴った方角を見て、呆気にとられた。そこにあったのは、武器に知識がないチガヤでも見てわかるような、台車に積まれた大砲だったからだ。

「くそっ、頑丈な壁だな。ヒビすら入らねぇのか」

「もういい、入り口にぶっ放せ! 死人が出ようが関係ない!」

 狂信者達の会話が聞こえてきて、ゾッとする。

 故郷でもそうだったが、彼らは負傷者どころか死者が出ようと構わないほどの過激派だ。このままでは観測所が大変なことになる、とチガヤは力の入らない手足を再びなんとか動かそうとする。

 が、ふいに狂信者達が動揺するような声を上げる。

「門が開いたぞ!」

「反撃が無い……俺たちを通すということか?」

「罠かもしれないぞ」

「いや、こっちには生贄がいるんだ。奴らにとっては人質であるし、生贄を盾にすれば……」

 不穏な会話が続き、暫くして一人の男が近付いてくる。再び目を瞑ったチガヤは、すぐに自分の体が持ち上げられて肩に担がれたのを自覚した。

 少々腹部が苦しいが、こうなると体に力が入らない方がかえって助かる。意識があることを気付かれること無く運ばれながら、チガヤはこっそりと目を開け、見える範囲で辺りを確認した。

 武装した狂信者達は観測所の門を抜け、壁内部へと突入する。そこにロキ達の姿はないようで、辺りを警戒しながらも狂信者達は順調すぎるほどに奥へと進んでいく。

 そしてそのまま、彼らは泉がある森へと続く扉に辿り着いた。簡単すぎる道中に狂信者達も呆気にとられた様子ながらも、扉をこじ開け、見えた風景にそれぞれ声を上げた。

「ここが神域か……!」

「情報通りだ。だとしたら、ここに」

「ああ、我らの神がいるのだな」

 口々に言い合いながら森へと足を踏み入れた狂信者達だったが、チガヤだけはすぐに違和感に気が付いた。


 それはチガヤを担いでいる男が森へと一歩を踏み出した瞬間に、強烈に感じ取れた。

 空気が重いのだ。

 過去に二度、ここに来たことのあるチガヤは、この森の空気が清らかで澄んでいることを知っている。だというのに、今は空気が酷く重く、息苦しく感じるほどだ。

 それに、ビリビリとした、威圧感。

 まるで森全体から監視されているかのような、殺気立つ視線。


 狂信者の一行が奥へと進むにつれて、それらはより強くなっていく。最初こそ感嘆した様子だった狂信者達も、徐々に口数が少なくなっていき、彼らの歩みに戸惑いが混じり出す。

 そんな彼らの様子につられて体が震えそうになるのを必死に堪えるチガヤは、ふと、もう一つの違和感に気が付いた。

「……?」

 薬のせいで薄れていた意識が、段々と霧が晴れたようにハッキリとしていっている。気付かれないようにそっと指先に力を込めてみれば、思うように動かせた。地面に足を着けられたなら、立つぐらいはできるかもしれない。

 そんな希望がチガヤに見えたところで、一行はついに泉がある広場へと辿り着いてしまったようだった。チガヤを担いでいる男が立ち止まり、息を呑むのを間近で聞く。


 ああ、とチガヤは理解する。

 おそらく、すぐそこに、青年がいるのだ。


 空気が更に重くなり、呼吸が苦しくなる。狂信者の一行は完全に足を止め、硬直してしまった。

 四方八方から浴びせられる強烈な視線と、威圧感。

 その中心にいる、白髪の青年。

 彼らも青年に対面してようやく、それが拒絶の意志なのだと本能で感じ取ったのだろう。そして、自分たちの信念が、この神に対しては全くの筋違いだったということも。

 この瞬間、狂信者達に襲いかかったのは、恐怖感である。自分たちのことを異物だと判断され、言葉もなく拒絶され、敵対視されていることに、狂信者たちは理解してしまったのだ。


 そして、恐怖に支配されてしまった人間は、時に思いかけない行動をする。


 森に、銃声が響き渡った。


 ×××


「――マズい……」

 呟いたのはロキだった。

 観測所の屋上から狂信者達の隙を窺っていたロキの耳にも銃声は届き、同時に、泉がある広場で人影が後ろへと倒れ込むのを見た。

 望遠鏡で覗かなくてもわかる。あの倒れた人影は、間違いなく白髪の青年だ。

 傍で共に様子を窺っていたジャンが一瞬遅れて声を上げる。

「撃った?! えぇっ?! 何してんだよ、あいつら!」

「ジャン、医務室を解放して怪我人を受け入れる準備をしろ! フィル、ユークリッド! 観測所内まで退避、俺が合図するまで観測所から出るな! エリックはアルテへ連絡、応援を呼んでくれ!」

「え、ちょ、所長?!」

 即座に指示を出したロキが、屋上から身を乗り出したと思えば、躊躇うこと無く飛び降りた。

 仰天して屋上から下を見下ろしたジャンは、ロキが屋上から一番近い木の枝にぶら下がっているのを発見する。ロキはそのまま木々の枝を伝いながら飛び降りていき、あっという間に地面に降り立った。

「びっくりしたぁ……時々、人間離れした動きするんだよなぁ、所長……」

 はぁ、と安堵の息を吐いていると、後ろから駆けてくる足音が聞こえてきてジャンは振り返る。

 エリックだ。ロキがどこか聞かれ、ジャンは泉へと走り出しているロキを指差した。

「相変わらず所長は……先行していたフィルとユークリッドは」

「所長と入れ違いで中に入るのを見た! とりあえず俺たちも合流して――」

 ジャンの言葉が途切れる。

 突然辺りを熱気と突風が巻き起こり、ジャンとエリックは咄嗟に森の方向へと目を向けた。

 彼らの目に写ったのは、一瞬にして森全体を包んだ、赤い炎だった。


 ×××


 銃声が鳴り響いたその時、チガヤは地面へと落とされていた。

「っ、火神様」

 正確には銃声を聞いたチガヤが咄嗟に暴れて男の肩から地面へと落ちたのだが、地面に打ち付けた体の痛みには構わず、ジタバタと地面を這いつくばりながらチガヤは声を出した。

「火神様、火神様っ」

 あの銃声で誰が撃たれたのか、すぐにわかってしまっていた。狂信者の誰も倒れず、生贄として連れてこられたチガヤ自身も無事だとなると、残るはあの青年しかいない。

 まだ思うように力が入りきらない手足を無理やり動かし、顔を上げて泉の方へと目を向ける。

 そこには仰向けに倒れている誰かがいる。そして、それは見間違いようもなく、あの青年だった。

「っ……!」

 地面に這いつくばっているチガヤからは青年がどうなっているのかが見えないが、青年の周りに鮮血が飛び散っているのを見つけてしまって、息を呑む。おかげで叫び声は上げなかったが、代わりに、チガヤの体は初めて見る凄惨な光景にガタガタと震えた。

 一体誰がこんなことを。

 辺りに突っ立っている狂信者達へを見渡したチガヤは、更に呆然とした。

「な、何だっ、何が起きたんだ」

「俺じゃない、俺じゃないぞ!」

「足が! 足が動かない!」

「どうしてこんなことに?!」

 全員が発狂している。手足が震え、動くこともできずに、混乱した声だけがあちこちから悲鳴のように聞こえてくる。

 チガヤも混乱した。青年を撃ったのは彼らではないのか。

 狂信者達の混乱は治まることはなく、血走った目が、唐突にチガヤを捕らえた。

「そうだ、生贄を」

「生贄を殺せば、我らは許される」

「生贄を捧げれば、我らの神は」

 狂気に駆られた視線を一身に浴びせられ、チガヤは体中からザッと血の気が引いていくのを感じた。

 慌てて足に力を入れて逃げだそうとするが、動作が鈍い今のチガヤではすぐに動くことができず、傍にいた男に髪を掴まれてしまう。ぐい、と髪を引っ張られ、思わずチガヤは顔を顰めた。

「いっ……は、離してっ」

 と声を上げたその時、男達の動きが唐突に停止した。

 髪を掴まれたままチガヤも顔を上げる。


 倒れていたはずの青年が、いつの間にか立ち上がっていた。


 少し距離があるために、青年がどういう状態になっているのかハッキリとは見えない。

 いや、見えなくて良かったのだろう。

 頭部を撃たれたのか、青年の顔と白髪は血で真っ赤に染まっている。更に、立ち上がったことでボタボタと血が滴り落ち、青年が着ている白い服すらもあっという間に赤く染まっていく。

 その出血量は、ただの人であれば立ち上がることなど不可能なほどに致命傷であるのに、青年はふらつきながらも、両足で確実に地面に立っていて。

 そんな状態の青年が、ゆっくりと血まみれの顔を上げる。

 青年の視線が、チガヤへと向けられた。立ちすくんでいる狂信者達には目もくれず、彼はチガヤを真っ直ぐに見据え。

 そし、てダラリと下げていた腕を、チガヤへと、ゆらりと伸ばし。


 刹那。一瞬にして、辺りは炎に包まれた。


 反射的に目を瞑ったチガヤは、すぐに目を開いて絶句する。

 全てのモノが燃えている。

 周りの木々も、地に生えている草も、泉の周りも、そして人も。

 火に巻かれて服に燃え移った狂信者が悲鳴を上げている。が、足が動かないのか、逃げ出したくても逃げられないようだ。火達磨になっていく狂信者達の恐怖に歪んだ顔が、この場の混乱を加速させる。

 そして炎はチガヤにも迫っていた。熱気がすぐ近くにまで来ている中、チガヤは青年の姿を探す。


 青年の体はすでに炎に包まれていた。


 この場にいる誰よりも真っ先に炎に巻かれてしまっていたのか……否、おそらく、この炎の発生源は青年自身だ。その証拠に、青年が流した鮮血、そこから発火しているように見える。

 しかし彼は燃えながらも微動だにしていなかった。それどころか、流した血が燃えながら蒸発し、赤く染まっていた服や肌が元の色味に戻っていく。まるで、光景が巻き戻っていくかのように。

 再生の力。

 火神が持つとされる、奇跡の力。

 この炎は火神の力が暴走したものだ。直感的にそう理解したが、そうであるならば、この状況は非常にマズい。

 何故なら、おとぎ話では、暴走した炎で世界が滅んでいるのだから。

「火神様……っ」

 手足に力を込めて青年の元へ行こうとするが、チガヤの髪は狂信者に掴まれたままだ。その狂信者は発狂して体が硬直してしまっているようで、強ばった表情で叫び声を上げている。

 と、髪を掴んでいる狂信者の腰元に、ナイフが下げられているのを見つけた。咄嗟に手を伸ばし、ナイフを抜き取ると、躊躇無くチガヤはその刃を己の髪に宛てる。

 切れ味が鋭い刃は、ざっくりと、掴まれているチガヤの髪を切り離した。

 勢いよく前へと飛び出して、バランスを崩して地面に手をつく。すぐに顔を上げ、足に力を込めて立ち上がる。


 その時、チガヤとは別に動くものが、青年に飛びかかった。


「止めろ! また兵器になるつもりか!」

 ロキだ。

 燃えている青年の両肩を掴み、声を張り上げる。

「彼女は無事だ! 正気に戻れ! このままじゃ彼女まで燃えてしまうぞ!」

 ロキの声が聞こえていないのか、青年の目の焦点が合っていない。そうこうしている内に青年の肩を掴んでいるロキの手がジュッと嫌な音を立てて燃え移る。

 が、ロキは怯まなかった。それどころか青年を揺さぶり、怒鳴りつけた。


「っ、いい加減に、俺の言うことを聞け! 『ロアン』!」


 青年の体が震えた。

 虚ろだった目が見開かれ、ハッとした様に表情が強ばる。視線がロキとかち合い、ようやく、自分を揺さぶっているのがロキだと気付いたようだ。

 口を開いたが、何を言ったのかはわからない。おそらく声にもなっていない。


 だが次の瞬間、唐突に、今度は炎が掻き消えた。


 焼け焦げた痕跡も、煙すらなく、まるで炎自体が幻だったのかと錯覚するように、景色が全て元に戻っている。

 チガヤの後ろで硬直が解けた狂信者たちがバタバタと倒れた。全員気絶しているようで、泡を吹いている者もいるが、生きてはいるようだ。

 チガヤは改めて足に力を入れて、青年の元へと向かう。

 青年はいつの間にか跪き、心臓の辺りを手で押さえていた。ロキがその体を支え、声をかけている。

「おい、しっかりしろ……落ち着け、大丈夫だから」

 蹲った青年が口から血を吐き、その血がすぐに炎となって蒸発していく。上手く呼吸ができないのか、ゼェ、ゼェ、と荒い音がチガヤにも聞こえた。

「火神様……っ」

 青年の元に駆け寄り、膝をついて視線を合わせる。

 チガヤが来たことに青年も気付いたのか、僅かに顔を上げ、チガヤの姿を見た。

 青年の瞳にある炎が、少し揺らぐ。まるで、チガヤの無事を視認してホッとしたかのような。


 そして青年は意識を手放した。


 くたりと脱力し、体を支えていたロキへともたれ掛かる。

 ロキも安堵の息を吐く。青年の呼吸音が少し落ち着いたのを確認し、チガヤを振り向いた。

「チガヤ、動けるか」

「は、はい……あの」

「すまないが、フィル達を呼んできてくれないか。それからジャンに、侵入者達に怪我や異常がないか診察するように伝えて欲しい。俺は、こいつを運ぶから」

「え、でも、私も」

「チガヤ」

 ロキにしては、覇気の無い声だった。 

「こいつがいると、俺と君以外は動けない。だから、俺がこいつを運んで、皆を呼んでくる役を君に任せたい……それと、少しの間、二人にさせてくれ」

 普段であれば誰であっても見せることのない疲れを隠すこともできない様子で、ロキは言う。

 そんな風に言われてしまうと、チガヤには断ることができない。少し迷いながらも頷けば、ロキは意識の無い青年を肩に担ぐ。


 そしてロキは青年を、広場の奥にある小屋へと運んでいった。

 その後ろ姿を見届け、後ろ髪を引かれながらも、チガヤはふらつく足で観測所へと駆けだした。


 ×××


 青年が寝床にしている小屋の中には、ベッド以外、何も無い。


 神域の中にある為か手を加えなくても埃はないが、その分、生活感もまったく無い。狭い室内にはカーテンの無い窓際にベッドがあるだけで、そのベッドでさえ、背宛てになるクッションがぽつんと乗っているだけだ。

 ロキとしても小屋の中にまで入ったのは数回しかないが、極端すぎる部屋の様子には毎回溜め息が出る。


 開けた扉を閉め、ベッドに向かい、肩に担いでいた青年をベッドに降ろす。


 薄暗い室内で見る青年の顔は、明るい日の下で見るよりも顔色が悪く、目の下には黒々とした隈がある。更に意識が無い今の状態は、余計に酷く、青白く見えて仕方が無い。


 その顔を暫く眺め。

 ベッドの端に腰掛け、ロキは頭を抱えた。


「――ロアン……」

 咄嗟に、呼んでしまった名だった。

 決して呼ばないように、と思っていた名だった。

 いつも、大事な局面で、自分は一言多く口走ってしまう。

 あの時も、今回も。

 そうして案の定、青年はその名で反応した。そうなると、もう、ロキはこの事実を認めることしか出来ない。


「ロアン……お前、まだ、そこにいるのか」


 ロキの独り言は、意識の無い青年に届くわけもなく、ただ空虚に掻き消えていった。



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