10.侍女は、反省する。



 使用人用の待機室へ向かいながら、メリッサは隣にいるララを睨んだ。



「ねぇ、ララ。さっきのはないと思うわ」

「え? さっきのって?」

「愛のない結婚生活を、という奴よ。あなたに悪気がないのは分かっているけれど、それでも言っていい事と悪い事はあるでしょう?」

「それは、はい、分かっています」



 ララは眉を下げ、肩も落とす。



「あれは、流石に自分でも、不味かったって思っているの。本当に。ただあの時は、つい口が滑っちゃって」

「よりによって、何故姫様の前で滑らせるの。ただでさえご自分のご婚約について、女王様と喧嘩されている最中だというのに。ベッドに伏して嘆かれていた姫様のお姿を、あなたはもう忘れたの?」

「そ、そんなわけないじゃない。メリッサと一緒に姫様を慰めた事は勿論、姫様のお気持ち一つ、お言葉一文字だって、忘れていないよ」



 次の日に、何事もなかったかの如く笑うリーセロットを見て、泣きたくなった事だって、ララはきちんと覚えている。忘れるなんて出来なかった。



 なのに、何故自分はあんな事を言ってしまったのか。



 国の為、国民の為に、誰とも分からぬ相手と結婚し、愛のない一生を送るかもしれない、一人の少女の目の前で。



 ララの背中が、どんどん丸くなっていく。頭を垂れ、後悔の入り交ざった息を吐き出した。




「……まぁ、ララの気持ちも分かるけれどね。兄弟がそういう煮え切らない態度を取っていたら、私だって腹を立てると思う。相手の子を可愛がっているのなら、尚更ね」



 ララは、下を向いたまま、小さく首を上下させる。



「私達は、貴族だから。必ずしも、自分の望む人生を送れるわけではないでしょう? 姫様は、特にそうで……なのにヘンドリックは、好き合った相手と添い遂げられる立場にいるのに、うだうだと中途半端にして。母親に逆らってまで苦しんでいる女の子がいるというのに、あいつは自分がどれだけ幸せかも理解しないで。そういうのを見ていると、なんか……苛々しちゃって」



 メリッサは、何も言わずに相槌を打った。宥めるように、ララの背中を擦る。




 と、不意に廊下の反対側から、男が一人現れる。



 臙脂えんじ色の侍従服を纏い、洗練された所作で近付いてきた。




 王女付き使用人を統括する若き班長の登場に、ララとメリッサはすぐさま廊下の端へ寄った。姿勢を正し、「お疲れ様です、カイ班長」と揃って頭を下げる。



「お疲れ様です、ララさん、メリッサさん」



 カイと呼ばれた男は、眼鏡を持ち上げると、徐にララを見下ろす。



「……何ですか、その暗い顔は。今すぐお止めなさい。王室に仕える使用人たるもの、いかなる時も悠然と佇んでいなければなりません。特にあなたは、次代の女王陛下付きの侍女なのですよ。己の感情位、律せずしてどうします」

「は、はい。申し訳ございません」



 深々と腰を折るララを一瞥すると、カイはメリッサを振り返った。



「メリッサさん。リーセロット様のご様子は?」

「姫様は、お部屋でお休みになられるそうです。なので、次の移動までは、人払いをするようにと」

「分かりました。では、そのように手配します……ララさん」

「はいっ」

「アレックス公爵のご子息であるアルテュール様が、あなたと遊びたいそうです。ハウトスミット宮殿へ戻り次第、しばしあなたを借りても良いかと、リーセロット様にお伺いを立てて欲しいとの事でしたので、後で確認をお願いします」

「は、はい。畏まりました」

「よろしくお願いします」



 では、とカイは、颯爽と去っていった。




 真っすぐ伸びた背中が見えなくなった途端、ララとメリッサの口から、息が吐き出される。



「相変わらずの威圧感ね……現れるだけで空気が引き締まるというか、背筋がすっと伸びるというか」



 メリッサは、軽く首を振った。



「でも、やっぱりルーベルトにそっくりだよ。一度でいいから、眼鏡を取ってくれないかなぁ」



 どこかうっとりとした顔で、ララはカイが去っていった方向を眺める。



「……あなた、怒られていた癖に、そんな事を考えていたの?」

「いや、だって、それとこれとは、話が別でしょう?」

「別なんて言っているから、毎回毎回カイ班長に注意されるのよ」



 と、呆れ気味にララを一瞥した。




「ま、まぁまぁ、いいじゃない。それより、早く待機室へ行きましょう。私、今日はとっておきのお菓子を持ってきているの。メリッサにもあげるね」

「あら、ありがとう。リコリス菓子でなければ頂くわ」

「大丈夫大丈夫。黒くもなければ不味くもないから、安心して」



 そう自信満々に胸を張って歩き出すが、ララはすぐさま「あっ!」と足を止めた。



「いけない。私、これ持ってきちゃった」



 スカートのポケットから、『赤の騎士』の三巻を取り出す。リーセロットに貸そうと思っていたのに、すっかり忘れていたのだ。




「ちょっとこれ、姫様にお渡ししてくるね」

「今? 折角寛いでいらっしゃるのだから、後にしたら?」

「でも、二巻は三巻とセットで読むからこそ面白いの。片方だけだと、続きが気になって絶対に眠れなくなるから。ついでに、アルテュール様と遊んでいいかも聞いてくる。お返事は早い方がいいでしょう? すぐに戻るから、先に待機室へ行ってて」



 ララは、足早に王女がいる控室へと引き返した。扉をノックし、声を掛ける。



 しかし、返事はない。

 もう一度ノックをするも、やはり反応はなかった。



 もう寝てしまったのだろうか。それならば、せめて本だけでも置いておこう。そう思い、ララは静かに扉を開ける。音を立てぬよう注意しつつ、中へ入った。




「あれ?」




 リーセロットの姿が、ない。半開きの窓から吹き込む風が、カーテンを緩く揺らすのみ。




 ララは、リーセロットの名を呼びながら、控室を見渡した。

 すると、ソファーの上に残された『赤の騎士』の二巻と、一枚のメモ用紙に気付く。

 見知った文字に、ララはメモ用紙を拾い上げた。




 途端、息を飲む。




『授賞式までには戻ります。どうか心配しないで下さい』



 メモ用紙には、それだけ書かれていた。



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