9‐1.王女は、休憩に入る。



 公務を終えたリーセロットは、聖エヴェルス教会側が用意した控室へ戻ってきた。



「お疲れ様でございます、姫様」



 王女付きの侍女二人に微笑み掛けられ、リーセロットは僅かに肩の力を抜く。侍女の手を借りつつ、ティアラや赤いドレスをゆっくりと脱いでいった。




「そうだ、姫様」



 侍女のララは、ドレスをハンガーへ掛けると、臙脂えんじ色のスカートとエプロンの裾を翻した。



「少し前に、カイ班長から連絡がありました。この後予定していた孤児院への慰問が、急遽取り止めとなったそうです。どうも、子供達の間で風邪が流行っているようでして。姫様に感染ってはいけないと、先方から申し出があったとの事です」

「そう、分かったわ。では、お見舞いの品の手配をお願い。それから、便せんの準備も」



 ララは、「畏まりました」と笑い、赤茶色のワンピースを持ってくる。リーセロットは、広げられたワンピースへ足を入れ、袖に腕を通した。



「姫様。もう一つご報告がございます」



 リーセロットの背後でワンピースのボタンを留めていたもう一人の侍女が、声を上げる。

 リーセロットは、視線を侍女のメリッサへと流した。



「孤児院への訪問だけでなく、宮殿へ戻ってから予定されていたアレックス公爵との面会も、取り止めとなったそうです」

「叔父様も? 一体どうしたの? 昨日お会いした時は、お元気そうだったけれど」

「どうやらファビアン様と、夜遅くまで楽しくお酒を嗜まれたそうですよ」

「成程。つまりは二日酔いという事ね。全く、叔父様らしいわ」



 溜め息を吐くリーセロットに、ララもメリッサも苦笑を零す。




「そうなると、今日の私の公務は、夜にファント・ホッフ学院の講堂で行われる授賞式だけという事ね。そう考えたら気が楽だけれど、孤児院に行けないのは残念だわ。折角全力で遊べるよう、あなた達とお揃いのエプロンも用意してきたのに」



 リーセロットは、侍女二人が付けているエプロンを見やる。



 メリッサは喉を鳴らしつつ、リーセロットへローヒールの靴を差し出した。



「しかも今回は、ワンピースまで侍女服に似たものをお選びになりましたものね」

「そちらのワンピースにエプロンを付けたら、正に侍女という感じになりますよ、姫様」



 ララも、履き替えた公務用の靴を仕舞いながら、唇に弧を描く。



「そう? なら、いっそ侍女になり切ってみようかしら。『はい、姫様』『畏まりました』『失礼致します』……どう? それらしくなっていた?」



 リーセロットは、肩を竦めて微笑んだ。二人の侍女も、どこか気安い雰囲気で笑う。




「でも、どうしようかしら。こうも時間が空いてしまうと、何をしていいか分からないわ」



 着替えを終えたリーセロットは、ソファーへと腰掛ける。



 すると、ララが勢い良く振り返った。



「それでしたら、姫様。『赤の騎士』を読まれてはいかがでしょう? 一巻を読み終えて、今は二巻目に入った所だとおっしゃっていましたよね?」

「えぇ。でも本一冊では、流石に暇を潰し切れないわ」

「ご安心下さいっ。こんな事もあろうかと、三巻も持って参りましたっ」



 ララは、得意げに鼻の穴を膨らませて、スカートのポケットから本を取り出してみせる。



「あら、用意がいいのね。持ち歩いていたの?」

「はいっ。もう最高なんですよぉ。特に最新刊のラストなんか、涙で字が読めませんでしたっ」



 ララは、本ごと自分自身を抱き締めた。



「というのも、主人公のルーベルトが、遂にリーゼ王女への恋心を自覚するんです。でもルーベルトは騎士じゃないですか? リーゼ王女との身分差に苦しむんですよね。それはリーゼ王女も同じで、この二人のやり取りがもう切なくて切なくてっ。

 特にリーゼ王女の、『もし私が、ただの町娘だったなら……こんな想いをせずに済んだのかしら』って呟く所が、本当に辛いんですっ。これってつまり、ルーベルト達と一緒に旅をしていた頃に戻りたいって意味なんだと思うんですよっ。だってその時のリーゼ王女は、お城から脱走した直後だったので、町娘のリリィだと名乗っていましたからねっ。

 あの頃は何の憂いもなく彼の傍にいられたのに、今は笑い合う事も出来ず、ただただ胸が苦しくて……っ。あぁーんっ、切ないっ! 何これっ! もう最高っ! 一体この後二人はどうなっちゃうのぉーっ!?」



「……ちょっとララ。今は仕事中よ」



 メリッサは、紅茶を注ぎながら盛大に溜め息を吐く。



「あ、そ、そうだった。申し訳ありません、姫様。つい興奮してしまって」

「ふふ。ララの『赤の騎士』狂いは相変わらずね」

「いやぁ、お恥ずかしい」

「でも分かるわ。ララに薦められて読んでみたけれど、とても面白いわよね。冒険譚かと思いきや、恋愛やミステリーの要素も入っていて」

「ですよねっ。あの読者を翻弄させる感じが最高ですよねっ。しかも書いたのは、まだ十七歳の学生ですよっ? 姫様と同い年ですよっ? もう凄くないですかっ? ルイス君凄すぎですよねっ? 本当神様かって位凄いですよねっ!」



 目を輝かせるララに、メリッサは「また始まった」と呆れ混じりに首を横へ振る。そんなメリッサに、リーセロットは笑みを零した。



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