7.切り裂き魔は、中継役がお気に入り。
ニコは、パンネクック広場内に立ち並ぶ露店の前を、鼻歌混じりに進んでいく。首に巻いた赤いスカーフをたなびかせ、どこか幼い子供のように辺りを見回した。
ターゲットらしき女の姿はない。賑やかな男子学生の集団へ近付いていく女もいない。どうやらまだ広場へ来ていない、もしくは、男子学生達の元へ辿り着いていないようだ。
ならば、現れるまで一際派手なロングコートを羽織る恋人の男を監視していればいい、という事は、分かっているものの。
「んー、暇だなぁ」
ニコは顎へ指を当て、宙を見上げる。かと思えば、すぐさま踵を返した。
人混みを進み、妙に前髪の長い男の前で、立ち止まる。
「ねぇねぇ、中継さーん」
離れようとした男の腕を掴み、笑い掛けた。
「ターゲットが現れるまでさぁ、俺とお喋りしなーい?」
すると男は、前髪の下で盛大に眉を顰める。
「……ゲーム中におけるプレーヤーとの接触は、極力控えるようオーナーより仰せ付かっておりますので」
「大丈夫だよー。俺の方から誘ってるんだからさー」
「では言い換えます。私自身が、中継役としての仕事を全うしたいので、あなたの要望に答えるつもりはありません。また、答える義理もありません」
「えー。でも俺、今とーっても暇なんだよねー。だからー、俺と一番仲良しな中継さんとー、楽しくお話したいなーって思ってぇ」
「……私の記憶が確かならば、あなたと仲が良かった瞬間などないのですが」
「いっつも俺の中継役をやってくれてるじゃーん」
「それは、あなたが私を指名するからでしょう」
「だってさー、中継さんって、他の中継さんと違って、色々言ってくれるんだもーん。俺、面と向かって『馬鹿ですか?』って言われたの、初めてだったなー」
「その節は大変申し訳ございませんでした。つい本音が漏れてしまいまして」
「ほらー、そういうとこだよー? 俺が好きなのー」
「マゾですか?」
「うわー、真顔で聞かれたー。酷ーい」
うひゃひゃー、と笑うニコに、中継役は溜め息を吐く。
「……そろそろゲームに戻って下さい。でないと、相手を見失いますよ」
「はーい、ママー」
「こんな馬鹿、生んだ覚えはありません」
ふんと鼻を鳴らし、中継役はニコから離れる。
人混みの中に消える背中を、ニコは満面の笑みで見送った。
「んふふー。やっぱ面白いなー、中継さんってー」
切り裂き魔と謳われる自分を相手に、あれだけ物怖じしないなんて。
打てば響く会話も、心底ニコを馬鹿だと思っている目付きも、何だかんだで世話を焼いてくれる所も、ニコには新鮮で、何とも言えず心地良かった。
だから、ゲームの主催者であるロドルフに頼んで、彼を自分専属の中継役にして貰ったのだ。
少々面倒な交換条件を出されてしまったが、まぁ、それで彼と楽しくお喋りが出来るのだと思えば、我慢しよう。中継役当人は、全く嬉しくないだろうが。
「――そう思わなーい?」
ニコは、唐突に一歩横へずれた。向かい側からやってきた男の肩を掴み、反対の手で素早くナイフを抜き取る。
肉を貫通する感触が、掌から伝わってきた。
ニコは、呻く相手へ微笑み掛ける。
「大丈夫ー? もー、駄目だよー。女王の日だからって、羽目を外しちゃー」
親しげに声を掛けながら、男を連れて広場から離れる。
近くの路地へ入り、男を地面へ突き飛ばした。その拍子に、赤い液体が、ナイフの刺さった腹から滴り落ちる。
ニコは、ナイフを抜き取ると、蹲る男の顔へ手を伸ばす。皮膚を引っ張ったり、首を撫でたりして、変装していないか確認した。
「んー……中継さーん。ねぇー、中継さんったらー」
すると、ニコに張り付いている中継役の三人が、姿を現す。
「こいつさー、プレーヤー?」
「えぇ。二番の方です」
「二番かー。じゃあ、ジーンじゃないんだー」
ちぇー、と唇を尖らせ、ニコは顔を顰めた。反面、過去に自分を出し抜いた相手が、こうもあっさり殺されるとも思っていなかった。
もし殺されるのだとしたら、それは自分に対する冒涜だ。
ジーンは強い。
ニコが知る暗殺者の中で、断トツに。
そんな相手を、今日のゲームで完膚なきに叩きのめす。これでもかと甚振って殺してやる。その為に、珍しく勉強なんかして技術を磨いてきたのだ。絶対に負けない。もうあんな思いはごめんだ。
だからこそ、邪魔されないよう、他のプレーヤーは徹底的に排除しなければ。
「中継さーん」
ニコは、徐に腕を振り上げた。倒れた男の胸へ、刃を突き立てる。
「後始末、お願いしまーす」
ナイフの柄から手を離すと、踵を返して中継役達の脇を通り過ぎる。
「あ、それとー、後でそのナイフ、俺のとこまで届けて下さーい。勿論、綺麗に洗ってからねー」
途端、前髪の長い中継役の顔が、はっきりと歪んだ。口も、嫌だのいの形に変わっていく。
だが、声が発せられる前に、ニコは背中を向けた。
「よろしくお願いしまーす、ママー」
手を振り、さっさと路地を出た。背後から聞こえてきた舌打ちに、自ずと口角が持ち上がる。
「んふふー。きっと文句を言いながらー、綺麗に洗ってきてくれるんだろうなぁー」
それも、不本意丸出しの顔で。想像に容易い姿に、笑いが止まらない。
ご機嫌に微笑みつつ、ニコはパンネクック広場に戻った。一際派手なターゲットの恋人を捕捉すると、気付かれぬよう尾行していく。
賑やかな男子学生の集団は、立ち並ぶ露店を楽しそうに冷かしていた。かと思えば、徐に立ち止まる。
どうやらトイレ休憩を取るらしい。ターゲットの恋人を含めた数名が、近くの男性用トイレへ向かう。
中に入ったのを確認すると、ニコは適当な露天の前で足を止めた。商品を眺めるふりをしつつ、トイレの方向を窺う。同時に、プレーヤーらしき人間がいないかも探った。
少しでも邪魔者を減らせるように。
心置きなくジーンを殺せるように。
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