2.王女は、赤に飽き飽きしている。
リーセロットの乗る馬車が、大通りをゆっくりと進んでいく。
馬車のすぐ傍には、王室親衛隊の隊員で構成された王女付き護衛班が、馬に乗って控えていた。
王族を一目見ようと、沿道には沢山の人が集まっていた。赤いものを身に付け、王室一家の名前を呼んでは手を振っている。
そんな見物客を、リーセロットは馬車の窓から眺めた。答えるように胸元で手を振り返し、頭に装着したティアラに劣らぬ、輝かんばかりの笑みを湛える。
しかし。
「……目が痛いわね」
ぽつりと落とされた呟きは、表情に反して、冷めていた。
「何故あんなに赤ばかり着ているのかしら。いくら国のシンボルカラーだからといって、こうも一色に染まらなくてもいいと思うけれど。私みたいに、仕事があるわけでもないのだし」
リーセロットは、自身が纏う赤いドレスの裾を弄る。
「そもそもあの人達には、私の顔が見えているのかしら? 少なくとも、私の目には赤い物体が
投げ掛けるような声に、答える者はいない。王女付き護衛班が乗る馬の蹄の音が、断続的に上がるだけ。
「はぁ……本当に犇めいているわね。こうも沢山集まられると、手を止めるタイミングを失うわ。宮殿を出てからずっと振り続けているから、いい加減手首が痛いのだけれど。
でもここで止めようものなら、お母様にまた怒られるわ。『あなたには次期女王である自覚が足りない』などと言って、でも顔は今の私みたいに、王室スマイルを浮かべているの。ずっとあの表情を作っているから、もう戻らないのね。お父様もそう。だから私も、いつかはああなってしまうのだわ。あぁ、嫌だ嫌だ」
ふふ、と王族らしい笑顔を絶やさず、リーセロットは手を動かし続ける。
「望んで王族に生まれたわけでもないのに、何故このような事をしなければならないのかしら。いっそ天変地異でも起こればいいのに。いきなり地面が割れて、馬車が落ちてしまうの。そうして私は大怪我を負い、長期入院をする事となる。凄くいいと思わない?
こんな見た目だけの笑顔を張り付ける王女なんて、いようがいまいが、どちらでも変わらな――」
「リーセロット様」
つと、馬車の外から、低く落ち着いた声が上がる。
「国民は、今日という日を心より楽しんでおります。また、我が国のシンボルカラーである赤を身に付ける行為は、国を愛する気持ちと、王室への尊敬の表れでございます。それをどうか、否定しないでやっては頂けませんか」
馬に跨る護衛班班長は、辺りを警戒したまま、静かに口を開いた。
「また、その尊い御身に、戯れでも怪我を負えば良いなどと、おっしゃらないで下さい。リーセロット様のご苦労は重々承知ですが、それでも、あなた様の身に何かあれば、ノールデルメールに住まう民は嘆き悲しみます。どうかご自愛の程を」
淡々と語られた言葉に、リーセロットは笑みを湛えたまま、溜め息を吐く。
「ねぇ、ヴィルベルト」
「はい、何でしょうか」
「あなたが真面目な人だという事はよく知っているわ。職務に忠実で、王室親衛隊として、私の専任護衛班の班長として、よくやってくれている事も知っている」
「恐れ入ります」
「でもね、だからと言って、こんな小娘の戯言にも真面目に答えなくていいのよ? 適当に受け流したり、『そのような事を言ってはいけませんよ』と窘める程度で十分だわ」
「……左様でございますか」
「だから、これは戯言として言うけれどね。例え私が大怪我をした所で、何も問題ないと思うの」
ヴィルベルトの眉間へ、僅かに皺が寄った。
「だって、どう考えても国民には、馬車に乗る私の顔なんて見えていないでしょう? 仮に見えたとしても、いつも遠目からしか、それも一瞬しか会えない相手の顔立ちを、正確に把握しているとも思えない。だから、私と背格好のよく似た別人が、王族ですよと言わんばかりに手を振っていれば、気付かれないと思うの。つまり、王女は私でなくともいいというわけね」
「リーセロット様。それは」
「戯言よ、ヴィルベルト」
リーセロットの笑顔は変わらない。ヴィルベルトも、視線を辺りへ向け続ける。
「所で、後どれ位で教会に到着するのかしら? 今日はなんだか、いつもより進みが遅い気がするけれど」
「……安全面を考慮した結果、このような進行速度となりました。申し訳ございません」
「いいのよ。なんせ今日は、女王の日だもの。初代女王とノールデルメールの誕生を祝して、沢山の国民がわざわざ集まってくれている。そんな彼らにこうして手を振り、報いるのも、王族の務めだわ」
つと、リーセロットの口角が、微かに下がる。
「例え相手が、犇めいた赤にしか見えなくともね」
鼻を小さく鳴らし、輝かんばかりの笑みを張り付け直した。
ヴィルベルトは、何も言わない。ただ唇を固く噤み、辺りを警戒するだけ。
「はぁ……早く戻って、『赤の騎士』の続きが読みたいわ」
王女の願いは、民衆の歓声に飲み込まれた。
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