ある日、ある時、ある場所の赤

沢丸 和希

第1章

1.小説家は、とある作戦を決行する。



 ノールデルメール国にとって四月十七日は、一年で一番大切な日である。

 建国記念日にして、初代女王の即位式が行われた日であり、更には初代女王の誕生日でもあった。このめでたい日を祝して、四月十七日は『女王の日』という祝日に制定されている。



 女王の日には、ノールデルメールの各地で様々な催し物が行われた。とりわけ賑わうのは、首都にあるパンネクック広場だ。

 この広場は、ノールデルメール王室が住まうハウトスミット宮殿から近い事もあり、王族の乗った馬車が度々傍を通り掛かる。よって、公務に向かう女王一家を一目みようと、自国民だけでなく、観光客も押し寄せるのだ。露店や出し物も多く行われ、街は朝から活気に溢れていた。



 広場に面した大通りに集まる見物客達は、総じて国のシンボルカラーである赤を、どこかしらに纏っていた。女王への敬意を体現しつつ、王室メンバーの登場を、今か今かと心待ちにしている。あまりの興奮に身を乗り出し、整備していた警備隊員に注意される者も多い。




 そんな中に、一際目立つ男子学生の集団がいた。

 赤い服や装飾品だけでなく、赤いゼラニウムの花も身に付けている。

 ある者はシャツのポケットへ挿し、またある者は帽子に飾った。輪っか状に編んで、ブレスレットやネックレス代わりにしている者もいる。




「ふわぁぁ……」



 ルイスは、欠伸ごと口を手で押さえた。その拍子にずれた赤いキャップを、指で軽く直す。



「ん? どうしたよルイス。昨日、寝るの遅かったのか?」



 赤シャツを着たオットーが、目元を拭う幼馴染を振り返った。



「うん、まぁ、ちょっとね」

「どうせあれだろ。本読んでたか、小説書いてたかしたんだろ。で、寝るタイミングを逃した」



 ずばり的中してみせたオットーに、ルイスは苦笑いを浮かべる。



「いや、僕も、早めに寝ようとは、思ってたんだけどね。途中で筆が乗っちゃってさ。気付いたら朝だった」

「うひゃー、そりゃあ眠いわ。大丈夫なのかよ?」

「大丈夫だよ。締め切り前だと、徹夜明けで授業受けるのも、当たり前だし。これ位なら平気。もう慣れた」

「売れっ子作家も大変だなぁ。まぁ、無理はすんなよ? なんなら先戻ったっていいからな」

「そうだぞ、ルイス」



 オットーの後ろから、端正な顔立ちの男子学生が声を掛ける。

 真っ赤なロングコートを纏い、頭には、ゼラニウムがデコレーションされた赤い鍔広帽が乗っていた。一歩間違えれば痛々しくなってしまう恰好だが、当人の上品さと姿勢の良さのお陰で、左程違和感なく着こなせている。



「体調が優れないようなら、いつでも言ってくれ。遠慮はいらない。お前の不調を押してまで、私は自分の我儘を突き通したいとは思わないからな」

「ありがとう、ヘンドリック。でも、本当に大丈夫だから。友達の頼み位、叶えてあげる余力はあるよ」



 それに、と声量を下げた。



「実は僕、結構楽しみにしてたんだ。計画自体もそうだけど、上手くいけば、いいネタになるかもしれないからさ」



 そう言って唇に弧を描くルイスに、オットーとヘンドリックは苦笑する。



「お前って、見た目のわりに逞しいよなぁ」

「全くだ。一見したら、気弱な学生といった所なのにな」

「もしくは、不摂生気味の若手作家」

「違いない」



 顔を見合わせ、二人は深く頷く。周りにいた友人達も、「確かに」と笑った。




 不意に、歓声が沸き上がる。

 集まった人々は、同じ方向を見つめながら両手を挙げた。



 大通りの奥から、馬に乗った王室親衛隊の隊員が現れる。臙脂えんじ色の軍服を着た彼らに囲まれながら、二台の馬車もやってきた。天井にはノールデルメールの国旗が立てられており、先頭を行く馬車の側面には、現女王の国章が描かれている。



 辺りから王室一家の名前が叫ばれる。それに答えるかのように、女王夫妻と、二台目の馬車に乗る王女が、沿道へ向けて窓から小さく手を振った。頭に被る王冠やティアラに劣らぬ輝かんばかりの笑顔に、一層歓声は大きくなる。




「おぉ、女王様達のお出ましだ。相変わらず凄ぇ人気だなー」

「まぁ、ノールデルメールの象徴だしね。特にクリスティナ女王は、歴代一の名君とも謳われるお方なわけだし、そりゃあ一目見てみたいって思うよ」

「クリスティナ様だけではないぞ。王女のリーセロット様も、既に名君の片鱗を垣間見せていらっしゃるらしい。こんなに素晴らしい方に仕えられて誇らしいと、私の姉も実家へ顔を出す度に言っている」

「そういやヘンドリックの姉ちゃんって、王女付きの侍女なんだっけ」

「あぁ。お蔭でうちの家族は、全員リーセロット様に詳しいぞ。特に、兄の知識量は凄い。軽い気持ちで聞いたら後悔する程度には語ってくるんだ。それがファンの嗜みなどと言っていたが、正直気持ち悪いとしか思えないな。いくら悪気がないとはいえ、自分の預かり知らぬ所で自分の事を知られているなど、これ程気分の悪いものはない」



 眉を顰めるヘンドリックに、友人達も同情の眼差しを向ける。



「ルイスも気を付けるんだぞ。お前も、小説のファンだという人間に、気付いたら色々と探られている可能性がある。身の危険を感じたらすぐに言うんだ。いつでも相談に乗るからな」

「え、あ、うん、ありがとう。でも、僕は多分、大丈夫だから」

「何を言う。お前こそ危ないんだからな。現に私の姉は、その片鱗を見せている。お前の小説を周りへ布教するのは勿論、どこどこのシーン、と言えば、すぐさま何巻の何章の誰と誰のやり取りだと答え、更には暗唱してみせるんだぞ? 『赤の騎士』三巻分をだぞ? 中々の熱演を見せられる私の気持ちが分かるか? 実の姉に、何故こうも危機感を抱かなければならないんだ……っ」

「ま、まぁまぁ。落ち着けって、ヘンドリック。な?」

「そ、そうだよ。それに、僕としては、そこまで喜んで貰えて、凄く光栄だよ? まだデビューして二年足らずの若造を、そんなに応援して下さるなんて、本当、感謝の気持ちしかないと言うか」



 必死で宥めるルイスとオットーに、ヘンドリックは溜め息を吐いた。



「……まぁ、兎に角そういうわけだから、周りには十分気を付けろ。ルイスだけではない。お前達も、いつ誰がこのような被害に合うか分からないんだ。異変を察したらすぐさま相談するように。いいな。私はいつでも力になる」

「おいおい。私は、じゃなくて、私達は、だろ?」



 オットーは、手首に巻いたゼラニウムの花輪を揺らしてみせる。ルイスも、シャツのポケットに挿したゼラニウムを突いた。他の仲間も、各々が身に付けたゼラニウムを撫でる。




 ゼラニウムの花言葉は、『真の友情』。

 だからこそ、彼らは今日、この花を選んだ。




「……そうだな」



 ヘンドリックはふと頬を緩め、赤い花が飾られた帽子を触る。



「私達は、真の友情で結ばれた友の力になると誓おう。このゼラニウムに掛けて」



 少々芝居掛かった口調で、ヘンドリックは晴れやかに笑った。ルイス達も、唇と瞳に弧を描く。




 すると、唐突にオットーが、目を見開いた。



 かと思えば、僅かに顔を顰め、声を潜める。




「……総員、注目。体の位置はそのままで、俺の視線の先を確認せよ」



 その言葉に、各自ゆっくりとオットーの目線を追い掛ける。



 厳つい男を二人引き連れた、若い女がいた。

 金色の髪を巻いて、高い位置で二つに結んでいる。肌は白く、遠目からでも分かる程に滑らかだった。胸元が大きく開いた赤いワンピースを纏い、何かを探すように辺りを見回している。



 ラビットだ。

 仲間内で勝手に付けたコードネームが、音もなく口から零れ落ちる。



 全員、少なからず表情が歪んだ。特にヘンドリックは、眉間に皺も寄せている。




「敵は確認したな? では、速やかにこの場を撤退する。フォーメーションD」



 オットーの指示に、イエスボス、と答えるや、ルイス達は素早くヘンドリックを取り囲む。ヘンドリックは、若干身を屈め、赤い帽子を外した。そのままラビットへ背を向けて、そそくさと歩き出す。

 見つからないよう慎重に、且つ迅速に、商店街方面へと向かった。



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