強い男、弱い男、生身の私
食欲
【一話完結】 強い男、弱い男、生身の私
妊活アプリに生理開始の記録をして、ため息をつく。今月もダメだった。
「あら、さおりん、もしかして今月も来ちゃった? 顔色悪いわよ」
「園長……。そうなんです」
「妊活も大変ねー、さっさと女の子産んで、終わるといいわね!」
物言いに遠慮のない園長は、27歳のときに女の子のママになり、それ以来子作りはしていないという。男の子は大変だから。女の子ひとりいれば十分よ。
今の世の中、女の幸せは、「女の子ママになること」だ。私も、女の子を生みたくて妊活をしている。
夫である尚樹とは、マッチングアプリで出会った。レコメンド画面で、私にぴったりの相手として表示されたのだ。すべてのパーツが左右対称に整った、好みの容姿。社会基盤構築エンジニアという、よく分からないが地位が高いに違いない職業。深い声。
そして何よりも、私の望むものを見通しているかのように共感し、会話してくれる、最高のコミュニケーション能力。出会って1か月で結婚した。
結婚してすぐ、妊活をはじめた。精度の高い妊活アプリを駆使し、排卵日や産み分けを考慮しながらセックスをした。夫以外の男性と関係を持ったことはなかったが、痛みもなく、夫のやり方に身をゆだねているだけで良かった。
なのに、なかなか妊娠しないのだ。なぜだろう。
「せんせー、えほんよんでー」
昼寝の時間だったが、目を覚ましてしまった園児が甘えてくる。私は保育士だ。
「絵本はあとで読んであげる。まおちゃん、もう一回横になろうか」
女の子はかわいい。はやく私も母親になりたい。
すべての園児が親に引き取られ、そのあと残業をした。帰り際、園長に声をかけられた。
「そういえば今日、給食の器の回収が遅いのよ。ほんと、弱い男って無能よね。肉体しか使えないんだから」
「そうなんですか。まあ器の回収が遅くても困りませんけど」
「夫は強い男だから、当然賢いじゃない。失敗もミスもしない。だから、弱い男の仕事にいらいらしちゃうのよ」
弱い男ーー肉体労働に従事する男たちのことだ。技術の発展とともに、知的能力が高い「強い男」とそうではない「弱い男」に分断された。弱い男たちは肉体労働をして社会を回しているようだが、もう私たち女の視界には入らない。結婚相手も「強い男」と決まっている。
園を出て、門を施錠していたとき、裏口のほうでがさがさと音がした。不思議に思ってのぞくと、そこには筋肉隆々の男がいた。
「……」
「すみません、今日は回収が遅れました。今持って帰りますから」
男は、積み上げられた容器を抱えて次々と車に積んでいた。弱い男の働く姿、久々に見た。すべてを積み終えた男は、私のほうを振り返った。
「申し訳ございませんでした。明日は急いで作業しますので」
どうやら、私が怒っていると思ったらしい。
「いえ、特に遅くても困りませんので。お疲れ様です」
男は目を見開いた。まともに女に返答されて驚いているのか。
「……ありがとうございます」
その日から、ときどき、男と顔をあわせるようになった。最初は目も合わせなかったが、だんだんと私から挨拶するようになり、男は笑顔を見せるようになった。私は、男の働く姿、腕や背中を眺め、身体のどこかがじんじんとなるのを感じていた。
弱い男との接点は彼だけだった。弱い男と聞けばいい印象はない。ただ、名前も知らない彼だけは例外だった。いつしか、私から名前を聞いていた。
男は驚きつつ、薄汚れた作業着のポケットから名刺入れを取り出し、私に1枚くれた。
給食業者のカードで、男の苗字と、トラブル時の連絡先が記載されていた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
私の妊活はなかなか上手くいかなかった。病院で検査もしたが、夫も私も異常なしだった。
落ち込む私を、完璧な言葉で夫は励ましてくれたが、気持ちは晴れなかった。妊娠目的の計画されたセックスも嫌になってきた。
そんなときにふと、あの男のことを思い出し、連絡してしまったのだ。
言い訳のしようもない不倫だった。しかも相手は弱い男。会ったのはたった1回だったが、夫との行為とは全く違った。
めちゃくちゃに痛い。男は乱暴してきたわけではない。なのに痛い。裂けるかと思った。ただ、しばらくすると、痛みは苦痛ではなくなった。男の筋肉の硬さや体温、包み込む腕が心地よかった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
「さおりん、おめでとう! 仕事は無理しないのよ!」
無理するなといいながら、園長は私の背中をばしんと叩く。ついに私は妊娠した。
夫はとても喜んでくれた。頑張った甲斐があったね、沙織のおかげだよ。女の子だといいね。
妊娠6ヶ月の定期検診で、女の子だと分かった。私たちは狂喜した。職場で報告すると、園長も「よかったわ〜〜」と大声をあげた。子どもなりに妊婦の私を気遣ってくれていた園児たちも、女の子と聞いてきゃっきゃと喜んでいた。
ただ、あの日以来、男は給食の回収に来なくなった。いつのまにか担当が別の弱い男に代わり、その男は時間をきっちり守っているようだった。
みゆきが産まれた日は雪だった。名付けを相談した夫には、「単純だけど、社会に馴染めそうないい名前だ」と言われた。
異変があったのはみゆきの血液型を告げられた時だ。私はO型、夫はA型、みゆきはB型。夫は珍しく狼狽した。
「沙織、疑いたくないけど、俺はA型の設定なんだ」
「分かってるわよ、強い男は全員A型だもの」
「じゃあみゆきは、弱い男の子どもってことになるね」
「……ごめんなさい。私が悪いの」
「浮気したのか?」
「保育園に出入りしている、弱い男と。1回だけ」
「生身の男とセックスしたんだね」
「そうよ。あなたのとは全然感覚が違ったわ。人間の本能が解き放たれたって感じ」
「君ははけだもになってしまったのか。せっかく俺という、強い男、賢い男を夫にし、その子どもだって持てる世界になったのに、なんで今更、劣った生身の男なんかに」
「さあ、なんででしょうね。あなたたちは、弱い男には肉体しかないというけれど、その肉体ってとても大事なものだと思ったわ」
「君の考えが理解できないよ」
「どんなに賢くても、顔がきれいでも、私が望む完璧なスペックでも、やっぱりプログラムなんだって思うと興覚めしちゃうの」
「……君に最も最適化された俺の、どこがダメだというんだ?」
「そうね、浮気したのは私だもの、仕方ないわ。離婚しましょう」
「答えになっていないよ」
「あら、あなた慣れてるでしょ。私はあなたと違うのよ」
「……」
「私が働いて育てる。幸い女の子だから、父親が弱い男だってばれないし」
「基本的な能力が低いぞ。遺伝子調整ができてない。容姿も、健康も、知的能力もーー」
「分かってる。いいのよ、あなたの遺伝子は完璧だけど、どうせ母親は生身の人間で、浮気するようなけだものだもの。せいぜい人間らしく、ありのままに育てるわ」
「そうか」
それが夫の最後のことばで、もう腕にまいたデバイスからの応答はなかった。
強い男、弱い男、生身の私 食欲 @_sho949_
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