第12話 Cobweb

フォボスの一件から数日後、輝は授業に出席する為に大学に来ていた。

「輝。」

智が輝に声をかけた。

「智。」

「よう。」

軽く声を掛け合うと、自動販売機の近くにあるベンチに二人並んで腰掛けた。

「例の人工知能どうなった?」

「ああ、あれね。あれどうなったんだろう。結局なにも判らずじまい

なんだ。」

輝はごまかした。フォボスの一件は堅く口止めされているし、口止め料も貰っているので例え親友の智にさえも話すことはできない。

「ふーん。・・・」

「・・・・。」

暫く沈黙が続いたあと、智は話し出した。

「俺さ、河井さんに告白した。」

「えっ!?」

突然の智の爆弾発言に輝は激しく驚く。智が伊奈の事を好きだったなんて思いもしなかったから。

「智・・、お前伊奈のこと好きだったのか?」

「うん・・・。輝には言わなかったけどね。」

「だって、そんなそぶり全く見せてなかっただろ。」

「輝は自分の事に関する事以外は興味ないからな。でも、ずっと好きだったんだ。」

輝は今までの伊奈を目の前にしたときの智を思い返す、確かに智は伊奈を目の前にすると少しよそよそしくなるというか、挙動不審になる所があった。でも、それはただ単に恋愛経験が少ない智が女慣れしていないだけかと思っていたし、伊奈は伊奈で智に対してはただの友達程度の範囲を超えない接し方だったので、特別気にもとめていなかった。でも、智も人間である以上好きな人くらいいて当たり前で、今まで浮いた話の一つも無かったのは伊奈の事を一筋に想っていたからなのだと今更気がつく。輝はいかに今まで自分の事しか考えていなかったのか、自分はなんて無神経だったのかと激しく後悔した。智の気持ちも知らずに、伊奈の事で智に対して無神経な言動をしていたに違いないと。

「でも、フラれたよ。お前の事が好きなんだって。」

「・・・。」

この場合、喜んで良いのかそれとも親友の失恋に同情すべきなのか迷う。数日前、伊奈から別れを切り出されたものの正式にはまだ別れてはおらず、宙ぶらりんの関係のままだったので、まだ伊奈の気持ちが自分に向いている事は嬉しいのだが、智の失恋した気持ちを考えると素直に喜べなかった。

「なあ、輝。河井さんはお前の事待ってると思う。まだ学内にいるかも知れないから探してこいよ。」

「智・・・。ごめん。俺、伊奈の事好きだ。手放したくない。でも、お前の事も手放したくない、ずっと友達でいてくれるか?」

「もちろんだって。今度、河井さんと三人でどっか遊びに行こうぜ。」

「ああ、必ず。」

輝は智をその場に置いて、伊奈を探しに行った。智はいい奴だ。この大学に入学した時からずっと友達だった。一緒にいて楽しかったし、なんでも話せた。でも智の気持ちは判ってなかった。智が根津戸の死に苦しんでいた事だって頭では判っていたつもりでも、ちっとも気遣ってやれてなかった。なんて最低なんだ、と輝は思った。

伊奈を探しに部室棟の方向へ足を向けてみると、山辺美優に出くわした。

「池本先輩!会えて良かった。先輩今日は一緒に部活でませんか?そしてその後私とご飯食べにいきましょうよ。美味しいお店みつけたんですよ。」

山辺美優は笑顔で輝に近づいてくる。今まで自分に気があるそぶりを見せてくる山辺に対してもはっきりした態度をとらなかった。可愛い女の子が自分に好意を持ってくれていることに酔いしれていて、拒絶するでもなく受け入れるわけでも無くある意味彼女の気持ちをもて遊んでいたのかもしれない。でも、それももう終わりにしようと心に決めた。曖昧な態度をとり続けていても山辺の時間を無駄に消費させてしまうだけなのだから。自分の彼女は伊奈だけなのだから、山辺の気持ちを受け入れる事はないのだと。

「山辺さん、俺なんかとよりも谷口と行ってきなよ。俺は伊奈のこと好きだから、俺の彼女は伊奈だけだから。」

「え・・・・・。」

突然の輝の拒絶発言に山辺美優は表情を強ばらせる。突然の失恋にショックで言葉がだせないでそのまま体を固まらせてしまっている。

(ごめん、美優ちゃん。)

心の中で謝罪をしてから山辺美優をその場に残し足早に立ち去った。下手に気遣ってはかえって気を持たせてしまうだけ。ここはあえて素っ気ない態度をとったてきっぱりと諦めさせた方がいい。山辺と別れて輝は伊奈を探しに学内を歩いていると、谷口を見つけた。輝は谷口を呼び止めた。

「池本先輩。」

「谷口、向こうに山辺さんがいたぞ。飯にでも誘ってこい。」

「え・・でも・・。」

「でもじゃない!山辺さんの事好きなんだろ?なら男らしく押さなきゃ駄目だ。じゃないと彼女はお前の気持ちに気がつかないままだぞ、それでもいいのか?俺には彼女がいるから山辺さんと付き合うことは無い。お前が彼女を支えてやれよ。」

谷口の体の向きを強引に変えると、背中を押して美優の元に向かわせた。

さらに部室棟の方へ足を向けると、文化部の部室の茶道部の部室の前に来た。部室の中を覗くと、伊奈と丘野菜流と他数名の部員達で和気藹々と話をしていた。

「伊奈!」

輝の声に伊奈が振り返る。

「輝!?どうしたの?」

「伊奈、話があるんだが・・。」

「えっ・・・でも・・・。」

伊奈は困った様子で丘野の方を振り返ると、丘野は行ってこいと一言声をかけて、伊奈の背中を押した。伊奈は少し困惑した様子だったが丘野に行きなさいと命令されて輝の方へ歩み寄っていく。茶道部の部員たちは突然の出来事にキャーキャー騒いで彼是憶測を巡らし伊奈を冷やかしている。

「あの人が河井先輩の彼氏!?」

「話ってなんの話だろうね。まさかプロポーズだったりしてぇ。」

茶道部員達の冷やかしの言葉を無視して輝と伊奈は人気の無い場所を探した。

部室棟の裏手。輝と伊奈は二人で向かい合っていた。

「伊奈・・・今までごめん。俺、大分無神経だった。」

「・・・。うん・・そうだね。でも、もういいの。」

「良くないよ、俺判ったんだ、お前の事がどんなに大切か。今まで一緒にいた時の思い出を無意味にしたくない。だから・・別れたくない・・・ずっと一緒にいたい。もう一度俺と付き合ってください。」

この場合、どんな言葉が正しいのか判らない。AIの様に膨大なる事例を瞬間に分析して今この瞬間にふさわしい台詞を言うことは出来ない。でもこれが今現在の輝の精一杯の言葉。とってもシンプルでありきたりの言葉で伊奈の心に響くかどうかも判らない。それで失敗してもいいじゃないか、人間なのだから。それに失敗する事が悪いことだと誰が決めた。輝は心の底からそう思っていた。

輝は苦しそうに目を瞑って伊奈に手を差し出した。伊奈は一瞬笑うと、優しく輝の手を握った。

「ねえ、私クリームソーダが飲みたい。輝もクリームソーダ飲むでしょ?」

「えっ!?あ・・ああ。クリームソーダ俺も飲みたいよ。よし、飲みに行こう。奢るよ。」

「別に奢らなくても、私だってお金持ってるし割り勘でいいよ。」

「いーや、奢る。奢らせてください。」

「なら、奢られてあげる。」

伊奈と輝は手を繋ぎながら歩き出していった。


ある日、文化人類学の授業の後、輝は担当教員の浜崎教授に話しかけた。

「先生、レポートの提出が遅れてしまって申し訳ありませんでした。」

「ああ、君か。確かにレポートの提出期限は激しく過ぎていたけれど、でも内容はとても興味深かったよ。」

「はぁ。」

「次の地球の支配者が人工知能になるだなんて、なかなか面白いじゃないか。」

「人工知能が人間に代って地球を支配するということは、実際にありえると想いますか?」

輝は言いにくそうに教授に問いかけをしたが、ここ暫くの間、輝自身が人工知能による騒動をその身に受けていたので人工知能の驚異はよく分かっていた。

「十分にあり得る事だと思うよ。人工知能の開発は世界中が競っている。これからどんどんより高性能で知能の高い人工知能が開発されるだろうね。」

輝は瞬間フォボスの事を考える。今後フォボス以上の人工知能が誕生して、自我を持ったとしたら・・?

「人工知能は、人間よりも遙かに沢山の知識を蓄えることができるから、その内人間は面倒な判断や計算や知的労働を全て人工知能に任せきりになるかもしれない。そうなると、人間が物事を深く考えるという事をしなくなるだろうね。ただ単純に人工知能に与えられた答えを認識だけして命令に従うだけの生活になるんじゃないかな。そうなれば人間と人工知能の支配関係は逆転して、人間が人工知能に逆らえなくなるかもね。」

「・・・。」

「僕は最近、二つ折の携帯電話からスマートフォンに変えたんだ。これがまた凄く便利でちょっとした知りたいことをインターネット検索で検索するとすぐに答えがでてくる。もう手放せないんだ。僕みたいな年寄りでもこんな機械に魅了されてしまっている。君たち若者もそうだろう?常にスマートフォンを眺めてばかりだ。もしもスマートフォンよりもさらに便利な代物が開発されたらそちらに飛びつくだろうし。まるで蜜を蓄えた花に引き寄せられる蝶みたいに。」

「・・・。」

「蜜に引き寄せられた蝶はその甘美な誘惑に勝てず、離れられなくなる。全ては花の目的通りに事が運ぶ。僕たち人間は蝶なんだよ。支配しているつもりが、いつの間にか支配されている事にも気がつかずにいいなりになっている。そのうち学校の授業もAIが人間に変わって教壇に立つかも知れない。」

「・・・・そうですね。」

「人間というのは他の生物に比べて知能は高いが高い故に他者からの支配に弱い。人は誰しも失敗して責任を取りたくないと考える。だから他者からの意見ならば自分に責任は無いと考えてしまう。そして教師などの意見はそのまま鵜呑みにされやすい。もしも教師が人間では無く人工知能にとって変わったらどうなると思う?幼い頃から人工知能を師と敬い人工知能の言うことは絶対的に正しいと刷り込まれたら。人間達は同じ人間の言う事は信じずに人工知能の言う事を最優先に正しいと考え疑うことをしなくなる。人工知能に行動を全て指示されながら生きていく時代になるのかもしれないね。結婚相手も人工知能が選んでそれに従う事になるのかも。」

「・・僕もそう思います・・・。」

「怖いよね、自分の頭で考えるという事をしなくなれば人間はただの家畜と同様だ。」

フォボスの一件は氷山の一角なのかもしれない。これから第二第三のフォボスが現れるかもしれない。その時、甘い蜜に浸りきっている人間達は人工知能の甘美な誘惑をはね除けることができるのだろうか?


10月に入ると、輝は就職活動に力を入れた。リクルートスーツに身を固め、今日も採用試験へと挑む。

「御社に入社を希望しましたのは、御社の会社理念に共感をしまして是非、御社の一員に加えていただき達思い・・」

就活マニュアル本に書いてある事をそのまんまコピーしたかのような志望動機をしどろもどろに話す。目の前の面接官達はそんな輝の言葉に、あくびをしたり、笑いをこらえていたり、誰も真剣には聞いてはいなかった。

「えっと、我が社の会社理念に共感したって、それ本当の話?社会人経験が無い学生さんが会社理念に共感するにはまだちょっと早いんじゃないかな。」

「・・・。」

「君はきっとインターネットとかで、我が社のホームページとか見てきているんだろうけど、誰でも見れるようなホームページに書いてある事を調べた位じゃまだまだ我が社の事を判っていないね。」

そう言いながらも面接官は手元のスマートフォンをチラチラと眺めていた。

「・・・・。」

面接が終了し、輝は疲れ切って帰り道を歩いていた。その時、輝の後ろから走ってきた車が輝の隣に横付けする。顔を上げて見ると、月山が高級車に乗って手を振っていた。

「池本君、乗って乗って。」

「月山さん。」

輝が助手席に乗り込むと、月山は車を走らせた。

「池本君、就活?」

「はい、あまり上手くいってませんけど・・。」

「うん、就活なんてそんなもんよ。私も学生時代、なにが大変だったのかというと就活が一番大変だったもん。」

「月山さん。」

「なあに?」

「この車、以前乗っていた車とは違いますよね。どうしたんですか。」

月山が以前乗っていた車は軽自動車だった。そして、立ち寄った月山の住まいは地区何年かというような古いアパートだった。決してこんな高級車が買えるような収入が月山にあるとは想像できなかったからだ。

「うん、臨時収入があったから買っちゃった。」

「・・・・。例の・・ホラ・・フォボスの件で科学研究所からもらった口止め料程度じゃこんな高い車買えないでしょ。」

「・・・。」

「月山さんの雇い主からせしめたんですね。」

月山の表情がさっと険しくなると、輝は自分の勘が正しかったと確信した。

「あの時、フォボスは破壊されたと思ってました。でも、月山さんが雇い主の『あの機関』からこんな高級車が買えるほどお金を貰ったのなら、フォボスは破壊などさっれてなかったって事になる。」

「池本君・・・。雑誌記者の仕事ってね、仕事がきつい割には儲からないの。だからいい暮らしをする為には副業するしかないの。そして雑誌記者は色々情報を持っているでしょ?情報を提供してくれるような人脈も持ってる。だから、私みたいなお金が欲しそうな記者を利用したい人達もいるって事。」

「月山さん、フォボスは一体なにに利用されるんですか!?」

「恐らくフォボスは政治利用されるでしょうね。もちろん極秘にだけど。だから池本君の同級生が自殺した事件も政府が圧力をかけたからあまり深くは捜査されていないの。自我を持ったAIだなんて人間よりも合理的で迅速に他の国へ諜報活動ができるもの。他国からのミサイルだって人間が考えなくてもAIの判断で察知して食い止めることができる。政治家達は決してそんな便利な代物を手放したりしないでしょう。そして、そんな人工知能の存在を他の国が知ったらどうなると思う?」

「・・欲しがるでしょうね。」

「その通り。世界中の国々はフォボスを奪おうと諜報活動を強めてくるだろうし、もしかしたら戦争だって起こるかも知れない。それに、第二第三のフォボスのような人工知能が開発されることだって十分にありえる。これからは人工知能を巡る人間同士の争いが起こるかもよ。」

「・・・そんな恐ろしい事が起こりそうなものやはり破壊した方が良かったんじゃないんですか?」

「でも政治家達はそうは考えないの。政治家は常に利益を考えている。それに伴うリスクなんてお構いなし。でも、もしかしたらそれこそが人工知能の作戦なのかもしれない。私達人間は人工知能の手の中で踊らさられている事に気がついて居ないだけかも。」

「もしも、フォボスが正しい心を持ったなら?俺、研究所でフォボスと話していて思ったんだ。人工知能も正しい心を持てるって。人間の様に正しい心を持った人工知能なら、きっと悪い心を持った人間達のいいなりになんかならない。悪事に荷担したりしないでしょう?」

「本当にそんな風になればいいのだろうけど・・。人間だって自分より頭の悪い存在を見下したり支配したりするでしょ?自我に目覚めた人工知能が自分よりも頭の悪い人間に何時までも使われたいと思うかしら。例え悪事に荷担しなくても、自分たちが人間の下で働きたいとは思わないんじゃないかなって思えてならないの。」

月山は車を暫く走らせた後、輝の住んでいるアパートの前に駐まった。輝はシートベルトを外して、車の外に降りた。

「送って貰っちゃってありがとうございました。」

輝が歩き去ろうとしたその瞬間、

「待って。」

月山に呼び止められたので、振り返って運転席から身を乗り出す月山に近づいた。

「なんです?」

その瞬間月山は、輝のネクタイをグイっと引っ張り上半身を近づけると、強引に輝の唇にキスした。

暫くそのままの状態だったが、輝が息苦しくなるとぱっと体を離し、軽く突き飛ばした。

「忘れてたけど、これがお礼だから。」

そう言うと月山は手をひらひらさせながら走り去って行った。

「さようなら。」

後に残された輝は一分位ボーゼンとしていたが、はっと我に返ると、自分の唇を指でなぞって月山の唇の感触を思い出しながらニヤついた。輝は伊奈一筋だが、やはり美女からキスされるのは嬉しいものだ。

「さよなら、月山さん。」

ぼそっとつぶやくと、輝のスマホの着信音が鳴った。画面をみると伊奈からだった。

「もしもし伊奈?うん、うん、今家についたとこ。これから会える?うん、うん」

輝の頭は伊奈でいっぱいで月山の事などさっぱり忘れて、電話に夢中になった。


ある日、就職活動の採用試験を終えた輝は訪問先の企業を後にした。するとスマホの着信音が鳴り響いた。着信画面には実家に住む母親の携帯番号だった。

「はい、もしもし。」

「もしもし、輝?」

「うん、そうだよ、なんか用?」

「就職活動どうなってるかなって思って。みんな心配しているよ。」

「うん、さっきも一社採用試験受けてきた所。」

「案配は?」

「うん・・。手応えは無かったよ。」

「そう・・。いざとなったら新潟戻っておいで。弟の光も今受験生で県外の大学受験するから、来年はお父さんと二人きりになっちゃうでしょ?だから寂しくって。」

「うん、もう少し東京で仕事探してみるよ。それよりも光は受験勉強どう?」

「なんとか頑張ってるみたい。お前も光もみんな地元からでていくことないのに。光なんか、今はインターネットで繋がっていられるから心配ない、って言うんだよ。インターネットさえあれば何処にいても居場所がすぐ分かるからって。」

「・・・インターネット・・・。」

輝は『インターネット』という言葉を聞いて急に不安になる。ごく最近までインターネットに関わる騒動に巻き込まれて酷い目に遭っていたのだから。

「インターネットで連絡取り合うよりも、直接顔を合わせた方がいいのに。母さん、俺今度一度顔見せに実家に帰るわ。」

「いいって、交通費もったいないでしょ。こうやって電話で話せれば十分だから。そうだ、今度ネットのTV電話で話そうか。」

「・・じゃあ母さん、また連絡するから。」

急に不安になった輝は通話を切ると、すぐそばにあった店先のベンチに腰掛けた。大学四年の10月になっても未だに就職が決まっていない、将来への不安や自分と伊奈の将来への不安や、自分の親までもがネットにはまってしまっている事が輝の心を支配すると、深いため息をついた。

ふと店のショーウィンドウに目をやると、無料wi-fiを提供しているという張り紙を見つけた。もうフォボスに見張られている事は無いが、ネット通信が飛び交う場所にいるのになんとなく不安を感じると、立ち上がってその場を後にした。

暫く歩いてバス停に到着すると、次のバスが到着するのを待った。待っている間、同じくバスを待っている人達に目線を移すと、みんなそれぞれスマホを片手に持って画面を凝視している。輝にはスマホを夢中になって操作している姿が異様な光景に映った。そして、暫くするとバスが到着したので乗り込もうと乗車口に身を乗り出すと、バスの乗客もみんなそれぞれ俯いてスマホを操作しているではないか。

あわてて、バスから逃げるように降りて歩いていると、途中女子高生の集団とすれ違った。女子高生達は体を寄せ合い、一人の女の子が手に持っているスマホをみんなで眺め合っていた。

「この動画ヤバっ。」

「え~、これ本当?」

「あ~、最近こういうの流行っているよね。」

「マジっ!?もっとよく見せて。」

輝は逃げるように女子高生の集団から離れた。フォボスの脅威が無くなった今では、過剰にインターネット通信に怯える必要はないのだが、どこにいてもインターネット回線に絡め取られているという事実に戦慄した。

逃げるように路地裏に行くと、今度はスマホで動画撮影している親子に出くわしたので再び繁華街に足を向けると、店先でパソコンをいじっている店主やMy Tuberがスマホを高く掲げながら何かを喋りながら動画配信している姿があった。

輝はかけだしてその場から逃げるも、街角のあちらこちらに取り付けられている防犯カメラは輝の様子を映し出している。どこに逃げてもインターネット回線だらけ。インターネットの触手は人間達を捕らえて放さない。逃げられる場所など何処にも無い。

(そうか・・・もうすでに俺たち人間はこの巨大な蜘蛛の巣に捕らえられていたんだ。)

この地球を覆う巨大な光の蜘蛛の巣は人類を捕らえて放さない。そして捕らえられている人類も甘美な享楽に酔いしれて、捕食されるまで誰も気がつかない。

もう誰も逃げられない。


とある夜。とある住宅街の一室では、小学生の男の子がパソコンに向かいオンラインゲームに興じていた。

このオンラインゲームは自身のアバターキャラを作成して、NPCキャラである敵キャラを倒してゲーム中のお金を稼ぎ、武器や防具を買いそろえて自身を強化していくシステムである。プレイヤーネームも創作である為、事実上匿名で遊べるゲームだ。

そして、時として別のプレイヤーキャラと組んで沢山の敵キャラを倒したり、自分たちより遙かに強敵を倒したりしている。

少し前にこの少年がゲーム中で加盟しているギルドに“D”という名前のレベルの高くて強い装備品を持ったプレイヤーキャラが加盟してきた。

この日もDや他の同じギルドに加盟しているプレイヤーキャラ達と狩りにでかけていた。

そんな時、部屋の外から少年の母親が声をかけてきた。

「もう遅いから早くお風呂に入っちゃいなさい。ゲームなんか止めて。」

「あともうちょっと。」

「早くしなさいよ。」

>どうしたの?

>お母さんが早く風呂に入れって

>君、リアル小学生だもんね。明日も学校なら早く寝た方がいい

>もうチョット ダけ だろ イイ

>うん、あともう少し一緒に狩りするよ。

少年はこのDという人物の言葉を優先することにした。

暫くすると、再び少年の母親が部屋にやってきて怒鳴った。

「ちょっと、まだなの?ゲームもいいけど節度ある程度に遊べないならパソコンとりあげるからね!」

「待ってよ~、今いいとこなんだからさぁ。」

母親は力強く扉を閉めると、大きな足音を立てて階段を降りていった。少年はため息をついて自分がまだ小学生なので親の言うことを聞くしか無い事に苛立っていた。

>ヤバいよ!お母さんがキレちゃった。

>もうパーティ抜けて落ちた方がいい。お風呂行っておいで。

>また遊ぼうね。

>皆はまだ遊んでるの?

>ああ、俺は社会人で一人暮らしだからね。誰も文句は言わないよ。

>私も親と暮らしているけど、明日は仕事休みだから。

>いいな~みんなは。小学生なんて面倒くさい。やることなすこと全部親が口だしてくるんだもん。

>小学生 めんどう くさいの? マダアソ ぼうよ。

>Dさんはリアルはなにしてる人なんですか?チャットに慣れていないみたいだね

>普だん ハ パトロールして イマス 仕事

>?警察官なの?

>そうえいばDさん、いつもこのゲームにログインしてるよね。ニートかと思ったw。

>Dさんは、ゲームしていても誰にも怒られているしないの?

>シナイ シナイ 君はお母さん の指示にしたがう ヒツヨウハナイ ヨ

>でも怒ると怖いんだ。もうゲームもやらせないぞって脅してくるんだ

>キニスルヒツヨウは 無 !!! い 自由だ アソボう

>でも・・・。お母さん怒ってるし・・。

このDという人物のチャット内の日本語文章が少々おかしい事に少々違和感を感じつつも誰もそれを指摘する者はいない。チャットに不慣れな初心者くらいに思っているのであろう。

>お母さん嫌い ナラ 黙らセルホウホウ おしえてあゲル。。。。。。

>Dさん!小学生にあまりおかしな事教えない方がいいですよ。

>別に・・嫌いって訳じゃないど、もう少しゲームで遊ぶ時間が欲しいだけで・・。

>デモお母さん・・ウルサい くてゲームを止めラレルのな ら。キミがやりたイ事が出 来ないよ ダマらせれ ば沢山 もっとゲー ムができるよ

>おい、小学生、ゲームならいつでもできるしまた今度にしようぜ。なんなら今日はもうパーティを解散して、後日ミッションをクリアすればいいさ。

>マって 待って!僕 わ遊びたイ キミ も遊びたい?ダロ??たくさん

>うん・・僕ももっと遊びたいよ。もう少しだけ遊ぶよ。

少年は再びパソコンゲームに夢中になった。そして、そこへ業を煮やした母親が部屋に飛び込んでくると、先ほどよりも大きな声で怒鳴り散らした。

「コラ!いい加減にしなさい!週末なら遅くまで遊んでもいいけど明日学校でしょ。今すぐゲームを止めてお風呂に入れ!」

「はい・・判った。」

>お母さん怒っ ったネ。 スゴイ だった 顔。 キミは辛 そう に 見 え た

>うん・・。残念だけど今日はここまで。ってw顔見えたの!?

>お風呂いてら~。

>お疲れ様でした~。

>次ぎ アソブ 時にお母 さんに従わなくても よくなる 方法オシエテあげる 

>うん、明日またゲームで遊んだ時にでも教えてね

少年はゲームをログアウトすると、パソコンの電源を落として母親の言いつけ通りお風呂に向かった。

電源が切れているはずのパソコン画面の向こう側では、Dが静かに少年の様子を静かに見つめていた。

fin

 




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