夢を、見ていた気がする。

 ソファーからはみ出した素足の小指がフローリングの床に触れて、血が通わなくなったのか少ししびれて感覚が鈍くなっている。瞼は重く、顔を寄せたクッションに睫毛があたってかさかさと音をたてた。部屋の中は静かで、頭の下敷きになった右耳で、微かに脈を打つ音だけが響く。

 昼下がり、読書をしながら知らぬ間にソファーでうたた寝をしてしまっていたようだ。左手で身体の周りを探ると、タブレット端末が背もたれの隙間に挟まっていた。手に取ってみると画面はすっかり暗くなっていて、無機質な液晶にはわたしの顔がぼんやりと映っているだけだ。乾燥した唇の端が割れて、小さく黒ずんでいる。舌先で舐めると、すこし鉄の味がした。

 端末の電源を入れると、色とりどりの絵の具が混ざったような初期設定の壁紙に、のっぺりとしたフォントで現在時刻が表示された。どうやら小一時間程眠っていたらしい。そのまま手を伸ばしテーブルの上に端末を置いて、背もたれ側へ寝返りを打った。目を閉じて、直前まで見ていた夢の続きを思い出そうとするけれど、それは靄がかったように滲んでしまって、ただ暗い瞼の裏を眺めることしかできなかった。諦めてまた目を開けるとソファーの目の粗い布地が眼前へ迫り、あまりの近さに焦点を合わせると少し目が痛くなった。

 身体を起こして部屋の中を見渡すと、テーブルの上のマグカップに、さっきまで飲んでいた紅茶が少しだけ残っていた。うっすらと色のついた水面は、足元から伝わる微かな振動で不規則な波紋を描いている。マグカップの側面にはハリネズミのイラストが描かれていて、つぶらな瞳が私を見つめていた。

 時刻は十七時を少し回った頃だろうか。明るかった窓の照明が弱まっていき、部屋の中は徐々に暗くなってきている。あと五分もすれば完全に夜の時間へと切り替わるだろう。黄昏時、と呼ぶらしい、昼と夜との境界。光とともに自分の影や輪郭が薄れていくような、曖昧な時間。

 のっそりと立ち上がり、窓の方へ歩み寄ると、まだぼんやりと発光している窓ガラスに手を伸ばした。光が遠近感を狂わせ、思っていたよりも数センチ向こう側にあったガラスに触れると、冷たい感触が指先に伝わってくる。光そのものを掴むような感覚が私は好きで、だからこの時間が一日の中で一番気に入っている。

 やがて完全に照明が落ちると、リビングの大きな窓いっぱいに星の瞬きが浮かび上がった。

 ひとつひとつ数えることすら困難な、たくさんの星たち。遥か彼方から茫漠とした時間を旅してきた光の粒。上も、下も、視界のすべてを包み込むように、明るく、暗く、それぞれの星が何ものにもさえぎられることなく、燦然と輝いている。

 青白い星ほど温度が高く、赤く滲んだ星は冷たい星。科学の教材に書いてあった知識を思い出してガラス越しに目を凝らすと、確かにそれぞれの光は色づいているような気がする。けれど肉眼ではぼんやりとしか分からなくって、星がたくさん集まった青っぽいところや、星が少なくて暗みがかったところ、またその隙間の紫がかったところなど、全体的にまばらに散らばっているように見える。タブレットの待ち受け画面の、混ざった絵の具みたいだ。

 ぼんやりと、外の風景をただ眺めていると、背後からタブレット端末の通知音が聞こえてきた。振り返ると部屋の中はすっかり暗くなっていたので、天井に手をかざしてリビングの照明をつける。真っ白な光を顔に浴びて、一瞬目が眩んだ。

 端末を手に取ると、夕食のメニュー選択の通知が表示されていた。選択とは言っても食事のレパートリーはそう多くなく、メインの味つけをその時の気分で変えてもらうくらいのことしかできないのだけれど。今日はテリヤキとクリームソースを選択できるようだ。

 ここ数日あまり体調がよくなかったから、流動食メニューばかり出されていた。味が薄く、食べるというより流し込むようなものが続いていたので、どうにも気持ちが沈んでいたから、久々にちゃんとしたものが食べられると思うと嬉しくなる。少し悩んでからクリームソースを選択し、ラウンジではなく部屋で食べることにして予約が完了した。

 夢見が悪かったのか、いつもよりも身体がふわふわとしている気がする。ウェアラブル端末から送信されるヘルスデータを確認すると、少しだけ体温が平時よりも高い値になっていた。自動診断プログラムでは「異常なし」のグリーン表示になってはいるけれど、まだ本調子ではないのだろうか。

 ソファーに座り直し、少しのあいだ目を閉じる。夕食は十八時頃には運ばれてくるだろう。それまでは、ゆっくりと過ごそう。

 ふと音楽が聴きたくなって、ウェアラブル端末のマイクをオンにしたけれど、曲名が思い出せなくて開きかけた口をつぐんだ。昔聞いたピアノの曲、なんという曲だっただろうか。頭の中でメロディーを思い出そうとするけれど、短く同じところをループするだけで、全然思い出せない。もやもやした気持ちだけが残り、ただ時間だけが過ぎて行った。


 タワーマンション、というらしい。

 はたして広大な大地があるにも関わらず、ここまで縦に階層を積み重ねる必要があったのかは甚だ疑問ではあるけれど、こういった建物を住居とするのが一種のステータスのようなものになるのだという。そして同じ建物の中でも、高い階層になるほどそのランクは高くなるそうだ。いわゆる特権階級、という人々の住居だということだろうか。

 経済というのは私にとっては教科書の中のお話で、だから私にはタワーマンションに住むということの意味を今ひとつ理解できていないのだけれど、私はそんな建造物の三十八階に住んでいる。

 とはいえ、十一~五十四階までの各階層は基本的に同じ居住区画のフォーマットで作られており、窓から見える景色もそう変わらない以上、取り立てて何階に住んでいようが大きな違いはない。むしろ十階以下の共用区画までのアクセスが悪い分、低階層のほうが住み良いと言えるかもしれない。

 まあ私はめったに部屋から出ないから、あまり関係はないのだけれど。

 各階層はそれぞれ四戸に分かれているが、私は同じ三十八階にどんな人が住んでいるのかを知らない。無人、というのは計画上ないだろうけれど、私はまだ会ったことはないし、これから出会うのかどうかもわからない。もしかしたら私が死んだ後に活動を開始する世代かもしれないし。

 他の階の居住区画へは、特に用事がないからあまり行ったことはないのだけれど、以前に四十三階に住む若い夫婦の部屋を訪ねたことがある。その夫婦はこどもを生したばかりで、私はそのお手伝いと将来私が子育てをするときの予行演習として、赤子のおしめを替えたりぐずった赤子をあやしたりするために招かれた。

 私と同じ間取りの部屋には小さなゆりかごが置いてあった。真っ白なシーツに包まれたしわくちゃな赤子は、泣いたり眠ったりを繰り返していた。夫婦は世話をすることにかかりきりで、特に母親はなにかとせわしなく赤子のまわりを動きまわった。二人は同じ教育を受けているはずなのに、なぜか母親の役割の方が多いらしい。父親も彼女を支えようとはしていたけれど、何をするにも彼女に後れを取っていた。「私がやった方が早いからね」と、彼女は赤子抱きかかえて乳を吸わせながら、彼にあれこれと指示を出していた。

 私もおろおろするばかりで、子育ては大変そうだという感想しか残らなかったが、彼女はそんなに気にしなくてもいいと言った。母親になれば自然にわかるようになる、私たちには我が子を愛して大切に育てるという本能があると。ヒトとはそういう風にできているらしい。

 予定では、私もあと五年もすれば彼女の様に母親になる。だけど私がこどもを育てるというイメージが全然湧かなくて、勉強にもあまり身は入っていない。今も食後の紅茶を飲みながらタブレット端末で教本を読んでいるけれど、なかなか次のページに進めないでいた。

 第二次性徴、思春期、性別による差異。まさに今の私のような年頃で起こる身体と感情の変化。身体の方は、なんとなくわかる。でも感情については、よくわからない。周囲の環境やホルモンバランスによって不安定になる精神、でもそれはどういう状況なのだろう。私のこどもが、精神を病んでしまったら、どうすればいいんだろう。そんなことをぐるぐると考えては、時間だけが過ぎていく。

 ふと、腕につけたウェアラブル端末からアラートが鳴った。一日の運動量が基準値を下回っているという警告だ。昨日一昨日は体調のおかげで免除されていたけれど、今日はちゃんと運動しろということらしい。運動の時間は個人の好きにできるけれど、私はいつも日中をだらだらと過ごしてしまうから大体このくらいの時間になってしまう。アラートを無視してさぼってしまってもいいけれど、そうすると明日以降の運動量の目標が引き上がってしまう。私は紅茶を飲み干してから立ち上がり、九階にあるスポーツジムへ向かうことにした。

 部屋の外へ出るためには船内活動用のスーツを着る必要があるのだけれど、伸縮性が高い上下一体型のスーツは動きやすさはあるものの、通気性が悪く蒸れやすいのと、胸と背中に最低限の生命維持装置がついているせいで圧迫感があってあまり好きじゃない。それだって本当に何かあった時には気休め程度にしかならないのだから、普段着と大差はないと個人的には思っている。

 着ていた服を脱いで、下着姿でスーツに手足を通す。手首の端末を操作すると、緩かったスーツがしぼんでいって、身体にピッタリと張りついた。このピチピチとした感覚も、あまり好きじゃない。髪を頭の後ろで結って、首元からスーツについているマスクを鼻まで引き上げる。別にマスクはしなくてもいいのだけれど、なんとなく人に顔を見られるのが苦手で、部屋から出る時はいつもマスクをつけている。

 できれば人に会いたくないな、と思いながら私は玄関へ向かう。リビングの照明が自動で消えて、星の明かりがぼんやりと部屋を照らした。


 身体を伝って、汗が滝のように流れてゆく。逃げ場のない船内活動用スーツの中を、下へ下へと。下着はとっくにずぶ濡れになり、足先にたぷたぷと水分が溜まって気持ちが悪い。息を吸うのも苦しくて、しゃがみこんだ私は俯いてマスクを外した。乱れた呼吸を落ち着かせて、湧き出る汗が引くのをじっと待つ。鼓動はうるさいほど高鳴っている。

 これだから運動は嫌いだ。ルームランナーの上で少し走っただけでこの有様で、自分の体力のなさを実感する。顔を上げてあたりを見回すと、私がジムに来るよりも前から走っている背の高い男の人が、コンソールを触ってスピードを速めているのが見えた。退屈な生活の中で運動を趣味にする人が一定数いるらしいが、彼もその一人なのだろう。生存に必要な最低限の運動ノルマしかこなしていない私からすると、こんな苦痛をすすんで受けようとする気持ちはまるでわからない。

 噂によると、筋力トレーニングに傾倒しすぎて、制御装置の設定を改竄して重力負荷を数倍に引き上げた人がいたらしい。私が活動を始めるよりも前の話なので真偽の程はわからないけれど、ほかの人が潰れたような格好で床に張りついていた中で、一人スクワットを続けていたという。その人はきっと、頭の中まで筋肉でできていたのだろう。

 頬を流れる汗をタオルで拭って立ち上がる。ジム内のシャワーで汗を流すこともできるけれど、そのあとにもう一度汗まみれのスーツを着るのが嫌で、私はいつもそのまま部屋に戻ることにしている。幸い夕食後のこの時間なら艦内に人影は少なく、汗まみれの私が廊下を歩いていても見咎められることはあまりない。もはや全力疾走に近い速度で走る背の高い男の人を残して、私はジムを後にした。

 夜の廊下は節電のために照明を落とされて、静寂と暗闇に満ちている。扉越しに漏れるジムの明かりから離れて、エレベーターホールに歩みを進めると、真っ暗な空間に操作盤の矢印マークだけが弱々しく浮かんでいた。ボタンを押すと、ヴウウンという微かな音を立ててかごが降りてくるのがわかる。

 耳の後ろで汗がひとしずく流れて首筋を伝う。星が見える夜は好きだけど、こういう無機質な闇はあまり好きじゃなくて、そわそわと落ち着かない。このままずっとここにひとり、取り残されてしまうような気がする。いつだったか幼いころに、こんな暗闇の中で泣いていた覚えがある。隙間から漏れる微かな光に背を向けて、耳を塞いでただ泣いていた。何が恐ろしかったのかは覚えていないけれど、あれはいつのことだったろうか。

 小さくチャイムが鳴って、エレベーターの到着が知らされた。音もなく重い扉が横に開き、少し眩しいくらいの光が私を照らす。かごの中には誰もおらず、白く狭い空間は私が乗り込むのを待っていた。

 かごの中に入って壁のコンソールに手をかざし、三十八階を選ぶと重い扉はまた音もなく閉まった。続いて微かな音とともに上に向かって動き出したけれど、いつもより加速が鈍いような気がする。おやと思っているうちに、かごはすぐ上の十階で止まり、また扉が開いた。

 男の人が二人、乗り込んでくる。楽しそうに会話をしていて、少し甘いアルコールの匂いがした。十階のラウンジでお酒を飲んでいたのだろう、私に気づくと「こんばんは、お嬢さん」と挨拶を投げかけてきた。

 私は途端に汗まみれの自分が恥ずかしくなって、小さく会釈を返して住みに縮こまった。不愛想な私のことを気にも留めず、彼らはまた会話を始めた。内容はよくわからないけれど、昔の映像作品の話だろうか、監督がどうとか声優がどうとかを語り合っている。やることの少ない艦内では、そういった昔の文化を嗜む人が多い。私はもっぱら読書をして過ごしているけれど、誰かの部屋に集まって映像を見たりゲームをしたりする人たちもいる。向かって右の、背の低いひげの生えた男の人は確か、この前のゲームの大会で優勝した人だ。その時は、ヤギが街を歩き回って暴れるというよくわからないゲームだったから、私は参加しなかったけれど。

 彼らをじっと眺めるわけにもいかなくて、視線に困った私は扉の上のモニターに目を向けた。彼らが行先を選んで扉が閉まると、かごは今度こそ勢いよく加速していって、階数を表示する数字がどんどんと大きくなっていく。もう五秒もしないうちに私の部屋のある三十八階に到着するだろう。気まずい時間が短くて安心する。

 階数表示の横には、この船の目的地までの距離と到着までの時間が表示されている。距離にして二十八・〇三光年、あと一五九四年六カ月と二十三日。私にとってはあまり意味のない数字。

 エレベーターは身体に感じられないような軽やかさで減速して、チャイムを鳴らしながら三十八階の扉が開いた。できるだけ壁に身を擦りながら二人をかわして私はかごの外に降りる。「おやすみなさい、お嬢さん」と彼らは楽しそうに声をかけてきた。私は少し振り向いて、また小さく会釈だけを二人に返す。笑顔で手を振る彼らを遮るように扉が音もなく閉まり、またヴウンという微かな音を立てて上がっていった。

 なんだか、ひどく疲れた。病み上がりに運動をしすぎたせいかもしれない。

 薄暗い廊下を歩き、部屋の前までたどり着く。コンソールに手をかざすと、ガタンとロックが解除される音がした。二枚の重い気密扉がゆっくりと開いて、ようやく部屋の中へと帰ってきた。

 汗で湿ったスーツと下着を脱ぎ捨てて、シャワールームに入る。ひんやりと冷たい床に少しつま先立ちになりながらレバーを上げると、シャワーヘッドから勢いよく水が飛び出てきた。水はすぐに熱いお湯になり、白い湯気があたりに立ちこめる。

 最初に左手の指先で温度を確かめて、そこから左腕、左右の太もも、おなか、右胸。最後に左肩の順にお湯をかけていく。お湯のかかっていない所が肌寒く感じて、そちらにシャワーヘッドを向けると今度は別の場所が物足りなくなる。全身が満足するまで、せわしなくノズルを持つ右手を動かす。そうしているうちにだんだんと身体が温かいお湯に融けて行って、汗と一緒に流れて行くような不思議な感覚になる。水の無駄遣いだとはわかっているけれど、私はいつもたっぷりと時間をかけてシャワーを浴びる。

 目の前の壁には胸のあたりまで映る鏡がある。跳ね返った水滴と湯気で薄く曇った鏡面には、私の顔がぼんやりと反射している。真っ黒な長い黒髪は少し癖があって、水に濡れてしなしなと胸のあたりまで伸びている。少し火照って桃色が挿した肌は白に近い黄色で、瞳は青みがかった茶色。顔立ちはまだ成熟しきっていない幼さを残していて、肌にはぷっくりとした張りがある。

 十三歳の私の顔。

 正しくは、十三歳相当の、誰かの顔。

 第三世代のクローン個体として十歳相当の身体になるまで培養され、そこから一〇〇年ほど休眠し、つい三年前から活動し始めたばかりだから、私の年齢は三歳とも十三歳とも、あるいは一〇三歳ともいうことができる。もっとも、この船では年齢というものにあまり意味はなく、重要なのは活動年数と耐久年数だけだ。

星間航行はヒトの一生にとっては時間がかかりすぎる。いつまでたっても光に追いつけない私たちの速度では、いくつもの世代を費やしてようやく実現できる大事業だ。限られた物資と環境で命を紡いでいくために、効率的な運用計画とそれに適した遺伝子情報によって私は製造された。

 とはいえ、私としては気楽なものだ。遥か遠くのかの星で行うテラフォーミングという過酷な仕事は何世代も後の子孫に託して、私はただここで生きて必要な数の子を産むだけだから。

 シャワーの水を止めて、タオルで身体を拭く。猫毛の細い髪はすぐ乾くけれど、しっかりとドライヤーを当てないと傷んでしまうから手入れが少し面倒だ。櫛を通しながら時間をかけて丁寧にケアをする。化粧水は肌に合うものがなくてつけられないけれど、四十三階の夫人に乳液だけでもしっかりつけなさいと言われているからそれだけは肌に顔に塗る。もちもちとした感触の頬を軽く叩いて満足したら、タオルを身体に巻いてシャワールームを出た。

 床に落ちている下着を洗濯機に投げ入れて、船内活動用のスーツは除染機のハンガーに吊るす。精密機器がついているせいであまり丸洗いできないからこうするしかないけれど、私の汗をたっぷりと吸っていることを思うと次着るのが嫌になる。安全上仕方ないとはいえ、ジムの中だけでも普通の服で運動できないものだろうか。除染機の電源を入れると、青白い光がスーツを照らした。紫外線だかなんだかの作用で殺菌できるらしいけれど、正直あまり信用していない。今度四十三階の夫人に、なんとか洗う方法がないか聞いてみようか。

 台所の洗い物の前を見て見ぬふりして通り過ぎ、寝室へ向かう。寝室はリビングに比べて大きくなく、六畳ほどのスペースに大きなコールドスリープ装置がひとつ、どっしりと置いてあるだけだ。

 流線形の箱は床にしっかりと固定されていて、その周りに様々な太さの配管が伸びている。今は機能を停止させているから、ただの大きなベッドのようなものだ。本当は毎回起動させてから眠らないといけないけれど、最近は面倒だし空調の音がうるさくて寝つきが悪いから、蓋を開けたままにしている。まあ何度かそれで怒られているのだけれど。

 タオルを洗濯機に入れるのを忘れていたので、少し悩んでから適当に床へ投げた。今日はもう疲れたから、このまま眠ってしまおう。天井に手をかざして照明を消すと、リビングと同じ大きな窓ガラスから星の灯りがうっすらと室内を照らすだけになる。

 装置の端に腰掛けて、私は眼前の星々を眺めた。

 私が生まれて初めて起き上がって見た景色。どれだけ眺めても飽きることのない星の海。だけどこうして眺めている私の感情がどういうものなのか、私にはわからない。ただ胸の中にぽっかりとした空白があって、苦しくなるような気持ちだけが湧き上がる。だけどそれは恐ろしいものではなくて、不思議と安らかなものだ。星の光を掴もうと、私はそっと手を伸ばした。

 あの光のどれもが、果てしないほど遠くにあるものだ。私の一生を費やしても辿り着けないほどの距離。かつての人々はその星々を線で繋いで、物語を紡いだという。

 そして私は今、その線をなぞって生きている。


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ゆりかごとひつぎ 冬井 桃花 @FuYUI

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