泣くな。頼むから泣かないでくれ。

 あんたの泣き顔はこっちまで痛くて苦しくて見てられないんだ。

 俺が守る。絶対に助けるから、だから――――――……。


「っ!ここ、は……」


 菜月の泣き顔が消えてすぐ見えたのは、見覚えのある天井だった。


「良かった。気が付いたんだね」

「あに、き?どうして……。

 橘! 橘はどうしてる!?」


 ぼんやりしていた頭が急速に動き始める。

 あの女はどうなった。祓えたのか。否、祓う寸前でこちらが力尽きてトドメを刺せなかった。逃げられた。

 ならば、橘は。彼女はどうしている。それよりも。


「今何日だ。俺はどれくらい落ちてた。橘は無事なのか」

 矢継ぎ早に質問してくる弟に驚きながら樹は丁寧に質問に答えてやる。

「今は四月十二日だよ。丸一日寝てたことになるね。

 自分が一番分かっているだろうけれど、全く回復が追いついていないから絶対安静だよ」

「丸一日、だと……」

「橘さんは無事だよ。今はシロとおじい様のしきが護衛についている。

 うちで保護することも提案したけど蹴られてしまってね。

 ……彼方のことをとても気にしていたよ。この件から手を引いて欲しいと言うくらいに」


 樹の言葉に彼方はみるみる表情を歪ませた。

 おじい様の式がついているということは、いざという時に西条家が動くということだ。

 時間稼ぎにはなる。それでも、西条家随一と言われる火力を持つ彼方をもってしても仕留められなかった相手だ。時間稼ぎにはなっても決定打にはならない。時間が、力が、足りない。どうする。というか最後に聞き捨てならない言葉が聞こえた。


「は? 俺に手を引け?」

「うん。だから、もう手遅れだと伝えておいたよ」


 爽やかな笑みを浮かべた樹に彼方はひくりと口元を引きつらせた。そして盛大に吼えた。


「こんのクソ兄貴!余計なこと言いやがって。これ以上追い詰めてんじゃねぇよ!!」


 ふるふると怒りに震え、今にも殴り掛かって来そうな彼方に樹はパチリと目を瞬いた。

 しばらく何事かを考えるそぶりをして、真面目な顔を作るとさらりと爆弾を投下した。


「彼方、ああいう子がタイプだったんだね。

 運命ってすごいなぁ」

「なんの話をしてやがるんだ。馬鹿兄貴!」

「まぁまぁ、って何してるの彼方!絶対安静だって言っただろう」

「ふざけんな。こっちとら時間がねぇんだよ。寝てなんかいられるか」


 起き上がって着替え始めた彼方を樹が必死に止める。


「何を騒いでおるんじゃ。

 彼方、お前は霊力が空になっておるんじゃから大人しくしていなさい」

「おじい様!」


 天の助けとばかりに祖父を見る樹に舌打ちをして、彼方は着替えを続行する。


「霊力の高さ――――火力が武器のお前にとって今の状態がどういうものか自分でよーく分かっておるじゃろう。今のお前は無能も同然。大人しく寝ていなさい」


 諭すように見せかけて全力で煽られていることは彼方が一番分かっていた。

 自分でも下手を打ったと思っている。あと一歩のところで取り逃がしたのだ。それも自分の霊力が尽きるという最悪の形で。だが、それとこれとは話が別だ。


「誰の霊力が空だって? 誰が無能だって? 

 なめんなよ、クソジジイ」


 ゆらりと彼方からすさまじい霊力が立ちのぼる。


「主!それだけ元気なら大丈夫だな」


 ひょっこりと彼方の影を抜け出した黒狐は行くぞ、と尻尾揺らして歩き出した。


「クロ?」


 ふらりと傾いた体を樹に支えられた彼方が不思議そうに黒狐を見る。

 その視線に振り返った黒狐は真直ぐに彼方の目を射貫いた。


「主があのオジョウサマを助けたいと願うのなら俺と白はそれにこたえよう。

 だが、今の主じゃ俺と白を使いこなせない。

 そうだな。せめてこれくらいは平気で耐えれるようになってくれ」


 ぶわりと膨れ上がった力と比例するように彼方から霊力が奪い取られていく。残りカス程度しかなかったものが一切の遠慮なく吸いつくされて、膝をついた彼方の苦しみに喘ぎ、息が途切れそうになる。


「うーん、やっぱり全然ダメだな!」


 ゆらりと大きく揺れた2本の尻尾をするりと消し、いつも通りの姿に戻った黒狐は這いつくばってヒューヒューと息をしている彼方を見た。

 さて、どうするかなぁと考えていたところに樹が真っ青な顔で叫んだ。


「黒狐殿! 彼方を殺す気ですか!!」

「主は生きてるだろ? ちゃんと加減はしたぞ!」


 何か問題があったか? と首を傾げる黒狐から庇うように樹は彼方の前に出た。

 同じ光景を見ているはずの祖父はただ静かに成り行きを見守っている。

 それがまた樹の苛立ちを煽って思わず黒狐に向ける視線が鋭くなる。

 キョトンとした顔でその視線を受け止めていた黒狐は樹の背後で彼方が動いたことに気付いて視線を樹からその後ろへと移した。


「……クロ」

「なんだ」

「コレに耐えれるようになったら、橘を守れるくらいに強くなるか」

「あの程度からなら守れると思うぞ!」


 震える足で立ち上がった彼方に黒狐は二ッと口元を緩めて、黙ってこのやりとりを見守っていた彼方の祖父に視線をやった。


「そういう訳で主はしばらく預かるぞ!

 オジョウサマの様子はシロと共有するが、主が行くまでは持たせろよ」

「承知した。死なない程度にしごいてやってくだされ」

「おう! 加減を間違えないようにちゃんと気を付けるぞ」


 そう言って黒狐が彼方と共に姿を消した。

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贄姫 のどか @harunodoka

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