第13話 『 飛出 』
「あ、あれは誰ですか?」
慌てて加勢する横から、鈴音さんを伴って駆けてきた佐倉氏が加わった。
「ひとまず、ここを出ましょう!」多くの疑問を飲み下した顔で、佐倉氏がわたしに目配せした。「ここにいる全員を守るには、ぼくたちだけでは手が回りません。彼女たちだけでも外に出すべきです」
「あの人はどうするの?」
鈴音さんは戸惑いも
「行きましょう」
わたしは自我を失っている真宮女史に目を戻し、
「あいつのことなら心配はいりません。ここに残っている方が、むしろ足手まといになる。鈴音さん、さっきと同じ要領で扉に群がるツタを退けてくれませんか?」
「待って!」開かずの扉をうながす後ろで渚小鳥が叫んだ。「あそこに誰か…!」
一斉に目を向けると、ツタの
ここから逃がさないつもりか。ゾンビ映画さながらの連携ぶりでにじり寄ってくる彼らに佐倉氏が鉄の棒を構えたが、化け物相手ではなんの気休めにもならない。鈴音さんも「近付かないで!」と鶴の一声を発したが、
「死にたくなかったら、そこを動くな!」
身を寄せ合う我々のもとに、荒ぶる天の声が降ってきた。すがる思いで見上げれば、気心知れた鬼は高みの見物と
怒りがこみ上げる中、阿久津は悪びれることなく煙を吐き出すと、火皿の中の
あいつは普段、なんてものを吸っているのだ。「き、
世紀のイリュージョンに、渚小鳥が驚き様に呟いた。放火犯の素性を
まさに、地獄絵図である。ゾンビの群れは苦しみもがきながら一体、また一体と燃え尽きたマッチ棒のようにくずおれていった。周囲で上がる
「まったく、こんな非常時まで世話を焼かせるんじゃないよ」
辺り一面を焼け野原にした張本人が、人間だったシケモクをぐしゃりと踏み潰して地に降り立った。無慈悲に
「あいつはいいのか?」
真宮女史を風戸爽に託して向き直ると、わたしは延焼を免れた天井を目でうながした。
「心配せずとも逃げやしないさ。きみが
にたりと細めた目には危険な光が浮かんでいる。目と鼻の先にいる相手に手が届かないもどかしさがあるのだろう。
わたしもうなるように
「骨を折っていた、と言ってもらいたいな」阿久津はわざとらしく
「…それって、わたしたちのことですよね?」背後から的確な指摘が飛んできた。
佐倉氏も目の色を変えた。「ぼくたちもここを出られないということですか?」
「ぼくが思うに、あれが
阿久津はわたし以外の言葉を遮断しているのか、氏には見向きもせずに言った。
「きみらが見たのは、おそらく過去に食われた
「まったく人間という奴は、欲深くて救いようがないな。その女は己の欲に食われたんだ。あれに植えつけられた
「あ、あなたは人間じゃないの?」
「隠れ
苦言を呈そうと氏が口を開きかけた時だった。「あの、ちょっといいかな」
ノミと見下げられた憤りからか、真宮女史を介抱していた風戸爽が、おずおずと片手を上げて聞いてきた。「あのさ。さっきからみんな、誰と話しているのかな?」
「…まじか」
場が凍りつく中、渚小鳥が淑女の仮面をおざなりに呟いた。
恐ろしいことに、風戸爽にだけ阿久津の姿が見えていなかった。メガネの度が合っていない上に、心の目も塗り潰されてしまっているのだろう。彼は場を仕切り直すように真宮女史を抱き上げると、白い目を向ける我々に
「よく分からないけど、ここは五体満足でいられるうちに逃げよう。小鳥くんはぼくの荷物を。
せせこましい男が
佐倉氏は目の覚める声で行動をうながした。「行きましょう!」
彼は懐中電灯で行く手を照らす鈴音さんの手を取り、真宮女史を抱えた風戸爽と渚小鳥を率いて開かずの扉へ向かった。白い火炎が焼き払ってくれたとはいえ、
その様子が見えているのは、わたしと渚小鳥だけだった。彼女がおそるおそる扉に手をかけると、
「先輩、どうされたのですか?早くこっちに…!」
「悪いが、先に行っててくれ」青い顔を見せる彼女に、わたしは口早に言った。「これはわたしが持ち込んだ案件だ。あいつ一人を残していくわけにはいかない。すぐにあとを追うから、急いで風戸と真宮先生を病院に連れていってくれ」
「先輩…!」
わたしは彼女の言葉を遮り、問答無用と扉を締め切った。そこで次元が切り替わったのか、扉を叩く音はおろか、わたしを呼ぶ声すら聞こえなくなった。
「また、つまらない見栄を張ったね」
鼻で笑う声に振り向けば、阿久津は近くに置かれた箱型装置の上から
「あれをどうやって引きずりおろす?」
わたしは懐中電灯片手に、イモリのごとく壁に貼りつく不気味な女を見定めた。
「ここで会ったが千年目だ」
くゆらした言葉には、生き血の入ったグラスを回しているような残忍さが潜んでいた。
阿久津は佐倉氏からひったくった棒を構えて笑った。「ぼくを殺し損ねたことを心ゆくまで後悔させてやるさ…!」
言った直後、阿久津は
やり投げの選手さえ
なるほど。あれをおびき寄せるべく、あえて怒りを買う手法に出たのか。ざんばら髪に埋もれた顔の中で落ちくぼんだ
やはり頭が切れる。わたしが逆の立場でも、勝てる見込みのない相手とやり合うよりも、無力な人間を人質に取るからだ。「阿久津!」
手足を振り抜き、わたしは入れ違うように横を抜けていった用心棒に対応を任せて鉄の棒を回収しに向かった。
自分の身ぐらい、自分で守らなければ。ここで足手まといになれば、阿久津はきっとわたしを優先して手を抜く。明かりを頼りに血濡れた棒を拾い上げると、先程と同じ金切り声が飛んできた。見れば、
目を剥く奇抜な仕掛けに、思わず声が枯れた。阿久津は避けることも逃げることもせず、力相撲とばかりに突き出した腕を
「本物じゃない」ふいに、そんな言葉が口を突いた。忙しなく舞う蛾に釣られて目を走らせると、白い顔がにたりと闇の向こうで笑った。懐中電灯が明滅を繰り返す中、
阿久津が対峙していたはずの
「――― 忘らるる…身をば思はず誓ひてし…人の命の、惜しくもあるかな…」
ひび割れたかすれ声が頭上から降りそそいだ。首を絞めつける帯を掴んでもがくも、抗いなくかかとが宙に浮く。あまりの息苦しさに頭の中が真っ白に吹き飛んだ。
柳のようにしなだれる黒髪が顔にかかると、目と鼻の先で上下逆さまになった女の顔が視界一杯に広がった。どこまでも暗く深い
そこで見えたのは、雑木林の中で泣き暮れる女の姿だった。
映像は女を見下ろす位置で固定されていた。上質な
次に見えた女も、平安時代に見る
鬼の間に飾られていた装飾品の中に、それがあったのだ。
今見たものは一瞬の出来事であったらしい。小さな蛾がなぎ払われると、わたしは怒りに任せて鉄の棒を振るった。蜂の一刺しは
阿久津。逃げ帰る
人の倍はあろうかという
あらかた
女、老人、神、霊、鬼――― 阿久津が腰からさげていた、あの不気味な根付けである。
能面を象った女は小面。老人は
せせこましい攻撃にいらだちがピークに達したのか、阿久津は怒りとともに人面ボールを拡散させた。「その首、もらうぞ…!」
持ち主の思念を宿した人面たちは、逃げ惑う
悪意とも取れる気遣いに委縮している間に、
だが、あれの正体は分かっている。締めつけられた首をさすりながら、わたしは闇に慣れた目で忍耐強く天井をさらった。これに一役買ったのは、生い茂るツタを荒らして回る
細やかな根に埋もれながらも、
「本体はあそこだ!」跳ね上がる鼓動に任せ、わたしは鉄の棒で場所を指し示した。「あの女は目くらましのおとりだ。あの辺りに隠れている花を狙え!」
わたしの指示に、
しかし、何故か核となる花から遠く離れていく。わたしの当てが外れたのか、あるいは恨みがましく鉄の棒にまじないをかけている鬼の姿に恐れをなしたのか。逃げる背を目で追っていくと、張り巡らされた空中回廊の端にある扉が開いてわたしを驚かせた。
「あ、開いた」彼女もまた同じ顔をしてわたしを見やった。「先輩!」
「嘘だろう…!」
あまりの間の悪さに
向こう見ずにも
無我夢中で駆け出す頭の中は恐怖に塗り潰されていた。結界を張る際に労を惜しんだのか、ここから出ることはできずとも外からは入れる仕組みになっているらしい。扉は無情にも閉まり、逃げ道を失った渚小鳥は呆気なく捕獲された。
振り向かずとも、阿久津が舌打ちまじりに術を止めたのは分かった。彼女の命を取るか
「…風吹けば、
また和歌か。風もなくなびく衣や乱れ髪でさえ、
何故、自分がこんな目に、と。
「思いが届かない辛さは分かる」
こう切り出すと、人質の首に手をかけていた
「その身を切られた時は、さぞかしお前も人を恨んだだろう」
わたしは警戒を強める
「毒に魅せられるのは、人の中にも毒があるからだ。それが時に
彼女と植えた鬼の
「声が聞こえずとも、その痛みを自分のことのように感じる人間も。お前が今、手にかけているその子のことだ…!」
わたしの怒声を皮切りに、
わたしの目には、
彼女を捕まえられたのは執念の
桜舞う季節。冬の寒さが残る中庭の一角から、異様な熱気が飛んできた。
これは走馬灯だろうか。目を向けた先には、サークルの勧誘合戦に巻き込まれたと思しき女学生が、すかした装いの上級生どもに食って掛かっていた。足元に落ちているチラシには、タコのように踊り狂うことを信条とする団体名が記載されている。いたいけな新入生を
なるほど、それで標的にされたのか。寄ってたかって馬鹿にされている姿を
「痛々しいのは、どっちだ」わたしは彼女を
あぁ、そうだ。彼女とは、そのようにして出会ったのだ。
勧誘部員たちは髪の合間からのぞく目つきの悪さにひるんだのか、チクリと
バイト疲れを引きずって構内をふらつくわたし。佐倉氏に
隣のレーンに身を潜めていた彼女は探し物が見つからなかったと勘違いし、お勧めの妖怪本をそっと押し出して床に落としてみせたのだ。
阿久津と知り合うきっかけになった、あの鳥山
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