元探索者が愛される
ダンジョンと呼ばれるいつから存在しているのかどんな役割があるのかどれだけ深く続いているのか、多くが解明されていない未知の自然構造物は探索者を惹き付ける魔性の地下迷宮でもある。
私腹を肥やしたい者はダンジョンへ行けば良い。
ダンジョン内に多数生息する魔物の体内から採取可能な魔石は日常品から武器にまで様々な用途に利用可能な汎用性の高い魔力結晶であり、売れば高額で取引される。
知的好奇心を満たしたい者はダンジョンへ行けば良い。
階層によって温度から地形から場合によっては時間まで環境が全く異なるダンジョンにはその地点にしか存在しない特異な魔物や鉱石や植物などが存在しており、訪れた者の知的欲求を刺激する。
退屈から逃れたい者はダンジョンへ行けば良い。
探索者よりも生物として遙かに強い魔物との生死を賭けた戦いにおいては一瞬たりとも気が抜けず退屈をする暇が無い。
こうして人々はダンジョンへと誘われる。しかし一度足を踏み入れた途端彼らを襲うのは過酷な環境である。
凶暴な魔物、複雑怪奇な地形、攻撃的な植物、異常な温度差……。
己の欲のために死んだ探索者は自己責任に違いないが、残された遺族は納得するための証拠を求める。死を雄弁に語るもの。遺体。それが必要となる。よってギルドは遺体回収者という職業を定めた。ミイラ取りがミイラにならぬように確かな実績のある元探索者が条件であり、テーブルを挟んで目の前でもぐもぐと飯を食べている青年の妻もそのうちの一人だった。
赤褐色の肌を持つ彼女はオーガと呼ばれる亜人であり、人間の青年よりも体型は一回り大きく大柄で、背中に流した銀色の髪の頭頂部からは種族の特徴を示すようにちょこんと二本の角が生えている。彼女は元々ダンジョンの最前線で最深部を目指していた探索者でありその恵まれた体格と鍛え抜かれた強靱な肉体で魔物を次々と殺すことから“バーサーカ”とか同業者達に呼ばれていた。そんなおっかない二つ名を持つ彼女も今は旦那が作った飯―特に数種のスパイスを擦り込んで焼いたボア肉―をご機嫌に頬張っている。
「んーこの肉美味しいー」
「それは良かった。野菜もくえ」
「やーでーす」
「食え」
「嫌だ! 好きじゃない! 肉の方が美味しい!」
彼女は年甲斐も無く頬を膨らませて抵抗した。
彼女は、青年よりも年上で大人で図体もでかいのだがどうにもだらしないというか子供っぽい節がある。仕事柄家を空けがちで、かつ細々とした作業が苦手な彼女に代わってきっちりした性格の青年が家事をこなしているせいか、何かと甘えやがる。
だが苦手だろうと木のボウルに盛り付けてあるサラダはちゃんと食べてもらわねばならない。彼女はこの夕飯を食べた後に他の回収者たちと共にダンジョン内の14階層で消息の分からなくなった探索者の捜索・回収に向けて出発する。ダンジョン内の低階層で出会うモンスターの攻撃など彼女にとっては屁でも無いだろうが身体の内側から蝕む状態異常に対してはそうも行かない。いくら肉体を鍛えようとも毒だの麻痺だのに対する耐性は付かない。しかし青年は薬師で料理上手であるから作った美味しい料理達―紫エビとサラマンダーの卵混ぜサラダ、火炎ネギの炒め物、幻想キノコ入りシチュー等―には毒に対する耐性向上などの特別な効力を発揮する食材がふんだんに盛り込まれており、青年の料理を余すこと無く完食することが彼女の生存率を高める上ではこの上なく重要なのである。よって、好みを理由に食べないという妻の横暴を青年は断じて許さない。
「ん~にくうま~にく~」
頬を緩ませて相も変わらず幸せそうに肉ばかり食っている肉食の女が肉を食べるために空けた瞬間に青年は狙いを定めサラダを刺したフォークを突っ込んだ。
「むぐううううう!?」
「好きじゃ無くても食え。よく噛んで食え」
眼鏡を光らせ卑劣な笑みを浮かべる青年はさらに肉料理の皿を自分の手元に引き寄せて代わりにサラダをはじめとして野菜料理の盛り付けられた皿を彼女の眼前に差し出す始末であり、苦い顔で野菜を咀嚼する彼女は目の前の夫が悪魔の手下のように感じられた。
成人男性である青年の二倍の量を容易く平らげた彼女がウキウキで極氷鳥の卵のプリン(耐寒効果向上が見込まれる)を食べているのを眺めながら青年が口を開いた。
「今回の捜索対象者パーティの身に何が起こったのか、原因ははっきり分かってないんだろう」
「うん、そーだね。14階層の仲じゃ結構安全なブロックの筈なんだけど」
「十分に気をつけろよ」
「よゆうよゆう」
青年の口調は真剣そのものだが対照的に彼女の口調は軽やかである。彼女が気楽そうなのは当然と言えば当然のことで彼女はかつて62階層まで潜った経験があり、階層が下に行けば行くほど大気中の魔力濃度も濃くなって魔物が強くなる事情を考えれば、14階層の魔物の相手をするのは赤子の手をひねるようなものである。
しかしダンジョンが不確定要素ばかりであることは言わずもがなで、少しの油断が命取りとなる。青年はそれを身を以て知っている。
彼はかつては探索者だった。後の妻となる彼女と共にダンジョンへと潜っていたが、強敵であった50階層の主たる氷龍を倒した後の地上への帰還中に戦闘によって脆くなっていた天井が突然崩れ、大岩の下敷きとなった右足は失われ、探索者を引退し、今は義足だ。その苦い経験が彼に不安をもたらす。
青年はいつの間にか眉間にしわを寄せて厳しい顔をしていたらしい。
「えい」
「っっ」
青年の額をデコピンが襲った。驚いた表情の青年を妻がにししと悪戯に成功した子供のように無邪気に笑う。
「大丈夫。私は必ず君の元に返るよ。だから心配しないで待ってて?」
柔らかく微笑む彼女。
青年の事をずっと傍で見てきて恐らく世界一青年の不安を感じ取ることに長けている彼女は青年を安心させるためにこういうときにだけここぞとばかりに年上の一面を露わにするのだった。悔しいかな青年は多少安堵している自分を感じている。
しかしそれでも。
手加減されても尚オーガの妻のデコピンの痛みが後を引いているように、青年の心には一抹の不安が残り続けていた。
妻が家を空けてからの青年一人の時間の流れは早い。青年は依頼されている薬屋に必要本数のポーションを卸すためにすり鉢に様々な薬草を入れて木の棒ですり潰して粉にし、水を加え熱を加え、調合していく。それぞれの材料の分量や混ぜる回数が明確に定まっていることから極度の集中を求められ、時間は溶けるように過ぎていき、あっという間に妻の帰還予定日となる。
朝から雨が降っている。
気持ちがどこか落ち着かず時計を何度も見てしまい作業効率が目に見えて落ちるので青年はこの予定日とやらを嫌っている。彼女のことだから、どうせいつも通り無事に帰ってくると決まっているのに心配するだけ損だというのに、妙に浮き足立つ己の心の臆病さには呆れを通り越して反吐が出る。
日が沈み月が昇り夜が深まり深夜となる。
日付が変わる。
未だ玄関は開かない。
妻は、帰らない。
戻らない。
青年の心を不安の霧が満たしていく。
(落ち着け。稀にあることだ。何も起きてない。)
自らに言い聞かせる言葉は気休めにしかならない。もはや仕事など手に付く状態では無くなり、他に出来ることも無いので青年は無意味に玄関前の廊下の行き来を繰り返す。その顔は青ざめている。
青年が思い出しているのは過去のトラウマである。青年の片足が天井から降ってきた大岩の下敷きになるというアクシデントが発生したとき、氷龍との戦闘によって仲間の誰もが疲弊を余儀なくされていた。彼女もまた例外では無く、彼女は仲間と協力して叫びながら全力で大岩を持ち上げようとしたが大岩はびくりともしなかった。
疲労は思考さえも鈍らせる。
青年がようやく決心して自らを置いていくように仲間に懇願する頃には既に探索者達の気配を嗅ぎつけた魔物達が辺りを囲んでいて、絶体絶命だった。にもかかわらず彼女はその青年の必死の願いを無視し、手元のナイフを振るって泣きながら青年の右太ももを肉から骨まで一気に切断して青年を背負って仲間達ともに逃げる事を選んだ。誰もが満身創痍。彼女は戦闘不能の荷物を背負っている。結果。仲間達は一人また一人と血に飢えた魔物に襲われていった。青年はただ彼女の背にしがみつく事しかできなかった。その当時の心の痛みを、恐怖を、仲間の死体の転がる光景を、思い出している。
無い筈の右足が疼く。
もしも妻に身に災いが降りかかっているとしたら?
今こうしている間も妻が苦しんでいるとしたら?
最悪な想像が頭を巡り、自ら否定し想像し否定しを延々繰り返す。出来ることはただひたすら帰りを待つだけでその時間は悠久を思わせる長さでそれは出口の見えない長い暗い洞穴を歩く感覚と酷似していた。
だが、終わりはあった。
突然に玄関の扉が開いた。
そこには、待ち望んだオーガの女が、妻が、立っていた。青年は目を見開いた。
「エーヴァル!」
しかし呼ばれた彼女は返事を返すことはせず黙って青年を見返した。青年はとりあえず彼女の全身を見て胸回りを覆うビスチェと露出したへそ周りと皮のズボンに一切の血の付着が無いこと、赤褐色の肌に怪我の痕跡が無いことに安堵した。そして不自然な沈黙。青年は彼女の様子に違和感を感じ取っている。
彼女の目尻がとろんと下がっていて、頬が赤らんでいて、息が荒く、艶のある雰囲気を纏っていて、何だか色っぽく感じた。まるでその姿は発情しているかのような……。
青年がそれについて言及するよりも先に彼女が動いた。鍛え抜かれた脚力と俊敏さで一瞬で距離を詰めた彼女によって行われた出来事で気付けば青年は床に仰向けに押し倒されていた。目の前には彼女の顔があって身体には重みがあって妻が自分に馬乗りになっていることを理解する。
「お、おい、急に何」
「やっとだぁ♡」
ふにゃりと笑って熱っぽい声で彼女が言った。何だか妙に甘い匂いもして青年の頭がくらくらする。ひとまず状況把握が先決だと辛うじて冷静な理性が判断を下す。
「“やっと”とはどういう意味だ」
「ねえ~見て見て~」
問いかけを当然のように無視した彼女は腰の位置にあるズボンの端に手を掛けると下着ごとためらいなく下げて、下腹部を青年の眼前に晒した。
青年は息をのむ。その逞しい腹筋の下に鮮やかな赤で刻まれていたのは、ハートマークとその周りを装飾する植物の蔓にに似た紋様。
つまり、淫紋であった。
「えへへ~私えっちなの刻まれちゃった~♡」
彼女は何故か誇らしげで、その紋様の厄介さを知識で知っている青年は焦燥を声に滲ませながら尋ねる。
「お前、それどこで」
「ええ~っとねぇ~」
彼女が下腹部に淫紋を付けられるまでの経緯を楽しげに説明した。どうやら、彼女が行動を共にした回収者たちは14階層まで無事にたどり着き捜索をして、人目に付かないエリアでお目当ての行方不明者達を見つけるところまでは順調だったらしい。その行方不明者達は服を着て居らず既に死体だったため、彼女たちが早速回収しようとしたところ突然周囲に14階層には居る筈の無いサキュバスの群れが現れて、唄を聴かされ、淫紋が発現させられたのだという。
「それでねーこれ付けられちゃってからとにかくムラムラしてぇ♡ 交尾したくて堪らなくなっちゃってぇ♡ 周りにいた人たちもイチャイチャし始めちゃたからぁ、私も誰でも良いから襲いたかったんだけど……一番は君だなぁって思ったんだぁ♡ 今君と交尾したら絶対気持ち良いって……♡ だからサキュバスもぶっ倒して周りの人を襲うのも我慢して君とヤるために、真っ直ぐ帰ってきたんだよ?♡」
「そ、そうか」
青年は驚愕する。
というのもサキュバスの淫紋は非常に強力な呪いでどれだけ高潔な精神の持ち主であっても淫紋を刻まれればたちまち脳内が色欲に染まって交尾以外のことを考えられなくなりやがて寝食をまともに行えず衰弱死に至ることから探索者達の間でサキュバスは“堕天使”として恐れられており、にもかかわらず彼女はその誘惑に抗い、あろうことか複数のサキュバスを倒してしまった。そんな事例は他に聞いたことが無いし、その原動力がまさか“夫と交尾がしたかったから”というのは流石に前代未聞である。そして、そんな彼女に施された淫紋を解く手立てを青年は必死に頭を巡らせて考えてはみたが、全く思いつかなかった。強力すぎて聖職者が解呪できる類では無く、薬も当然効かない。
現状、どうする事も出来ない。
「よそ見してないでさぁ、頑張った私にご褒美ちょーだい♡」
「あ、ああ。えーと。頑張ったな」
戸惑った青年はおずおずと腕を伸ばして彼女の角と滑らかな銀色の髪を撫でる。
彼女が猫のように気持ちよさそうに目を細めたがそれは束の間で、彼女は青年の手首を掴んで床に押しつけ拘束する。
鼻先が触れ合う距離まで顔を近づけて、言う。
「違うよね?」
普段の柔らかな声色では無い圧のある声。
瞳孔の開いた瞳は情欲でギラついていて高まっている興奮が熱い吐息となって口から漏れ出て青年の頬をくすぐる。青年の胸板に自らの豊かな胸を押しつけ、太ももに股をこすりつけてくる。
交尾するぞ、とでかい身体で主張している。
その扇情的な彼女の姿に青年は否が応でもこれから自分の身に起こることを連想させられる。妻は性欲のままに自分を抱くことだろう。しかもオーガの体力は馬鹿げているから間違いなく自分の方が先にへばることになるが、今の彼女は淫紋によって情欲及び性感が極限まで高められているから気持ちよくなる事しか頭にない猿であり、夫の自分が限界を迎えようと意識が飛ぼうと関係なしに性処理道具として乱暴に使う事だろう。
幸いなことは、彼女の情欲が満たされれば淫紋が解呪されることだ。
不幸なことは、今の彼女の情欲が底知れないことだ。
身体が保たないかもしれない。
青年は青ざめる。
でも彼女の圧倒的な力で押さえつけられている身体は全く動かせないから受け入れる以外の選択肢が無い。
青年は諦める。
「……せめて、シャワーを浴びてくれ。それから寝室に行こう」
「いただきまーす♡」
せめてもの清潔を保とうとした青年の声など聞いちゃいない。
彼女は青年の唇を奪った。太くて長い舌が青年の口内に入り込んで蹂躙する。貪る。
青年の意識は彼女の熱に溶かされ、やがて消えた。
カッコいい女に愛されるシチュ集 もぐら王国 @mogu_mogu
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