第百八十五話 夜空に飾るは焔の華


 教会前での交流会も終わり、時刻は夜。

 イルザやラルフたちと別れた僕らは、少し肌寒い夜空の下に集合していた。


 帝都リンドブルム侯爵家の屋敷、その庭。


「そろそろだな」

「そろそろ? 主、何?」


 小首を傾げつつたずねてねてくるヒルデガルド。

 む、説明していなかったか?


「ウム、何だ、ヒルデガルドたちは初めてか? 夜空を彩る無数の魔法のほのお。これこそ大祝焔祭最終日の醍醐味だいごみであり所以ゆえん――――花火だ」


 両手を腰に当て、まるで自分のことのように自信満々に語るラゼリア。


 そう、大祝焔祭だいしゅくえんさいの最終日ともなる今日は、魔法による花火が帝都の夜空へと打ち上がる特別な日。


 ……本当は父上や母上も一緒に観ようと誘ったんだがな。

 あっさりと断られてしまった。


 どうやら気を遣われたようだ。


 なので、ここには僕含め、クリスティナたち三人娘とラゼリア、それとアラケルとタルドゥスの計七人しかいない。

 案の定いつものようにいないマユレリカはというと、最終日最後の追い込みをかけると言っていたので、プリティマユレリカで商売に精を出しているのだろう。


 最終日ともなれば旅の思い出や土産としての買い物もするだろうし、花火の見物がてら街も見歩くだろうから需要はそれなりにある。

 だがまあ、また仲間外れだと騒ぎそうだな。

 

「本当は宮殿から眺めた方が帝都全体を見通せて良いのだがな。すまない。この時期は他国からの来賓らいひんも来るから中々に警備が厳重になるんだ」


 別に謝る必要もないんだが……ラゼリアとしては宮殿からの眺めも僕たちに知って欲しかったのだろう。

 残念そうに肩を落とす彼女に、『気にするな』と軽く背中を叩いて伝える。


 ラゼリアが皇女としての強権を使えば、無理矢理宮殿内で観覧することも出来たはずだ。


 しかし、僕たちがどう思おうとクリスティナたちは他人から見れば奴隷でしかない。

 文化も歴史も違う他の国々が来ているとれば、身分差を理由に余計なトラブルに発展する可能性もある。


 まあ向こうから仕掛けてくるならこちらも容赦しないだけなのだが、その辺りラゼリアの立場を不利することもしたくないしな。


「だが、最終日の花火はスゴイぞ。なんたってルアンドール帝国では、この大祝焔祭だいしゅくえんさいのためだけに専用の魔法を習得した魔法使いたちが、己の技術の粋を披露してくれるのだからな」

「し、知ってます! 普通の赤い色だけじゃなくて、青とか黄金おうごんとか、色とりどりの花火が上がったり、空中で魚のようになって弾けて泳いだり、花吹雪はなふぶきみたいに散ったりするんですよね」

「おお、アラケルは帝都の収穫祭を良く勉強しているな。そうだ。そして、これは競争でもある。前回最優秀賞と称えられたのは桜の散り際を模した花火だったが、今回は一体どんな魔法が選ばれるのか。みな、区切られた自分たちの時間で最大のパフォーマンスが出来るよう日々研鑽に研鑽を重ねているんだ。それに、運が良ければ父上、皇帝陛下からお褒めの声をいただけることもあるからな。一層張り切りもする。フフ、それにしても、打ち上がる花火の詳細まで知っているとは。自分で調べたのか? 偉いぞ」

「エヘヘ」


 慈愛に満ちた表情でアラケルの頭を優しく撫でるラゼリア。


 初めはラゼリアの皇女という身分を聞いて、一歩引き気味だったアラケルも、なんだかんだこの収穫祭の間に気兼ねなく会話出来るまでになっていた。

 素直なアラケルはラゼリアにとっても親近感を覚えたのかもしれないな。


「ん」

「あっ……」


 不意に夜空に昇る白線はくせん


 誰かの吐息にも似た驚きの声が漏れると同時に、帝都上空でバンという乾いた破裂音が響き渡る。


「おお……」「綺麗……」

「……凄い迫力ですね」

「おっきい、音!」


 前世で知る花火と変わらない。

 いやそれ以上かもしれない煌めき。


 特別に設営された観覧席でない分、リンドブルム家屋敷ここは少し遠いのだが、それでも十分に迫力を堪能たんのう出来ていた。


 矢継ぎ早に打ち上がる花火。


 放射状に拡散する青色のシャワー、破裂した途端ぐるぐると描かれる紫の渦、特大でかつ黄金に輝く枝垂しだやなぎは最後はサラサラと溶けるように消える。

 夜空という黒いキャンパスに、様々な色と音が行き交い、浮かんでは消え、移ろいでいく。


 夢中になって皆が打ち上がる花火に見惚れている中、そっと僕の側へと近づいてくる人物がいた。


「……ずっと見てた」


 視線は変わらず空へ。

 隣に立つアラケルはただ独り言のように呟く。


「ヴァニ兄、アナタは……別人なんだね」

「……そうだ」

「ずっとアナタは昔のヴァニ兄なんだって思い込もうとしてた。理想のお兄ちゃんで、あの時子供の頃のヴァニ兄のままなんだって自分に言い聞かせてた。でも、収穫祭の間一緒に過ごして気づいた。気づいちゃった。……アタシ、ただアナタから目を背けていただけなんだって」


 花火に照らし出されるアラケルの横顔はどこまでも真剣だった。


「楽しかった。なんでだろう、あんなに嫌っていたはずなのに、アナタはヴァニ兄を奪った張本人だって思っていたのに、それすらも忘れてしまうぐらい……アナタは眩しかった。サーカスで水を操る魔法を披露してくれた時も、追いかけっこでただひたすら前を向いていた時も。ううん、それだけじゃない。ラパーナやクリスティナさんたちへの態度も、子供たちに接する自然な仕草も……教会でのことも。何もかもアナタはヴァニ兄とは違った。そうしたらさ。ああ、ヴァニ兄はもういないんだなって気づいた」

「…………」

「ごめんなさい。アタシ、アナタを見ていなかった。見ないフリをしてた。でも……アタシにはまだどうしてもアナタを許せない気持ちが……」

「許さなくていい」

「え……?」


 今度は僕が伝える番だった。

 どうしても消せない葛藤に苦しむアラケルに短くも伝えるべき言葉を。


「アラケル、僕がお前たちの兄を奪ったのは本当だ。たとえ転生だなんだと聞いても、お前たちには言い訳にしか聞こえないだろうこともわかっている。だから許さなくていい」

「アタシに……恨まれたままでいいっていうの? あんなに酷いことをいったのに?」

「構わない。事実は……消えないからな」

「はは、やっぱり……敵わないなぁ……」


 薄闇にアラケルの頬を伝うものがあった。

 それはいままで抱えてきたものが溶ける合図。


「……うん、許さない。だけどこれからはアナタのことを見ないフリをするのは止める。これからは真っ直ぐアナタのことを見るよ。嘘偽りのないアナタのありのままの姿を見る。…………だ、だからさ。こ、今度からアナタのことお兄ちゃんって呼んでも……」


 でも、そんな少ししんみりとした空気をものともしない者もいる。


「だからいったでしょ〜〜。アーちゃんなら絶対わかってくれるって〜〜」

「タ、タル……!?」


 肩から伸し掛かるようにアラケルに覆い被さるタルドゥス。

 薄暗い闇の中でも満面の笑みだとわかる。


「フフ、本当に仲がいいな、お前たち双子は。さあ、そろそろ、クライマックスだぞ!」


 上空高く打ち上がるのは特大の花火。


 轟音と共に帝都の空が一際光り輝く。


 後に残るのは僅かな余韻。

 

 物事の終わり、それはいつだって寂しい。


 ……そうだな。


「せっかくの機会だ。どうせなら僕たちも少し便乗させて貰おうじゃないか。ラパーナ」

「え? わたし……ですか?」

「力を貸してくれないか?」


 突然の提案に戸惑うラパーナ。

 僕は彼女に手を差し伸べる。


「僕が火の魔法を圧縮して展開するから、それを拡散しないように包み込む形で『黒』を展開してくれ」

「で、でも……そんな急には……」


 魔法を撃ち出すという意味ではハベルメシアの方が慣れている分適任だろうが、あいつは力加減なんて出来ないからな。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ! ねぇ! こんな貴族街で魔法を使ったらまた怒られるよ! 『帝都の治安を乱さないように』って、この間あの天馬ペガサスの人にこっぴどく叱られたばっかりじゃん! ねぇ、またお説教されちゃうよ!?」

「ああ、そうかもな」

「そうかもな、じゃないから! 帝都のど真ん中で魔法、しかも花火なんて。目立つに決まってるし、誰がやったかすぐわかっちゃうよ!?」

「ハハハハ、ハベルメシア、細かいことは気にするな! そんなものやってみてから考えればいいじゃないか」

「ああ、もうラゼリア様まで! 笑い事じゃないのにぃ〜〜! ねぇ〜〜、クリスティナちゃ〜〜ん!」

「ハベル、諦めて下さい。主様は決めたことは必ずやり遂げる方です」

「うぅ……わかってるけどさぁ」


 騒がしいハベルメシアをラゼリアとクリスティナがなだめてくれる中、僕は再度ラパーナと向き合う。


「どうするラパーナ? 気乗りしないか?」


 改めて自信無さげにうつむくラパーナへの問い。


 でも、僕は知っている。


 ラパーナが人知れずずっと魔法の修練に励んでいたことを。

 封印の森から帰った後もただひたすら僕たちに追いつくため、己の持つ力と向き合っていたことを。


「ラパーナ、アタシ、ラパーナの魔法見たいな」

「アラケル様……」

「ハーソムニアの屋敷にいた時はラパーナの魔法って全然見たことなかったよね。でもこの間チラッと見せてくれた時……スゴかった。怪人Aさんの魔法をあんな風に射抜いちゃうなんて。弓の腕もそうだけど、これまでラパーナがどれだけ頑張っていたか、あれでわかったから」 

「……はい」

「だから、もう一度見たいな、ラパーナの魔法。良かったらアタシたちに見せて欲しい。ラパーナがあの頃からどれだけ変わったのかを」

「わたしも見たいな〜〜。ラパーナの格好いいところ〜〜」

「タルドゥス様も……」


 昔の自分との違いを知るアラケルとタルドゥス二人からの後押しだからこそ、躊躇いがちながらもコクリと頷くラパーナ。


「ご主人様、わたし……!」


 さて、じゃあラパーナの同意も得たことだし、どうせなら少しでも空に近い方がいいか。


「きゃっ!?」


 ラパーナの細い腰を左手で掴むと屋敷の屋根へと飛び移る。


「さあ、僕と一緒に手を前に。――――篩握シーヴグラップ


 選び取るのは火の魔力。

 それでいて僕が制御出来る最大の力を。


 五指を開き、掴み取る。


 渦巻く火炎が右手の内に宿り、薄闇を照らす。

 うむ、後はこれを少しでも圧縮するだけだな。


「――――火握真円ファイアサークル


 内側。

 ただ閉じた手の内側に力を集中する。


 それでいて、ただの攻撃魔法ではなく、破裂した時に鮮やかに花開くように。


 ……難しいな。


 だが、だからこそ面白い。


「っ、ラパーナ頼むぞ」

「……はい。抑える。包み込む。……――――黒の領域ノワール・リージョンスフェール】」


 僕の作り出した火の球体をラパーナの『黒』が抑え込み、さらに押しつぶすようにして圧縮する。

 押し寄せる制御の負荷に苦悶くもんの表情を浮かべるラパーナ。


 もう少し。

 圧縮された火球の表面を『黒』が徐々に覆い、漏れ出る光が少なくなっていく。


「撃ち出すぞ」

「ッ……!」


 夜空に向かって二人重ねた手のひらの先。


 夜空へと撃ち上がる『黒』の球体。

 幾ばくかの時と共に起こる爆発。


「綺麗……」


 屋根から飛び降りる途中、抱き抱えたラパーナと顔を見合わせる。


「ああ、綺麗だな」


 軌道は斜めに傾いているし、高さも足りない。

 規模も帝都全体から見たら遥かにちっぽけだろう。


 不格好で、これまで打ち上がった花火と比べたら吹けば飛ぶようなはかなさだ。


 でも構わない。


 振り返れば夜空に咲く焔の華に照らされた彼女たちの笑顔が、煌々と浮かび上がっていた。


 きっと僕はこの光景を忘れない。






 慌ただしかった大祝焔祭だいしゅくえんさいも終わり、数日後。

 いよいよ別れの時が来ていた。


「では父上。母上と二人のこと、お願いします」

「勿論だとも。ヴァニタスも……まあなんだ。ほどほどに頼むよ」


 苦笑いの父上に薄く微笑み返す。


 帝都に来てから父上には色々と苦労をかけた。

 でもお陰でオータムリーフとの交渉も滞りなく進んだし、ハベルメシアとの再戦も邪魔もなく終わらせられた。

 改めて感謝しかない。


「……ヴァニタスちゃん、元気でね」

「はい、母上」


 母上とは今回もあまり話は出来なかったな。

 でも……会話はなくても以前よりずっと距離は縮まったような気もする。


 母上の瞳は前よりほんの少し優しくなったように思う。


「ほら、アーちゃん。ずっと黙ったままでいいの〜〜?」

「あ、ちょ、ちょっとタル……!」


 タルドゥスに背中を押されるような形で僕の前へと躍り出るアラケル。

 彼女は照れくさそうに鼻先を掻くと、両手の指先を突き合わせ、何か言いたげにモジモジとしていた。


「あ、あの……!」

「どうした?」

「ううん、! また……また遊びに来るから!」

「……ああ」

「絶対だからね! 約束だからね! だから――――」

「ああ、待ってる」

「――――うん!」


 最初は敵意だった。


 だけど、いまアラケルが僕に向けてくれているものは、自惚うぬぼれでなければ一人の人間としての尊敬だった。


「ヴァニタス兄! ラパーナ! じゃあ、またね!」

「ヴァニタスお兄ちゃ〜〜ん! みなさんも〜〜、また会いましょ〜〜う!」


 アラケルとタルドゥスは馬車から身を乗り出して最後の最後まで手を振り続けていた。


 しばしの別れ。


 でもきっと今生こんじょうの別れではない。


 僕たちの道はまた交わることがあるのだから。











いつも遅くなりすみません。


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