第百八十四話 失った者の哀哭


「ヴァニタスくん……奇遇きぐうですね。こんなところで出会うなんて……」

「……フロロ先生」


 膝をつき祈りを捧げていた彼女は、僕に気づくと立ち上がりゆっくりと振り返る。


 フロロ・ケイト。

 緑髪に落ち着いた茶色の瞳。

 ケイト子爵家の次女でありながらゼンフッド帝立魔法学園の教師も務める彼女は、僕のクラス、自身の名を冠したフロロクラスの担任教師でもある。


 生徒相手でもいつも緊張していておどおどと頼りない彼女。

 しかし、いまのフロロ先生は二人きりの空間だというのに取り乱したりしていなかった。

 むしろ教会の静謐せいひつな雰囲気に同調するように落ち着いている。


「……フロロ先生は表の交流会には参加しないんですか? 随分盛り上がっていましたよ」

「……そうですか。でもわたしでは場違いかなと。ヴァニタスくんこそこんな……誰もいないところにいていいんですか? 見たところクリスティナさんたちとは一緒ではないようですけど……」

「僕にも一人になりたい時ぐらいありますよ。それに、彼女たちが独自に交流を深める邪魔をしたくないですから」

「クリスティナさんたちならヴァニタスくんには寧ろ側にいて欲しいと思うでしょうけど……そう、ですか。そうですよね」

「ここには頻繁ひんぱんに?」

「……はい。時々お祈りに。ここは……静かですから」


 それきり黙ってしまうフロロ先生。

 辺りに再び訪れる静寂せいじゃく

 

「…………聞かないんですね。何故わたしがここで祈っていたのかを」

「聞く必要がないかなと。それとも聞いて欲しいんですか?」


 僕の問いに一瞬ビクリと肩を震わせるフロロ先生。

 ……少し踏み込み過ぎたか?


「…………そう、ですね。はい、少し話を聞いて貰ってもいいですか?」


 不躾ぶしつけな質問に気分を害した様子もなく、フロロ先生に促されるままにして隣り合うように長椅子へと腰掛ける。


 覗く横顔は普段とは別人のように冷静で……悲痛だった。


 彼女は語り始める。


 それは外界から隔離され孤立した静謐せいひつなる教会で語られる一つの過去物語


「――――あるところに教師がいました。新任の教師です。彼女は帝都とは異なる地方の街で初めて自分のクラスを持ちました」

「………」

「教師になることは彼女の昔からの憧れでした。彼女は自分がどうしようもなく駄目な人間だと理解しています。ドジで間抜けで要領も悪い。でも、そんな自分でも誰かの力になれる存在になれる。教師として子供たちを教え導くことはそんな彼女のとってのささやかな……でも大切な夢でした」


 フロロ先生はただひたすら祈りを捧げる。


「ヴァニタスくんたちより一回り小さい子供たちは、みんな元気いっぱいで、ドジな新任教師はついていくのがやっとでした。毎日子供たちに翻弄ほんろうされては疲れ果てて泥のように眠る日々。自分の力不足を痛感つうかんした日は数え切れないほど。でも……充実していました。彼らの、彼女たちの輪に入れたことがたまらなく嬉しかったんです。平穏で優しく温かな時間。ずっと、子供たちが卒業するまでいつまでも続くのだと疑っていませんでした。……そうです。いつまでも平穏であって欲しかったのに」


 祈りはいつしか強さを増す。

 言葉には出さずとも、この先は語りたくないと彼女の固く重ねられた両手は物語ものがたっていた。


 それでもフロロ先生は重い口を開く。

 それは何処か懺悔ざんげにも似て――――。


「……ある時事件が起きます」

「…………」

「魔物の襲撃です。突然、何の前触れもなく魔物の軍勢が街の中心に現れました」

「……何故そんなことに? どの街でも警戒網ぐらいは敷いているはずですが」


 魔物の蔓延るこの世界で生活圏を確保する外壁は勿論、各街や都市には領主の騎士団や自警団、あるいは冒険者たちだって常駐している。

 いくら地方の街とはいえ、襲撃に対する備えはあるはずだ。


 その警戒網を潜り抜けて突然街中に魔物が現れるなんて……。


「……人為的なもの、ですか?」

「いいえ。魔法による工作の痕跡はありませんでした。ですが、そうですね。何が原因かはいまだにはっきりとはわかりません。でも……少なくともあの街を害する理由はなかったと思います」


 フロロ先生の口振りでは小さな街だ。

 そこをわざわざ狙い撃ちするメリットはない、か。


「魔物の中には時に地形すら変えてしまうものもいます。特に蟻系の魔物は地面に深い穴を掘り、坑道のような長く巨大な洞窟ですら作り出してしまうことすらある」

「まさかその魔物が……」

「……はい、街を襲ったのは本来その土地近辺には生息していないはずの魔物でした。そのため事前の警戒網は役に立ちませんでした。運の悪いことに、いえ魔物たちが意図して行ったのかはわかりませんが、街の中央に穿たれた深い大穴はどうしようもなく致命的でした。街を守る騎士たちが気づいた時にはすでに街中は多数の魔物で溢れ、住民たちを守るための外壁は寧ろ脱出を阻む障害になっていました」

 

 逃げ場のない空間に次々と魔物が供給される。

 その場にいた者にとっては悪夢のような出来事だろうな。


「魔物はあまりにも数が多過ぎました。街の中心に空いた大穴からの魔物の流入はとても抑えきれるものではありませんでした。それに、最初の奇襲で指揮を取るはずの場所が占拠され、指揮系統が崩壊してしまったのも混乱に拍車を掛けてしまいました。逃げ場をなくした住民たちは建物に立て籠もるしかなかった。防壁バリケードを築き、自らの力で理不尽に立ち向かった。でも……被害は拡大する一方でした」

「……子供たちはどうなったんですか?」


 予想はつく。

 それでも僕は聞いた。


 どうしても聞かなければならないのだと何となく察していたから。


「……新任教師はその日隣街へと注文していた新しい教材を受け取るために出掛けていました。彼女が報せを受けて街に戻って来た時にはもう連絡を受けた近隣の都市から討伐隊が編成されていました。……彼女は静止を振り切って中に潜入しました。まだ助けを求めている子たちがいる。何より絶対に子供あの子たちは生きているのだと信じていました。半壊した門を潜り抜け、いまだ街中を我が物顔で徘徊はいかいする魔物の目を盗み、必死で進みました。多少の傷なんて構わなかった。ただあの子たちに会いたい一心で……そうして向かった先は彼らの通う学校でした」

「学校、もしかして子供たちの避難した場所は……」

「そうです。新任教師は万が一の時は学校へと避難するよう子供たちに教えていました。でも……彼女が辿り着いた時そこにあったのは酷く崩れ落ちた瓦礫の山と……」

「…………」

「あの子たちの最後の拠り所になっていたはずの場所は、もうどうしようもなく……壊されていました」


 祈るフロロ先生の目尻に光る雫。

 その光景を彼女が目にした時の絶望は計り知れない。


「彼女は――――はずっと後悔し続けています。あの時、少しでも早く街に戻れていたら。あの子たちの側にいられたなら。……何も出来なかったかもしれない。いえ、きっとドジなわたし一人いたって何も変わらなかった。でもそれでも良かった。彼らと一緒に手を取り合って励まして、心の支えになれればそれで」


 たとえそこで共に命を落としたとしても本望だとばかりにフロロ先生は告げる。

 頬を伝う涙はもう止めようがなかった。


「間に合わなかったっ! 助けられなかったっ! 何よりわたしは――――っ!」

「! ……それは」


 スプリングフィールド公爵から踏破授業での襲撃があった日の詳細は改めて聞いている。


 フロロ先生の魔法。

 触れたものを例外なく溶かし、死をもたらす毒の沼。


 先生が瓦礫の山の前で毒沼魔法を発動したのなら……その下にあっただろう子供たちの遺体すらも……。


「亡骸さえ残らなかった。魔法を暴走させたわたしのせいで……いえ、いいえ、本当は違うんです! わたしは子供たちをあんな目に合わせた魔物たちを! 憎くて憎くて仕方なかった! 制御出来なかったなんて言い訳です。わたしは自分の意思であの魔法を発動した!」


 憎悪と後悔に濡れた瞳は誰に向けられているのか。

 フロロ先生の怒りの矛先は……。


「……そこからはよく覚えていません。街を彷徨っている内に魔物はすべて溶けてしまいました。それから数年、あの子たちを失い、屋敷で塞ぎ込んでいたわたしをオリビア学園長先生はゼンフッド帝立魔法学園に誘いました。もう一度教師に復帰して見ないかとの提案に、わたしは最後の希望を見た気がしました」

「…………」

「……諦めきれなかったんです。あの子たちが好きだと言ってくれた先生に戻りたかった。わたしなんかを慕ってくれたあの子たちに少しでも報いるために相応しい教師になりたかった。でも、教師として今度こそ生徒のみなさんを守り通すと誓ったのに……つい先日も我を失ってしまいました。あんな、あんなことを……!」

「僕はその場にはいませんでしたが……でもそのお陰でクリスティナたちも助かったと聞いています」

「結果的にです。わたしの目に彼女たちは写っていなかった。怒りに身を任せ感情をあらわにすることしか出来なかった」

「……自分が許せないんですね」

「だってそうじゃないですか! 生徒を守り導くはずの教師があんな、あんな…………あの時のわたしは相手を殺すことしか考えていなかった。一歩間違えば自分の手で生徒のみなさんを傷つけてしまうところだったのに。わたしはみなさんの教師として相応しくない。わたしはっ! わたしはやはり教師を続けるべきでは……!」

「フロロ先生」


 動揺する先生の手を取り抑える。


 ……冷たい手だ。

 こごえるように冷たくえ切っていた。


「ご、ごめんなさい。取り乱しました。……駄目ですね。生徒であるヴァニタスくんにこんな弱音を吐くなんて」


 フロロ先生、この人は自分自身に怒りを向けていた。

 不甲斐ない自分をいつまでも許せないでいる。


 だが、それ故に見えていないものがあった。

 ……舐められたものだな。


「そうですね。――――貴女は弱い」

「!?」

「きっと貴女があの場にいても子供たちは助からなかったでしょう」

「うっ……」

「僕は当事者ではないから子供たち彼らの代弁はしません。ですが、貴女が教師を辞めて何になるんです?」

「何って……」

「辞めて、何が残るんです?」


 何も残らない。

 ただ失った者の哀哭あいこくと無惨な抜け殻が残るだけだ。


「フロロ先生、貴女は自分自身を憎んでいる。守れなかった自分に不甲斐ない自分に憤りを感じている。でも……立ち上がったのでしょう? もう一度教師を続けようと決意したのでしょう?」


 そこにどれだけの覚悟があったかを僕は知らない。

 悲劇を目の前にしてもう一度立ち上がることがどれだけ困難か僕にはわからない。


 抜け落ちた物語ストーリーの知識は彼女の過去を教えてくれない。

 でも、知らなくてもいい。


 止め処なく涙を流し、力無くうつむく彼女を見下ろし伝える。


「立て。フロロ・ケイト。僕らは、フロロクラスの生徒たちは貴女の罪悪感を和らげる免罪符じゃない。後悔を払うための道具じゃない」

「ッ!?」

「一度自分自身に誓ったなら立つんだ。何より貴女は僕たちの、僕の担任教師。途中で投げ出すなんて許さない」


 悲劇などこの世界には有り触れたものだ。


 魔物も人も容易く人の命を奪える力を有している。

 フロロ先生のような境遇も、いやそれ以上の不幸に見舞われた者もこの世界には数多くいるだろう。


 優しく諭すことは出来る。

 包み込むように励まして問題を先送りにすることだって。


 でも違うはずだ。

 彼女に掛ける言葉は優しさで取りつくろったものではない。


「ヴァニタスくん……」

「僕を見ろ。目の前の生徒を見るんだ。もういない生徒子供たちを想うのは構わない。でも目の前の存在を無視するのは許さない」

「…………で、でも」

「フロロ先生、貴女も気づいているはずだ」

「え……?」

「あの襲撃で確かに騎士たちに死傷者は出てしまいました。でも生徒の多くは軽傷の者で済みました。あの結果は先生がヤツらを抑えてくれたお陰です。違いますか?」

「でもあれはリーズリーネさんが……」

「彼女の尽力は大きいのは事実です。でも、それこそ仮定に過ぎませんよ。貴女があの場にいたからこそ多くの生徒たちが助かった。僕に言われなくてもわかっているはずです。フロロ先生、貴女は何も出来ないと言った。自分には何も変えられないと。違う。たとえそれが憎しみと憤りから発せられたものでも貴女は確かに生徒を守ったんだ。目の前の事実から目を背けて、ドジだなんだと自分を卑下する必要は何処にもない」


 届いただろうか。

 この哀れなる教師に。


 ただ静かに返事を待つ。

 一度俯うつむき、涙を払ったフロロ先生はそっと立ち上がる。


「……情けないですね。生徒に励まされちゃうなんて、それこそ教師失格です」

「構いませんよ。教師も一人の人間なんですから。それに……僕にだけ弱いところをさらけ出してくれた訳ですよね?」


 それにしても、本当に冷たい手だったな。

 ……風邪でも引いてるんじゃないよな?

 弱々しく立ち尽くす彼女をぐっと引き寄せると額へと手を当てる。


 うむ、別に熱はないか。


「っ!? ち、近いです。ヴァニタスくん。こ、こんなところを誰かに見られたら」


 動揺して目を白黒させるフロロ先生は小動物が慌てているみたいで少し面白い。


「いかがわしい密会かと思われますかね? でもいいんじゃないですか。外野の余計な声など言わせておけばいい」

「……ヴァニタスくんは変わりましたね。以前の貴方ならこんな風に相談に乗ってくれることも、励ましてくれることも……ましてやこんな風に教師をからかうような真似もしなかったのに」

「ああ、その辺り伝えてませんでしたね。僕はヴァニタス本人じゃありません。別人ですよ」

「え? じゃ、じゃあ貴方は一体……!」

「僕はヴァニタスですよ、先生。貴女がフロロ・ケイト貴女であるように」


 動揺したままの瞳を覗き込む。

 うん、さっきまでの濁った瞳よりずっといい。


「あう……」


 おっと腰が抜けたのか?

 フロロ先生の腰を支えると長椅子へと座らせる。


「ではまた学園で」

「は、はい」

「……ああ、それと魔法を制御する訓練がしたいなら付き合いますよ。僕でもよろしければ、ですけど」

「……はい。ありがとうございます。ヴァニタスくん」


 腰砕けになったフロロ先生を置いて教会を去る。


 ……何もかも溶かす毒の魔法か。


 彼女の魔法には興味がある。

 毒、これから進む先において対策が必須になる魔法だろう。


 それに、フロロ先生が教師である間は僕と敵対することもない。

 一緒に訓練するとなれば思う存分実験出来るな。


 ……きっともう彼女は問題ない。


 









「ヴァニ兄……」












二週連続で遅れてしまい申し訳ありません。

なんとか週一は更新したいのですが……難しい。


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