第百八十二話 矢のように、鳥のように


 ……ただただ面倒な相手だった。


 手加減しているのはわかる。

 アシュバーン先生がもし本気を出そうものなら、あんな狭い裏路地またたく間に崩壊していただろう。


 とはいえ、光の槍を列を成して降らせることによる分断工作から空中にて発動、設置した薙刀なぎなた状の槍を高速回転させる広範囲攻撃。

 さらには、頭上高くの死角から絶え間なく槍を降らせる逃げ場のない飽和継続攻撃と、どれも僕とアラケルなら対処出来ると信じているからこその攻撃なのだろうが、中には結構際どいものもあった。


 結局雨霰あめあられと降り注ぐ光の槍の弾幕を、アラケルと共に潜り抜け、ふところに一撃良いのを入れるとこでなんとかなったが、それでもオリビア学園長の姿に変身したアシュバーン先生はとてつもなく面倒だったのは間違いない。

 最後は『この私が敗れるなんて……』とオーバーなリアクションで倒れていたけど、実際こちらの攻撃など大して効いていなかっただろうな。


 取り敢えず『……私を倒してもすぐに第二、第三のチョコミントが……!』なんて捨て台詞を吐く先生を路地に放置し、僕たちは先へと進む。


 再び屋根の上。

 先で待つといったラゼリアは――――。


「ヴァニ兄、あっち!」


 あそこか。

 アラケルの指差す先、ラゼリアが立っていたのは帝国でも有名な巨大建造物の一つ、帝国大劇場の屋上。


「やっと追いついた! いい加減タルを返して貰うよ!」

「フハハハ! その様子ではチョコミントは足止めに失敗したようだな。……いや、あの御人のことだ。わざと敗れた振りでもしたか。まあどちらでも構わん! ここからは私直々に相手してやるぞ! さあ掛かってこい!」


 アラケルの気迫を笑い飛ばすラゼリア。

 横抱きに抱えたタルドゥスは今度こそ本物のはずだが……。


「攻撃が全然通じない……! 片手しか使ってないのにこんなに簡単に受け止められちゃうなんて……さっきのチョコミントさんといいこんなに強い人が……」

「フハハハ! いい、いいぞ! その意気だ! 思いのたけをすべて吐き出すつもりでぶつかってこい!」

「……はい!」


 ラゼリアは変わらずタルドゥスを抱えたままだが、アラケルが何度突撃しても結果は同じだった。

 

 衝突の度に受け止め、いなされ、弾き飛ばされる。


「まだまだぁ!」

「ハハハ、来い、アラケル・リンドブルム! 私を上回って見せろ!」


 アラケルはその度に起き上がり立ち向かうが、突破口は見えない。


「主様!」「……ご主人様」


 そんな中現れたのはクリスティナとラパーナの二人。

 背後には追いすがるヒルデガルドとハベルメシアをともなっていた。


「すみません、振り切れませんでした」

「いや、こっちこそ先に送り出して貰ったのにすまないな」


 こちらが合流したのと時を同じくして、ラゼリアの方にも新たな援軍が現れる。


「や、やっと追いつきましたわ」


 息も絶え絶えなマユレリカ、もとい怪人A。


「ん、遅いぞ怪人A」

「……残念ながらわたくし、ラゼ……リーダーたちのように足が早い方ではないんですのよ」

「ぐだぐだ文句は要らん。怪人Bと怪人Cは向こうで手一杯のようだ。さあ、援護を頼むぞ!」

「文句と言うわけでは……まあいいですわ。旧知の仲の相手を攻撃するなど不本意ではありますが、頼まれた以上お仕事は致します。アラケルさん、お覚悟を! ――――女王蠅レジーナムスカ!」


 マユレリカが繰り出したのは何時ぞやの人の身長にも迫る巨大な蠅。

 ラゼリアだけを見ていたアラケルの眼前に、けたたましい羽音を立てる巨大蠅が立ち塞がる。


「うわナニコレ、デカッ!? キモッ!!」

「「「「「「あ……」」」」」」


 咄嗟とっさに出てしまっただろう反射的な一言に、一瞬で空気が凍りついた。


「はうぅ!?」


 もはや敵味方なしに全員が動きを止めていた。


「あの、えーと、いまのって怪人Aさんの魔法だったの? なんか……その……ごめんなさい」

「い、いえ、いいんですのよ。そうですわよね。普通はそういう反応ですわよね。お、お構いなく。別になんとも思っていませんから」


 なんとか平静を取りつくろってはいるが、マユレリカがめちゃくちゃショックを受けているのは明白だった。


 僕とは仮初とはいえ婚約者だったから、元々アラケルとマユレリカは面識がある。

 いまは正体を隠しているとはいえ知人から散々に言われてしまっては流石のマユレリカも堪えたらしい。

 

 ……まあでも、みな薄々思っていたことだったからな。

 僕たちは封印の森で見慣れているし、彼女の力の一端だと理解しているからなんともないが、ハイリザードマンすら頭から丸齧まるかじりするデカい蠅なんて、年若い少女では生理的に受け付けなくてもおかしくない。


 うむ……だからひざまずいてまでがっつりダメージを受ける必要はないぞ。


「怪人A、そう落ち込むな。私は悪くないと思うぞ」

「……リ、リーダー」

「見た目はまあ万人受けするものではないが。戦闘能力特化の魔法、大いに結構じゃないか。戦いに容姿など関係ない。むしろ相手が怯んで動きが鈍るなら好都合だ。それにあれだ。私にはよくわからないが……キモ可愛いというやつだろ? うん、気にするな」 

「結局キモいのではないですかっ!!」

「ハハハ、すまんすまん、嘘はいけないからな!」

「うぅ……余計傷つきますわよ……」


 ラゼリアの励ましでなんとか持ち直したマユレリカ。

 そのなごやかなやり取りを見て隙を感じたのだろう。


 不用意にも飛び込むアラケル。


「……いまのうち……やぁあああ!!」

「おっと隙だらけかと思ったか? 駄目だぞ。……出直して来い」

「キャッ!?」

「! クリスティナ少しの間後を頼む!」


 




 足を捕まれ地上へと落とされたアラケルを追う。


 とはいってもラゼリアはその辺りも配慮している。

 どうやら怪我もなく無事に着地出来たようだな。


 しかし、地上にて片膝をつくアラケルには先程までの勢いはなかった。


「……どうした? 戻るんだろう?」

「……うん」


 あれだけタルドゥスを取り返すと張り切っていたはずのアラケルは、いまは弱々しく頷くだけだった。


「ヴァニ兄、アタシ……どうしよう、

「…………」

「チョコミントさんもタルをさらったあの女の人にも全然敵わないんだけど、アタシ……いますごく楽しい。こんなこと考えちゃいけないのに。タルを取り返さなくちゃいけないってわかってるのに。アタシおかしいよ。だって……楽しくてニヤけてる」


 これまでアラケルは自分の力が通じない相手と相対したことなどなかったはずだ。


 いくらお転婆娘てんばむすめとはいえ、侯爵家令嬢。

 危険に晒されること自体が少なかった。


 だがいまアラケルはアシュバーン先生との戦闘を経て、さらにはラゼリアといういまの段階では届かないいただきを前に、自分自身の感情に戸惑っていた。


「楽しいか……楽しくて何が悪いんだ?」

「だって……こんなの良くないよ。いくらリーダーさんがタルを傷つけないからって、アタシ……いまの状況を楽しんでる。自分の力を試せることに喜んじゃってる」

「だが、強くなっていると実感しているんだろう?」

「…………」

「自分の力を高めて強敵に挑む。ああ、そうだ。楽しくて当たり前だ。それが真正面から受け止めてくれる公平フェアな相手ならなおさらな」

「……うん」

「楽しい? 大いに結構じゃないか。何事も笑い飛ばして先に進めばいい。それに、お前に悩んでいる姿は似合わないぞ」


 俯いていた顔をあげるアラケル。


「似合わない……そうかな?」

「ああ、少なくとも僕の知るお前は、何時でもお転婆で元気一杯で妹想いなただの少女なんだ。いまこの時を楽しむことを悩んでどうする。自由に心のままに過ごせばいい」

「……ヴァニ兄の知る……アタシ……。やっぱり……ヴァニ兄は……」


 アラケルは何かを振り払うように顔を横へと振る。

 僕を見上げる瞳にはもう不安はなかった。


「……うん、悩んでるなんてアタシらしくなかった。そうだね。こんなことで足を止めちゃうぐらいなら早くタルを取り返さなくちゃ!」

「ああ、その意気だ。行くぞ、アラケル」

「……うん」

「アラケル?」

「ううん、何でもない。そうだね、アタシらしく……」






 攻勢に転じる。

 ならやるべきことは決まっている。


 そもそもこの追いかけっこの勝利条件ゴールはタルドゥスを取り返すこと。

 何もラゼリアたち全員を倒す必要はない。


 ならば……。


「クリスティナ!」


 乱戦具合の増してきた屋上へと戻り、ヒルデガルドと接近戦を繰り広げていたクリスティナに呼び掛ける。


「はい、主様!」

を!」

「! はい! ――――水麗追葬鷲プルクラアクア・パシュートイーグル! アラケル様、こちらを踏み台に!」

「ありがと、クリスティナさん! ――――躍動軌道ジャンプシフト!」


 瞬時に意図を悟ったクリスティナの魔法。

 強化した跳躍力で標的を追う魔法水鷲を足場に、アラケルはラゼリアへと急接近する。

 

「む、マイティ……」

「させないと言っているでしょう? ヒルデ、貴女の掌握魔法はまだ足を止める必要がある」

「むむ、邪魔!」

「ヒルデガルドちゃん! 待ってて、いま……」

「まあ待て、ハベルメシア、お前の相手は僕だ」

「っ!?」

「お前を野放しにすると場をことごとく荒らされてしまうからな。ここで大人しくしていて貰うぞ」

「……う〜ん、ごめん、これは助けには行けないかも……」


 その間の僕たちの仕事はヒルデガルドとハベルメシアを封じることだ。

 後は……。


「!? お二人共、ならわたくしが援護を! ――――黒蠅ムスカ暗雲キュムロス


 ラゼリアを守り、アラケルの行く手を阻む黒蠅の集団は、まるで先を見渡せない闇のカーテン。

 しかし、こちらにはまだ手が残っている。


「ラパーナ」

「…………はい」


 静かな頷きと共に弓を構えるラパーナ。


「行きます。――――黒の絶矢ノワール・ペルセ


 矢に纏うは『黒』。

 ラパーナの力と想いを乗せて飛ぶ矢は、命中と同時に『黒』を広げ、群がるマユレリカの蠅を弾き飛ばす。


「流石はラパーナさんですわ!」


 はぁ……どっちの応援をしてるんだか。

 だが、これでもう行く手を阻むものはなくなった。


「行って! アラケル様!」

「ラパーナ……ありがと!」


 声援を受けさらに加速するアラケル。

 だが、あのラゼリアが座して待つなどと大人しい対応を取るはずがなかった。


 即座に迎撃のための魔法を唱える。

 狙いはアラケルの足場となるクリスティナの水鷲魔法


羽撃く竜骨の羽ドラゴンボーン・フェザー――――」


 それはさせる訳にはいかないな。


双握ダブルグラップ――――極握砲撃波フルインパクト・バスター」 

「あっ!?」

「ッ!? ヴァニタス、ここで来るか……」

「行け、アラケル」

「うん……!」


 さて、威勢よく送り出したとはいえ、ラゼリアの実力を考えれば普通に戦っていてはアラケルにまず勝機はないだろう。


 だが、僕は事前に彼女に助言アドバイスをしておいた。

 万全の状態で待ち構えるラゼリアにも効くだろうを――――。


「ヴァニ兄が――――」


 最後の踏み込み、最後の水鷲足場

 踏み締めた瞬間、アラケルは力いっぱい叫ぶ。






「――――今度半ズボンで膝枕してくれるってっ!!」






「…………はぁ!?!?!?」


 目を白黒させたラゼリアの動揺は凄まじいものだった。


「いや、そんな駄目だ駄目だ。いまの状態でもチラチラと太腿ふとももが視界に入って集中出来ないというのに。言うに事欠いて半ズボンのままひ、膝枕だとぉ!? は、肌が直に触れてしまうんだぞ。あの神聖かつむちむちでシュッと締まった膝小僧がドピンクでイヤらしい誘惑しかない色気だだ漏れのあの太腿ふとももに顔をうずめる、だと!? ゆ、許されザル行為だ……! 神をも畏れぬ蛮行……! だが……本人の許可があるなら……いいのか? お触りアリなのか? ……ゴクリ」


 ……まあ、正直こんなに早口になるほど特攻で効くとは思っていなかったのだが……その致命的な隙を彼女は見逃さない。


「いま! ――――躍動一踏ジャンプフォワード!!」


 矢のように。

 あるいは翼を羽撃はばたかせ、向かい風すら引き裂き突き進む鳥のように。


 アラケルはただ飛躍するままに空を一直線に駆ける。


「しまっ!?」

「やっ……た」


 交錯こうさくは一瞬。

 アラケルはラゼリアの手から見事にタルドゥスを取り返して見せた。


「ぐぐぐ……して、やられたな。これも作戦勝ちか」


 ラゼリアの意味深な視線に軽く頷いて答える。

 流石にあの呪文は想定外だったようだな。


「アーちゃん……ありがとう」

「ううん、こっちこそ待たせてごめんね、タル」


 今度こそ離すまいとタルドゥスを抱き締めるアラケル。


「ねぇヴァニ兄、やった……やったよ!」

「ああ見ていた……よくやったな」

「えへへ……うん! ありがと!」


 満面の笑みで答えるアラケル。

 いつの間にかラゼリアがそっと隣へと立つ。


「ウム、結局押し切られてしまったな……」

「まったく、巻き込まれるこっちの身にもなってくれ」

「だが悪くはなかっただろう?」

「……ああ、たまにはこんなのもいいのかもな」


 ……それにしても、タルドゥスめ、最初からだったのかはわからないが、ラゼリアと協力関係にあったのは間違いないな。

 何せ抱き締められ、アラケルから見えないことをいいことに、『ごめんなさ〜い』とばかりにこちらにペロッと舌を出してくるのだから。


「と、ところでヴァニタス、先程のアラケルの言葉は本気なんだよな。私もそのようなハレンチな行為は慎むべきかとは思うが、せむかく提案してくれたんだし……」

「――――! ――――ッ!」

「ん? いまのは……」


 唐突とうとつに始まった追いかけっこが終わりを迎えた直後。

 空の彼方かなたから聞こえるのは何やら騒がしい声。


 これは……怒鳴どなり声、か?

 いち早く異変に気づいたラゼリアの視線を追った先にいたのは、天馬ペガサスに騎乗した女騎士。


 うむ……かぶとで表情は見えないが何やら激怒しているらしい。

 まだ遥か遠くにも関わらず怒りが伝わってくるようだ。


「――――そこの者たち! 帝都を騒がせるとは何事です! 大人しくしなさい! 貴方たちを拘束します!!」

「おっとマズいことになったな。ハハハ、全員全力で逃げろ! 捕まったら今日一日は確実にお説教だぞ!!」

「はぁ……まったく最後の最後まで慌ただしいな」


 今度は追われる立場か。

 呆れて溜め息しか出ないな。


 しかし――――。


「ヴァニ兄、行こ」

「……ああ」


 差し出された手を握り、先へと進む。


 足取りは羽のように軽かった。











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