第百七十九話 深夜の密談


 昼間とは打って変わって静けさに包まれた帝都の夜。


 風もなく、音もなく――――ただ深い闇だけが広がる景色。

 しかし、窓の外を見れば普段にはない明かりがともっていた。


 それもそのはず、収穫祭のあいだ、帝都の夜は住民たちが特別に用意した明かりでいろどられている。


 ある家には家屋かおくを取り囲むように配置されたランタン。

 ある家には中身をくり抜き、おどろおどろしい加工を施した、微かな火の揺らめく蝋燭ろうそく入りのかぼちゃ。

 また、ある家にはアート調の複雑な模様を描く魔導具マジックアイテムの色とりどりの光。


 大祝焔祭だいしゅくえんさいの夜をかざる明かりの数々。

 これもまたこの季節の風物詩ふうぶつしでもあった。


 そんな静けさにほんの少しの温かみを感じる光景をふと眺めていると、深夜に差し掛かる前に部屋の扉を叩くノックの音。


「――――少しお話しませんか?」


 僕を誘うのは鈴のような少女の声。

 声の主の提案のままに僕は部屋を出る。






 辿り着いたのは屋敷の食堂だった。


 窓を背に振り返る銀髪の少女――――タルドゥス・リンドブルム。


 柔らかい月明かりが彼女を照らす。

 華奢きゃしゃ体躯たいくは触れるだけで消えてしまいそうなはかなくももろい印象だった。


 アラケルと同じくヴァニタスの双子の妹である彼女は、そっと僕へと微笑みかける。


「どうでした?」

「何がだ?」

「アーちゃんのことです。昼間はあの娘のお守りをありがとうございました」

「……お守りというほどのことはしていないがな」

「多分色々失礼なことをしたと思います。あの子に代わって謝ります。ごめんなさい」


 丁寧なお辞儀と共にタルドゥスの腰まで伸びた髪がサラリと流れ落ちる。


「……妹の面倒を見るのは当然だ」

「はい、そういっていただけると思っていました。……こっそりお父さんに告げ口しておいたかいがありました」


 少しばかり違和感はあった。


 父上がわざわざあのように念押ししてまでアラケルのことを僕へと頼む必要があったのか。


 収穫祭で多数の人が入り乱れ、一時的に治安が心配とはいっても、アラケル自身多少ながら身を守るためのすべを持っている。

 それなのに、敢えて僕へと釘を指すように伝えたのは、猪突猛進気味のアラケルが単純に心配なだっただけではなくタルドゥスの差し金だったか。


 ……それにしても、普段なら自室に引き籠って出てこないはずのタルドゥスと、こうして二人だけで相対していると、ふとあの時のことを思い出す。


 僕らが初めて出会ったあの日の夜。

 アラケルから『絶対に許さない』と強く拒絶された後、僕はいまと同じような二人きりの状況で呼び出されていた。


『――――冷酷だと思いますか? 実の兄がもういないと知って。その原因のあなたに感謝しているなんて』


 アラケルが拒絶を示したのとは反対にタルドゥスは理解を示した。


『わたしは純粋で真っ直ぐなアーちゃんとは違います。ヴァニーお兄ちゃんが、変わってしまった兄が、ずっと……怖かった。たとえそこに至るまでに仕方のない事情があったにせよ。周りの者たちに暴力と暴言を振るう兄から逃げ出したかった。だから……兄がもういないと聞いて寧ろこれで良かったのだと感じてしまった。……最低、ですよね』


 自嘲気味じちょうぎみに微笑む彼女は、自らの奥底に秘めていただろう気持ちをつまびらかにした。


 そして、いまもまた彼女は僕へと打ち明ける。


「……アーちゃんは理想の兄を夢見ているんです」

「……ああ、わかってる」


 知っていた。

 アラケルは以前までの母上と同じく……いやそれ以上に僕を見ていなかった。


 彼女の目に映るのはあくまで空想の中の人物。

 いまはもういない変わってしまったヴァニタスでもなく。

 現実に、目の前に立つ僕でもない。


 ただ在りし日の理想の日々の続きだけを彼女は夢見ている。


「ヴァニーお兄ちゃんが変わってしまう前は、わたしたち本当に仲が良かったんです。少しいじわるなところもあったけど、何事にも積極的で、他者を思いやる心に溢れていた兄がわたしたちは好きだった」

「…………」

「でも、それがノイスお兄ちゃんの死で何もかもが変わってしまった。悪い方に」

「……ああ」

「だからアーちゃんはいまやり直しているんです。理想の兄の姿をあなたに重ねて。何もかもなかったことにして。自分が兄を変えられずに終わってしまったことすらも心の奥底に仕舞いこんで」

「だが、どれだけ現実を避けても過去には戻れない」

「……はい。わかっています。アーちゃんもそれはわかっています。……らしくない。本当にらしくない」


 視線を逸らしたタルドゥスの見渡す先。

 窓から窺える明かりは、変わらず帝都の街を浮かび上がらせる。


「本当はあの子は難しいことを考えるのは苦手なんです。だけど意地を張ってあなたを認められない。記憶は残っていてもヴァニーお兄ちゃんとあなたが別人だなんて、最初に会った時にはもうわかっていたはずなのに」


 彼女の横顔からは一抹いちまつの寂しさを感じた。

 ただ双子の姉を想う妹の姿がそこにはあった。


「父も母もクリスティナさんもヒルデガルドさんもあなたを信用している。あれだけ嫌われていたはずなのに屋敷のメイドたちからもあなたは信用を得ている。……何よりあのラパーナがあなたを信じたいと願っている。わたし、初めて見ました。あんなに自然に笑っている彼女の姿を」

「そうか?」


 それほど意識してはいなかった。

 確かにラパーナが笑うことは少ないが、それでも僕相手に怯えることも遠慮することも最近はなくなっていた。


 メイドたちにも聞いたことがあるが、ラパーナはタルドゥスとアラケルとは仲が良かったという。

 だからこそ気になったのだろうな。


「クリスティナさんやヒルデガルドさんもそうですが、ラパーナを置いていってしまったことをずっと後悔していました。兄に理不尽な目に合わされて、いつも辛い想いをしていた彼女。わたしはただ彼女を置いて逃げ出すことしかできなかった。父と母はわたしとアーちゃんの身の安全を心配して兄から遠ざけました。……でも、本当は違います。アーちゃんの兄を取り戻したいという意思を無視したのも、ラパーナを見捨てたのもすべてわたしのせい。わたしが、自分の身が可愛いがために逃げ出した」

「…………」

「軽蔑、しますよね」


 顔を歪め、己の無力さを後悔する姿は悔恨に満ちていた。


「……そうだな」

「…………」

「自分の身可愛さに逃げたのが本当ならな」

「え……?」

「本当に自分だけのためか? アラケルが心配だったのだろう?」


 アラケルは何度もヴァニタスと衝突していた。

 『こんなことは止めて』、『前までのヴァニ兄に戻って』と何度も主張し、その度に無下にされた。


 ヴァニタスの記憶を探れば彼女がどれだけ必死だったのかは容易に思い出せる。

 だが、その必死さ故に危険だとタルドゥスが感じてもおかしくない。


「いつかアラケルに取り返しのつかない危害を加えられるのではないかと危惧した。アラケルとヴァニタスとの衝突が本格化して、決定的な溝が生まれる前に遠ざけたかった。違うか?」

「…………違います。わたしは弱かっただけです。わたしは……」

「本当に失いたくないもの大切なもののために決断した者を僕は責める気はないさ。それにだ。終わったことをぐだぐだ悩むのは時間の無駄だ。そんなことを考える暇があったらいまを生きろ」

「いまを……?」

「……忘れろとは言わない。だが、ヴァニタスはもういない。それは事実だ。だからこそ前を向け。ラパーナのこともそうだ。彼女にはクリスティナやヒルデガルドがいた。姉と慕う二人が。だからこそ託したのだろう?」

「そんな都合のいい言い訳……」

「まあなんだ。もしラパーナに対して申し訳ない気持ちがあるなら、もう少し構ってやれ。アラケルはともかくタルドゥス、お前ラパーナを避けてるだろ? 彼女も寂しがっていたぞ」

「本当……ですか?」

「ああ、お前たちが父上に遅れて到着してからもラパーナはずっとそわそわしていたぞ。アラケルと話していてもそうだ。ずっと上の空でぎこちなかった。嘘だと思うなら今度ラパーナの耳を撫でてやるといい。知ってるか? 彼女の耳はしっとりしていて、それでいて温かいんだぞ」


 僕のおどけた言い方が気に入ったのか、先程よりは幾分か明るい表情を見せるタルドゥス。


「何故あなたは……いえ、何故あなたにはこんなことまで相談してしまえるのでしょうね。ずっと誰にも、父や母にも、アーちゃんにもこんなこと話せなかったのに」

「さあな、僕がヴァニタス前の僕以上に我が儘だからか?」

「……ええ、あなたはまぶしい人。それに父のようにずっと年上の方にも見えます。だから安心するのかもしれません。この人になら任せられるって。頼ってもいいのかなって。……ラパーナも同じ気持ちだったのかな」


 そういうとタルドゥスは距離を詰め僕の瞳を覗き込んだ。

 先程まで弱々しかった瞳はいまは興味深いものを見詰めるように輝いていた。


「吸い込まれてしまいそうな深い闇のような瞳。でもいつかのヴァニーお兄ちゃんのように濁ってはいない。寧ろ純粋な……」


 そっと僕の手を取るタルドゥス。


 彼女は祈るように懇願こんがんする。

 大切なもののために。


「もう少しだけ、もう少しだけアーちゃんに時間をくれませんか? きっと収穫祭が終わった頃にはあの子もわかってくれるはずです。だからもう少しだけあの子の我が儘を許してはくれませんか?」


 妹でありながら姉のような、そんな不思議な関係が、きっと正反対なタルドゥスとアラケルを結ぶ絆なのだと実感していた。


 ――――答えは決まっている。


「ああ、勿論だ」











「ところでハベルメシアさんって面白い人ですね」

「そうか? ……まあそうだな」

「元宮廷魔法師の方と聞いていましたから身構えてしまったのですけど、距離を詰めようとしてあたふたとしている姿はちょっと可愛かったです」


 あたふたか……容易に想像出来るな。

 大方屋敷に残る言い訳にした癖に、いざ顔を合わせるという時に及び腰になったのだろう。


「だからヴァニタスさんも気に入ってるんですね」

「む……」

「ふふ、一緒にお昼寝もしましたし、なんだか仲良くなれそうな気がします」


 それから僕たちは他愛たあいのない話をしてそれぞれの部屋へと戻った。


 アラケル――――ヴァニタスの妹頑なな頑固者が心を開いてくれることを信じて。











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