第百六十九話 アンヘルとハベルメシア


 帝都繁華街のとある喫茶店での待ち合わせ。

 久々に師匠に呼び出されていた。


 師匠がヴァニタスくんの奴隷になってから一ヶ月。

 これまで連絡らしい連絡は一度もなかった。


 ……まあこれまでも師匠は突然家を訪れては修行をつけてくれたり、なんだかよくわからないお土産を大量に買ってきてくれたりと、突拍子とっぴょうしもないことをする人だったから、連絡がないのはいつものことなんだけど……。


 そんな師匠の首輪はもう外れていた。


 ヴァニタスくんとの決闘騒動から紆余曲折うよきょくせつあって一ヶ月限定の奴隷だった師匠。

 聞けば一ヶ月が経過して無事に首輪が外れたというのに、もう一度ヴァニタスくんと戦ったらしい。


 しかも、敗者が勝者のいうことを一つ聞く条件で。


 あの……いつの間にそんなことになったんですか?

 聞いてないんですけど……。


「だからぁ、ヴァニタスくんったらさぁ。酷いんだよ? わたしが何度いったって全っ然聞き入れてくれないんだからっ!」

「は、はぁ」

「それにぃ! やれ、『本を読んでいる時間ぐらいは静かにしていろ』とか、『ソファで寝転がってばかりいないで、たまには外を歩け』とかさぁ。お母さんじゃないんだから、いちいち小言ばっかりいわないでよね!」 

「そ、そうなんですか……」


 口をついて出るのはヴァニタスくんの愚痴ぐちばかり。


 如何に彼が気が利かないか、自分がいないと駄目なのか。


 かれこれ二時間近くになるかな。

 仕方なく一緒にいて監視するつもりだなんて言い訳しているけど、ヴァニタスくんのことを語る師匠は、いままで見たことのないほど生き生きとしていて、明らかにいまの生活に不満があるなんて思えない。


「そもそも! 宮廷魔法師を辞める時だってさぁ。わたしがどんっなに緊張したか!! 普通だったら現役の宮廷魔法師が引退するなんて前代未聞ぜんだいみもんなんだからね! 辞めるにしたって他国に流れないか最近の素行を調査されたり、交友関係とか今後のこととか根掘り葉掘り聞かれたり、これまでの功績があれば逆に式典とかしたりしても全っ然おかしくないんだから! ホンッとに大変なはずなんだからね! それはまあ……皇帝陛下にはあっさり認めて貰えたから良かったけどさ。でもそれだってわたしの日頃の行いのお陰なんだから!!」

「は、はぁ」

「わたしだって宮殿から急にヴァニタスくんの……ええと、じゃなかったリンドブルム侯爵家、だっけ? の御屋敷に転がり込んできちゃったのはあるよ? でもさぁ、だからって…………ほら、わかるでしょ? ……せ、責任取ってくれないと……いやだし」


 興奮しているのかまくし立てるように喋った後に口籠くちごもる師匠。


 ……なんというかこんなにコロコロと表情の変わる師匠とはいままで接したことがなくて一向に慣れない。

 きっとヴァニタスくんが何かとんでもないことをして、あの師匠を変えてしまったのだろうけど……一体彼は何をしたんだろう?


 師匠にそれとなく聞いても顔を真っ赤にするだけでよくわからないし、ヴァニタスくんに対して怒っているのかなとも思ったけどそれも違うみたい。


 ……でもこれで良かったのかもしれない。


 はじめは俺のために師匠が奴隷になってしまうなんて、と自分の仕出かしたことに後悔もあったけど、いまの師匠からはいつか見た何処か暗くて陰のある表情すら晴れているような気がする。


 俺にとっては親代わりであり、唯一の家族でもある師匠。


 でも、師匠はいままで何処か俺とは距離を取っていたように思う。


 色んなことを教えてくれて、俺のような孤児も拾い育ててくれた師匠だけど、必要以上に触れ合わないように避けていた部分が確かにあった。

 家には長期間寄り付くことはなく、いつも仕事だといってあっさりと出ていってしまう姿は、恩人に対して思ってはいけないことだと考えつつも、何処か素っ気なさすら感じてしまっていた。


 でも違う。

 目の前の師匠からは心からいまを楽しんでいることがわかる。


 あの頃の毅然きぜんとしていて、何事にも明るく引っ張ってくれて、でも謎の多いミステリアスな師匠はもういなかった。

 それを実感してほんの少しの寂しさも感じるけど、いまは師匠の本当の姿を見れたようで少し嬉しかったりもする。


 ……自分の手で師匠に本当の笑顔を取り戻せなかったのは少し悔しくもあるけど、ヴァニタスくんならやってのけてしまってもおかしくないと納得していた。


 ……でも、本当にヴァニタスくんは師匠に何をしたんだろう?


 やっぱり悩みでも聞いてあげたのかな。

 宮廷魔法師って限られた実力者しかなれないらしいし、俺が知らないだけで色々大変なんだろう。

 俺にはわからない悩みを師匠は抱えていたのかもしれない。


「そういえばさぁ、アンヘルは確か生徒会? に入ったんでしょ? 学園はまだ休みみたいだけどそっちはどうなの?」

「生徒会は……そうですね。リズ先輩が誘ってくれました」


 リーズリーネ・スプリングフィールド先輩。

 魔法学園の二年生である先輩から兼ねてより誘われていた生徒会に俺は所属していた。


 でもいまは学園は襲撃事件のこともあり休み。

 やれることといえば一応寮の周辺の見廻りと、生徒のみんなからの相談を受け付けることぐらい。


 そういえばこの間リズ先輩と生徒会の今後のことについて話し合いがあった時に会ったけど、なんかちょっと怒ってたんだったっけ。


 確か待ち人が会いにこないとかなんとか。

 お姉さんがいるらしいからその人のことなのかもしれないけど、あの動揺することすらないようなリズ先輩が、珍しく落ち込んでいるようにも見えて印象深かった。


「ね、わたしが言った通り学園に編入して良かったでしょ。アンヘルにも友達が出来たみたいだし」

「はい……それは勿論」

「何だっけ。あの黄色頭の子、仲良さそうにしてたもんね。それにほら、色んな出会いがあったし…………だ、旦那様とか」


 師匠の言う通りだった。

 魔法学園に編入する前までは自分の世界がどれだけ狭かったのかなんて知らなかった。

 それに、色んな人の想いも抱えている感情も、想いを貫くことの大切さも、貴族と平民の軋轢も、自分の力の足りなさも学園に来なければきっとわからなかった。


 ……でもいま一番気がかりなのはその友だちのこと。


 信頼できる友だち、そう、困った時いつも助け舟を出してくれていたレクトールは、いま行方がわからなくなっていた。

 最後に会った時、レクトールは明らかに様子がおかしかった。


『……アンヘル、オレはやることがある。しばらく学園には戻らない。でもだからって心配するなよ。……きっと戻って来る』

『でも、なんで急に。やることって一体……』

『悪い。これはオレの問題なんだ。オレだけの問題。アンヘル……お前は関わるな』


 何かを決意したような、でも追い詰められているようなそんな瞳。


 学園をしばらく留守にするといって出ていったレクトール。

 引き留めようとしたけど、詳しい話を聞く隙すらなかった。


 思い出すのはあの日、魔法学園の踏破授業が無為混沌の結社アサンスクリタという謎の集団に襲撃された日。


 異変はあの時から始まった。











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