第百六十八話 混沌の蔓延る世界


 ジオニス神聖王国、王都エバーレイス某所。

 薄明かりだけの照らす暗がりに四つの影があった。


「ここも寂しくなったもんじゃの」

「…………」

「モーリッツ、エリメス、ディグラシオ、フリーダ、よもや四人も欠けるとは思わなんだ」


 ほのかな光さえ反射することを許さない漆黒の円卓を取り囲むのは四人。


 銀灰色の顎髭あごひげと眉の目立つ糸目の老人――――ホロロニクス。


 赤茶あかちゃけた襤褸布ぼろぬのを纏った男――――案山子男スケアクロウ


 紫の長髪、銀の両瞳に底知れぬ異様な雰囲気を纏う青年――――ディグラシオやフリーダからは首領と呼ばれていた優男。


 そしてもう一人。

 前回の会合にはいなかった人物がこの場にはいた。


 顔全体を網目状のベールで覆い隠し、毒々しい紫の衣装ドレスと黒の肘上まで至る長手袋オペラグローブを身に着けた二十代前半にもうかがえる女。

 彼女は不機嫌そうに口を閉じ、場を冷ややかな目で見詰める。


 以前まではここに主を裏切った女騎士と筋骨隆々きんこつりゅうりゅうな大男もいたはずが、すでに彼らの姿は影も形もなかった。

 それもすべて――――。


「それもこれもすべてヴァニタス・リンドブルムという一人の子供に、ちょっかいを掛けたせいというのだから笑えんの」


 ヴァニタス・リンドブルム。

 無為混沌の結社彼らの敵は突然の奇襲すらものともしなかった。

 それどころか、襲撃を予期していたかのようにスプリングフィールドの騎士たち魔法学園外部の戦力を用意してまで待ち構えていた。


「ディグラシオは殺され、フリーダは囚えられた。ワシら幹部の中でも戦闘に特化した者が尽く敗れてしもうた。首領が警戒せよといっておったのは正解じゃったという訳じゃな」

「強者を好んでいたディグラシオだけど、彼は貴族を特別嫌っていたからね。結社の『掃除役』として侯爵家嫡男が相手と聞いて随分張り切っていた。だけど……少し張り切り過ぎてしまったようだ。普段の彼なら多少個人のたのしみを優先することはあっても、それでも仕事はこなしてくれるはずが……見誤ってしまった」

「首領の忠告もあの時のアヤツには聞こえんかったろうよ。ワシもアヤツがフリーダの指示を大人しくきくタマではないからと放置しておったが、よもや敗れるとはの。せっかくのラルフ・ディマジオ裏切りの駒も有効には使えんかったようだし、仕方あるまいて。……それよりフリーダが囚えられた方が厄介じゃな」

「フリーダか……彼女には迷いがあった。しかし、今回の件でそれを払拭ふっしょく出来ると考えていたんだけど……どうやら彼女の迷いを余計増幅させるような事態に遭遇したようだね」

「あの女は結社の『指揮役』だけあってそれなりの情報を持っておる。それこそ能天気なエルメスなどとは比べ物にならんほど我らの内情を知っておる。……どうするかの首領、囚えられてはいるが帝国内の駒を動かせば始末することも可能じゃろう。殺すヤるか?」

「いや、いいよ。わざわざ見えている罠に飛びつく必要はない。元々フリーダの迷いはわかっていたことだった。だからこそ彼女に与える情報はある程度制限してあった。ボクらのことや帝国内の一部の駒は露見するだろうけど、それも些細なこと。寧ろ情報源とされるより彼女が敵に回る方が面倒なんだけど……その時はその時だね」


 首領とホロロニクスの話し合いの進む中、割り込んだのは円卓に座りつつもずっと無言だった女。

 彼女はベールの向こう側の黒紫の瞳に、無様に敗北した者へのさげすみすら浮かべながら口を開く。


「終わったことをぐだぐだと。過去の者たちなどどうでも良かろう? それより、わらわをこんなきたならしい場所に招集した理由をまだ聞いてなかったな。わざわざこんな遠いところまで出向かせおって、一体何用じゃ?」


 円卓最後の一人

 若々しい見た目ながら老人のような話し方をする彼女こそ、ネーレ・エルワース。


 結社の幹部その一人であり、無為混沌の結社アサンスクリタの中でも異質な立ち位置にいる彼女は、自らの組織を束ねる首領に向かって吐き捨てるように尋ねる。


「新たな者でも幹部とするのか? それとも、そこの見窄みすぼらしいおきなのようにとうに隠居しておった者を引っ張り出すのか? だとしても、わざわざわらわを呼び寄せる意味などなかろう。……まさかあの筋肉達磨きんにくだるまとフリーダが欠けた報告だけではあるまいな?」

「カカカッ、見窄みすぼらしいか! 相変わらず普段は無口な癖して、いざ口を開けば手厳しいの!」

「ネーレ、君を呼び寄せたのは他でもない。モーリッツとエリメスに続き、ディグラシオとフリーダを失い、ボクらの戦力の要である幹部たちがいちじるしく減ってしまったのもある。けど、やはり根幹の問題は月食竜エクリプスドラゴンを手に入れられなかったことだ」


 ヴァニタスたちによって打ち倒された月食竜エクリプスドラゴン

 結社が特別な首輪を用意してまで手に入れようとした存在。


 当然あの竜には役割があった。


「あの邪竜は今後の計画に欠かせない欠片ピースだった。それなのに予期せぬ妨害にあったせいで計画が大幅にズレてしまった」

「だからなんじゃ。そんなことはモーリッツたちが失敗した時点でわかっていたことだろうに」

「まあね。だけど、それを補うためにも今回の作戦があったんだ。ヴァニタス・リンドブルムボクたちの敵を排除するのと同時に、魔法学園の生徒たちを危機に陥らせることで、ルアンドール帝国の貴族たちの不安を掻き立てる。そうして、帝国国内を混乱させ、ボクたちがこちらで動くための時間を稼ぐ。だけどそれも彼の手で失敗に終わってしまった。帝国は想定より揺れていない」

「……ヴァニタス・リンドブルム、長きに渡り潜伏してきた結社に突如立ち塞がった大きな障害、か。じゃが、前回の襲撃の際には呪符も人形共もわらわは貸し出した。このうえわらわに何をしろと?」

「ああ、そうだね。君の呪符には毎度助かっているよ。でも足りない。計画には強力無比な力が必要だった。他を蹂躙し薙ぎ倒す圧倒的な力が」

「…………」

「ネーレ、君なら月食竜エクリプスドラゴンまでとはいかなくとも似た存在を作り出せるのではないかな? どうだろう。素材はこちらでなんとか用意する。幸いジオニス神聖王国には手付かずになった穢れた地がいくつかある。それを利用すれば……」

「待て。いくらわらわでもはい、そうですかと協力してはやれんな」


 交錯する視線。

 首領の提案にネーレは断固拒否という姿勢を崩さない。


「……ところで魔導具マジックアイテム偏愛家オタクのあのパルラトラ小娘はどうした? いつもなら騒々しいくらいに絡んでくるものを静かではないか」

「パルラトラは月食竜エクリプスドラゴンに代わる戦力を用意しようといま頑張っているところだよ。でも残念ながら難航している」

「ああ、アヤツではな。生物を『改造』出来んとは致命的じゃろ。フン……何ならわらわがあの小娘を操ってやろうか? そうすれば強力無比な力とは言わずとも、簡単に屈強な戦力を量産出来るだろうよ」

「やめておくよ。彼女の知性を失わせるのは惜しい。自由で奇抜な発想こそ彼女の武器だからね。ネーレ、君は彼女をにしたいのだろうけどすまないね」

「……それは残念」


 残念といいつつも舌舐めずりをするネーレ。

 結社の敵という名目で一般市民ですら捕まえ、嬉々として拷問までする彼女の残虐ざんぎゃくな性質が垣間見えていた。


 会話も一段落した頃を見計らってか、十歳前後の奴隷の少年がネーレへとトレーに乗せた紅茶を差し出す。


「…………ど、どうぞ」


 震える手はこの場の雰囲気に恐怖しているせいなのは明白だった。


「ん、わらわに茶など要らん。せよ」

「…………ゥ」

「ネーレ、そうユーリスに辛く当たらないで欲しいな。彼はただ自分の仕事をしてくれているだけなのだから」

「フン、目の前をチロチロと歩かれても目障めざわりなだけじゃ」

辛辣しんらつだね。でも彼には彼の役割がある。そう邪険にしないで欲しいな。それに彼の淹れてくれる紅茶は美味しいんだよ」

「…………」


 少年奴隷ユーリスの手渡した紅茶をそっと口元へと運ぶ首領。

 ネーレは怪訝そうな眼差しでその仕草を見守る。


「……嘘を言うでない。茶の味などそなたは気にもしておらんだろうに。……相変わらず本心のわからん男だ」

「…………」

「……まあ良い。話はこれで終わりじゃな。ではわらわはここで帰らせて貰おうか」

「ネーレ、君が協力してくれないと困るのだけど……せめてボクたちと共にジオニス神聖王国を堕とす手伝いをしてくれないかい?」

「とはいってもな。それこそわらわには関係ないことじゃ。わらわがそなたらに協力しておるのは単に利害が一致してのこと。協力してやる義理はない」

「……よく言うの。我ら結社をかくみのにしておるくせに」

「フン」


 ホロロニクスのチクリと刺す嫌味もネーレは軽く鼻であしらう。


「ネーレ、そう言わずに協力して欲しいな。君の力は我々にとって必要不可欠なんだ」


 銀の両瞳で不機嫌なままのネーレを捉える首領。

 二人の視線がぶつかり合い、訪れる一拍の静寂。


「…………」

「…………」

「やめよ。そのわらわには効かんのは知っておろう」

「…………」

「ではな首領、わらわは忙しい」


 ドレスをひるがえ颯爽さっそうと去っていくネーレは、後ろを振り向かなかった。






「うん、やっぱりネーレの協力は得られなかったね」


 何気なくこぼしたような首領の呟き。

 しかし、そこには去っていく彼女に対して特別な感情はなかった。


 怒りも悲しみもない。

 敢えていうならただ事実として受け止めているだけだった。


「……あの女も大概自由じゃな」

「仕方ないさ。彼女とは結社に所属して力を貸して貰う代わりに、過剰な干渉はしないよう約束している」

「そうは言ってもの。多少は結社の役に立っているからいいものの、どうもワシはアヤツは好かんの。アレならまだ騒々しくはあるがパルラトラの方が可愛げがある」


 渋面しぶめんのホロロニクスに対して、首領はあっさりと次の話題を振る。


「神聖騎士たちはいいとして次は彼らか……」

「聖人たち、じゃな。ジオニス神聖王国の十の聖人。思惑も性格も力の大小もバラバラ、扱いづらくて仕方ないのう。寝返らせるというても、どいつも一筋縄ではいかんときている」

「彼らに関しては時間を掛けるしかないだろうね。……誰しも弱みはあるものだ。反対に望みもね」


 一つ頷いた首領の視線は、今度はこれまで無言で静観していた案山子男スケアクロウへと移る。


「さて、案山子男スケアクロウ、君にはヴァニタス・リンドブルムの屋敷の監視をお願いしていたけど、何か変わったことはなかったかな。報告では厚い雲ですら切り裂く白光の剣を公爵家邸宅で披露していたとあった。それと、リヒャルト・オータムリーフ公爵家次男の魔法を使えなくさせる未知の魔法を使ったとも。けど他には?」

「…………何もない」

「本当に? 他に気になったことはなかったのかい? 些細なことでもいいのだけど」

「…………」


 首領の問い掛けにも案山子男スケアクロウは平坦に答え、それきり返事もしなかった。


「そうか、君がそういうならそうなのだろうね。しかし、新しい力といい。やはり唯一の不安要素は彼だ。――――ヴァニタス・リンドブルム。さて、彼がどう出るか」

「……ルアンドール帝国の皇帝でも、あの冷酷れいこくな宰相でもなく、ただ一人の子供を警戒する、か。じゃが、アヤツはあくまでも学生じゃろうて。ジオニス神聖王国ここと帝国は遠く離れておる。まさか我らの邪魔をするとは考えにくいのじゃが……」


 疑問をていするホロロニクスを、首領は何処か確信に満ちた瞳で返す。


「来ないと思うかい?」

「…………カカカッ、首領はアヤツがここまで乗り込んで来ると考えておるのかの!」

「そこまではね。ルアンドール帝国とジオニス神聖王国は冷戦中だ。いくら彼でも厳重な警戒網の敷かれた国境を超えるのは楽ではない。もし国内に入れたとしても自由には動けないだろうしね。ただ……彼は敵対した者に一切の容赦がない。だとすれば、次に打つ手は――――」


 首領と呼ばれた青年は思案する。

 思い浮かべるのは案山子男スケアクロウから報告されたヴァニタス・リンドブルムと結社との争いの軌跡。


 彼ら二人は一度も顔を合わせたことはない。

 それでも何処か通じるものがあった。


「だとしてもワシらのやることは変わらぬ」

「そうだね。では、ボクたちは秘密結社らしく、彼をもてなす準備を陰ながら進めておこうか」


 混沌は蔓延はびこる。

 知らぬ間に世界を包み込む。











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ヴァニタスくん含めクリスティナたちの魅力的な姿が確認出来ますので、よろしければチェックいただけると助かります!

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