第百六十五話 手放してはならない存在


「……本当に良かったのか?」


 いつかのようにラゼリア様が柔らかい陽光を背にわたしに問い掛ける。

 普段の破天荒さは鳴りを潜め、何処か遠慮がちにたずねる彼女。


「…………」


 でも、わたしは返事すら出来なかった。


 自分の決断のせいだとはわかっている。

 けど……言葉が出てこなかった。


「……確かに勝敗は引き分けだった。だが、ヴァニタスの元に残ることも出来ただろう? 何も無理矢理出ていかなくとも……」

「でも、引き分けでした」

「それは……」

「勝てなかった。わたしは全力を出したのに……勝てなかった」


 あの日、あの荒野で決着のついた日から数日が経過していた。

 わたしはただ帝都の宮殿の自室で、ベッドに座り無気力に開いた手のひらを見下ろす。


 この手には何もない。

 何も残っていない。


「……そうだ。お前たちは引き分けた。私がその審判を下した。……すまない」

「……謝らないで下さい。あのまま戦いが続いていたら多分どちらかが大怪我をしていた。それは取り返しのつかない怪我だったかもしれない。……命を落としていた、かもしれない。だからいいんです」


 あの時ヴァニタスくんの手刀はわたしの首をねる寸前で止められていた。

 対して、わたしの緑輝岩の槍魔法はヴァニタスくんのお腹を貫く軌道のまま動きを止めた。


 お互いが致命傷を負わせる一歩手前。


 ……ラゼリア様に止めて貰えて良かった。

 でなければわたしたちはきっと自分たちでは止まれなかった。


「だが、ハベルメシア、お前だって本当はあの結果に納得している訳では……」

「納、得……? いえ、納得しているかどうかじゃないんです。わたしは勝てなかった。だから……」

「ならっ、なら尚更だろう? みなと、ヴァニタスたちと一緒にいればいいじゃないか! あの戦いに勝者も敗者もいない。なら望むままに決めればいい! ヴァニタスたちと共に生きること、それがお前の本心だろう?」


 ラゼリア様はなおも食い下がる。

 どうしても放っておけないと彼女は声を張り上げていた。


 でも、そんなラゼリア様にわたしは無我夢中で叫ぶ。


「でも! でも! みんなの人生を縛ることなんてできないよ! わたしのためにすべてを棒に振らせるなんてできない!」


 そうだ、わたしのためにみんなのすべてを捨てさせることなんて出来ない。


 時間は戻らない。

 わたしのために使った時間はもう戻せない。


 ヴァニタスくんのことは信じている。

 彼なら延命の手段も本当に探し出せるかもしれない。

 真摯しんしに差し出してくれた手に嘘はなかった。


 でも、わたしは未来を信じられなかった。

 ……あの時、あの時勝てていればわたしはっ……。


「きっとわたしたちは交わるべきじゃなかった! 違う道を選ぶべきだった! ラゼリア様だって本当はわかってるでしょ! 彼と結ばれるはずがない! 結ばれていいはずがない!」 

「…………」

「出てって! もう……放っておいて下さい……」


 口汚くちぎたなく吐き捨てていた。


 罪悪感に胸が痛む。

 でも、わたしにはもうどうすることも出来なかった。


 何もない部屋を静寂せいじゃくが支配する。

 やがてラゼリア様はバツが悪そうに切り出す。


「……父上から伝言だ。近日中に宮廷魔法師としての仕事を頼むことになると。他国への遠征任務だ。当分帰ってこられなくなるだろう。ヴァニタスとも……会えなくなるぞ」

「はい。でもわたしの選んだ道だから……」

「そう、か。………私はだな、ハベルメシア。お前とヴァニタスはずっと一緒なのだと心の底から思っていたんだ。ずっとずっと憎まれ口を叩きながらも一緒にいるのだと疑っていなかった。そう、信じていたんだ。だから……」

「でも一緒にはいられない。……いては、いけないんです」

「だがな! お前だって本当は……! いや……お前の決断だ。これ以上は何も言うまい。いまはゆっくり休め」

「……………はい」


 去り際ラゼリア様が寂しそうに振り返る。

 パタンと扉が閉まりまた音のない空間に戻る。


 何もない。

 空虚空っぽな心だけがここにはあった。


「これで良かったんだよね。私がいなくなってもヴァニタスくんはいつも通り。きっといつもの日常に戻れる。戻れるんだよ? これできっと良かったんだ。あれ……?」


 いつの間にかほほを伝う何かがあった。

 不意に片手で受け止める。

 でも、ポタリポタリとこぼれ落ちる雫は止めようとしても止められない。


「はは、わたしまた泣いてる。何でこんな未練みれんたらしい。……わたしってこんなに弱かったかな」


 目を閉じれば何時でも浮かぶ。

 みんなと過ごしたあの日々。


 きっとわたしのこれから過ごす長い時間の中で、この思い出はずっと残り続けるのだろう。

 それだけ濃密で忘れ難い日々だった。


「さよなら、みんな。さよなら、ヴァニタスくん。さよなら、わたしの……ただ一人の旦那様」


 何もない虚空に最後の想いを告げる。


 捨て去るべき思い出がわたしの心をキツく締め付ける。

 きっとこの痛みが消えることは永遠にないのだと、理解してしまうことが辛かった。






 ヴァニタスは彼女を手放すべきではなかった。

 どんな手を使っても彼女を引き止めるべきだった。


 何故なら……彼女、ハベルメシア・サリトリーブは物語ストーリーにおいてヴァニタス・リンドブルムを奴隷鉱山死刑台へと送る人物なのだから。


 重犯罪者たちの送られる最期の地。

 一切の容赦もなく、思い入れもなく、後悔もなく。

 主人公アンヘルの敵であるヴァニタスをハベルメシアは死へと向かわせる。


 アンヘルが最後まで躊躇ちゅうちょしても彼女は問答無用とばかりにヴァニタスへ死を宣告した。


 だから絶対に彼女だけは手放してはいけなかった。


 どのような手を使っても側にとどめるべきだった。












 だが、それはあり得たかもしれない物語ストーリーの中のお話。

 いまここに現実として存在している二人には何の関係もないお話。


「で? なんでお前はまだここにいるんだ?」

「…………」

「結果は引き分けだっただろ? 勝者がいない以上叶えるべき願いも存在しない。どうした? もうお前を縛る首輪はないんだ。……自由なんだぞ?」


 ヴァニタスの問いに身をちぢこませたハベルメシアは、真一文字まいちもんじに閉じていた口をゆっくりと開き、やがて消え入りそうなか細い声で答える。


「…………きゅ」

「きゅ?  声が小さいぞ。聞こえない。はっきり喋れ」

「宮廷魔法師、やめちゃった……」

「まったくお前というやつは。……仕方ないやつだな」


 ヴァニタスの横にはハベルメシアがいる。


 きっとそれは物語を根本からくつがえす分岐点よりも重いもの。


 でもそれは彼らが出会った時にはもう確定していたのかもしれない。


「さて、今日は何をして過ごすか。そうだな、丁度無職になった暇人もいることだし、帝都の繁華街はんかがいにでも繰り出すか。なあ、ハベルメシア」

「む、無職じゃないもん! だってわたし……ヴァニタスくんの……。ああもうっ! 何でもない! 旦那様のバカぁ!!」












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