第百六十四話 不幸の意味と勝敗の行方


 まるで懇願こんがんするかのように薄紫の瞳を潤ませ言葉をつむぐハベルメシア。

 彼女の鬼気迫る雰囲気に思わず閉口してしまう。


「……不幸になる、か」


 確かにハベルメシアの語る問題も一理ある。


 ハーフエルフの寿命と人間の寿命には残酷なまでに開きがある。


 一般的な寿命ではハーフエルフはエルフの約半分、約百五十年から二百年の時を生きるとされている。

 しかも、その大半は若い姿のままであり、人間でいう初老と呼ばれるような外見年齢に達するまでですら長い年月を要する。


 対して人間の寿命はといえば、どれだけ長生きしたとしても百年を超えることはないだろう。


 それは決してくつがえることない時間の壁。

 体にかかる老いも加味すれば両者の差はまさに絶望的だ。


「だってそうでしょ! わたしのためだけに時間を使わせちゃうなんて……そんなの無責任過ぎる!」


 戦うことも忘れ心のままに叫ぶ彼女はまるで子供のようだった。


 ハベルメシアは僕たちから離れようとしている。

 離れどこかに消えてしまおうとすらしている。


 それだけの決意が、想いが彼女の言葉の端々はしばしからは察せられた。


 だが……それでも僕は嘆き苦しむ彼女に問わなければならないことがある。


「不幸、か……それは本当に不幸なのか?」

「……え?」

「大切なもののために尽くす時間は不幸なのかと聞いている」


 不幸の定義とは何か。


 勿論人によって異なるだろう。

 何気ない日常のちょっとした不運を不幸だと嘆く者もいれば、身近な者を次々に失う悲劇を不幸だと涙する者もいる。


 事の大小に関わらず人は不幸を歓迎しない。


 だとしても……。


「だって何十年かかるかわからないんだよ? 探し出せないかもしれない! ヴァニタスくんは作り出すって断言するけど、どうすればいいのかヒントもない。誰も答えを教えてくれないんだよ。それを……」

「そうだな。延命の手段を探し出すなどそれこそ夢物語なのかもしれない。僕だって目標が達成できずに挫折しないとも限らない。未来は、わからないからな」

「だったら!」

「――――僕は魔法を探求するのが好きだ」

「急に、なにを……」

「美味しい料理を食べるのが好きだ。温かい湯に浸かり芯まで体を温めるのが好きだ」

「…………」

「クリスティナと過ごす何気ない時間が好きだ。ヒルデガルドと一緒に強くなろうと鍛錬することが好きだ。ラパーナの手触りのいい毛並みを撫でるのが好きだ」


 僕は戸惑うハベルメシアに教えていく。


 僕がこれまで歩んできた軌跡、その思い出を。

 それによって抱いた想いを。


「挙げればキリがない。そうだ。すべて僕の好きなものだ。ハベルメシア、お前はそれを意味のないものだと笑うか?」

「……笑わないよ。わたしだってみんなのことが好きだもん……」

好きなもの大切なもののために使う時間が不幸だと僕は思わない」

「!?」

「それがどれだけ他人から見て無意味で、価値がなく、見向きもされないものだったとしても。僕の幸せは僕が決める」

「で、でも……」

「探求とは苦しいものだ。答えの出ない問題に直面した時、人によっては不幸だと嘆きたくなるだろう。それは僕も否定しない。だが、それが好きなもの大切なもののためならどうか」

「…………」

「どれほどの苦難が待ち構えていようとも乗り越えるために突き進める。そうは思わないか?」

「本気でそんなことっ……」

「フ、それこそもうわかっていることだろう? 僕は何時だって本気だ」


 ただあるがまま心のおもむくままに言葉を紡ぐ。

 それが彼女に届くと信じて。


「ハベルメシア、この戦いに僕が勝ったら側にいろ。今度は奴隷でなく、ただのハベルメシアとして。僕たちが、いや、僕が不幸ふしあわせにならないために。……嫌か?」

「うぅ………嫌じゃない……嫌じゃないけど……」


 オロオロとするハベルメシアに僕は手を差し伸べた。


 彼女と僕の立ち位置は遠い。


 でも関係ないんだ。

 この胸にともる気持ちを共有出来ればそれでいい。


 ただ気軽に彼女をいつかの踊りへと誘うように僕は虚空へと手を伸ばす。


「でも、でも、だってみんなとは寿命がっ!」

「……まあなんだ。もし、それでも僕たちが延命のための手段を見つけられないかもしれないと気にしているのなら……手を握ってくれ」

「っ!?」

「僕たちが老いて死ぬ時、あるいは志半こころざしなかばでついえる時。きっとハベルメシア、君が手を握ってくれていれば僕は安心して旅立てる」

「うぅっ、ああぁ、そんな、だって……」


 彼女は空を仰ぎ見ていた。

 零れ落ちる何かを必死に隠すように、ただひたすら透き通るような青い空に嗚咽おえつを響かせる。


「……ズルいよ、ズルい! 泣かないって、今日だけは泣かないって決めてたのに……!」

「悪いな」

「わたしずっと悩んでいたのに! ずっとずっと悩んで悩んで苦しんできたのに! どうしてヴァニタスくんは! もうっ! なんで簡単に解決しちゃうの!」

「それが僕だからだ」


 ハベルメシアは乱暴に目元をぬぐう。

 まだ少し濡れたような跡は残っていたが、それでも彼女は真っ直ぐ僕を見ていた。


「…………約束は出来ないから」

「ああ」

「だってまだ勝敗がついてない」

「そうだな」

「勝った方が決める。そうだよね」

「そうだ。勝者がすべてを勝ち取ることが出来る。敗者には何も与えられない」

「なら、ならわたしが勝った時にはヴァニタスくんには本物の――――」

「ああ、その時は奴隷でも何でもなってやるさ」

「し、し、知ってたの!? まさか、ラゼリア様が!?」


 バッと周囲に頭を振ってラゼリアを探すハベルメシア。

 審判役だというのにクリスティナたちのところで気持ちのいい笑みを浮かべるラゼリアを見つけ悔しそうに歯噛はがみする。


「あ〜〜、も〜〜っ! ラゼリア様もイジワルなんだからっ!」

「フ、ハハ」

「わ、笑わないでよ! ……うん、わかった。決着をつけよう」


 ハベルメシアはすっかり戦意を取り戻していた。

 いや、寧ろ戦いの始まる前よりも遥かにに満ちていた。


「――――掌の中の魔炉心ミニマイズ・コアハート

「――――三重握トリプレット・レイヤーグラップ


 荒野に僕たちは再び向かい合う。

 今度こそ意地の張り合いも最後か。


 勝った方が願いを一つ叶えられる。

 ……必ず勝って見せる。






 仕切り直しを経た戦いは一層の激しさを増した。


 もはやお互いの手の内は出し尽くしている。

 ここからは力だけでなく少しでも相手の意表を突き上回る必要があることを僕たち二人は理解していた。


 隆起する大地と結束された魔法。

 互いの魔法が競り合う中でハベルメシアは叫ぶ。


「欠点はわかってる! その大地を掌握する魔法は地面に手をついていないと操作出来ないんでしょ!」

「……ご明察」

「フン、ヴァニタスくんがそんなならすぐ決着がついちゃうから!」


 掌握支配グラスプ・ドミネートの欠点。

 大地を掌握し意のままに操ることの出来るこの魔法だが、ハベルメシアの指摘通り唯一にして致命的な欠点があった。


 大地に魔力を浸透させる都合上いま現在の僕の制御力では、地面から手を離しての操作は出来ない。

 射程も範囲も僕の手持ちの魔法では規格外だが、その点だけは扱いづらさが目立っていた。


 だがまあ普通なら圧倒的な質量に押し潰されて終わりなのだがな。

 複数の簡易炉心による支援バックアップを受けるハベルメシアは襲いかかる大地の猛威にも怯まない。


 帝国の誇る宮廷魔法師とはつくづく恐ろしいものだ。

 いや……彼女が強くなったんだ。


 僅かでも隙を見せれば勝敗がどちらに転ぶか予想出来ない均衡が続く。

 かと言ってこの均衡を崩し迂闊うかつにも攻めればそれだけでも瓦解するようなある種の硬直状態。


 まさに千日手。


 だが、均衡のもたらす長期戦はいまの僕には不利だった。

 包囲から抜け出す際に負った裂傷は確実に僕の体をむしばんでいる。


 ならば動けなくなる前に至近距離から八握剣切り札をぶち当てる。


双握ダブルグラップ――――自己掌握セルフマニュピレイト

「っ!? ここで攻めてくるの!?」


 大地の支配を一時中断し攻めに転じる。


 だが、それでもいくつかを視線と射線を切る壁として隆起させ残しておいた。


灯明結束フラムライト・ユナイト――――群灯の朧焦炎スウォームフレア・ヘイズバーン!」


 土壁を背に大地を焦がし焼き尽くす火炎をやり過ごす。


 賭けに出た以上もはや退路はない。

 ここが正念場だと前だけを向いて進む。


 しかし、それは戦う相手も同じだった。


「!? その杖はッ……」

使なんてわたしは一言も言ってないから!」


 僕が勝負を決めに来たと瞬時に悟ったハベルメシアは、同じくここが決着の時だと行動に移す。

 彼女が魔法鞄マジックバッグから取り出すのは一本の長杖。


 深緑の樹木を束ねたかのような持ち手に先端には五つの魔宝玉――――月蝕の樹咆杖エクリプス・イロードロア

 その真の力は所有者が杖自身に魔力を籠めることで発揮される。


月蝕の樹咆杖わたしだけの杖! お願い、力を貸して!」


 黒の皮帯ベルトに備え付けられた掌の中の魔炉心簡易炉心から供給される多量の魔力に杖が答える。


「――――再生せし深層樹臨リヴァイタライズ・ディープフォレスト!!」


 うごめく。

 元々は混合獣樹キマイラトレントの体躯だった深緑の持ち手、その勢いよく地面に突き刺した石突部分が、大地を侵食するかのように塗り替える。


 顕現けんげんするは荒野を貫き波打つ深緑の樹根。


 僕の残した土壁ですら容易く瓦解させる太く逞しい根は、ハベルメシアを中心に戦場全体へと及んでいた。


 全方位攻撃……根の動きは地面から上へと突きだすだけでわかりやすく躱すのは容易い。

 だが、僕がマユレリカにあの杖の制作を頼んだ時は、こんな荒野を一瞬の内に樹根の森林へと変えてしまうような魔法を使えるようになるとは想定していなかった。


 この短期間で月蝕の樹咆杖エクリプス・イロードロアをここまで使い熟せるまでに……。


「まだ終わりじゃない! 輝岩結束ドレライト・ユナイト――――重輝岩の満月塊ヘビードレライト・フルムーンブロック!!」

「!? 上か!」


 樹根の森林は囮。

 いや僕の動きを制限するための檻。


 本命は上空から落とす緑輝岩の塊。


「……――――八握剣やつかのつるぎ


 切り札を切る。

 でなければこの状況は切り抜けられない。


 だが、いまのままでは威力が足りない、か。

 となれば……。


 掌握魔法を纏わせた短剣を振る。


「わたしの樹根と炎の残滓魔法から魔力を集めて……」

「ああ、ハベルメシア、お前の魔法だが利用させて貰うぞ!」


 魔力を集束し長大となった白光の剣を天空から斜めに落ちてくる緑輝岩の塊へと振り抜く。


「ぐっ、ああぁぁぁ!!!!」


 重い。

 それでもここを切り抜けられなければ彼女には辿り着けない。


「あれを切った、の……ううん、まだ!」


 負荷に耐えきれず短剣が消失する。

 構わず進む。


 あと、少し。


「――――ウィンドピラー! くっ……当たらない。――――緑輝岩の断崖壁ドレライト・クリフ!」

グラップ――――八握剣やつかのつるぎ

「ウソ、短剣なしで!?」

「僕も短剣がないと使えないとは言っていないぞ!」


 実際僕の右手に短剣はない。

 だが、それでも掌握魔法を右腕自体に纏わせることは出来る。


 ハベルメシアが月蝕の樹咆杖エクリプス・イロードロアの習熟を隠していたように、僕も隠していた一手。

 高密度の魔力は自分自身ですら傷つけるリスクはあるが、勝負を決めるのはいまをおいて他にはない。


 行く手をはばむ緑輝岩の壁を手刀での一太刀に、籠められた魔力すらかてに懐に飛び込む。


「これで、終わりだ!」

「負けない! わたしは絶対に負けたくない!! ――――緑輝岩の刃棘槍ドレライト・グレイブスパイク!!」


 白光を纏う手刀がハベルメシアの首筋目掛けて振り下ろされる。

 同時、僕の胴体へと伸びる緑輝岩の槍。


 勝敗は―――――。











「そこまでだ! この勝負、引き分けとする!!」











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