第百六十話 あの日の思い出 ハベルメシアと月下のご褒美


 封印の森で突如戦うことになった月食竜エクリプスドラゴン、迫力も強さも桁違いだったあの恐ろしい魔物との戦いも終わり、わたしたちは帝都へと帰るべく馬車に揺られていた。


 行きの竜車とは打って変わってゆったりとした速度。

 でも……。


「うぇ〜〜、気持ち悪いぃ〜〜」

「大丈夫ですか? ……困りましたわね。リリカの用意した特製の薬も効かないとなると、やはり皇女殿下の仰る通りハベルメシア様は乗り物酔いが癖になってしまったとしか……」

「ええ〜〜、そんなのヤダよぉ〜」


 舗装ほそうもされていない道は激しく馬車を揺さぶらせる。

 その度に押し寄せる吐き気。


 ああ、なんで乗り物酔いなんて癖になっちゃったんだろう。


 酔いどめの薬も全然効かないし、風に当たったり遠くの景色を見ていても一向に治る気配はない。

 クリスティナちゃんやリリカちゃんの介抱も気分は楽になるけど気持ち悪さはなくならない。


 これが後何日続くの?


 先行きの不安から不幸のどん底にいたわたし。

 馬車を一時止めての休憩中、横になって少しでも体を休めようとぼうっとしていたところにヴァニタスくんが現れる。


「ハベルメシア……少しいいか?」

「ふえ?」


 真剣な眼差しで見下ろすヴァニタスくんに返事ともならない言葉を返す。

 この後に信じられないような出来事が待っているなんて思いもよらなかった。






「え……ヴァニタスくん、い、いまなんて言ったの? もう一回言って」


 あまりにも耳を疑う内容に慌てて聞き返す。

 気持ち悪さなんて一瞬で吹き飛んでいた。


 それほど衝撃的だったから。


「だから褒美をやると言った。……月食竜エクリプスドラゴンとの戦いでお前には狙撃を頼んだ訳だが……正直助けられた。お前が居なければ僕だけでなくヒルデガルドも死んでいたかもしれない。だから褒美をやる」

「ウソ……」

「こんなことで冗談を言う僕じゃないぞ。貢献こうけんした者には褒美を与えねば主としての沽券こけんに関わる」

「う、うん」

「何か僕にしてほしいことはあるか?」

「……それって何でもいいの?」

「流石に首輪の解除は出来ないがな。僕の名において出来る限り叶えると誓おう」


 命の恩人に報いることは当然だと至って平坦な様子で答えるヴァニタスくん。

 わたしがいなければ月食竜あの竜に勝利することは出来なかったと彼は断言する。


 何処までも真剣で真っ直ぐな瞳がわたしを、わたしだけを写していた。


「〜〜ッ!?」


 吸い込まれてしまいそうな漆黒な瞳に気恥ずかしさからパッと目を逸らす。


 もうっ、なんでいつも旦那様は……。


「どうする? さあ、何でもいいぞ」

「何でも……」


 あまりにも強烈な誘惑に頭がクラクラする。

 何でも……本当に何でもいいの?


「ハベルメシア、お前も望みくらいあるだろう? 遠慮なく言え。僕が叶える」


 わたしの望み……。

 ヴァニタスくんに叶えて欲しい望み。


「な、なら…………おひ…………ま……」

「? はっきり言え。聞こえないぞ」

「わ、笑わない?」

「笑ったりしないさ。ハベルメシア、お前は僕たちの命の恩人だ。そのお前の願いを笑い飛ばしたりなんかしない」

「うん……な、なら…………」

「なら?」

「お、お姫様扱いして欲しい」

「…………」


 い、勢いに任せて変なことを口走ってしまった。


 子供の頃、お母さんのいる故郷の里にいた時、絵本に描かれたお姫様にわたしは憧れていた。


 物語の中でのお姫様はいつも綺羅きらびやかで輝いていた。

 天高くそびえ立つお城に住み、綺麗なドレスとまばゆい宝石で着飾り、いつの日か運命の王子様と出会う彼女。


 いつかわたしにも相応しい王子様が迎えに来てくれると疑わなかった。


 子供の頃のほんの些細な夢。

 いまはもう思い出すこともないはかない想像。

 でも、確かにあったあの頃の憧れ。


 いくらヴァニタスくんでもこんな無茶苦茶なお願い断るはず。

『何を思い上がっているんだ? お姫様扱いなんてナンセンスだ。ハベルメシア、お前は所詮奴隷でしかないんだぞ』


 ……ちょっと言い方が厳し過ぎるけど、そんな感じで断られるとわたしは考えていた。


 でも、口に出した言葉はもう戻せない。

 一瞬の後悔から早口で誤魔化してしまう。


「やっ、やっぱり駄目だよね! ウソウソ冗談だから! ね、冗談! もー、ヴァニタスくんが変なこと言うからわたしも変な――――」


 だから理解出来なかった。

 答えが返ってくるのに一拍いっぱくも要らなかったなんて。


「――――なんだそんなことでいいのか?」

「え?」

「いいぞ。お姫様扱い。してやろうじゃないか」

「え?」


 ただ呆気に取られて言葉にもならない間抜けな音を発することしか出来ない。


 え……本当にお姫様扱いしてくれるの?




 


、よろしければご一緒にお茶を如何でしょうか?」

「う、うん」


 馬車を引くお馬さんたちを休ませている間、マユレリカちゃんに誘われたようにヴァニタスくんに呼び出された。


 お茶会。

 それも二人だけの。


「……ヴァニタスくんも紅茶淹れられたんだね」


 白い陶磁器とうじきのカップを彩る鮮やかな赤。

 慣れた動作でガラスのティーポットからヴァニタスくんが紅茶を淹れてくれる。


「姫のために努力するのは当然のことですから」

「うぅ……」


 テキパキと用意する仕草も、きめ細やかな気遣いも、洗練された優雅な動作に裏打ちされていた。


「姫、どうぞ。御口おくちに合えばよろしいのですが……」

「う、うん……あ、美味しい」


 ただただ戸惑うわたしにヴァニタスくんは微笑みかける。


「それとこちらも」

「え……これって、アイスクリーム?」


 お皿に乗せてあったのは帝都でも何度か見かけたことがある氷菓子だった。


 確か氷で牛乳を冷やして作るんだっけ。

 いつの間にこんなもの……。


「甘くて冷たい……うん、美味しい。……ねぇ、これもしかしてヴァニタスくんが……わ、わざわざわたしのために?」

「勿論です。姫のためならどのような苦労もいといません」

「〜〜ッ!? あ、ありがとぅ……」


 これもわたしのためだけにヴァニタスくんが用意してくれたもの。

 それが心から嬉しくて、はしたないけどスプーンを咥えたまま下を向いて固まってしまった。


「……な、なんだかちょっと居心地悪い……な」


 二人だけのお茶会のはずが何処からか視線を感じていた。


 ヴァニタスくんの背後、草むらの影からヒルデガルドちゃんの髪がチョコンとはみ出ていた。


「ハベルメシア、照れてる、真っ赤」

「しっ、大きな声を出しすぎです。ヒルデはもう少し抑えて」

「……そういうクリスティナさんこそ目立ってますわよ。それにしてもヴァニタスさんもあのような紳士な振る舞いが出来るなんて。…………少し羨ましいですわね」


 み、みんな見てたの!?


 うぅ……恥ずかしいところを見られちゃったぁ。

 これも全部旦那様のせいなんだからぁ。


「ご気分がすぐれないようなら少し休憩なさりますか?」

「う、うん」


 逃げるようにヴァニタスくんに連れられお茶会会場を後にする。


 次に連れてこられたのは辺り一面が丈の短い草花の生えた草原。

 そこにヴァニタスくんはおもむろに薄い布の敷物を敷くと座り込み、まるでそこがわたしの定位置だと示すように自分の太ももを指差した。


「こちらに」

「こちらって……え!? ひ、膝枕なの!?」

「勿論です。姫を硬い地面の上に横たわらせるわけには参りません。私の薄いももで良ろしければいくらでも枕としてお使い下さい」

「で、でも……」

「さあ」


 男の人の太ももに頭を乗せるなんて……それってもう恋人。

 ううん、ふ、夫婦なんじゃ……。


「ゴ、ゴク……」

「さあ」

「………………じゃ、じゃあ……遠慮なく。あ、柔らかい」

「ではお耳を」

「え? え!? 耳!?」


 え、嘘、だってエルフは耳を触らせる相手は特別な相手だけなのに……。


「ちょ、く、くすぐった……い、よ」


 『待って』と静止する間もなくいつの間に取り出したのか耳かきで耳をお掃除されていた。


「んうぅ……」


 慣れない感覚に思わず漏れる吐息。

 それでも次第に不思議な心地良さから強張こわばっていた体から力が抜けていく。


「よろしければ少し仮眠を取っては如何ですか?」

「いいの?」

「勿論です。お眠りになるまで私は側にいます。よろしければ拙いですが子守唄も……」

「こ、子守唄こもりうた!? 子守唄こもりうたはいいから! もう、子供じゃないし! と、とにかく…………じゃあ、頭撫でて」

「はい、姫の仰せのままに」


 わたしを想っての提案につい甘えてしまった。


 やがてウトウトとして眠りへと落ちる。

 彼の腕微睡みの中でわたしは安らぎを得ていた。


 




 夕ご食の間もヴァニタスくんは徹底的にお姫様扱いを続けた。

 対してわたしは終始しゅうししどろもどろで何を喋っていいのかもよくわからない。


 そして、淡い月明かりが闇夜を照らす夜。

 ヴァニタスくんはわたしを外へと連れ出した。


「姫、よろしければ月夜の散歩をご一緒に如何いかがでしょうか?」

「う、うん」


 丁度湖のふもとに設置された天幕。

 偶然、なのかな。

 でも……ヴァニタスくんに限ってそんなことはないとわたしにもわかる。


 きっとこの時のために馬車の速度と目的地を調整していたんだ。

 わたしと二人、連れ立って湖を一望いちぼう出来るこの丘の上を歩くために。


今宵こよいは月が綺麗ですね」

「う、うん」

「そよ風が心地ここちいい。お手を……」


 不意にヴァニタスくんはわたしの手を取ると、腰に手を当て抱き寄せた。


「え、え、ちょっ、ちょっと!?」

「姫、貴女は誰よりも美しい」

「――――え?」


 くるりと世界が回る。

 月明かりだけがわたしたちを照らす静寂の中、二人だけの空間でゆっくりと時が流れる。


「月の女神ハベルメシア姫、貴女こそ天上のなによりも美しい。妖精のような儚さと天使のような神秘的な魅力を備えた御人」


 恥ずかしいという感情より彼を見ていたいという感情が上回っていた。

 自分のためだけに言葉を紡いでくれる彼に見惚れていた。


 月下の踊り。

 踊りなんて禄に知らないわたしはきっと振り回されているだけ。


 でもそれで良かった。


 拙くてもいい。

 わたしは彼を、旦那様だけを見ていた。


「貴女は罪な人だ。誰もが貴女の魅力に狂わされてしまう。我が侭で繊細で寂しがり屋な儚い人。貴女の本当の魅力を多くの人は知らない。……でもそれで良かった。僕だけが貴女の本当の姿を知っている。本当の魅力に気づいている」

「……だ、旦那様……」


 顔が熱い。

 薄暗い月夜だからバレてないだろうけど、きっと耳先まで真っ赤になってる。


「ッ!? も、もういいから! もう普通に話して!」

「……そうか?」

「な、なんで突然こんなこと!? は、恥ずかしくないの?」

「別に? お姫様扱いが良かったんだろ?」

「でも……だって、〜〜〜〜ッ!? もう、またわたしだけ! だん……ヴァニタスくんはいっつもズルいんだから!!」


 平然と言ってのける旦那様が信じられない。

 もうっ、いつも旦那様はわたしの感情を掻き乱して……ズルいんだから。


「でも……ありがとう」

「……これで良かったのか?」

「うん……ちょっと恥ずかしかったけど……楽しかった、かな」


 今日一日、たった一日だけの夢のような時間。


 多分わたしはこの思い出をずっと忘れないだろう。

 恥ずかしくも心に鮮明に刻まれた思い出はずっと胸の内に残り続ける。


 




 湖のふもとに腰を下ろして風に波立つ湖面を眺める。

 月明かりに照らされるまだ幼さの残る横顔に、わたしは不意にたずねた。


「……ねぇ、さっきわたしのことう、美しいっていってくれたけど……。それって………クリスティナちゃんより?」

「ッ!? それは……」

「……ううん、やっぱりいい。変なこと聞いちゃった。……それがヴァニタスくんだもんね。みんなに囲まれてるのがヴァニタスくんには似合ってるもん」

「……だが言えることもある。僕はハベルメシア、お前のことも綺麗だと本心から思っているぞ」

「はい……旦那様……」


 わたしたちは星を見上げ語らう。


 背に伸びる影は一つに重なっていた。











 一週間なんてあっという間だった。

 ううん、あの一ヶ月があまりに濃厚だったんだ。


 思い出から飛び立ち、そうしてわたしはヴァニタスくんと向かい合う。


 もう首輪はない。

 あの冷たくとも何故か温かった真紅の輝きは、もう伸ばした手の先にはなかった。


 それがわたしに現実いまを直視させる。


 それでも、私はヴァニタスくんと――――。


「来たな」

「……来たよ」


 帝都郊外の荒野でわたしたちは再び戦うことを選んだ。


「決着をつけよう」

「……うん」

「僕と」「わたしの」

「「決着を」」


 ここからはじまるのはわたしとヴァニタスくんの意地の張り合い。


 どちらが勝つかはいまはまだわからない。

 でも、わたしは勝ってその時こそ――――。






 何がしたいの?






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