第百五十九話 あの日の思い出 ハベルメシアと百叩き


 あれはわたしたちが封印の森でキマイラトレントを倒して拠点へと戻ってきた時のこと。


 ……キマイラトレント、そんなに昔でもないのになんだか懐かしいな。

 ヴァニタスくんから贈られたこの杖、月蝕の樹咆杖エクリプス・イロードロアの素材にもなった魔物。


 わたしたちがはじめて一緒に倒した魔物。






 キマイラトレントを倒し森の散策を終えたわたしたちは、魔物の素材や薬の材料になる薬草などを回収して、拠点へと帰ってきていた。


 無事に帰ってこれたという安心感と一仕事終えた充実感。

 でも、そんな感傷かんしょうひたる時間をヴァニタスくんはくれなかった。


 安堵あんどから油断していたわたしをヴァニタスくんはみんなの前で正座させる。


「さて、ハベルメシア、お前にはハイリザードマンの集落を僕らに何の相談もなく破壊し尽くした件の罰を与える」

「え〜、なんで!? わたしだって頑張ったよ! キマイラトレントだって一緒に倒したのに! な、なんで!?」


 あまりにも唐突な宣言に反射的に出る文句もんく


 でも仕方ないよね。

 ハイリザードマンの集落を全部壊しちゃった時にも『お仕置きだ』なんて聞いていたけど、まさか本気だって思わないじゃん。


 ……まあ、ヴァニタスくんが本気じゃなかった時なんてちょっと思いつかないけどさ。


「主様、ハベルも悪気わるぎがあった訳では……」

「ハベルメシア、可哀想……」


 そうそう! 

 やっぱり持つべきものは友だちだよね!


 ヴァニタスくんの横暴おうぼうにクリスティナちゃんとヒルデガルドちゃんがかばってくれる。


「……うむ」

「ほら! わたしの頑張りをクリスティナちゃんもヒルデガルドちゃんもちゃんと評価してくれてるもん! わたしだって役に立ったんだから!」

「む……まあ、な」


 流石にヴァニタスくんもその辺りのことはわかってくれてるみたい。


 確かにわたしもちょっとみんなを無視して動いちゃったかな、て思うところはあるけど、それでもキマイラトレントを倒す時も精一杯頑張ったんだし、罰せられるほどじゃないと思う。


 ……それにヴァニタスくんだけ信頼出来る仲間みんなに囲まれてて羨ましかったんだもん。


 ヴァニタスくんは……ズルいよ。


 見上げる先、少しだけ気まずそうにヴァニタスくんは視線を逸らす。


「……そうだな。確かにお前もあの後の戦闘では貢献していた。キマイラトレントはお前がいなければあれほど簡単には倒せなかっただろう」

「なら!」


 ほら、やっぱりね!

 ヴァニタスくんだってちゃんと説得すればわかってくれる。


 この時までわたしはそんなことを考えていた。

 ヴァニタスくんだって不機嫌だったり、気まぐれを起こしたり、ましてやいまみたいについムキになることだってあるのに……。


「……百叩きだ」

「え?」

貢献こうけんしたのは認める。なら百叩きで許してやろう」

「ちょっと待ってぇ! お、お尻を叩くってこと!? なんでそんな結論になったのぉ!?」


 咄嗟に頭に浮かんだのは小さい子供がイタズラをして叱られている光景。

 人前だろうとお尻が真っ赤になるまで叩かれ続けて、最後には大声で泣いてしまう居た堪れないあの空間。


 ちょ、ちょっと待ってよ。

 お尻なんてお母さんにだって叩かれたことないよ!


「ハハハ! 流石私のヴァニタス! 容赦ないな!」

「ラゼリア様まで! だ……ヴァニタスくんを説得して下さい!」

「いやいや何をいう。こんな面白そうなイベント、滅多にないぞ! 何なら私も参加してみたいぐらいだぞ!」

「あ〜〜、なんでそんなことになるのぉ!?」


 ラゼリア様に聞いたのが間違いだった。

 う〜〜、なんでこの人も全然人の話を聞いてくれないの!?


「よし、ついてこい。相応しい舞台を用意してやる」

「もう待ってよ〜〜! ねぇ何でのぉ〜〜!!」


 




 必死の拒否も虚しく連れて来られたのは拠点の中心。

 ここは広場のように開けた空間になっていて、夜には焚き火の火が辺りを明るく照らしている。


 でも、今日は夕方になる前に帰ってきたからまだ太陽は高く登ったまま。

 ラゼリア様の近衛騎士たちや使用人の人たちがせわしなく動いていた。


 ヴァニタスくんはその中を堂々と横断すると、丁度ちょうど一段高い舞台のようになったところで立ち止まる。


 ……ねぇ、まさかここでするなんて言わないよね。

 ま、周りから丸見えなんだけど!


「え!? み、みんなの前でするの?」

「当然だろ? でなければお仕置きにならない。ほら、僕の太腿ふとももの上に尻を突き上げて横になれ」

「ちょっと待って! これホントにするの!」

「当たり前だろう? 逆にここまで来て何故やらないと思ったんだ?」

「でも……」

「ハベルメシア、諦めろ! ヴァニタスはやると言ったらやる男だぞ!」

「ああ〜〜〜〜っ!! なんでわたしばっかりぃ!!」


 騒ぎを聞きつけたのか何事かと注目が集まっていたところに、絶叫でさらに人集りは加速する。

 そんな中、ヴァニタスくんは我関せずとばかりに太ももを叩いて催促さいそくしてくる。


 うぅ……なんでこんなことに……。


「さあ、どうする。このままでは一向に終わらないぞ」


 ……仕方ない。

 嫌だけど、本当に嫌だけどヴァニタスくんの目は本気だった。


 ああなったヴァニタスくんが止まらないのは何となくわかる。

 それにわたしだって宮廷魔法師として仕事をしてきたし、戦闘ではちょっとした足並みの乱れが致命傷になるのはわからないでもない。


 ……だからってお尻を叩くって発想になるのはおかしいけど。

 まだ不満は残っているけど、わたしは少しでも早く終わらせようと腰に手を当て服をズラそうと――――。


「オイ、服の上からするに決まっているだろう。……何を想像した?」


 何処となく得意げなヴァニタスくんに、顔が沸騰ふっとうしたように赤くなるのがわかってしまう。


「〜〜〜〜ッ!? 違うもん! 違うったら! 違うぅ!」

「僕が思ったより遥かにはしたない女だな。まさか大勢の視線が集中する中で尻丸出しでやるとでも思ったのか?」

「だからぁ! 違うんだってぇ!」


 わたしの勘違いをこれでもかとばかりに指摘してくる。

 うぅ……ホンっトにヴァニタスくんはイジワル!


 イジワルったらイジワル!!


「……覚悟はいいな?」

「覚悟なんて出来るはずないじゃん。もう……早く終わらせて……」


 わたしを太ももへと抱え込んで覚悟を問うヴァニタスくん。

 でもわたしとしては早く終わらせて欲しい一心だった。


 クリスティナちゃんたちだけじゃない、この場に集まった全員の視線が突き刺さるように集まっていた。

 は、恥ずかしい。


「行くぞ」

「イッ!? いった〜い!!」


 百叩き一回目、服の上からなのに痛みが芯に響くようだった。


 ぐうう……痛いぃ。

 でも、表には絶対に出さないんだからぁ。


 必死に我慢するわたしにヴァニタスくんは休みを与えないかのように連続して叩く。


「痛くない。痛くないから! こんなの全然痛くないぃ!」


 親が子にしつけるように。

 駄目なことをしたことを教え込むように。


 無言で叩くヴァニタスくんは手加減なんてしてくれなかった。


「ンンッ! ンッ!」


 声を押し殺して耐えていたけどそれも数分しか持たない。


「フゥフゥ……うぅ……ハァ……ン……ハァー、ハァー」


 痛みに敏感になった肌はもうどれくらいの強さで叩かれているのかもわからなかった。

 自然と荒くなる吐息、多分服で隠れているけどわたしのお尻はもうとっくに真っ赤に染まっている。


「ひうッ!? ああっ!!?」


 それでも百叩きは続く。

 拠点中に響くかのようなわたしの恥ずかしい声は、夜のとばりが降り陽の光がなくなるまで続けられた。






 夜、ヴァニタスくんの天幕でわたしは不満を口にしていた。


「ウゥ、お母さんにだって叩かれたことないのに……」


 お尻に体重がかかると痛いからベッドにうつ伏せになる。

 それでもジンジンと痛む慣れない感覚につい恨み節を呟いてしまう。


「酷い……」「イジワル」「絶対に許さないんだから」「仕返ししてやるぅ」「……あんな体勢、わたし子供じゃないもん」


 天幕の中に溢れるわたしの不満でいっぱいの声。

 そのお陰か流石のヴァニタスくんもやり過ぎたかと思ったのか、珍しく神妙な声でわたしに切り出す。


「……仕方ない。尻を出せ」

「え!?」

「……警戒するな。薬を塗ってやるだけだ」

「自分で塗れるもん」

「本当にか?」

「うぅ……わかった。……塗って」


 れに効くという塗り薬。

 魔法鞄マジックバックから取り出したそれを、ヴァニタスくんは手のひらを使って優しく塗ってくれる。


「んぅ……冷たい……」

「我慢しろ」

「だって……なんで回復薬ポーションじゃないの?」

「すぐに痛みが引いたら反省しないだろ?」

「むう……そんなこと、ない……もん」


 もう、こんな時までイジワルなんだから。


 互いに言葉を発さない静かな時間。

 天幕の中には微かな布切れの音と薬を塗る音だけが響いていた。


「……痛かったか」

「痛かったに決まってるでしょ。……もうっ」


 痛いに決まっているのにわざわざ聞いてくるヴァニタスくんにうつ伏せになって顔を背ける。


「ハベルメシア」

「……何」

「僕たちに無理に何かをアピールする必要はないぞ」

「…………」


 咄嗟に返事が出来なかった。

 ただ聞き耳を立て話の続きを受け止める。


「お前のことを僕は見てる」

「!?」

「主として、だけでなく、一人の人として。一人の男として」

「お、男!? う、うん……」

「だから焦るな。時間は確かに有限だ。……僕とお前との関係は決められた時間の中のもの。いまは同じ道を歩いているとしてもいずれ必ず別れる時が来る。……わかるな」


 わたしたちの契約は一ヶ月。

 いつか必ず終わりが来る。


 でも……なんとなくそのことは考えないようにしていた。


 何でだろう。

 わからない…………わかりたくない。


「……うん」

「それでもはぐくめるものはある。得られるものはある」

「うん」

「焦る必要なんて何処にもないんだ。僕はお前を見ている。駄目なお前も、どうしようもないお前も、一人で抱え込むお前も、暴走しがちなお前も」

「もうっ! こんな時に変なこと――――」

「寂しがりなお前も、寄り添ってくれる人を求めるお前も、人前に出さずとも苦しんでいるお前も。僕はこの二つの目でしっかり見ている」

「…………」


 ヴァニタスくんは止まらない。

 ただありのままのわたしを見ていた。


「僕だけじゃない。クリスティナもヒルデガルドもラパーナも、マユレリカやラゼリアだってお前を見ている。宮廷魔法師ではないお前個人を。だから焦らなくていい。誰もお前と向き合うことから逃げたりしない。不安なら僕が誓おう。ハベルメシア、お前を僕たちは決して拒絶しないと」

「うんっ、うんっ」


 思わずうるむ目元を隠すため、ますます枕に顔を押し付ける。


 なんでヴァニタスくんはいつもそうなの?


 なんでわたしの欲しい言葉をくれるの?

 なんでわたしと向き合おうとしてくれるの?


 ……ズルいよ。

 ヴァニタスくんはいつもズルい。


 だからわたしはあなたのことが――――。


「ありがとう……わたしの旦那様……」






 塗り薬が効いてきたのか痛みも落ち着いてきた頃、気まぐれにヴァニタスくんに問い掛ける。


 気まぐれ、ううん、これは一種の気の迷い。


 偶然、偶々たまたま、何気なく、ふと。

 ほ、本当に何となく気になっただけ、だから。


「ね、ねぇ、今夜は…………スルの?」

「はぁ……まったくお前ときたらすぐ……」


 たずねたのはわたしなのに、ついベッドに突っ伏して誤魔化してしまう。

 うぅ……顔が火を吹くように熱い。

 コレ耳まで真っ赤になってるかも。


「だ、だって!? 一緒のベッドにいるん、だし……」

「いや、いい。痛むんだろ?」


 呆れたように顔を背けるヴァニタスくんだけど、声はどことなく優しかった。


「うん。……じゃあ……添い寝して」

「ああ」


 静寂の中わたしたちは共に眠りにつく。


「おやすみ、ハベルメシア」

「……旦那様、おやすみなさい」


 この関係はいずれ消えてしまう。


 だとしても、いまこの時を大切にしたいと、きっとわたしたち二人は同じことを考えていた。











【お知らせ】


限定ノートにて第八十九・五話 温泉回裏 マユレリカと皇女殿下と無力の証を公開中です。


もしよろしければそちらもチェックしていただけると嬉しいです。


★評価、フォロー、ご感想をいただけると幸いです。


貴方様の応援が執筆の励みになります!


どうかよろしくお願いします!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る