第百五十七話 あの日の思い出 ハベルメシアとメイド服


 あれはわたしがまだヴァニタスくんの奴隷になってすぐのこと。

 わたしのちょっとした不運から始まった思い出。






「ヴァニタスくんったらあ、あんなに激しくするなんて聞いてない……」


 わたしはいまだ慣れない新しい屋敷、リンドブルム候爵家の廊下を彷徨さまよっていた。

 宮廷魔法師として与えられている宮殿の一室ではないよく知らない場所。


 それにしても、思い出せば思い出すほどむかむかと怒りが湧いてくる。


「わ、わたしは嫌だって言ったのに。まだ心の準備が出来てなかったのに。なのに、なのにめ、命令までして無理矢理……」


 ヴァニタスくんの『命令』には本当に困ったものだ。

 奴隷が命令に逆らえないにしてもあんな罠に嵌めるような真似までしてわたしをほ、欲しがるだなんて。


 で、でも。

 二人きりでいる時間は悪くなかったりなんて……。


「エヘヘ……」


 な、何考えてるのわたし!

 駄目、駄目!

 なんでここに来てほんのちょっとしか経ってないのにこんなこと!


 それもこれも全部ヴァニタスくんのせいだ!

 わたしを騙し討ちして奴隷になんてするから!


 だいたい魔法が発動しないってなんなの!?

 あんなのどうしようもないじゃん!


「も、もう……ヴァニタスくんのせいで屋敷のメイドたちにはからかわれてる気がするし、クリスティナちゃんたちは呆れたような目で見てくるような気がするし。な、なんでわたしがこんな目に合わなくちゃならないの! もう全部、全部ヴァニタスくんのせいなんだから!」


 内に秘めた怒りを発散した、その時だ。


 つい……ううん、わたしだってワザとじゃない。

 ワザと物に当たるなんてことする訳がない。


 でもたまたま、たまたま当たっちゃったのは、もう運が悪かったとしか言いようがない。


「あっ……」


 ガチャンと間の抜けた音が廊下に響いた。






「で? 廊下に飾ってあった壷を割ったと」

「ご、ごめんなさい」


 目の前のテーブルに広げられたのは見るも無惨に砕け散った陶器の破片。


 ひたすら頭を下げる。

 不運な出来事とはいえわたしが壊してしまったのは本当のこと。

 うぅ……そんな目で見ないでよ。


「その……言い訳する訳じゃないけど、手が滑って……あの……ご、ごめんなさい」

「はぁ……これでは修復は不可能だな」


 木っ端微塵になった無数の破片。

 確かにもう元に戻すのは無理かも。


「……この壺は僕の所有物ではないが、リンドブルム家に代々伝わるものだ。爺や……執事長のユルゲンの話では、三代前の当主が他国の商人からかなりの高額で手に入れたものらしい。もう二度と手に入らないだろうな。それをお前は……」

「ウッ……」


 そんなに大事なものだったの?

 廊下に無造作に飾ってあったからてっきり安物だとばっかり……。


「屋敷にまだ慣れていないのはわかる。しかしハベルメシア、お前一度この壷の破片を隠そうとしたらしいな」

「そ、それは!?」


 ヴァニタスくんの横に控えるクリスティナちゃんを盗み見る。

 彼女は微笑みつつも怒っていた。


「クリスティナから聞いたぞ。まさか宮廷魔法師ともあろう者が自分の不始末をなかったことにしようとは……」

「だって……だって……ワザとじゃないんだもん。ワザとじゃ……」


 あの時、咄嗟の事故にわたしは慌てていた。

 廊下に飛び散った陶器の欠片にどうすればいいかわからなくて、でも近くには誰もいなかった。

 それで……誰もわたしが割るところは見てなかったし……いいかな〜って。


 そ、そんなに大事な物だと思わないじゃん!


 でもヴァニタスくんは増々呆れ返ったように溜め息を吐く。


「はぁ……似たようなことで一度は痛い目を見たというのに、学習しないやつだ」

「うぅ〜〜……」


 図星ずぼしだった。

 ヴァニタスくんの辛辣しんらつな言葉に反論も出来ない。


 そうして思い出すのはあの時の屈辱。

 うぅ……なんでわたしがこんな目に。

 なんでわたしが詰めが甘いって責められなくちゃいけないの!

 床に正座までして反省してるのに怒られなくちゃいけないの!


 騙したくせに!


 だから……わたしは爆発してしまった。

 立ち上がり感情のままに叫ぶ。


「も、もう謝ったでしょ! 何で許してくれないの! 何、こ、こんなのただの壷じゃん。何処にでも売ってるでしょ! それなのに……そんなに言わなくたっていいじゃん! わたしだって宮廷魔法師なんだから! お金くらいあるんだから! 弁償すればいいんでしょ、弁償!!」


 一通り叫んでから失敗を悟った。


「はぁ……」


 ヴァニタスくんはがっかりしたとばかりに目を伏せ何度目かの溜め息を吐く。

 眼差しは心なしか冷たかった。


「な、何?」

「……反省、していると思ったんだがな」

「し、してるでしょ! だから弁償べんしょうするっていってるじゃん! い、幾らなの!」


 わたしにも宮廷魔法師として働いてきて貰ったお給金がある。

 何かに使うこともないし多少貯金も貯まっている。


 だからお金で解決することを申し出た。

 それがヴァニタスくんの機嫌を余計に損ねる発言だとこの時のわたしは思っていなかった。


「……僕もまだまだ甘いな。ついほだされるところだった。……一夜を共にしたせいか」

「う……あ……こ、こんな真っ昼間から恥ずかしいこといわないでよ! ハ、ハジメテだったわたしに、あ、あんなことをしたくせに! もう、ヴァニタスくんのエッチ!」

「……はしたない女だ」

「!?」


 不気味な雰囲気を纏うヴァニタスくんがクリスティナちゃんへと目配せをする。

 その仕草に嫌な予感を覚えたわたしは一歩後ろに退いた。


 でも逃げられなかった。


 クリスティナちゃんはニコニコと笑いながらわたしの背後に回る。

 あの夜のように気配のない機敏な動きで。


「クリスティナ、相応しい格好にしてやれ」

「はい。さあハベル、お着替えの時間ですよ」

「え、ウソ、何でぇ! 何でまた着替えるのぉ!?」


 誰もわたしを助けてくれなかった。

 クリスティナちゃんに襟首えりくびを捕まれ強引に引き摺られる。


「ねぇ、ヤダヤダ、なんでこうなるの!?」


 廊下にわたしの虚しい叫び声だけが響く。

 わたしたちの様子を窺うメイドたちの視線がますます突き刺さるようだった。






「う〜ん、これが良いですかね。でもこちらも捨てがたい」

「ね、ねぇ、クリスティナちゃん?」

「やはりハベルには短いスカートの方が、いやでもあまり落ち着きがないものでは少々下品に映るかもしれませんね。いやでもハベルの細見の体なら少々露出の多いものでも。……悩ましい」


 かれこれ十分は経つ。

 そのあいだクリスティナちゃんはわたしに色んなメイド服を当てては、あーでもないこーでもないとにらめっこしていた。


 なんでこんなことに……?

 というかなんでここにはこんなにメイド服があるの?


 連れて来られたよくわからない小部屋。

 一際ひときわ大きな衣装棚を開けるとそこにはたくさんのメイド服が飾られていた。


 それも屋敷で見掛けるメイドたちが着ている長いスカートの落ち着いた雰囲気のものから、『こんなのいいの!?』と思うぐらい短くて立っているだけで下着が丸見えになりそうなスカートのもの。

 かと思えば全身がふりふりのフリルで彩られた装飾だらけの可愛さに全振りしたもの。

 む、胸のところがばっさり開いたものまである。


「なんでこんな変なメイド服ばっかり……」


 漏れ出た声にメイド服選びに夢中になっていたクリスティナちゃんが答える。

 彼女曰く、これらのメイド服は屋敷で働く一部のメイドたち、しかも裁縫さいほうが得意な子たちが自主的に用意したものらしい。


「普段メイドたちが着ている給仕服メイド服はきちんとした職人の仕立てたものですが、これらは彼女たちが趣味で用意したものです。どうです? 中々のものが揃っているでしょう?」

「う、うん」

「普段屋敷で着用しているメイド服にも愛着がある者は多いのですが、それはそれとして可愛らしいものも着てみたくなるものです」

「へ、へ〜、クリスティナちゃんも着たりするの?」

「…………」

「クリスティナちゃん?」

「……それにこれらはいつか主様のご寵愛を賜りたいと考えている者も着てみたりするんですよ。といってもいまだ主様の前で着る勇気のある者はいないようですが」

「そ、そうなんだぁ」


 なんかクリスティナちゃんが怖いような。

 ……不味いこと聞いちゃったかな。


 というかもしかしなくてもここにあるメイド服って……わたしが着るの!?


 棚の奥にはとてもメイド服とは思えないほど扇情的なものまで飾ってある。

 あんなの着させられたらわたし……。


 戦々恐々としながら怯えているとクリスティナちゃんはようやく一つのメイド服を選んでくれたようだ。


 良かった。

 屋敷のメイドたちと同じ、まだ普通だ。


「そうですね。やはり初回ですし、主様なら貞淑なメイドを好まれるかと。さあ、ハベル、こちらに着替えて下さい」

「え〜〜」

「主様がお待ちです。早く」

「でも……」

「でもも何もありません。は・や・く、着替えて下さい」

「うぅ……な、なんかクリスティナちゃん怖いよ……」

「怖くありません。これは・必要な・ことなのです!」


 妙に押しの強いクリスティナちゃんに急かされながらメイド服姿へと着替える。

 うぅ……なんでこんなことに……。






「な、何でこんな格好わたしがしなくちゃいけないの!? ねぇ何で!?」

「とてもよく似合っていますよ、ハベル。可愛らしい姿です」


 結局強引に着替えさせられた……。

 慣れない格好に気恥ずかしくて混乱するわたしに満足そうに頷くクリスティナちゃん。

 ホント? 

 ホントのホント?

 わたしが可愛いなんて……。


「え……ウソ……だよね? 私なんてそんな……ホントに? か、可愛い?」

「ええ、本当です。……主様もそう思われますよね?」


 クリスティナちゃんの信じ難い言葉にそっとヴァニタスくんを覗き見る。


「……ああ、よく似合っているぞ」

「そ、そう? ま、まあね。わたしだってやれば出来るんだから! そ、それで? ヴァニタスくんの希望通り着替えたよ。これで終わり?」

「そうだな。今日一日お前には奉仕してもらうとするか」

「ほ、奉仕ぃ!?」


 直球の褒め言葉に動揺してこの後のことを聞いてみたら、予想外のことを返されて思わずバッと自らの体を掻き抱く。

 体を熱が駆け巡り頭まで熱湯に浸かったように熱かった。


 ほ、奉仕!?

 突然ナ、ナニ言い出すの!?


「何、単にメイドたちの仕事をして貰おうと思っただけなのだが……何を想像した?」

「べ、別に。何でもないから! 何でもない! でも……ホントに手伝いだけ、なの?」

「ああ、まずは掃除からだな――――」


 ホッとしたのも束の間、その後はクリスティナちゃんに連れられて、屋敷のメイドたちと合流して彼女たちが普段行っている作業を手伝うことになった。


 掃除から始まって、洗濯から食事の後のお茶の準備や料理の下拵えの手伝い。

 家事なんて何も知らないから教わりながらの作業だったけど、これがもう本当に大変だった。




「む、ハベルメシア様、これでは掃除になっていませんよ。寧ろ汚しています。……掃き掃除で集めたゴミはこちらのちりとりで取って袋に入れて下さいとお願いしましたよね? 何故一向にゴミが一纏まりにならないのです?」

「え、ごめん! わたしよくわかんなくてバラバラにすればいいのかと思ってた!」

「……いえ、慣れない作業ですからね。構いません。そうですね。これからは一人暇そうなメイドを付きっきりでつけますので彼女に詳しいやり方を聞いて下さい」

「は〜い」

「…………」




「あ〜、もうなんでわたしがこんなことしなくちゃいけないのぉ!」

「アレ? 水が冷たかったですか? ちゃんと温かい湯を持ってきたはずですが……」

「だって、なんでわたしがヴァニタスくんのパ、パンツなんか洗わないといけないの! しかも手洗いだし! 他の皆は魔法で簡単そうに洗ってるじゃん! なんでわたしだけ!?」

「何を……御主人様の下着を手洗いさせていただくなどとても栄誉なことですよ」

「こんなの栄誉な訳ないじゃん! 恥ずかしいだけだよ!」

「……な、なんて失礼なことを。この仕事はメイドたちの間でも希望者が多いんですよ。それをせっかく譲ったというのに貴女は……」

「え、あ、その……」

「……わかりました。この籠に入った残りの服も手洗いでお願いします。特に汚れはないように見えても埃はついていますからね。しっかりと洗うように」

「ええ〜〜」

「文句を言わない! ほら、石鹸はよく泡立てる! ……返事は?」

「は、はい! やります!」




「痛っ!?」

「駄目です。いまつまみ食いしようとしましたね。それは御主人様たちのお茶の時間に出すお菓子ですよ」

「だって……美味しそうだったんだもん」

「はぁ……」

「ね、ねぇ、ちょっとくらい食べちゃってもどうせわからないよね? それにヴァニタスくんたちだってこんなお皿いっぱいのお菓子なんてどうせ食べ切れないんだから少しくらい……」

「……駄目です。はぁ……いい加減にして下さい」

「うぅ……ごめんなさい……」




 時に叱られて、怒られて、呆れられる。

 というか怒鳴られこそしないけどほとんどの時間で注意されたり溜め息を吐かれてる。


 なんでぇ?

 なんでこうなったの?


 わたしがミスばっかりするから?

 作業が鈍いから?

 最初は凄く丁寧で優しかったのに、途中からほとんどの時間で何かしか怒られてる。

 メイドさんたちの視線も最初に比べれば心なしか冷たくなったような気がする。


 なんでこんなことになっちゃったの!?


 そうして、忙しい時間はあっという間に過ぎていった。






「や、やっと終わった……」


 一日の終わり際、すっかり静かな夜になった頃、慣れない家事仕事の連続にわたしは思わず椅子に座ったまま両手両足を投げ出していた。


「もう一歩も動けないぃ。こ、これで終わりだよね。あーもう、疲れた〜〜! 後はもうお風呂に入ってゆっくりしたい〜〜!」


 ヴァニタスくんが執務室で本を読んでいたけど関係ない。

 欲望のままに叫ぶ。


 ああ〜〜、もうホント長かったぁ。

 メイドさんたちはなんであんなに動けるの?

 しかも全然ミスなんかしないし、どんな作業もテキパキとこなしちゃうし。


 ……なんかもう色々あった自信みたいのが粉々になった気がする。

 もうちょっと出来ると思ったのになぁ。


 はぁ……でも、疲れたけど充実はしてたのかな。

 最後には一緒に仕事をしたメイドさんたちも良く頑張りましたね、って褒めてくれたし。


 頑張るとすっごく甘い飴をくれるのも嬉しかったなぁ。

 他のメイドにはナイショですよ、って。


 ヘヘ、頑張りが認められてるみたいで嬉しかった。

 ……でもなんでみんなあんな穏やかな視線でわたしを見てたんだろう。

 それだけがよくわからなかった。


 ようやく長かった一日も終わる……のはずだった。


 ぐでっとしたわたしに手元の本に目を落としていたヴァニタスくんが告げる。

 

「まだだ」

「え?」

「まだ肝心なことが終わっていないぞ」


 いつの間にか真っ直ぐわたしを見ていた瞳にギョッとする。


 嫌な予感がしていた。

 冷や汗が背筋を伝う。


「え、え、でも……わたしヴァニタスくんの言う通りにしたよ。メイドさんたちの仕事もいっぱい手伝ったもん。今日一日頑張ったんだから。今日……一日……」

「そうだ。僕は一日といった」

「ウソぉ……」

「嘘じゃない。夜はまだ長いんだ。一度風呂に入ったら僕の寝室に来い。ああ今日は……そうだなせっかくだ。メイド服姿のままでいいぞ。……いいな?」


 ニヤニヤと口角をあげるヴァニタスくん。

 うぅ……また騙したんだぁ。


「ああっ、やっぱりぃ! やっぱりだぁ! 嫌な予感がしてたんだもん! ヴァニタスくんのエッチーーッ!!」


 絶叫が屋敷中に響き渡る。


「……お前、またそんな大声で叫んだら屋敷中からメイドたちが集まってくるぞ」

「〜〜〜〜〜〜ッ!!」


 今度こそ声にならない絶叫だった。

 急いで口元を抑えたけどもう遅い。


 ああもうなんでぇ!?

 これでまたメイドさんたちに寝室に呼ばれたのがバレちゃうじゃん!!


 お先にと軽やかな足取りで寝室へと向かうヴァニタスくんは憎たらしいほどに笑顔だった。


「遅れるなよ」

「旦那様の馬鹿ぁ!!」











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