第百五十五話 わたしと戦って


「あ〜、勿体もったいないねぇ。なぁんで、素直に手放しちまうのか。アタシにはすっかりヴァニタス坊っちゃんの考えってのがわからないよ。現役の宮廷魔法師が奴隷だなんて一生に一度だってあるかどうかわからないってのに」

「……シュカ、いいから黙ってやるんだ」

「はいはい、人使いの荒いお子様だよホント」


 ぶつくさと文句を言い続ける女奴隷商人シュカ一瞥いちべつし黙らせる。

 彼女は肩を竦めながらも粛々しゅくしゅくと作業を進めた。


「――――はい、これで終わりだよ。これでアンタは奴隷から解放された」


 だいだい色の温かみある魔法の光。

 次の瞬間光に包まれた真紅の首輪はものの数秒もせずに外れていた。

 あまりに呆気なかった。


「…………うん、ありがとう」


 一ヶ月、長いようで短かった期間が終わりを告げる。

 もうハベルメシアは僕の奴隷ではない。


「……解放された気分はどうだ?」

「何か変な感じ……ずっとあったものがなくなっちゃったような」


 ハベルメシアは首元を確かめるように触るがそこにはもう何もなかった。

 首輪を嵌めていた形跡すら存在しない。

 彼女の首には元々何もなかったかのように何の痕跡も残っていなかった。


「……これでハベルメシア、お前との奴隷契約も満了だな」

「…………」

アンヘル主人公面のことは心配するな。約束が守られた以上僕から何かするつもりはない。もっともやつから接触してきた場合はこの限りではないが……お前の弟子であることは一応頭に留めておく」

「…………」

「……お別れ、だな」

「主様っ! 本当にハベルとはここでっ!」


 これまで我慢して見守っていてくれたのだろう、クリスティナが苦しそうに胸を抑えて僕へと訴える。


 無理もない。

 彼女はハベルメシアのことを人一倍気に掛けていた。

 ともすればヒルデガルドやラパーナたちと同じように、身分や年齢は違えど手の掛かる妹のように接していた。


 その彼女が離れていってしまうことにクリスティナは胸を痛めていた。

 そして、それは他の仲間たちも同じだった。


「ハベルメシア、いなくなる。寂しい」

「…………ヒルデ姉……うん」


 がっくりと肩を落とし落ち込むヒルデガルドを心なしかいつもより暗い表情のラパーナがなぐめる。

 二人にとってもハベルメシアがいる生活が当たり前になっていたんだな。


「ヴァニタス……いいんだな」

「ああ……契約は契約だ。これをたがえることを僕は僕に許さない」


 契約解除の場面に同席してくれていたラゼリアが、どことなく寂しそうに尋ねてくるのを僕は短い言葉で返した。


「主様……はい」


 ……仕方ないことだ。

 僕にハベルメシアの行動を縛る理由はない。

 

 それにこれは約束だった。

 アンヘル主人公面の退学をくつがえす代わりに師匠の彼女が負った代償。

 それを払い終えたのなら……僕には彼女を引き止める理由は、ない。

 たとえどれだけ彼女が僕たちに馴染み、欠かせないものになっていたとしても。


 しかし……。


「……どうした? もうお前は自由だぞ」


 ハベルメシアはその場を一歩も動いていなかった。

 それどころかこれまでずっと無言であり、普段の騒々そうぞうしさを知っているだけに不気味なほどに静かだった。


「……戦って」

「なに?」

「わたしと戦って!!」


 伏せていた顔を勢い良くあげるとハベルメシアは宣言する。 

 彼女の薄紫の瞳は力強く燃え戦意に溢れていた。


「……何故だ? もう僕らが争うような理由はないだろう?」

「まだ終わってない! あ、あの日の屈辱をわたしは忘れてないんだから! それに、宮廷魔法師が負けっぱなしじゃいられないもん!」


 あの日か……彼女が僕に負けた日。

 あの時は僕が無魔虚無空間アンチマナ・ヴァニティ・スペースで彼女の魔法発動を擬似的に封じ勝利した。


 小さく『……五番目って言ったこと後悔させてあげるんだから』と頬を赤く染めながら呟く彼女は、一瞬僕から目を逸らしたが、それでも戦意が衰えることはなかった。


 そんなこと言ったか?

 フ、憶えてないな。

 それにあれはお前が一度夜を共にしただけで態度を急変させるからからかっただけだぞ。


「そうか、それで気が済むなら――――」

「だ、だから! わたしが勝ったら、一つ言うことを聞いて!」

「それは……僕が勝ったらどうするつもりだ?」

「そ、その時は一つ言うことを聞いてあげる!」 

「うむ、大胆だな」

「ふ、深い意味はないから!」


 深い意味か……何を想像したのやら、はしたない女だ。


「場所はどうする? ルールは?」

「場所は……闘技場、でも良かったんだけどいまから予約するのは大変だし、帝都の外で良いよね。私の力でも他の人に迷惑にならないところを封鎖して貸し切りに出来るだろうし。勝敗は……あの時は先に一撃入れた方が勝ちだったけど、今度はどっちかが降参するか戦闘不能になるまで。あ、勿論命を奪う攻撃はなし! したら反則負けだから!」

「うむ」

「戦いの日は一週間後でいいでしょ。審判は……ラゼリア様、お願いできますか?」

「いいだろう! どうせ暇だしな!」


 この時のためにあらかじめ決めていたのだろう、話を主導しながら次々と必要事項を決めていく姿は一昔前からは想像出来ないほどの手際の良さだった。


「フ」

「な、なに? なんで笑うの?」

「いや、少し嬉しくてな。あの頃より成長しているらしい」

「あ、当たり前でしょ! わ、わたしだって同じてつは踏まないんだから! あの時のように大事なことを人任せになんてしない!」


 ……本当に成長したな。


「じゃ、じゃあわたし宮殿に帰るから!」

「ん、まあ待て」

「?」


 言いたいことだけ言ってきびすを返そうとしたハベルメシアを呼び止める。

 このまま帰す訳にはいかないな。


「マユレリカ、アレを」

「はぁ、わたくしを小間使いのように使わないでくれますか?

大体これだって相当無茶をして用意しましたのよ。婚約者とはいえ無理難題を押し付けないで下さいまし」

「悪かった。だがラパーナの件で貸しがあるんだ。少しは許してくれ」

「むむむぅ……それを指摘されますと弱いですわ」


 ぐうの音も出ないマユレリカには実は前もってあることを依頼していた。

 だが、流石の彼女をもってしても今回の件は中々に難儀だったらしい。

 それもそうだ。

 使う素材は最高級、しかもこの日のために合わせるとなるとどう見積もっても時間が足りなかった。


「……なにソレ」


 困惑するハベルメシアの前に人の身長ほどの長さの木箱が置かれる。

 随分と大仰な装飾だな。

 だが、コレに使用されたものを考えればこうもなるか。


 僕は重厚に封を施された箱を開け中身、上質な白い布に包まれた一本の棒のようなものを取り出す。


「木製の……杖? でもすごい、なんだろう、圧力みたいなのを感じる。それに、先端に何個もついてるのは、もしかしてあれ全部宝石なの?」


 核となる部分は確かに宝石だが少し違う。

 これは力ある石。

 深緑の杖の先端には色取り取りの複数の石が備え付けられていた。


「魔物の中でも地竜のような岩や土を食料とする魔物は稀に体内に宝石がベースとなったものを蓄えていることがある。長い年月保管されたそれは、魔物の体内で研磨され場合によっては魔力すら宿す。そして、それは時に魔石より希少な物質として扱われる。『魔宝玉』、これは僕らが倒したアイツからこっそり拝借しておいたものだ」

「……アイツって?」

「杖の名は月蝕の樹咆杖エクリプス・イロードロア。キマイラトレントの樹木の体躯をベースに、先端に月食竜エクリプスドラゴンの魔宝玉を複数取り付けた特別な品だ」

「エ、エクリプスドラゴンから取ったの!? しかも、キマイラトレントまで……いつの間にそんなの……」


 どうせ暫くは帝都の調査員は来ないようだったからな。

 腹を裂いて胃から取り出しておいた。

 ん、バレやしないかって?

 戦闘中だったんだ、仕方ないだろ。


「この杖はハベルメシア、お前に渡すために用意したものだ」

「え! わたしに!?」

「別れの日に何もないのも寂しいだろう? だから、マユレリカに無理をいって用意して貰った」

「大変だったんですのよ。ヴァニタスさんはこれを今日の日のために用意しろと無理矢理。大体ですね、魔宝玉を扱える鍛冶師や細工師なんて帝都でも数が少ないのですから、ランカフィール家のコネを最大限活用したって難しいとわたくしはそう何度も申し上げたのですわ。そもそも加工自体が高難度ですし、お金の問題でもないのですのよ。時間だって本来は三ヶ月は最低欲しいところを――――」


 マユレリカの苦労話が続く中、ハベルメシアは放心した様子で手渡した長杖を握り締めていた。


「ウソ……」

「嘘なんかじゃないさ。まあ使っても使わなくてもいい。売り飛ばしても文句は言わない。僕が勝手に用意したものだからな」

「……売るなんて、出来るはずないよ」


 ハベルメシアは長杖を両腕で抱き締め絞り出すように呟く。

 声は震えていた。


「なんで、ヴァニタスくんは……こんなのズルいよ」

「何故……だろうな」


 僕も理由はわからない。

 ただそうすべきと思っただけだ。


「……出会った時僕たちは互いに敵同士といってもいい間柄だった。決闘で決まった結果を宮廷魔法師の権力で覆そうとするお前に僕は苛立ちを覚えた。……それが、どうしてこうなったんだろうな」

「…………」

「ハベルメシア、お前はいつも僕たちを搔き乱す。騒がしくて、落ち着きがなくて、危なっかしい。でも、感情のままに過ごすお前は誰よりもいまを生きていた。だから……目を離せないのかもな」

「…………」

「正直にいう。この一ヶ月、お前と過ごした時間は楽しかったよ」

「っ!?」

「それはクリスティナたちも同じだと確信を持って言える。僕たちにとってハベルメシア、お前はもう――――」

「……約束は一週間後、ねぇ、本気で戦って。手加減は要らないから……」


 かすかに震える手で彼女のための杖月蝕の樹咆杖を握り締める彼女は一度も振り返らなかった。


 再戦の日は一週間後、帝都郊外にて。


 ……それまで少し静かになるな。











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