第百五十二話 これは交渉ではない


 前代未聞の公爵家オータムリーフ邸宅襲撃事件から三日後。

 僕とクリスティナはリンドブルム候爵家の応接室にて来訪した客人を持て成していた。


 といってもなごやかな雰囲気ではない。

 寧ろその逆。

 それこそ表面上は穏やかでも内心荒ぶっているのは対面の人物を見ればすぐにわかる。


「この度は我々オータムリーフ公爵家との交渉の席を設けていただきありがとうございます。……ヴァニタス・リンドブルム殿」


 薄く禿げ上がった頭を恭しく下げる豪勢な衣装に身を包んだ男。

 言葉遣いこそ丁寧だが、こんな子供に頭を下げる行為自体に内心はらわたが煮えくり返っていることだろう。


「ええ、こちらこそ突然の話にも関わらず快諾かいだくして下さりありがとうございます。バーゲン・オータムリーフ殿と……奥方のヘロミア・オータムリーフ夫人」


 応接室のテーブルを挟んで向かい合うは、ルアンドール帝国でも四家しかない公爵家の一角、オータムリーフ公爵家を治める最高権力者。

 対して僕は候爵家の嫡男であり一介の学生に過ぎない。


 貴族派筆頭と当主でもない一学生。

 両者の間には爵位の差以外にも隔絶した差が存在する。


 では何故このような場が成立したのか。

 答えは簡単だ。


「ご子息のご様子はどうです? あれから三日程経ちましたが立ち直れましたでしょうか?」

「何をっ、貴様がっ…………いえ、失礼、リヒャルトに大きな怪我はありません。ただ……屋敷におりましても心ここにあらずといった様子でして。食事も満足に手を付けず、かといって眠るとなると酷い悪夢を見るようで何かにうなされたように飛び起きる毎日です」

「ほう」

「……失礼ながらそんな状態のリヒャルトを連れてくる訳にもいかず、我々だけでこちらに参った次第」

「そうですか。それは残念です。出来ればリヒャルト殿にもこの場に来ていただき、色々と僕の持つに対してご説明を聞かせていただきたかったのですが……」

「…………」


 そう、リヒャルトの悪事の証拠を僕は持っている。


 これはリヒャルト個人の屋敷、別邸とも言うべき場所からアシュバーン先生とシアたちが確保してくれた資料であり、まあこれがとんでもないものだったのだから公爵家当主としては見逃せないだろう。


 三日前の初対面の時にもチラッと見せておいたが、何せリヒャルトはかなり手広く悪事を行っていた。

 帝都でこそあまり大ぴっらに行っていなかったようだが、オータムリーフの領地では相手が平民だからと不当な献金を要求したり、気に入らない商会を取り潰したりは日常茶飯事。


 さらには依存性のある違法薬物の生成や販売を裏の組織と接触して行い、領民を捉え奴隷として売り渡した記録まである。


 平民をしいたげても貴族はほとんどの場合罪にならない。

 しかし、流石に違法薬物の取引や領民狩りともいうべき内容は表沙汰になれば醜聞しゅうぶんどころでは済まないスキャンダル。


 バーゲン・オータムリーフ、いや長いからバーゲンでいいな。

 この薄らハゲオヤジは僕にこの交渉の席を通じて悪事の証拠をなんとしても渡して欲しい、そんなところだ。


「……交渉を始める前に一つ質問があるのですが、よろしいでしょうか?」


 バーゲンが本人も虫唾むしずが走るだろう猫撫で声で僕へと尋ねてくる。


 これは下手したてに出たフリをして僕の油断を誘っているのだろう。

 子供一人、甘言かんげんで騙すことも権力で黙らせることも出来るが、悪事の証拠が表に出ることは少々困る。


 なのでこの場、この時だけは丁寧なフリをして後日この屈辱は必ず晴らす、とでも考えていそうな顔だ。


「何でしょう?」

「息子……リヒャルトにヴァニタス殿が行ったのは一体何なのですか? リヒャルトの話では……魔法が使えないとか」

「さあ? 何故でしょう?」

「……ヴァニタス殿はリヒャルトがああなる前に接触した方、理由をご存知では?」

「僕はあの日友人の家族が公爵家にてと知り、リヒャルト殿と話し合いをするべく足を運んだだけですから……」

「……護衛の傭兵を殺し、我が家の騎士たちを捕縛して、ですか?」


 バーゲンは得体の知れないものを見る目で僕を見ていた。

 平民の家族のために何故そこまでするのか本気で理解出来ないといった様子だ。

 失礼なヤツだな。


「彼らは僕が話し合いに来たと言っても武力で制圧してこようと強行してきました。それこそ僕よりも爵位が低いにも関わらず、ね。僕は降り掛かってきた火の粉を払っただけ。……文句を言われる筋合いはないと思いますが」

「……帝都でも有数の医師に診察させましたが、リヒャルトが魔法を使えないことの原因はわからないと。……リヒャルト本人はヴァニタス殿の仕業だと怯えながら話しています。何もかも奪われたと。信じ難いことですが貴方が魔法でリヒャルトの魔法を奪った。違うのですか?」


 なんだ、息子からしっかり話を聞いているじゃないか。

 

 まあ当然だな。

 僕でも情報を得るためなら多少拷問手荒い真似をしてでも聞き出すだろう。

 それによって不利になる可能性があるならなおさらだ。


 僕は公爵家の邸宅へと戻ってきたバーゲンにリヒャルトの身柄をそのまま引き渡した。


 何故かって?

 僕としてはリヒャルトの未来魔法を奪った時点で制裁の半分は済ませている。


 よってあのまま口封じで殺されても構わなかった。

 魔法という絶対の自信を持つものを失い、将来に希望を無くしたと嘆くリヒャルトが死を選ぶならそれでもいい。


 まあそんなことは選ばないと確信していたがな。


 傲慢の塊のようなヤツだ。

 僕の魔法の効果を信じていない可能性だってある。

 反省など禄にしていないのだろう?


 だがバーゲン、お前は息子を哀れんで口を封じなかったのだろうが……それは失敗だったな。


「さて、早速交渉と参りたいところですがまだ来ていない人物がいるようです」

「……なに?」


 僕はあえてバーゲンの質問を無視して話を先に進める。


 その時、丁度タイミングを同じくして応接室の扉がノックされる。

 恭しく礼をして入ってきたのは執事長ユルゲン。

 バーゲンとヘロミアに一礼すると僕へと耳打ちする。


「……お通ししろ。失礼のないようにな」

かしこまりました」


 そして、数分後に応接室を訪れたのは、僕以外誰も登場を予想していなかった人物だった。


「これはこれは私が最後とは……少し遅れてしまったようですね。失礼しました」

「な、な、な、何故!? 何故!? 貴方が……」


 バーゲンがソファから立ち上がり驚愕きょうがくに震える。


 嬉しいよ。

 そんなに喜んでくれて。


 今回の件の功績を対価にした甲斐があった。


「ヴァニタス殿から提案がありましてな。此度の案件の仲裁役として呼ばれました、アウグスト・ファウエルです。……バーゲン殿は先日顔を合わせましたので、いまさら挨拶は不要ですな。ヘロミア夫人とは随分と久方振りで……また一段と美しくなられたようで何よりです」

「…………」


 アウグスト・ファウエル。

 ルアンドール帝国の最上位者である皇帝陛下の最側近であり、陛下が最も信頼し、政治面のみならずあらゆることで進言を求める相談役。


 バーゲンも恐らく横で黙っているだけのヘロミアも予想していなかった人物。


「さ、宰相殿が何故こんな木っ端な交渉に!? こんな小僧に何故そんな真似が!? コネなどないはずだ! まさか“暴竜皇女”様が!? いや! まさか、あり得ない!」


 おいおい本音が漏れているぞ。


 超のつく大物の登場だが、かの人物の介入は仕方のないことだった。


 僕は結局のところ爵位は候爵家嫡男でしかなく、オータムリーフとの交渉でも当主と同等に話せる立場にはない。

 有耶無耶にされる可能性も爵位でゴリ押しされる可能性もある。


 実際リンドブルム家の屋敷には何度か刺客が襲ってきたりもした。

 まあ全員返り討ちにしたが……。


 ともかく、仲裁役がある意味公爵以上の権力を持っていればその問題は払拭される。


 僕は三日前、ラゼリアの紹介でスプリングフィールド公爵と接触した。

 そして、周囲には秘密だが正規のルートで皇帝陛下へと要請した。

 

 この交渉に中立の立場の者が欲しいとね。

 最初はスプリングフィールド公爵がその役を担ってくれると提案してくれていたが、それはそれで敵対派閥の者が仲裁役というのも不味い。


 それに、僕の提案をかんがみてもスプリングフィールド公爵ですら役不足になる。

 必然的に適役となるとこの人しかいなかった。


「ヴァニタス・リンドブルム殿、にお会いするのは初めて、ですね。どうぞお見知りおきを」


 言葉は優しい風を装っているが、表情には一片足りとも変化はない。

 さらには含みを持たせた言い方。


 だがこれも仕方ない。

 僕は何度か皇帝陛下と接触しているが、多くは皇帝の相談役である宰相を飛び越えてどれも非公式のもの。


 皇帝陛下の相談役にして帝国の中枢を担う宰相としては当然面白くない。


 それに僕の講師であり先生でもあるアシュバーン先生と宰相アウグストは実はあまり仲がいいとは言えない。

 主な理由は先生が変身魔法を使用して宰相にばかり変身しては、宮殿内でイタズラをしていたせいなのだから、アシュバーン先生の自業自得な訳だが……まあ気軽にからかえる仲といえば聞こえはいいか。


「……それでそちらの女性は?」


 宰相アウグストは同行者を連れていた。

 ……これは予定になかったな。


「この子は私の姪であり、いまは後学のために私の仕事を見学させています。良ければ此度の一件にも見学させたいと連れてきました。……エリザベータ、皆様にご挨拶を」

「はい、叔父様。エリザベータ・フォンティーヌです。ヴァニタス・リンドブルム様、オータムリーフ公爵様、公爵夫人様、皆様どうぞお見知り置きを」


 黒縁の眼鏡を掛けた怜悧な印象を受ける女性。

 年齢はラゼリアと同じくらいか二十代前半と若い。


 うむ、見るからに仕事のできるクールなキャリアウーマン風だな。


 ……物語ストーリーに登場する人物か?

 まあいい、いまは余計な情報は要らない。


 さて、これで盤上に駒は出揃った。


 いよいよ本格的な交渉が始まる、といった段階で、驚愕からいまだ帰ってこないバーゲンに忠告するように宰相は発言する。


 声は感情の欠片すら感じさせないほど冷たかった。


「交渉を始める前に一つ、私からオータムリーフ公爵にお伝えすべきことがあります」

「何、でしょう……?」

「ヴァニタス・リンドブルム殿の決定は皇帝陛下も容認していると宰相たる私から明言しておきましょう」

「え?」

「バーゲンオータムリーフ殿、いえオータムリーフ公爵家には国家反逆罪の疑いが掛かっています」

「は? 何かの……間違い、では? 我がオータムリーフは帝国を裏切るようなことは――――」


 まだわかっていないようだな。

 いや、わかっていてとぼけている。


 タヌキオヤジめ。

 いまさら知らぬ存ぜぬでけむに巻けると思うか?


「もう知っているだろう? 無為混沌の結社アサンスクリタとリヒャルトは繋がっていた」

「…………いや、それは……証拠などないはずだ」

「ならこれは?」


 僕はテーブルへと資料をばら撒く。

 バーゲンは慌てた様子でそれを掴み取ると、目を皿のようにして凝視ぎょうしする。


 ことここに至ってバーゲンに余裕など皆無だった。


「リヒャルトが他国へと帝国の情報を売り渡していた証拠だ。ご丁寧にいつ何時に接触があったか、どんな人物を介してどんな情報を流していたか克明に記されている」


 これは恐らくダールベルトが纏めたものだろう。

 リヒャルトの行動こそいさめられなかった忠義を履き違えたヤツだったが……一応死後には役に立ったな。


「裏取りはすでに取れている。試しにそのリストに記されているヤツを捕まえてみたら案の定他国の間者かんじゃだったよ。後はもう……わかるな」


 禿げ上がった頭にダラダラと冷や汗を流すバーゲンに僕は告げる。


「バーゲン、ここが交渉の席だと思ったか? 違うな。これはお前たちオータムリーフ帝国の反逆者を断罪する場だ」












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