第百四十八話 傭兵カサンドラと地獄の門
傭兵カサンドラの人生は波乱に満ちていた。
孤児であり
親はおらず身一つで生きてきた。
人目につかない路地裏に住み、日々の食料を得るためゴミを漁った。
道を歩く他人の懐から財布をスリ取り己の糧とした。
ある程度の筋力を得てからは冒険者となり魔物を狩った。
耐え難い空腹に耐え、消えない傷を無数に作り、時に屈辱と共に
泥水を
しかし……故にこそ他人には優しくなれなかった。
誰も信用することが出来ず、心から通じ合える仲間も作らず、己以外はすべて敵。
でもそれで良かった。
何度騙され負けてもその度に容赦のない仕返しをし、舐められないよう敵対者には徹底的に反撃してきた。
何処までも残酷になれた。
心が揺れ動くことは滅多になく、虚しさの中に野心と金への執着だけが残った。
彼女の思考は一つに染まり、他者の
犯罪スレスレのグレーな依頼も喜んで受け土地を転々と旅した。
だが……そんな彼女も今日人生の幕を降ろす。
それは誰にも
その日のあたしは不機嫌だった。
「ほ、ほんとに来んのか?」
「あり得ねぇだろ。……ここは公爵家の邸宅なんだぜ。く、来る訳ねぇよ」
「でもよぉ、相手はあの噂の小僧だぜ。帝都でもスゲェ話題の! 来るに決まってる! ああ、くそっ、俺たちどうすれば!」
「チッ。うるさいな。いい加減腹を括れ!」
部下たちの
いまだ姿も見えない、それどころかここに来るかもさえわからない相手に怯えるなんて。
「で、でも姉御! ここに攻めてくるかもしれないって、ダールベルトの兄貴がっ!」
「そうです! アネゴ、絶対ヤバいですって!」
「……ヴァニタス・リンドブルムか。ホントにそんなこと仕出かすのかよ。相手は魔法学園に通う学生様だろ? しかも貴族のボンボン。そんなのがここに攻めてくる? ……何馬鹿なことを言ってんだ」
天下に名を轟かす予定の傭兵団『
ホント情けないったらねぇな。
「でも姉御! リンドブルム家の悪童は“
「……二つ名なんてどうせ大袈裟に言ってるだけだ。なんだお前そんなこと本気で信じてるのかよ? それにな。この間の脅しだって万が一にもあたしたちのことがわからないよう注意したんだ。ここに来るはずがないだろ」
「でも……裏の商人を支配下に置いたなんて噂も……」
「あれか……」
つい一週間もしない前、裏社会に出回った奇妙な噂。
裏の商人、それも小悪党ばかりだが何者かに襲撃され大きく力を落としたという。
中にはこれまで蓄えてきた金と商売に使うはずの品物まで根こそぎ奪われた奴までいるなんて噂も聞く。
でも本当に?
あれがヴァニタス・リンドブルムの仕業だって?
……馬鹿馬鹿しい。
そもそもいまの依頼主であるオータムリーフの馬鹿息子様が子供一人貶めるのに随分回りくどいことをするもんだと思ってたんだ。
ヴァニタス・リンドブルムの友だちだか知り合いだかなんだかを、わざわざ家族を人質にしてまで脅すなんて面倒なこと何故するのか意味がわからない。
公爵家ぐらいの大貴族ならさぞ儲かってるんだろうから他所様にケチつける暇なんてないだろうに。
ま、お偉いお貴族樣の考えることなんて所詮貧しい生まれの孤児には考えも及ばないのかもな。
「なんだ。許可されてるからって普段リヒャルト坊っちゃんの奴隷連中にちょっかいかけてはいたぶってる威勢の良さはどこいったんだよ」
「イヤだって姉御ぉ……」
「あーうるさいうるさい、その汚い口を閉じてろ。オマエたちは黙ってあたしの指示通り動けばそれでいいんだ」
なおも食い下がってくる部下共をしっしと手を振ってあしらう。
……それにしてもここは退屈だ。
リヒャルト坊っちゃんの別荘ならもっと気が楽なもんだが、あたしらも公爵家の邸宅なんかに来たことはない。
やることと言えばカードで遊ぶかボンヤリ空でも眺めるくらい。
それも気が滅入るような曇り空で時が過ぎるのが遅くてかなわない。
「はぁ……何か面白いことでも起きねぇかな。ああでも――――」
そうそう最近面白かったのはあのオドオドとしたお子様を脅した時ぐらいか。
度々面倒なことを、とは思ったけどアレは中々に興奮した。
あまりに
何せ数がいるからな。
ダールベルトのヤツに止められなきゃあたしも……。
ああ、でも思い出すだけでゾクゾクする。
……もうちょっと痛めつけとくんだったか。
「あーあ、やんなっちまうなぁ。この仕事が終わったらとっととこんな退屈なとこおさらばしてぇよ」
その日あたしは不機嫌だった。
不機嫌なまま終わるはずだった。
なんでもないままに一日が終わり、いつかはこの警護依頼も終わる。
そうしたら大金を手に入れてお隣のジオニス神聖王国かそこらで心機一転、一旗揚げる。
あそこは聖騎士とやらが幅を利かせちゃいるが、御世辞にも
勿論国境越えにはリスクはあるが暫く潜伏してさらなる力を蓄えるには悪くない選択肢ではある。
そうだ。
そんな
もうそんな必要なんてないのに。
――――来たんだ。
あたしたちに地獄からの使者が。
ああ、違う。
地獄そのものが。
薄暗い
「………ろ」
「ア、アネゴ! アネゴ! 助けて!」
「ああぁっ! やめてくれ! やめてぇ!」
「おれたちが何したって言うんだ! クソ、どうしたら……姉御! 姉御! あ、あ、ぁぁ、来る! 奴が来る!」
誰も止められない。
魔法も矢も効かない。
無謀にも向かっていった部下たちはみんな吹き飛ばされて身動き一つしない。
死んでいた。
白目を剥き血溜まりの中で
「………ろ」
「ギャアアアアアア! やめてくれ! もうやめてくれぇ!!」
「ハァ、ハァ、終わるのか? おれはこんなところで……まだ俺にはやりたいことだって山ほど……イヤだ……イヤだイヤだイヤだぁ!」
「姉御! 助けてくれ! オレこんなとこで死にたく――――」
「………ろ」
耳元で本能が
部下たちの泣き叫ぶ悲鳴の向こうから一歩も歩みを止めることなくアレが迫ってくる。
逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。
脳裏に鳴り響くけたたましい警告。
あたしの勘が言っている。
一歩でも早く、一刻も早く。
早くこの場から立ち去らなければあたしは――――。
逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。
終わる。
「ア、ア、ア、アンタは、一体……」
「ん? お前は……」
あたしは引くべきだった。
警護依頼なんてほっぽり出して即座に逃げ出すべきだった。
あたしたちは地獄の門を
自らの足で終わりへと向かっていた。
「邪魔だ。退け」
「……は……ぃ」
喉が張り付いたように口をパクパクと動かすことしか出来ない。
「……なんだ歯向かって来ないのか? つまらないな」
ソレはあたしたちを見下ろしていた。
一切感情のない瞳で。
子供の姿?
違う、そんな生易しいものなんかじゃない。
もっと別の得体の知れないナニカが立っていた。
「クリスティナ、生き残り
「はい、主様」
「コイツらは僕に必要ない」
地獄の門が通り過ぎていった。
後に残ったものは薄汚い血溜まりだけだった。
ゴミのようにあたしたちは捨て置かれる。
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